51 原書の使い方
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やばい。
嬉しすぎてやばい。
師匠が助けに来てくれたこともだけど、あの師匠が僕のためにあれほど怒ってくれたことが嬉しくて仕方がない。
大木の上から師匠が目の前に下りてきた。
かなりの高さだったのにまるでちょっとした段差から下りたような軽い音しかしない。
「師匠!」
「このあほうが!」
出会い頭に拳骨入りました!
「勝機がねえなら逃げろや!学長、てめえも死に様に美学なんぞ求めんな!ガキが真似すんだろ!」
おおう。学園長にも拳骨したよ、この人。上司ですよね?や、年功序列的には圧倒的な差がありますけど。
他人事みたいに思っていたら強烈な視線が戻ってきましたよ?
「魔の森の方ですげえ光が見えたんだが、ありゃあお前か?」
えーと。光っていうと20倍『流星雨』のことでしょうか。
「おそらく……」
「なにしやがった。ただの20倍じゃあ、あれはねえよな?」
「合成魔法の『流星雨』を……」
「さっきもここらで馬鹿みてえな光が降ってたな」
「それも、です」
ごつんごつんごつん。
使った分だけ拳骨が入った。
「合成魔法は一時凍結と言っただろうが!」
「でも、あれぐらいしないと止められなかったですし……」
言い訳したら拳骨。
「作ったのは行く前だろうが。使いてえならコソコソ勝手に作んなって言ってんだよ。まずは俺に相談して説得すんのが筋じゃねえのか?」
「返す言葉もございません」
「まあ、お前が使わねえとやばいと判断した状況だったんだ。後は詳しい話を聞いてからだ。おら。言ってみろ」
状況次第ではまた拳骨が来るということですか。
とはいえ、こうも暢気に話している場合ではなかった。いけない。師匠の登場で気が緩んでいる。
「師匠。今は魔神を」
「ああ。やっぱ、魔神か」
あんな巨大な樹木をどこから持ってきたのか見当もつかないけど、その大樹も魔神に腐らされてゆっくりと倒れた。
下から這い出た魔神が僕たちを睨んでくる。
途端、隣の師匠から視認できそうなほどの殺意が噴き出た。直射されてもいないのに心臓が止まりそうなほどの恐怖を覚える。
それも一瞬のことだった。
師匠は長く息をついて殺意を散らした。
「おい。学長。原書、持ってんだろ?何の原書だ?」
「第5始祖ロディの結界系上級だ。しかし、これでは止められんぞ?」
「そっちかよ。あの人のじゃねえのか。まあいい。寄越せ」
強引に学長先生から原書を奪い取る師匠。何も知らないと老人からカツアゲしているチンピラにしか見えない。
師匠はパラパラと原書を流し見ると、唐突に学長先生に拳骨を見舞った。
「原書の使い方もわからねえのかよ。いいか。原書はこう使うんだ」
師匠は原書を閉じたまま掲げ、表紙に白木の杖を当てた。
「いけ。『原書:結界術式・上級。全頁解放。対象を封じ込めよ』」
全ページ!?
驚く僕らを置いてきぼりに原書がひとりでにページが捲れていく。開く先から赤い魔力光が発動して、魔神の周囲に幾重もの魔法陣が浮かび上がった。
そして、即座に発動する。
深紅の多重複合結界。
それが内側に凝縮されていく。
魔神が両手で結界を破ろうとするけど今度は今までのように腐敗が進まない。
結界もまったくの無傷とはいかないけど、腐蝕が結界全体を破壊するまでにはかなりかかりそうだ。
「原書つうのはな、それ1冊で完成された魔法だ。極大魔法なんていうのも元々は原書の全解放を参考に作られたんだよ。何度でも使えんだから出し惜しみすんな」
バタンと原書を閉じて師匠が振り返る。
既に何枚か消費していて尚、この威力。
微妙とかとんでもなかった。
「さて、何があったか聞かせろや」
「いえ。でも、あれをそのままっていうのは」
「どの道、結界が解除されるまでこっちも手が打てねえよ。話を聞く余裕ぐらいある」
魔神を睨みつけたまま師匠は話を促してくる。
正直、落ち着かない事、この上ないのだけど師匠が言うなら大丈夫なのだろう。
僕は魔の森であったことから、ここまでのことを説明した。
ケンドレット家の策略のこと、魔王のこと、20倍合成魔法のこと、100倍魔力のこと、軍のこと、王都でのこと。
途中で何度も結界の様子を見てしまったけど、今のところは揺るぎもしていない。
師匠は腕組みしながら聞いていた。所によって眉間にしわが寄るのがすごい怖い。それでも黙って最後まで聞いてくれた。
「まず、魔の森に1人で特攻すんな」
ゴツン
「お前が出張らんでも外で書記士に徹すれば解決だろうが。猫と姫さんで手が足らねえなら他を使え。頼れ。身近な連中しか信用できてねえから行き詰んだ。まあ、馬鹿みてえに誰でも彼でも信用するよりはましだがな」
確かに僕が10倍とか20倍の魔造紙を作って複数人数で殲滅していればあんなに苦労することもなかった。少なくとも1体目の魔王と戦うまでにあれほど消耗する展開は避けられた。
結局、師匠の言う通り僕の魔造紙を他人に渡すことに抵抗があるのだ。
「次に魔王の件」
ゴツン
「魔王が2体以上いたなら魔神が生まれる可能性があんだろうが。戦術的な攻撃受けたんなら上がいんのもわかんだろ。思考停止すんな。考えろ。そんでもってわからねえなら突っ込んでくんな。慎重になれ。様子を窺え。ダメなら逃げろ」
まあ、不用意だったとは思う。
僕が言ったことで救えた命はあったのは間違いないけど、それで僕が死んでしまっては意味がない。少なくとも師匠は許してくれない。
「それとその不自然な魔法は気をつけろ」
今度は拳骨が落ちてこなかった。
師匠は難しい顔で注意を促してくるだけだった。
合成魔法の研究を止めると宣言した時の顔と似ていた。
「まあ、魔王がそれだけ増えておったのは騎士団と軍の不始末だったな。定期討伐で深部を放置しすぎた」
「あー、前に深部で痛い目に遭ったとか言ってたな。大方、それがきっかけか」
師匠が考え込むように唸る。
師匠にとっての前は数十年規模だろうからおじいちゃんが英雄になった時のことか。
「じゃあ、今回のでけつに火をつけたわけだ」
「師匠、1人で納得しないで教えてください」
「せっつくな。ちゃんと説明してやるよ」
基本的に魔の森の魔物は1000年前に始祖の反撃から生き延びた魔物の子孫だ。
知性があるわけではなくても本能が人を、魔法を恐れている。
少なくとも魔王が生まれても積極的に深部から出てこない程度には。
人間側も深部は危険だと恐れて踏み込まず、外縁部のみの討伐や狩りで済ませてしまった。
そうして深部に複数の魔王が生まれ、そこから更に腐蝕の魔神も生まれたのだろう。
それでも魔神は外に侵攻しなかった。
なにせ1000年前は魔神さえも始祖に撃破されている。不用意に攻めては次こそ森の魔物も全滅してしまう。力を蓄える必要があった。
そして、月日が流れる。
40年前、軍が深部に進軍した。
あれで魔神は人間が森に本格的に攻めてきたと判断したのだろう。
侵入してきた先鋒は追い払って、防御を固めて待ち構えたに違いない。
なのに、人間の侵攻はなかった。こちらからすれば当然だけど、意思の疎通ができない魔物にわかるはずもない。
そして、昨日。
ケンドレット家が無謀な策を実行し、40年も待ち構えていた魔物たちは全力で迎え討ちに出て、僕がぶっちゃけやりすぎた。
準備万端で迎撃したのに薙ぎ払われて、しかも深部を壊滅させられたのだ。
魔神は決断した。森を壊滅するような戦力が来ている内に本拠地を落とすしか道はないと。
森を荒らした僕にはもう1体の魔王をぶつけて時間を稼ぎ、自身は移動に優れた鷲の魔王を引き連れて単騎特攻だ。
壊滅した軍は魔王を見て攻撃を仕掛けて返り討ちに遭ったというところか。
そして、王都では魔王を陽動に魔神が王宮を襲撃。
王の首を取るつもりだったのか。
「今は王が狙いじゃねえな。こっちだ」
「原書?」
「魔神も馬鹿じゃねえ。魔法の時に使うものぐらいわかってんだろうよ。本拠地の中心を落としに来たら如何にも特別な魔法の道具があって、人間どもが後生大事に守っている。当然、排除しとくだろ」
原書の貴重さまで理解しているとは思わないけど、見逃す手はないだろう。
考えてみれば魔物が王国というシステムを理解しているとも思い難い。群れのボス程度の認識はあるかもしれないけど、執拗に王を襲う必要はないのか。
目的は王都の壊滅なのだから。
「あー。お前も狙われてっからな?」
「ですよねー」
原書を脅威と判断したなら深部を壊滅した僕も脅威。
排除の対象にピックアップされないわけがない。
道理で逃がさないよう沼まで発生させるわけだ。
さすが僕。『災厄』のふたつ名は伊達じゃないね。
「さて、現状は理解できた」
「逃げますか?」
「死ぬまでお前を追ってくるだろうが、それでいいならな」
勘弁してくれ。最強最悪のストーカーに狙われた気分だ。
「倒すぞ。おい、もう1冊。あの人の原書はどこだ?すぐに用意しろ。あれなら魔神でも殺し切れる」
そうだ。王宮にもう1冊の原書があるんだった。
師匠の口ぶりからすると初代学長が使っていたという原書らしい。ソプラウトで以前に魔神を撃破しているという実績もあるので心強い。
しかし、そんな希望は即座に打ち砕かれた。
「……ない」
学長先生が苦渋に満ちた声で端的に答えた。
師匠が学長先生の胸倉をつかんで睨み上げる。
「あ?なんつった?」
「ないと言った。先代の王がブランに貸してから返ってこん」
借りパクですか。国のレベルでやれば国際問題ですよね?
師匠が怒りで震えている。
「馬鹿野郎が。どうすんだ。あれがねえと魔神を殺せるかわかんねえぞ」




