72 謝罪
72
その日、僕はどうやって眠りについたのか覚えていない。
落ち込んでいたところを武王に無理やり王城へ連れて行かれ、歓迎パーティに巻き込まれた。
小高い丘の上に建てられた王城は頑健だけどシンプルな造りだった。
放り込まれた客間に机や椅子などはなく、絨緞の床に薄いクッションが敷かれて、近くに料理が山のように積まれていく。
どうにもこの国は物資が不足しているくせして、騒ぐ時は徹底的に騒ぐ主義のようだ。惜しげもなく貴重な食料や嗜好品を使ってしまう。宵越しの銭は持たない主義。
文官たちの苦労が偲ばれた。
とはいえ、その時の僕に人を気遣う余裕もなく、酔ったままのリエナに後ろから抱き着かれ、空気に酔ったレイア姫に膝の上に乗っかられ、正面に武王、周囲を他の王族に囲まれて勧められるがままに酒を飲んだ。
成人してないとか理屈じゃないのだ。ここの人たちは。というかブランでは酒を飲む年齢は個人の判断に任せるという適当ルールらしい。
なので、諦めて飲んだ。
僕も飲みたい気分だったんだ。
浴びるほどに飲んだ。前世でも付き合い程度しか飲まなかったから、こんなに飲んだのは生まれて初めてだった。
武王と飲み比べしたのが最後の記憶。
目を覚ませば僕はリエナのしっぽに頬ずりしながら眠っていた。
時刻は深夜。蝋燭の僅かな灯りの下、酔いの冷めたリエナと目が合った。
「……シズ」
「………………おはよう、リエナ」
リエナにとってしっぽは自分から当てるのはOKだけど、勝手に触られるのは酷く恥ずかしいことと知っていたのに、やらかしてしまった。
真っ赤な顔で震えているリエナに全力の土下座で謝りました。
なんかこんな失敗ばかりだな、最近。
デートの約束で何とか許してもらえたよ。
幸い二日酔いにはなっていないようだ。
辺りを見回すと死屍累々。王族たちが全滅だ。ここで魔物の襲撃あったらどうするんだよ。
せめて先生としておへそを丸出しで寝ているレイア姫に上着をかけて散歩に出る。
リエナもついてきたがったけど少し一人で考えたいので断った。
散歩と言っても目的がある。
酔い潰れた王族の中に武王はいなかった。
勘だけで廊下を進んでいくと月明かりが見えた。
どうやらバルコニーらしい。
そこに武王はいた。
1人でちびちびと酒を呑んでいる、
「何を見ているんですか?」
「我が国の民だ」
僕の声に驚きもせずに隣の床を叩く。
この人相手に遠慮することはないと隣に座った。
「ああ……」
そこからはブランの首都がよく見えた。
今も騒いでいるのか音楽が聞こえ、焚火を中心に歌う者や踊る者、やはりケンカして笑いあう者や賭ける者。
ブランの人々の暮らしはスレイアの王都と比ぶべくもない。石造りの小さな家。粗末な衣服。大味な食べ物。
それでも楽しそうに笑っている。
貧窮しているというテュール王子の話からもっと悲惨な光景を想像していたけど、勝手なイメージは失礼になってしまうぐらいの活気がある。
ともすれば、スレイアの人々よりも幸せそうに見えてしまうぐらいに。
「良い国であろう」
「ええ。そう思います。少し過激ですけど」
「それで生きていると感じられるなら良いのだ。息をしているだけを生きているとは言わん」
この国をこの男が支えているのか。
とても王族には見えない稚気と奔放さを持ちながら、その一身で民の期待を背負い、兵を率いて先頭を走って示している。
自分たちの勝利に至る道を。未来を見せている。
「まず、やっとかんといかんな」
武王は居住まいを正し両手両膝をついて深く頭を垂れた。
「原書にまつわる我が国の不義、申し訳ないことをした」
「僕はスレイア代表ではないのでお受けできませんけど?」
「スレイアは別だ。テュールから聞いている。始祖は師を亡くしたそうだな」
確かに原書があれば問題なく魔神を倒せていた。
師匠が死なずに済んだ未来があったかもしれない。
「……原書を貸してほしかったのは本当だったんですよね?」
「スレイアには伝わりづらいだろうが魔族の侵攻は年々、激しさを増しておる。40年前、俺が武王を継いだときは5体の魔神に襲われた。それを撃破するため原書が足らんかった」
だから、貸してくれと。
はたして当時の使者はどうして譲渡されたなどと報告したのだろうか。
困窮にも負けず魔物と戦いながら強く生きている自国と、それに守られてのうのうと優雅な生活を営む平和ボケした隣国。
偽使者が言っていた、魔物と戦えない国が原書を持っていても意味がない。有効に活用してこそ原書だ、という言葉の重みが少し変わって感じられた。
無論、スレイアもブランに協力している。
強力な魔造紙を生み出すよう研究し、足りない食料や物資などを輸送している。
それでも、実際に命を賭けて戦う者と、スレイアでは覚悟が違ったのではないだろうか。
「それはそれだ。欲しいならばそう告げねばならん。事実として我が国はスレイアを裏切ったことに変わりはせん」
潔い。
なるほど。テュール王子もレイア姫もこの人を見て育ったんだと納得できるや。
「詫びに命を賭けるそうですが?」
「必要ならこの首などいくらでもくれてやろう。だが、今はいかん。俺が死ねばブランが終わる。いや、人類が終わる」
大げさな言葉だと思った。
でも、武王に加飾はない。
「どういう意味ですか?」
「それは後だ。まずは謝罪を受けるか否か」
武王はずっと頭を下げ続けている。
不器用な人なんだな。そして真っ直ぐで、真摯な人なんだ。
こう感じた段階で僕には復讐の念を向けることはできなくなっていた。
こちらも居住まいを正す。
「謝罪を受け入れます」
「ありがたい」
ようやく武王は頭を上げてにやりと笑った。ついつられて僕も笑ってしまう。
なら、僕もやることがある。
「ボクも先程は仕合にあるまじき行為、申し訳ありませんでした」
「おう。構わん。武技を尽くしてこそ武人の死合いよ。それに誰も死んではいないんだ。気にするな」
あっさり許してくれたな。なんか仕合のニュアンスに致命的な違いがあるような……。
ともあれ、互いの非は許しあえた。
「正直、20倍強化魔法を破られるとは思いませんでした」
「あのとんでもない強化魔法だな。魔力の壁つっても固いだけなら衝撃を徹せばいいだけだろ」
あー、アニメや漫画で出てくる浸透勁ってやつでしょうか。
現実に出来る人間がいるものなのか?いや、実際にやられたのだからそこは疑問にしても無意味だ。確かにあれは装甲を力任せに砕いたのではなく、すり抜けてきたという印象だった。
ということは最後の受け流しも中国拳法的な何かだろうか。
やはり魔法の絡まない純粋な武技だけで対処したわけだ。人間じゃないってこの人。
「始祖、お前はバランスが悪い」
「それは体術と魔法のことですか?」
自覚はあった。
師匠の指導で格段に腕は上げていてもリエナには勝てないし、他にも師匠や武王を始めいくらでも格上がいる。
対して魔法は手加減を考えないなら世界最高峰だ。
崩壊魔法に至っては滅ぼせないものなどないというレベル。
魔物みたいに問答無用で片付けていいなら、それでもいい。
だけど、実際に戦う相手が人間だった時に消滅させてしまっていいと簡単に思いきることはできないのだ。
先の仕合だって武王を殺していいなら初手で崩壊魔法を使って終わりだった。
強力な魔法はわずかなミスが決定的になってしまう。
実際、頭に血が上った途端に暴走したのだ。もし武王の技量が足りなければ彼は死に、多くの観客が命を落としていただろう。
だから、体術も必須なのだけど。
「始祖の師はまず防御を鍛えたようだが」
「そうなんですか?」
「魔法を使うまでの時間稼ぎに必要だからだろう。明らかに偏っている。受けは見どころがあったな。良い師だ」
一度、死合いたかったな。と呟く武王。
個人的に2人が戦うところは見てみたかったかもしれない。
「無敵と思わぬことだな。俺なら始祖を殺せるぞ?」
「僕が本気でも?」
「ああ。試合の初手、あれが俺の全力じゃないぞ。始祖が魔造紙を使うより、魔法を使うより、声を出す間もなく心臓を止められた」
恐ろしい断言だ。
そして、武王の言葉には嘘も装飾もないという事実が自覚を深める。
なにせこの人は仕合で魔法を使っていない。この男が使うならただの魔法ではないはず。おそらく原書だ。
「だから、真の強者ではないと?」
「あ?そっちは別だ」
あれ?違うの?
武王は残っていた酒をぐいっと飲み干して立ち上がる。
「そっちは言って変わるもんでもなし。自分で気づけ。そっからだ」
思わせぶりなことを残して武王は去って行った。




