7 きっとくる
7
唐突だけど僕は寝起きがいい。
どんなに疲れていても狙った時間に起きられる。目覚ましなんてほとんど使ったことがない。
いま思えばそんな体質のせいで疲労が蓄積していって過労になってしまったような気もするけど、今となっては本当にどうしようもないから気にしない。
ともかく、寝起きの良さは転生しても変わらなかった。日の出の前に起きようと眠りにつけばちゃんと目を覚ます。体内時計が優れているのだ。けして腹時計が優れているわけではないよ?
そんなわけで1時間後、ぴったり目を覚ました。
ぼんやりまどろむ隙もなくベッドから起きる。見回せば部屋には一人だけ。あの子はいなくなっていた。
部屋を荒らされた形跡はない。おじいちゃんから譲られた愛用の魔筆も定位置にある。
帰ったのかな。
正直、起きてすぐそばで顔を覗き込まれでもしていたら粗相をしかねない。眠っている所をずっと脇で見つめられていたらと想像するだけで怖い。
なので、助かった。
お漏らしなんてしないぞ。うん。放課後の体育倉庫に閉じ込められた時の事は思い出すな、僕。
とにかく、帰ったならいいんだけど。
今さらだけど僕はあの子がどこの子かどころか名前さえ知らないのだった。
何でもは知らない。知ってることだけ。知っているのは無口で足が速い女の子ということぐらい。知らな過ぎだろ。
ここは『わたし気になります』とか言って食いつくべきなのか?
でも、ほとんど初対面の女の子に積極的に情報を聞くとかナンパみたいで高難度ミッションにしか思えない。
見かければ気に掛けるぐらいが適切な距離感かな。
ともかく書記士の訓練の2回目だ。昼寝で魔力は既に回復している。すぐにでも取り掛かれるけど、のどの渇きが気になった。
台所に行こうと部屋を出て固まった。
……なに、これ?
家が荒らされていた。
机と切り株みたいな椅子は倒れて転がり、水浸しの床には布切れが散らばっている。
前世でスーパーに泥棒が入った時の光景が甦った。開けっ放しの引き出し。倒れた書類棚。無理やり開けられた金庫。幸い、営業時間外だし僕も珍しく2時までしか残業していなかったから人的な被害はなかったけどしばらく働くのが怖かった。
落ち着け。素数を数えろ。あれ、0は素数だっけ?1からだっけ。教えて神父様。
よし。ネタを考えられる程度には落ち着いた。
被害はリビングだけだろうか。
安全が確認されている子供部屋に戻るけど、やはり確認しても変化はない。続けて両親の寝室も変化なし。
再びリビングに戻る。改めて観察してみると物は倒れているけど部屋の脇にある棚とかはそのままだった。物盗りじゃないのかな。
しかし、僕は寝起きがいい反面、寝つきがよすぎるところがある。眠りに落ちるとちょっとやそっとじゃ絶対に起きない。
修学旅行とか懐かしい。顔に落書き。服は袖と裾を背中側で縛り付け。ベランダに放置して写真で記念撮影。これだけされても深夜を過ぎても起きなかったんだから。いじめっ子たちが不安になって部屋に戻したのを後から知った。どうして知っているかって?簡単だよ。手間かけさせんなって殴られながら教えてもらったからさ。ほれぼれするほど理不尽!
まあ、だから起きられなかったのも驚かない。
さて、まだ確認していないのは台所だけ。意識してみると台所から何か物音がしているのに気付いた。Gにしては音が大きいな。
不審者を撃退できるとは考えていない。
8歳児の体では無理がある。博士の発明した探偵道具がほしい。あの麻酔針とか犯罪臭がするけど。キック力増強シューズは自分の足がはじけ飛びそうで怖いけど。もうちょっとソフトなのを希望。
まあ、ないものねだりはしないと決めたんだ。
相手を確認して大人を呼ぼう。
僕に冒険を求めないでよ。危ない橋は渡らないよ。竜探究5の子供時代でレベル25を超えるまで鍛えてからストーリーを進めるぐらいだからね。お父さんびっくりしただろうね。風邪をこじらせている間に息子がザOラルとか覚えてるんだもん。
RPGの醍醐味は圧倒的戦力による蹂躙だと思うんだ。歪んでるなあ、僕。日頃から鬱憤が溜まってたからかなあ。
足音を忍ばせてそっと台所を覗き込む。
「なん、だと?」
思わず声を漏らしてしまった。
台所も水浸しだったけど、物が散乱していたりはしなかった。精々、木製の桶が転がってるぐらい。その中でひとつだけ異常が起きている。
水瓶から足が生えていた。
子供らしい細い足がバタバタ暴れている。
上半身は完全に中に入ってしまっていて見えない。
水瓶は僕の方ぐらいまで高さがある上に重量もあるので倒れたりしない。ああなってしまうと誰かに引っ張ってもらわないと出れないわけだ。
誰かと言えば例の少女だろう。そういえば寝る前に水の場所を聞かれた気もするし。
水瓶にはまってしまって出れなくなっていたわけね。
あー、あるある……ねえよ!というか、やばい!頭から落ちているから水の量によっては溺死する可能性がある。
水瓶に駆け寄って声をかける。
「暴れないで!引っ張るよ!」
声が届かないのかパニックなのか足は暴れたままだ。
さすがに人命がかかっている状況で異性に触れる抵抗感もなかった。むしろ蹴られて痛い!突き指しただろ!ぐう!この!あ、ば、れ、る、な!
両足を抱え込んで後は全体重を後ろに投げ出すようにして引っこ抜く。
ポンッという音が聞こえそうなほど景気よく少女が飛び出した。
ゴン!という音が聞こえそうなほど景気よく頭を打った。
神様……僕が何か悪いことしましたか?
後頭部を押さえて痛みに耐える。今は少女の容体の方を優先しないと。
激しく咽ている少女の背中を擦ってあげた。あー、咽てるってことは呼吸は正常。意識もあるみたいだし、命に別状はないのかな。
ああ、でも手がすっかり冷たくなってる。倒立の姿勢で頭が水に落ちるのを防いでいたんだろうか。ずっと水に浸かっていた手は冷え切っていた。こすって温めてあげる。
暗闇に閉ざされ、徐々に消耗していく中で必死に頑張っていたのだろう。
保護者がいる中なら微笑ましいトラブルも子供しかいない状況では事件になり得るんだ。
世の中の親御さんたち。面倒だからってお店に子供を放置して買い物に行かないでください。店員は完璧超人じゃありませんよ?
「よく頑張ったね。偉かったよ。もう大丈夫だから。安心して」
よっぽど怖かったんだね。
頭のふさふさした耳もすっかり後ろに伏せてしまっている。
!?
頭の、耳!?
遅まきながら気が付く。
決して外そうとしなかったフードが助け出した拍子に取れていた。
その下から出てきたのは息を飲むほどの美少女だった。
印象は黒。吸い込まれそうな瞳。スッと流れる細い眉。腰まで届く艶やかな髪。それらの全てが深い闇を湛えている。整った鼻梁。小さく上品な口の桃色。白磁の肌。どれもが田舎の村にいるようなレベルではない。着飾れば王侯貴族としても通りそう。
今はそんなことはどうでもいい。
今は彼女の頭上に鎮座する耳だ。
やや丸みを持った三角形。
毛色は髪と同じ黒。だが、覆う毛は柔らかく別の髪質を持っていることがわかる。耳毛は僅かに薄い灰色でふわふわとしている。
ちょっとした物音から風の音まで反応するのか終始ぴくぴくと動いて実にかわいらしい。
少女は僕の視線がどこに向かっているのか気が付いたのか。息を飲んで硬直している。
耳さんもピンと立って警戒中。怯えたような目と視線が交わされた。
「猫耳キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーくぁwせdrftgyふじこlp;@:っ!!!」
奇声絶唱。
魂の叫びに女の子はビクッと飛び跳ねると、びっくりするぐらい滑らかに台所から走り去ってしまった。
ああ。猫耳、行っちゃった。
無意識のうちに伸ばした手は何も掴めなかった。
人と妖精が結ばれて生まれる亜人がいるとは聞いていた。残念ながらこの村には一人もいなかったので実際に目にするのは王都に出てからかと思っていたけど。
まさか、この目にする日がやってくるとは!
感動に打ち震えているとお姉ちゃんが帰ってきて家の惨状に再び出て行ってしまった。
結局、お姉ちゃんがお母さんを連れて来ても僕はその場で感動に打ち震え続けていた。その様子は実の家族でさえ声をかけることすら憚れる有様だったらしく、最終的にはお父さんの拳骨が振るわれることになりました。
お父さん、手加減って知ってる?
すっかり嫌がらせのことも忘れて明日が早く来ないか待ち遠しかった。
そんな期待を貫くような『村長の孫娘が行方不明』という報せが我が家に届いたのはすっかり日も沈んだ夕食後だった。
シズ君の萌えポイント発覚。
おかしい。初期設定では猫耳じゃなかったのに……。