43 魔王
43
2体目の魔王とか……。
ああ。そうだった。
最近は平和で忘れていた。
この異世界の野郎は僕のことを本気で殺しにかかってくるんだった。
計算通りでいくことなんてほとんどない。
空から降ってくる種子は根付くと同時に綿毛が散布。
ある程度の拡散の後に爆発する。
いや、爆発だけじゃなかった。
黒い煙だったり、鉄みたいな破片が降り注いだりもする。
煙はおそらく毒だ。
幸い、先程の20倍解毒魔法の効果のおかげで無効化できた。
問題は他の2つ。
蒲公英の種子は100を超える。物量で攻められれば為す術がない。
今、僕は凍ったままの甲殻竜の陰に隠れて息を潜めている。
煙に紛れて隠れたので追撃はないけど、上空にはいくつもの種子が漂っていて、少しでも外に出れば攻撃が再開されるだろう。
逃げ切るのは無理だ。
左腕の痛みがどんどん酷くなっている。
いつものようには走れない。
すぐに爆炎と鉄片にやられてしまう。
ならば、反撃するしかないけど、どうすればいい。
魔造紙はなく、素材も氷漬けで用意できない。
用意できたとして準備の時間が問題になる。魔王を倒すほどの魔法は最低でも上位の20倍属性魔法。叶うなら確実に倒せる合成魔法が要る。
そのどちらも術式を書き込むまで時間が掛かる。
最速なら基礎魔法だけど、こちらでは威力が足りない。
ダメージは与えられても倒しきれないと思う。植物の生命力の高さは言うまでもない。文字通り根こそぎ吹き飛ばさなければ復活する気がする。
なにせ、相手は魔王なのだ。
魔物程度とは格が違う。
持久戦で応援が来るのを待つ?
果たして他の魔物がこの戦場にやってくるのとどちらが早いだろうか。
軍がスタンピードを狙っているなら王都よりは森の近くに来ているだろうけど、半日で到着するというのは楽観過ぎる。
というか下手な相手に見つかれば僕は殺されかねない。
どうせ僕が生き延びていたらどさくさに紛れて抹殺するような指令ぐらい出ている。
(まあ、普通の軍なんて魔王に皆殺しにされるだろうけど)
やるしかない。
唯一の救いがあるとすれば度重なる爆炎で甲殻竜の氷が溶けかけてきていることか。
素材はなんとかなりそうだ。
左腕の出血もまだ続いているのでインクの代わりになる。
覚悟を決めろ。
試したことはないけど、先程の問題を解決する方法は思い浮かんでいる。
うまくいくかどうかはわからない。
正直、怖い。
いくつもの綱渡りを成功させなければならない。
失敗すれば死ぬ。
死ぬのは怖い。
僕は前世でそれを経験している。
普通ならば生涯の最後に1度だけ経験する圧倒的な恐怖を知っている。
それは容易に人の心を怖気づかせる。
理屈じゃない。
原始的な恐怖が体を支配する。
でも、だからこそ、あの時の絶望を思い出す。
死を前にして何もできずに冷たくなる体を内側から見ているだけの絶望を。
なら、今の僕はあの時ほどじゃない。
なにせ、やれることは残っているのだ。
希望と呼ばずに何と呼ぶ。
なに、計算したところ、理論上は可能なのだ。
6年間、使い込んだ愛用の筆を握り締めた。
「イメージしろ。最適のパフォーマンスを発揮した未来を。できる。やれる。いける。30秒だ。30秒で書き切れ」
わざわざ口にして自己暗示。
脳内で書くべき術式は完全に形になっている。
這い上がるのに左腕は使えない。右手は筆で塞がるので杖は諦める。
拳を叩きつけるしかない。
魔法の余波が肉体にどんな影響を及ぼすかわからないけど、即死だけはないと信じよう。
左腕の血を筆につけた。
そして、集中する。
かつてないほどに。
通常の書記士が使う量の12.5倍が僕の訓練時の使用魔力。
それを20倍にしたものが20倍魔法。
でも、それ以上を試したことはなかった。
20倍でもオーバーキルにしかならないのだから当然だ。
必要じゃない。
そして、それ以上に怖かった。
だけど、いま僕はその先に進む。
今はそれが必要だから。
先程の20倍属性魔法で3分の1以上を消費してしまっているけど、文字数の少ない基礎魔法ならもっと凝縮しても書き切れる。
使う魔法は『力・烈砲』だ。
最も書き慣れていて、威力を期待できる基礎魔法。
込める魔力は訓練時の100倍。
魔力約25000文字分の魔力を24文字分に叩き込んでやる。
僕の残るほぼすべての魔力を費やす背水の一撃だ。
筆の先が見慣れた赤の閃光から紅蓮を経て、緋色の熾火のように輝きだした。
後はやりきるか、死ぬか。
甲殻竜の下から飛び出て、10秒で甲羅に這い上がった。
氷の溶けている面を探し当て、魔法陣を描く。
止まらずに術式を刻め。
「始祖の名の元に示す。」
見つかった。
種が動き出す。
「放て、」
速い。
すぐに来るぞ。
「従え万象。」
来た来た来た。
もう目前だ。
「其は一時の幻なり」
上空に影が浮かぶ。
術式は完成した。
同時に手の中から筆の感触が消えた。
緋色の中に解けるように灰となって握り潰される。
動揺を殺す。
否。
無理だ。
僕の魔法の歩みの象徴なのだ。
動揺しないなんてできない。
なら、その動揺をぶつけてしまえ!
種子の落下が始まるのと、僕が灰まみれの拳を術式に叩きつけたのは同時だった。
20倍合成魔法ほどの威力は必要ない。
魔王を倒せればそれでいい。
だけど、術式から形作られたのは深紅の球体だった。
降ってきた種子が球体に触れた先から解けて消えていく。
危機は脱したはずなのに少しも安心できなかった。
知っている。
溶けた金属。
不出来な飴細工。
鮮やかな赤い色味。
刻々と濃淡を変える鮮紅。
僕はこれを知っている。
忘れたくても忘れられない。
シャボン玉のように漂う魔力の塊。
術式崩壊。
合成魔法の実験で何度も目撃した。
でも、これは5年前に初めて起こした術式崩壊の方に酷似している。
どうしてこうなった。
術式は綺麗とは言えないけど成立しない程ではないはずなのに!
注入された魔力量は比べ物にならない。
あの時のように破壊のエネルギーとなって炸裂しようものなら今度こそ逃げられない。
僕の焦燥を嘲笑うように5年前と同様の胎動が始まる。
赤い光の輪が波紋となって一帯に広がっていく。
頭か胸かどこかわからないけど何かがプチンと切れる音がした。
あー。限界。無理っす。
多少の理不尽なら我慢もできる。
でも、これは行き過ぎだ。
怒りにまかせて握りしめた灰まみれの拳を叩きつけた。
「僕を消すぐらいなら魔王を消しとけよ、ばかやろう!」
一際大きな胎動が世界に響いた。
殴っちゃった!
おじいちゃんからもらった筆が壊れちゃったのが結構な動揺になっていますね。




