48 王宮
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学園はもぬけの殻だった。
元から1年次生はいなかったとはいえ2年次生以上の生徒や教師はどこに行ったのか。
優秀な教師なら騎士団の応援に駆り出されているだろうけど、生徒は避難してしまったのだろうか。
とりあえず、研究棟の師匠の部屋を訪ねる。
久しぶりの師匠の研究室も無人だった。
色々な資料などが散らばっていて、ずいぶんと急いで出かけた様子が見て取れる。
「どこに行ったんだろう?」
魔王が現れたからと言って逃げる師匠ではない。
積極的に腕まくりして倒しに行くかと問われればやや疑問だけど、意味もなく人死にを看過する人でもない。
なら、魔王の襲撃前にここを出ていたのか。
学園の関係者が残っていないので確認もできない。
とりあえず研究室から用紙とインクを借りて移動などで消費した魔造紙を補充した。
(どうするか?)
リエナ達と合流して魔王を撃破しに行こう。
師匠の行方は気になるけど、今は目前の魔王が先だ。
方針を決めて学園を出たところだった。
身体強化を発動させる直前、なんの前触れもなく王宮を囲う第1城壁が崩落した。
「は?」
まるで雪像が溶けたみたいに。
いや、水風船が割れたみたいに。
物体が液体へと変化する様を早送りで見たようだった。
第1城壁の重厚な石造りの壁が、硬い鉄製の柵が、まるでふやけたスライムみたいに形を失って流れ落ちる。
背筋を凍らせる感覚。
直感で決めた。即座に強化魔法を発動させて王宮を目指す。
貴族の建物の屋根を伝ってまっすぐに一直線で向かった。時間にして5分も掛かっていない。なのに、厳戒態勢にあったはずの城門は完全に破られていた。
最後まで戦っていたであろう騎士たちの腐乱死体が散乱している。
(軍の時と同じだ)
戦いの気配と止むことのない怒号と悲鳴が王宮から聞こえる。
初めて見る王宮は白亜の城だったのだろう。
それも今は煉瓦の道も、荘厳な扉も、大理石の壁も、何もかもが腐り落ちて醜態を曝している。
無機物から放たれる嗅ぎ慣れない腐臭に吐き気がした。
「正直、行きたくないな」
はっきり言って王族にも国にも忠誠心なんてないし、貴族連中には酷い目ばかり合わされてきたし、立身出世とかにも興味ないから手柄とかもどうでもいい。そんなものより友達の方がいいからね。
とはいえ、王族が屑なら無視したかもしれないんだけど。
(市民を避難させてるんだから悪い王様ではないのかなあ)
まあ、誰の判断かは知らないけど。
このまま回れ右すれば城外で呆然としているあの人たちも犠牲になるのだろう。
何が相手なのかわからないけど、平和裏に終わるなんて夢想はできない状況だ。
騎士団が頑張ってくれるかもしれない。僕の知らない救国の英雄がいるかもしれない。意外に目的を果たした襲撃者はあっさり帰るかもしれない。
だけど、僕には何とかできるかもしれない力がある。
それは確実なことだった。
じゃあ、行かないと後悔してしまうのだろう。
「あー、そう。お城には原書があるっていうし。それ見たいから仕方ないよね」
うん。それなら仕方ない。
仕方ないから行こう。
城の付近にいた人たちに逃げるよう伝える。西に向かわないようにだけ注意しておいた。
城内は外よりも混乱していた。騎士たちもメイドさんも執事さんも右往左往している。何が起きたかもわかっていないようだった。
とりあえず執事の人に避難誘導を指示しておいた。いや、僕なんかの指示に従っていいのかよと思ったけど避難は正しい判断だったからだろう。
さすが大きな戦争のない国は危機感が足りない。
どちらに進めばいいかは簡単だった。
なにせ道行く先の何もかもが腐っている。
絨緞が、壁が、蝋燭が、硝子が、物理的に腐敗しないような物まで腐っていた。
おかげでそれを追いかけて行けば現場に辿り着ける。
そして、僕は辿り着いた。
辿り着いてしまった。
終末の光景に。
王宮の最も華やかな施設だった。
多くの臣下と国賓を迎える謁見の間。
最高級の絨緞に調度品。天井を飾る巨大な絵画。
そして、国の最高位のみが座ることのできる王権の象徴のひとつ、玉座。
何もかもが腐り落ちていた。
玉座の向こう側では近衛騎士たちが幾重にも防御の結界を敷設している。
中央には何故か学園長が厳めしい表情で仁王立ちし、最後尾には王冠の中年が守られていた。
対するは緑の全身鎧を身に着けた人型。
光沢のないくすんだ緑の装甲。
頭から爪先まで隙間なく覆い尽くしたフルプレートアーマー。
かなりの重量のはずが異様なほど軽い足取りで進行を続けている。
動いても本来なら金属同士のぶつかる音がしない。
木造の船が軋みを上げるような音がしていた。
足元からは瘴気のように汚れた煙が立ち昇っている。
近衛騎士の展開した結界に手を当てて、防御魔法をも腐食させていた。
警告とか説得とかは寸毫も考えなかった。
大きく回り込む軌道でサイドを取って、バインダーから魔造紙を抜き出す。周囲への注意喚起もなし。
10倍属性魔法を炸裂させた。
数にして100もの凝縮された光の球が浮かび上がり、一斉にレーザーとなって緑の甲冑に襲い掛かる。
直撃だ。
防御もできていなかった。
発動速度も範囲も逃げようがない。
10倍とはいえ魔王にだって致命傷になり得る威力。
射線上に在った謁見の間は内装も壁も穴だらけになっている。
なのに、鎧の周りには蒸気じみた煙が昇っているだけ。
煙の奥から出てきた姿には僅かな焦げ目しかついていない。
ほとんど本能の働きで僕は3枚の魔造紙を取り出していた。
立て続けに放つ。
土の属性魔法で王宮の中央を貫くように土の杭を突き上げ、持ち上がったところを竜巻で上空まで吹き飛ばし、その風に灼熱の炎を混ぜて焼き尽くす。
即興の極大魔法。
3枚が効果を発揮すると同時に緑の鎧に変化があった。閉じた面甲が開く。金属面にスリットが生まれていた。
その奥。
ぎょろりと、生々しい動きで眼球が動いていた。
赤ん坊の頭ほどもある巨大なひとつ目が僕を見ている。
恐怖に足が竦んだ。
オーバーキルも過ぎる攻撃を放ったはずなのに少しも安心できない。
僕は恐怖に駆られるまま鎧に背を向けて、近衛兵の結界の前に立った。
「ありったけの防御魔法を使え!」
叫びながら2枚の防御結界を惜しげなく展開した。
遅れて数名の近衛騎士が防御用の魔造紙を発動させる。
鎧は風と炎に身を焼かれながらも平然と僕たちを見下ろしていた。
終始無言のまま天に持ち上げた手を無造作に降ろす。
そして、王城が腐り落ちた。
僕は魔の森での戦いで大切なことを見落としていた。
魔王が複数体いたという事実を。
魔王が他の魔王を食い殺した時に生まれる最悪の魔族の可能性を。
腐蝕の魔神。
魔の森から戦い続けた僕に災厄が立ちはだかっていた。
さあ、シズ君の戦いも佳境です。
魔王を倒して安心していたらもうひとつ上が出てきました。




