77 月の夜
77
ルインには逃げられた。
『流星雨』を種族特性で防ぎきった後、僕たちを怒りに満ちた目で睨み、傷だらけのまま北の空へ飛んで行った。くすんだ銀の鱗に力強さはなく、再襲撃があるとしても時間が掛かるだろう。
追撃をかける余裕はなかった。
僕の『流星雨』による被害が酷かったから。
僕が苦し紛れに展開した結界はかろうじてブラン兵を囲みきった。
それでも完全に防ぎきることはできず、数発の光が結界を突き抜けて落ちたのだ。
結界で威力を削がれて尚、通常の防御を容易く打ち破る光線。
発射の直前に僕が正気に戻れたためか、人に直撃することだけは回避できた。
だけど、多くの兵が余波に襲われた。
炸裂した光爆が地面を巻き上げてなだれ込んできた。土石流に巻き込まれたのと変わらない。
中には僕の回復魔法でなければ2度と立てなくなっていた人までいた。
奇跡的に死者が出なくてよかったと喜ぶことなんて僕にはできない。
周辺の地形も焦土と化して人が立ち入れる状態ではなくなった。
僕が氷の属性魔法で氷結するまで熱風が肺を焼くような惨状だ。
追撃どころか偵察さえ出しようもない。
唯一の幸いは首都を覆った結界が耐えきってくれたことぐらいか。
僕は回復魔法。氷の属性魔法。気絶した兵の移送のための強化付与魔法。
手当たり次第に働いて、働いて、何も考えたくなくて動き回って。
そして、やることがなくなって逃げられなくなった。
「レイア姫」
「あ、先生。どうしたんだ?」
僕は王城の一室、レイア姫の部屋に来ていた。
簡素なベッドから身を起こしたレイア姫に怪我はない。
正しくは『今は』ない。
余波に巻き込まれてレイア姫も怪我を負った。傷自体は僕が広範囲に掛けた回復魔法ですぐに治ったものの、出血で失われた血までは戻らない。
大柄なブラン兵と違い、体の小さいレイア姫は同じ失血でも影響が大きい。医者から安静を言い渡されて横になっているのだ。
「調子はどう?」
「おう。もう元気元気。寝てばっかで退屈してた!そんなことより先生はやっぱ、すげえな!あんな魔法見たことねーもん。さすが先生だ!」
僕は先生なんて呼ばれる資格ない。
レイア姫に呼ばれるたびに胸を締めつけられる。
人を導けるように?
大切なものを守れるように?
どの口が言う言葉だ。
導くはずの人を、守るべき人を自分で傷つけた。
リエナが、大切な人がまた奪われるかもしれないと思っただけで。
すぐにでも実現してしまうのではと想像しただけで。
状況も先も何もかもが吹き飛んでしまった。
武王との仕合でも苦い後悔を味わったのに。
まったく同じ失敗をしたのだ。
有り得ない失態。
本当に有り得ない失態なんだ。
「先生?どっかいてーのか?」
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
気が付けばレイア姫が下から僕の顔を覗き込んできていた。
いけない。表情が暗くなっていたか。せめて、レイア姫の前では取り乱したり当り散らしたりはしないようにするんだ。
曲がりなりにも先生と呼ばれてきたんだ。これ以上の醜態は曝せない。教える側の最低限の責任だ。
「あー、あんなスゲー魔法使ったもんな。やっぱ、先生でも疲れんだな」
魔造紙から発動させているので始祖としての魔法はひとつも使ってないけど、疲労に関しては本当だった。主に精神的なものだけど。
誤解はそのままに話を本題に進める。
武王に倣うわけじゃないけど、他にやり方なんて知らない。
居住まいを正して床に膝をついて頭を下げる。
「レイア姫、今回はすいませんでした。僕の魔法で怪我をさせてしまって。申し開きのしようもありません」
「先生、なに言ってんの?戦場に出たら怪我すんのは当たり前だろ?」
心底、不思議そうにきょとんとした顔で聞いてくる。
確かにそうだ。戦いの場に出た以上は何もかも納得しなくはいけない。怪我も、喪失も、死も全てが起こり得る。
戦いが身近なブランでは共通認識なのだろう。
その意味ではレイア姫が怪我したことは仕方ない。
だけど、僕の魔法は完全に戦いの外にあった。
勝利のために必要な犠牲でもない。
激戦の末の事故ですらない。
感情任せに暴発した破壊行為だ。
結果としてルインを退けた、飛竜を撃破した、それだけに過ぎない。
「んー。わかんねーな。ま、先生がそういうならそうなのかな?」
「少なくとも僕はそう思ってる」
「ん。あれか。ケンカはいいがいじめんな、って父様も言ってた」
それは別だと思う。
人に教えるのって本当に難しいな。どう言ったらちゃんと伝わるんだろう。
「ま、いーよいーよ。オレが勝手に出て行って勝手に怪我したんだからさ!ふふーん。それより!」
レイア姫がニマニマと笑いながら飛びついてきた。
「やっぱ、先生はオレのこと大事に思ってくれてんのな!惚れたか!?」
「……生意気言わない」
デコピンで黙らせておく。
レイア姫にちゃんと誠意が伝わったか微妙だけど少しだけ肩が軽くなったような気がする。
とはいえ、自分自身を許せるわけではない。
このまま留まっているとまたどんな失態をやらかすか知れたものではないので早々に部屋を辞した。
「おう。ここにいたのか」
声が降ってくると同時に背中をバシーンと叩かれた。
テラスから夜景を見ていた僕は、3階からダイブする寸前で柵にしがみついて耐えた。
(あぶな!もう少しで突き落とされるところだよ!)
僕の抗議の視線もどこ吹く風。酒瓶片手に武王が隣にくると胡坐をかいて座り込む。
初日と同じ場所、同じ時間、同じ人。
雲のない静かな月夜だった。
「どうした。なんかあるのか?」
見渡す景色は夜闇の中だ。
月の僅かな灯りに見える町並みは静まり返っている。
城壁の上をチラチラと松明の灯りが移動しているのが見えるぐらいか。
「今日のこと、責めないんですか?」
武王は僕の行動をひとつも責めてこない。
少し間違えばこの街並みが消え失せていたかもしれないのだ。
そして、現実に部下を傷つけられている。殴られて済む問題じゃないけど、何もないのはおかしい。
「といっても始祖がいなきゃ今頃、全滅してただろ。あんな飛竜がくっとは思ってなかったからな」
確かに飛竜の増援は予想外だった。
ただの竜でも魔王クラス。飛竜でさえ大型の魔物を大きく上回る戦力だ。ルインに至っては原書も交えれば魔神さえ超えていた。
それでも竜は魔族に負けたのだ。
単純に魔神の中でも強大な魔神に敗れたり、数量で攻められて押し潰されたりと、単一の戦闘での敗因はあるけど、最大の敗因は竜の絶対数が少ないことだ。
敗北がそのまま戦線の崩壊を意味する。
少しずつ仲間を失っていき、支配を奪われて、最後は険しい山奥だけが残り。
そして、バジスはほとんどを魔族に奪われた。
あれだけの飛竜は竜族にとっても乾坤一擲の投入だったに違いない。
全て僕の流星雨に飲まれて消滅してしまったのだけど。飛竜は全滅なんて事態もあり得るのではないだろうか。
「ま、うちのやつらは馬鹿ばっかだかんな。始祖に怪我させられたって怒る奴よりあの魔法スゲーって騒ぐだろ」
「それで済むものではないですよ」
「済ませるんだよ。戦場で馬鹿やる新兵なんざごまんといる。仲間を死なせちまう馬鹿もいる。罰はいるし、償わせもする。でも、そこまでだ。引きずって次まで失敗やらかす方がまずい。こっちは戦いばかりで落ち込んでる暇もねえからな」
その点、僕は反省もしていて、回復などで償いも終わっているから問題ない、と。
やはり、僕には馴染めない考え方だ。それでも回復したブラン兵は僕の肩や背中や頭をバンバン叩いただけで責める者はいなかったことを考えると、ここでは常識なのか。
武王は夜の街並みに視線を向けたまま刺さる言葉を投げかけてきた。
「それに俺はお前の師匠じゃねえんだ。すっきりさせてやるつもりもねえよ」
「……そうですね」
そうか。改めて意識する。師匠がいないという現実を。
今までは失敗しても師匠が叱ってくれて、拳骨をもらって、どうすればよかったかヒントをくれて導いてくれた。
でも、これからは自分で立ち直って、間違いを自覚して、挑戦しないといけない。
「まあ、相談ぐらいは乗ってやってもいいがな」
「相談、ですか?」
「そうだな、始祖の話ぐらいは聞いてやるよ」
そういえば、武王は酒瓶を持ってきているのに一口も飲んでいない。
ここに来た時も僕を探している様子だった。
最初からそのために来てくれたのか。
甘え、だろう。
でも、今は少しだけ頼らせてほしい。
なにせ、この人は僕に勝った人なのだから。




