59 泥仕合
59
慌てて跪こうとしたけど「よい」と止められた。
いいのかな?油断したところを無礼討ちとかやめてよね。
王様の後ろには屈強な近衛兵が1人だけ立っていた。隊長さんなのだろうか。なんとなく襲撃の時にもいたような気がする。
レイナードさんが重くも軽くもならない絶妙な角度で頭を下げた。
「陛下。本日はありがとうございます」
「レイナード。お前が宴を提案するなど初めてのこと。元より此度の事態に誰よりも早く駆けつけたお前の働きを労わなければならんのだ。その願いを退けようはずもなかろう」
実はこの食事会、レイナードさんからの発案だったりする。
理由は簡単。タイミングを計るためだ。
そんな僕の内心に関係なく、王様が僕に目を向ける。
「まずは礼を言わねばならんな」
王様が僕に頭を下げた。
余程のことらしく周囲の貴族たちがざわめく。
田舎暮らし+現代日本人の感覚からすると王様という存在を正しく理解できないと思うけど、それでも平民に王様が頭を垂れるというのは有り得ないことぐらいはわかる。
慌ててガンドールのアランがやってくる。早歩きの世界記録でも出せそうな素早さだった。
「恐れながら申し上げます。陛下、確かに彼の功績は絶大なものでありましょう。されど、王が平民に頭を下げるなどあってはならぬことですぞ」
「忠心ご苦労。だが、アラン」
静かにアランへ視線を向ける王様。
「彼は本来ならば我々に守られるべき民だ。命を懸けてまで魔神と戦う理由はなく、それでも尚、この国を守るために戦ってくれたと聞く。その上、この者は戦いで師を失ったのだ。無論、褒賞は与える。だが、それだけで済ませてよいものではあるまい。王である前に。人としてだ」
うわあ。こういう人なんだ。
はっきり言って王様に向いているとは思えない。
きっと、いい人なのだろう。でも、いい人の理想と現実は相性が悪い。だからこそ、王様なんてその現実を1番ぶつけられる場所じゃないの?その責務に摩耗していくのが目に見えていた。
ガンドール家のアランが手段を選ばないというのも少しわかった気がした。王様が踏み込めない暗部はアランが受け持とうとしているのかな。
いい人ではあっても、いい王様にはなれない。それが初対面の感想だ。
でも、その言葉は僕の胸に届くものもある。
ここで最後の決心ができた。
僕はクレアに目くばせした。クレアはレイナードさんに小さく頷いて見せて、静かに中庭から出ていく。
「陛下、お心遣いありがとうございます。下賎の身に余りある栄誉です。ですが、お言葉ながら私は師につき従っていただけでございます。もしも、魔神討伐を労っていただけるのならば我が師、レグルスにお言葉を頂ければ幸いです」
あー、こんな感じの言い方でいいのかな?接客用語なら完璧なのに。
「無論、レグルス殿にも感謝しておる。レグルス殿は無念であったな」
「いえ、我が師は為すべきを為しました。後悔はないでしょう」
最期の笑顔を思い出して言葉にする。
胸の内に押し寄せる感情は噛み殺した。
「為すべきこととは?」
「ひとつは復讐を果たしたこと」
まあ、当人ではなかったし、執着していなかったけど。
前振りとして言っておこう。
「ひとつは守るべきものを守ったこと」
ここにいる人の大半は王都のことを指していると思うのだろうか。それでもいい。僕だけがわかっていれば十分だ。
ここで聞かせたいのは最後のこれ。
「ひとつは研究を完成させたこと」
「噂には聞いた。レグルス殿は全く新しい魔法で魔神を討ったと。遠くに逃れた余にも戦いの凄まじさは届いていたが、それはまことか?」
僕ははっきりと頷いた。
先程よりも大きなどよめきが起きる。
模造魔法は基礎を除けば5種類のみというのが1000年も続く常識なのだ。俄かに信じられることではないだろう。
けど、あの魔神の脅威を目にしている人間であればもしやという思いも出てくる。
あれ程の化け物を倒すにはそれに見合った奇跡が起きていてもおかしくないのでは、と。
「我が師、レグルスこそは第7の始祖。合成魔法の使い手でした」
こんな発言をすれば師匠は怒るかもしれないけど、僕はもう合成魔法を生み出すつもりはない。
実際、師匠が500年の間にあらゆるパターンを組んでしまっているので入り込む余地がないという事実もあるけど、それ以上に師匠の功績を奪うようなことをしたくないから。
僕が生み出したのはただひとつ『レグルス』だけでいい。
「恐れながら陛下、そのような平民の言葉をお聞きになるのは危うきことかと」
「ガインか」
いつの間にかガインが近くまで来ていた。大きく手を広げて演出がかった物言いをする。
「恐らくその小僧は実演で証明しようとするでしょう。そして、近衛のみに許された武装の許可を求めるでしょうな」
「つまり、余を害すると申すのか?」
「いえ、事故が起きるのではないかと危惧した次第で。新しき試みには危険はつきもの。小耳にはさんだところ、師のレグルスという樹妖精はいつも術式崩壊を起こしていたとか。易々と見学なさるものではありませぬ。まずは我々、軍が確認いたしましょう」
長口上の結論は大きな手柄を自分以外が手に入れるのは気に食わない、でいいだろうか。
まあ、言っていることも間違いとは思わない。事実、そういうような手管で暗殺が実行されたことがあっても不思議ではない。
理由は何でもいい。そうやって絡んでくれるのは僕の望むところだ。
そのために会が始まる前に挑発したんだしね。
衆目のあるところで知らないふりまでして僕を殴ったのはレイナードさんがどこで止めるか様子を見るためかな?そういう可能性もちゃんと考えていたよ。いや、可能性は低いと思っていたけどね。想定内さ。
最初は止めなかったからそこまで繋がりが強くないと思っただろ?
だから、安心して飛び込んでこれたんだろ?
内心は隠して不機嫌にガインから視線を外す。
「結構だ。あんたに見てもらうことはひとつもない」
「お聞きになられたか?どうやら大言を吐いておいて自信がないらしい。どのような手品を用いたか知らぬが師も弟子も妄言が過ぎるのではないか?」
はいはい。そうやって僕が怒って暴れるのを無礼討ち狙いでしょ?
そういうのはレイナードさんから忠告されているから聞き流せる。師匠のことを悪く言ったことは後で思い知らせるけどね。
「陛下。先日、私は学園の学外実習で魔の森に行きました」
「聞いたぞ。森のほとんどを討ち滅ぼしたとか」
「師の加護があればこその成果です」
「ほう。それも合成魔法か」
や、実際は20倍魔法の要素の方が大きかったりするけど、最大の破壊を招いたのは『流星雨』なので嘘でもない。
「その前に深部へと向かう生徒を見つけました」
「……余も噂は聞いておるが」
王様が言葉を濁して遮る。
それ以上は言わない方がいいという合図だとわかっている。
やっぱり気遣いのできる人なんだよな。なんというか地方領主で領民と一緒になって畑を耕す生活とか性に合ってそうな気もする。
でも、今は王様なんだから役目を果たしてもらおう。
「その生徒はケンドレット家当主の密命を帯びて深部に極大魔法を放ちました。深部を刺激すれば魔物が襲い掛かるというのは以前にもあったこと。この暴挙にどのような意図があったのでしょうか?」
眉をしかめる王様に対してガインの余裕の笑みは揺るがない。
「そのようなことを儂が命じるわけがない。陛下、我が身には心当たりなきことでございます。聡明なる陛下ならば無論、お分かりいただけると信じておりますが」
「……証もなしに疑うわけにはいかぬな」
王様であっても強権をいつでも発動できるわけじゃない。
もちろん、命じればこの場で近衛隊長にガインの首を取らせることもできる。でも、それをしてしまえば多くの貴族が王家から離れてしまう。
王命は両刃の剣。
抜かずの秘剣であるべきなのだ。
王様の言う通り確かな証拠でもあれば話は全く変わってくるのだが。
証拠は白紙に戻ってしまっている。証言では弱い。
「では、魔の森の近くまで軍が来ていたのは?」
「演習である。正式に許可もいただいておる」
「魔王と魔神に行きがけの駄賃とばかりにやられたのは不幸でしたね?」
ちょっとぐらいやり返してもいいだろう。
ガインは悔しげに顔を歪めたものの、それでも森の一件の証拠にはならない。
「あの生徒の家ではとても極大魔法用の魔造紙など用意できないはずですが」
「それこそ知らんよ。そもそも小僧が見たという魔法が本当に極大魔法だったのかも怪しいものだな。本当に強力な魔法を見ることのない者にはよくあることだ」
今すぐ『流星雨・集束鏡』をこいつに落としてやろうか。
あれと比べれば極大魔法なんて火花みたいなものだよ?
報告だけで実際に見ていないから実感がないのかもしれないけど、僕の火力に関しては原書だって超えている。
まあ、今は疑惑の話だ。我慢、我慢。
それにしてもずいぶんと余裕だな。
確かに王様は易々と強権を発揮できないけど、発揮したからといって取り返しがつかないわけではない。
特に今回のような王都そのものが滅亡しかねなかった事件の原因なのだ。王様が決断する可能性も十分にある。
なのに、恐れている様子がない。
元々、ケンドレット家はルネの誘拐事件で落ち目になっていた。
魔の森のスタンピードは乾坤一擲の賭けだったはず。それが失敗したというのにこの態度。
先日の王族襲撃事件でも黒幕という疑いもある。
やっていることに一貫性がない。
本当に権力の固執しているならこんなことするのだろうか?
あと僕はともかく、王家にもまるで敬意を払っていない。
それらを含めて考えるとある可能性が浮上する。
やっぱり、そういう繋がりなんだろうね。
勝ち誇った顔をボコボコにしてやりたいけど、そろそろ頃合いじゃないか?
ちらりと見れば屋敷の中が少し騒がしくなってきている。
変化に気づいた中庭の人たちが声のする方に視線を集める。
屋敷に通じる石畳をカッカッと固い音を立てて入ってきたのは鎧姿の青年だった。
綺麗だったはずの白銀の鎧は至る所が凹んで汚れて悲惨な姿になっている。どうも泥に顔から突っ込んだのか、全身が泥だらけだった。
ガインを憎しみの籠った目で睨みつけた。これはガインも意外だったのか不思議そうな顔をしている。
けど、青年はすぐに王様の方に歩いてきた。
「無礼者め!御前であるぞ!」
アランが矮躯からは想像もできない大声で咎めた。
しかし、青年は涼しげに聞き流す。
まあ、泥だらけなのでちっとも様になっていないけど。
「その鎧、ブランの者か」
よくそのボロボロの鎧から見極められましたね?
素直に感心してしまった。
険しい顔で王様が言葉をかけるとようやくきざな仕草で一礼した。
だから、泥パックじゃ滑稽なだけだからね?
気づいていない本人と、突然の事態に唖然としている貴族は笑ったりする余裕はないみたいだけど、僕は今にも吹き出しそうです。
「ご機嫌麗しゅうございます。スレイア王。本日は我が主よりお言葉を預かって参りました」
次回はちょっと番外で失礼します。
1時間後ぐらいに。




