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魔法書を作る人  作者: いくさや
学園編

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53 決断

 53


 師匠は魔神と睨み合ったまま何秒か動かなかった。

 色んなことを考えているのだろう。

 例えば魔神への対策。

 撃破・時間稼ぎ・撤退。

 選択肢はいくらでもある。

 実現の可否は別とすれば、だけど。


 でも、撃破は難しい。

 師匠のバインダーには僕が作った合成魔法の魔造紙もある。だけど、それは通常の魔力で作成したものだ。

 師匠の種族特性は未知の部分が多いので僕には判断できないけど、あの腐蝕と植物は相性が悪いように思えた。

 火力は僕の魔法が1番優れている。でも、その僕は筆を握ることすらできない。

 辺りに置きっぱなしになってしまった魔造紙を回収しようとすれば戦場がこちらに移る。そうなれば動けない僕と学長先生は余波を浴びて死んでしまう。


 時間稼ぎは可能だろう。

 まだ魔造紙のストックは切れてないし、種族特性と合わせて師匠なら応援が来る時間を作るぐらいできるはずだ。

 ただ、その場合は僕と学長先生は毒で命を落とす可能性が高い。自力で解毒が可能か否か、僕にもわからない。

 加えて応援が期待できない。精々、原書の魔力充填が済んでもう1度、動きを封じられるぐらいか。


 そして、撤退。

 師匠1人なら容易だろう。

 原書を確保してからでも逃げ切れると思う。

 でも、僕と学長先生を連れて行くなら話は別だ。

 いくら魔神の速度が速くないとはいえ、人間を2人も抱えた状態で逃げ切れるほど甘くはない。


 もちろん悠長に僕たちを治療なんかさせてもらえるわけがない。


 僕が考えるようなことは師匠なら既に思いついているだろう。

 だから、動かなかったのは悩んでいたのではないと思う。決断までの時間だったのだろう。

 師匠は小さく笑ったように思う。


「おい、チビ」


 視線を向けずに師匠が何かを放り投げてくる。

 それは僕の顔の前の辺りに落ちてきた。小さな荷物だった。


「預かりもん、確かに渡したからな」


 留守中に届いたおじいちゃんからの荷物。

 なんで、こんな時に。

 辛うじて動く視線だけで師匠の背中を見つめる。


「こいつは俺が始末する」


 そうだ。

 師匠が僕を見捨てて逃げるなんて絶対にない。

 この状況で僕が生き残るためには師匠が単独で魔神を撃破しなくてはならない。

 なら、師匠はそうする。

 そういう人だ。


「おい。勘違いすんじゃねえぞ。こいつらにはでっかい貸しがあるんだ。取り返しもつかないぐらいでっかい貸しが利息まで山盛りでな。それを奪い返すだけだ」


 嘘ではない。師匠の魔神への憎悪は本物だ。

 でも、それだけではないと僕は知っている。


「それに、俺の500年はこのためにあったんだからよ」


 守りたいものを守るための力。

 そのために人生のほとんどを費やした男の背中があった。


「解毒は自力でどうにかしろ。俺の弟子ならそれぐらいやれんだろ?」


 そう言われればやるしかない。

 バインダーの中には解毒の魔造紙はある。こうまで毒に侵された状態では即座に復帰とはいかないかもしれないけど確実に悪化は防げるし、異常をきたしている神経が落ち着けば回復できる。

 問題は動かない体でどうやって魔造紙を使うか。

 いや、バインダーを閉じたままでも魔造紙を発動することはできる。

 魔法士の高等技術だけど、腕のいい騎士や軍人、傭兵なら使えて当然ともいえる技能だ。

 僕はまだ試したことがないけどここはやるしかない。

 そして、バインダーは常に腰に下げている。つまり、体には接しているのだ。手で触れないといけないルールなんてない。

 これも試したことないけど。


(やってやる。やらなきゃこのまま師匠の足手まといだ)


 師匠は僕ならやれると言った。なら、弟子として応えないといけない。

 腰のバインダーに意識を集中させる。

 そうしている間にも師匠と魔神との戦いが再開した。

 師匠は属性魔法や召喚魔法と種族特性を混ぜた戦法で魔神をその場に留めている。


 師匠がやると言ったからにはやるんだ。

 向こうのことは気にするな。

 僕は脳の回線が壊れるのではないかと思うほど集中する。


(バインダーの中身を思い出せ!先頭から順に思い浮かべろ!使ったものは排除する!1ミリ以下の1枚を探り当てろ!ある!僕が書いた魔造紙だ!わからないわけがない!そう思い込んで信じ込んで押し通せ!)


 あまりの集中に鼻血が出始めた。

 でも、それも無視する。

 呼吸も邪魔だ。止まっとけ。

 瞬きもいらない。耳もうるさい。

 今は、閉じた漆黒のバインダーの中身だけを思い浮かべるのだ。

 見えた。きっと、いや、絶対にこれだ。確信しろ。曖昧な感覚は忘れろ。

 場所を確定したら後はイメージだ。

 背中から3本目の手が伸びるところを想像する。

 その手を伸ばして閉じたバインダーの中に沈める姿を夢想。

 確かに触れたと感じて、幾万と唱えた掛け声で確度をさらに高める。


「いくよ。『大地の歌』」


 僕と学長先生を赤い光が包み込む。

 途端に麻痺していた体が解放された。意思に反して硬直していた体が痛い。

 毒は排除できたし、10倍でも毒への防御効果も出ている。

 だけど、体がうまく動かせない。それに無理な集中の反動か吐き気がひどい。忘れていた呼吸を繰り返して体を落ち着かせる。


 どれだけの時間が経過したのか。

 集中のせいで時間の感覚が狂っている。

 学長先生は自分も苦しいだろうに僕の背中を擦ってくれたおかげで少し楽になってきた。


「……師匠、は?」

「まだ、戦っている。だが、あれは……」


 学長先生の声が震えている。

 遠くなっていた耳も正常に機能し始めてきた。

 師匠と魔神の激闘の音が地鳴りとなって響き渡っている。

 そして、僕は見た。


 無数の樹木が立ち並び、腐り果てた戦場を。


 その中心で師匠と魔神の戦いに決着がつこうとしている。


 両手のへし折れた魔神の胸に師匠の白木の杖が突き刺さる。

 先端には何かの魔造紙が何枚も巻きつけられていた。

 師匠が開きっ放しの胸甲を蹴りつけて強引に閉じると同時に叫んだ。

 その青かった髪が真っ白になっている。


「まとめていきやがれ!」


 紅蓮の晶狼が。

 鉄片の交じった嵐が。

 雷を帯びた矢が。

 牙を持った闇の衣が。


 一斉に魔神の胸の内側で溢れかえった。

 爆発なんて生易しいものではない。

 空間が歪むような衝撃が何もかもを吹き飛ばす。

 離れていた僕たちでさえも豪風に薙ぎ払われた。

 魔神は上下が裂けて吹き飛ぶ。

 師匠も地面に叩きつけられた。

 全身を朱に染めて尚、半ばで折れた白木の杖を地に突き刺して体勢を整え、嵐の中で立ち上がる。

 上空に吹き飛んだ魔神の上半身を睨みつけた。


 魔神の単眼がぎょろりと動く。

 あれでまだ、生きているのか。


「……一手、足りねえか」


 師匠が明らかに折れている腕を地面に当てた。

 とてつもない圧迫感に息がつまる。何か大きな力を行使しようとしている。おそらく、種族特性だ。


「いかん!レグルス殿!やめられよ!」


 学長先生が叫んだ。

 なにを言っているんだ。

 なにを知っているんだ。

 師匠は何を……。


 師匠は僅かも止まらずに声を上げた。


「万年樹!!ぶっっつぶせえええええええええええええええあああああああああっ!!!」


 幹から葉の1枚1枚まで全てが刃物じみた鋭さを持つ巨樹。

 頂きを見上げることすら難しい非常識な高さで地の底から雲の向こうまで突き上がる。

 魔神の頭が穂先のような先端に貫かれ、全身を細切れにされながら葉の中に飲み込まれた。


 殺した。

 あれで生きているわけがない。

 流石は師匠だ。

 500年前に果たせなかった悲願を果たしたんだ!


 歓声を上げかけた僕は気が付いた。


 師匠が動かない。

 あの、どんな時でも僕の前では毅然としている師匠が。

 首を垂れるように俯いて。

 真っ白に染まった髪。

 血と泥に汚れた体。

 杖に縋るように。

 立ったまま。


「師匠!」

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