49 原書
49
やばい!
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!
頭の中はその一言でいっぱいだった。
今までも死の危険はあった。
5年前の甲殻竜の時から始まって、昨日までの魔の森でだって危機の連続だった。
そんな僕だから素人なりにも危機の度合いを感じ取れる。その感覚が告げていた。
(最悪最大最強だよ!)
王宮の残骸から這い出しながら頭を巡らせる。
果たして王宮の中にいた人たちは逃げ出せていたのだろうか。
避難していた人たちは遠くに離れられただろうか。
リエナ達は魔王を相手に無事だろうか。
そして、僕は生き残れるのだろうか。
「シズ、か?」
「学長先生」
瓦礫の影から出てきた逞しい老人が声をかけてきた。
腕の中には古い本を大事そうに抱えている。
「学外実習に行っている君がどうしている?」
「色々ありまして。それより現状、わかってます?」
僕の即席極大魔法と魔神の腐蝕空間がぶつかり合った結果、王宮は完全に崩壊している。
互いに位置関係は見失ってしまった。
おそらく魔神は大量の瓦礫に埋もれているのだろうけど、瓦礫に埋もれたぐらいで圧死してくれるような存在じゃない。
「王は近衛が避難させておる」
「そんなのどうでもいいですよ。今は敵です。あれ、魔神ですよね?」
「おそらくの」
このアルトリーア大陸に魔神が現れた最後の記録は1000年前。南のソプラウトには500年前に現れたと師匠は言っていたけど、あれが魔神か否かを判別できる人間はいない。
それでも理屈ではなく直感が告げていた。
あれが魔族の最高峰だと。
完全に物理法則を超越した種族特性。
魔法を腐らせるってどういう理屈だよ。
魔法が直撃する前に炎と風が姿を失っていくのを見た。あれではかなりの威力が削がれていただろう。
そんな脅威を前に平然としていられる学長先生、まじリスペクト。
「学長先生はあれをどうにかできる方法、思いつきますか?」
「ある」
学長先生には悪いけど意外な答えだった。
さっきの10倍属性魔法だって普通の魔法士・書記士の常識を凌駕した威力だったと思うのだけど。
「これだ」
そう言って見せてくれたのは先程から大事に抱えていた古書だった。
革の装丁に銀糸のタイトル。
3重で開閉を封じたベルト金具。
隙間から覗く煌々と赤く輝くページ。
歴史を感じさせる割には傷みの少ない貴重な物と窺える。
まさか、それは城にあるっていう……
「それ、原書、ですか?」
「そうだ」
おお!救いのアイテムが来た!
それなら魔神だって打ち倒せんじゃないか!?
なにせ1000年前に魔族の侵攻を撃退し始祖の魔法書だもんね!
「それはわからん」
「なんでだよ!」
言葉遣いも忘れてつっこんでしまった。窮地なのでスルーしてください。
学長先生は細かいことを気にせずに会話を続けてくれた。
「儂も見るのも使うのも初めてなのでな」
「……平和ボケ」
「面目ない」
学長先生を責めるのも筋違いだけど、有事の際に使いこなせない兵器とか意味があるの?
というか王宮の宮廷魔導士とかはどこにいるんだよ?
「王命でな。外の魔王を止めるために騎士団に協力しておる。残っておったのは近衛騎士だけだ」
「……完全に踊らされてるじゃん」
まあ、魔王急襲でも大事件だ。裏で魔神なんかが来ると予想する方がおかしいか。
どうも魔神には知性というものがあるようだ。
魔の森の波状攻撃も疑問だったし、帰り際の伏兵もおかしいと思っていたけど、王都襲撃には陽動作戦まで使っている。
となれば、奴の目的はなんだ?
王の命か?
確かに国を崩すのには有用かもしれないけど絶対ではない。後継者が継げばいいだけだ。
というかあんな戦力があるなら真正面から攻めた方が早くないか?僕の魔法に対抗できる段階で王都壊滅が可能なのは証明されている。
僕なら10倍の属性魔法でも10枚もばらまけば王都ぐらいの土地を更地にできるよ。
魔神に同じことができないとは思えない。
「ちなみに、それ何の原書?」
「第5始祖ロディの結界系上級だ」
始祖には悪いけど僕は正直に思った。
(微妙……)
欲しかったのは火力に優れた属性魔法だったのだけど。
法則魔法は支援とか防御に偏っているからなあ。
結界の上級なら魔神を永久封印とかできるのかな?そしたら王都は間違いなく死都確定だけどね。魔神が封印されている場所に住みたい人っているわけないし。
「そちらの準備は?」
「杖で叩けばいいとは資料に書いてあった」
説明書片手にラスボスバトルって。チュートリアルで済ましておけよ。
嘆きたいところだけど、それで状況が改善されるわけでもない。
「……まずは王都からこの一帯を隔絶できませんか?」
「やってみよう」
ベルトの封を解いて学長先生が原書を開く。
おお。既に魔力が充填済みで頼もしい輝き方をしている。
学長先生は目的のページを見つけたのかタクト棒に似た杖を慎重に当てた。
「来たれ。『縛鎖界――異元郷・圧枷』
おお。文字から赤い光が消えただけで魔造紙が消えない。
魔神と僕の魔法でだいぶ壊れていた城壁を境に赤い壁が生まれる。グングンと高さが増していき雲の向こうまで続いていった。これなら効果も期待できそうだ。
使用した原書のページは先頭の文字から徐々に赤い光が灯りだしている。どうもインターバル時間が必要らしい。それも膨大な時間ではなさそうだ。
結界内では僕たち以外の物体がミシミシと音を立て始めた。
バランスの悪かった瓦礫の山のいくつかが崩れ出す。
どうも結界内に重量を加味する効果もあるようだ。さすが原書。微妙とか言ってすいませんでした。
これなら、
「あ、お元気なご様子で」
期待したところで崩れた瓦礫の向こうに緑の魔神の姿が現れた。
あの魔法でも鎧の表面が少し凹んだり焦げた程度。腐蝕の防御を抜いたとしても鎧自体の防御もかなりのものだ。
2重の守りを突破しなければ有効打になりそうにない。
ゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくる。
そりゃあ重量増加ぐらいで死ぬわけないよね。甘い相手ではないとわかっていたので覚悟はできていた。
「学長先生、僕が魔法を使ったら防御魔法を」
10倍属性魔法の3連打では倒せなかった。
でも、腐蝕の防御を使ったということは直撃すればダメージはあったと考えられる。
なら、その上を行くしかない。
「いくよ。『流星雨』」
「? 来たれ。『封絶界――積鎧陣』」
結界の上空を無数の光が埋めていく。
よかった。結界の外側に広がっていたら大惨事を起こすところだったけど、広がりきらなかった分はうまく上方向に向かって展開してくれた。
魔の森では広範囲をカバーしたけど、今回の『流星雨』は一ヶ所の密度を増している。これなら20倍から10倍に落ちてしまった分を取り戻せそうだった。
そして、回避は絶対に不可能。
出し惜しみなどしてはいられない。
魔神が本領を発揮する前に封殺してやる。
僕の合成魔法に唖然としている学長先生を強引に伏せさせる。
魔神も上空の光に気づいて両手を持ち上げて身構えた。途端にその周辺の瓦礫が腐って溶けてしまう。
『流星雨』の物量が勝るか、魔神の腐蝕が防ぎきるか。
これがダメなら。
祈る気持ちで真昼の流星に願いを込める。
そして、灼光の雨が降り注いだ。
その日、第1城壁から内側が消滅した。
残ったのは10メートルにも及ぶ深い円筒の大穴だった。




