38 魔の森
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「いくよ。『力・進弾』」
今にも跳びかかろうとしていた猪の親玉みたいな魔物――迅牛を赤い閃光が貫いた。
眉間を撃ち抜かれた迅牛が千鳥足みたいにフラッと揺れて倒れる。
おおきく息を吐いた。緊張していた全身から力が抜ける。
ああ、よかった。
後ろに誰もいなくて。
貫通力が高すぎて後ろに誰かがいたら巻き込んでしまうのだ。僕の魔法は敵味方が入り乱れる状況に優しくなさすぎる。
そんな僕の緊張に気づくわけもなく、同行のケン先生が迅牛に近づく。
「よし。シズ君、合格」
「ありがとうございます」
ケン先生が確認を取って無事に実習終了だ。
待っていてくれていたリエナとルネに手を振る。2人は先に終わらせていたので僕の班は全員が進級を決めたわけだ。
自信があったとはいえほっとするのも事実だった。
討伐した魔物は素材として使えるので学園に持ち帰られる。
全員で荷車に迅牛を載せて帰路につく。
「それにしても君たちは優秀だな。こんなに早く実習が終ったのは初めての経験だよ。戻るのは君たちが1番だろうね」
森に入って1時間で終りましたからね。
最初の奇怪な音を立てながら襲い掛かってきた大型犬ほどもある鈴虫みたいな掻弦という魔物は、リエナの「うるさい」の一言と共に放たれた槍の一突きで息絶えた。
その隙を狙って上空から襲撃してきた4本足の蝙蝠――飛肢はルネが危なげなく魔法で迎撃。土の属性魔法で地面から突き上がった鋭い槍が貫いた。
最後に僕がばったり出くわした迅牛を打ち取りミッションコンプリート。
リエナなんかは獲物を選ぶ暇もなかったので師匠になんと言えばいいのかと頭を悩ませたりした。まあ、掻弦も厄介な魔物らしいからいいんじゃない?
なんというかラストダンジョン到達パーティが序盤のダンジョンに入ってしまったようなちぐはぐさを感じた。
正義の勇者なのに魔物たちを虐殺とかどうなんだろう?
少なくとも必要以上にレベルアップをする僕には言う資格はないけどね。
いや、魔の森はアルトリーア内では最も危険な地域なんだよ?
付近の村まで馬車で半日。
その村も魔の森で狩りを行う人たちのためにできた武装集落というような形だ。
森の魔物は魔法に必要になる素材として有用なので、ここで狩りをして生計を立てる狩人は意外に多いらしい。ハイリスク・ハイリターンの典型的な例だろう。
おかげで森の中であっても外縁の辺りは道ができていて、こうして荷車で入れるのは助かるけどね。
「運が良かっただけですよ」
「確かに魔物の方から出てきたからねえ。でも、実力がなければ倒せないんだ。月並みだけど運も実力だよ」
「そう言ってもらえると助かります」
「うん。噂と違ってシズ君はしっかりした子だね。寮に女子を連れ込んだとか、女子寮に侵入したとか変な噂ばかり聞いていたけど誤解だったみたいだね」
全力で笑って誤魔化しました。
僕の世間体はHP危険域です。
「しかし、初めて見せてもらったけど、魔法の方は誇張ではなかったんだね」
「やっぱり、気に入りませんか?」
通常の魔法で倒すのも考えたけど、初めての狩場での戦いで手加減から入るのは危ういと思い、今はバインダーの中身を20倍魔法で構成してある。20倍の『力・進弾』を使ったのは失敗だったかな。
けど、比較的若いケン先生は苦い笑いを浮かべながらも首を振った。
「驚きはしたけど、それよりも素直に感心したよ。今まで模造魔法の威力は原書に近づけることでしか上げられないと思っていたけど、研究次第では他の方法もあるかもしれないんだからね」
「ケン先生はなかなかやる」
なぜにリエナは上から目線。耳としっぽが上機嫌だ。ルネもニコニコでいいですね。
「でも、他の先生方の気持ちもわかるんだよ。この新しい技法が広がったとしてもご年配の先生は研究の時間も少ない。そして技術に対応するのも難度が上がる。素直に受け入れるには今までの積み重ねが重すぎるんだ」
積み重ねが重い、か。
ケン先生の意見に否とは言えなかった。
学園で教師を務めるほどの魔法使いなら、その研鑽に人生を費やしてきた人がほとんどだ。
根底を覆されるのを無条件に受け入れるのは難しい。
「ごめん。暗い話になってしまったかな。とにかく、これで君たちも2年次生に進級できる。その魔力注入について研究するのもいいかもしれないね」
「はい。でも、研究に関しては師匠についていくと決めていますので」
「レグルス様かあ。シズ君、ひとつ頼みがあるんだ」
真剣な顔のケン先生に見つめられて戸惑う。というか「様」ってなに?いや、僕も誰より師匠のことを尊敬しているけど。
「レグルス様のサイン、もらってきてくれないかな?」
ファンかよ!
さすが師匠。悪名と同じだけ偉業を成し遂げている。
予想通り僕たちは1番乗りだった。
待機組の生徒たちからどよめきが上がる。
次の出発組として準備していたクレアがやってきた。
「3人ともずいぶんお早い帰還ですわね」
「魔物の方から来た」
「それにどれも1撃で。さすがですわね?」
素材として活用する時に状態が良い方が価値が上がる。
そういう意味でも急所を的確に潰している僕たちの戦果は上々だろう。
「負けられませんわ!シズ!いつかの雪辱を晴らさせていただきますわ!覚悟なさい!」
「クレア、無理。シズは最強」
「リエナさん!戦う前から諦めるのはわたくしを育ててくださったルミナス家にも先生方にも失礼ですわ!全力で勝利を目指してこそ勝機を掴めるのですわ!」
「クレアは負けず嫌い」
2人もずいぶんと馴染んだものだなと見守っていると、何やら森の方が騒がしいことに気づいた。4人で連れ立って様子を見に行く。
森から1組の班が駆け出してきた。1人は腕を押さえている。手の下から赤い染みが服を汚していくのがわかった。
負傷者だ。
もう限界だったのか森を出たところで座り込んでしまった。
リエナが真っ先に動いた。
バインダーから魔造紙を取り出して、患部に当てて槍の石突で押さえる。
「ん。『新緑の歌』」
リエナが最も得意とするのが回復魔法だ。魔法士にとっては珍しくはない。
前線で戦う魔法士は怪我が多いので自力での回復手段を確保したいのは当然だ。
シミの広がりが止まった。切れた服の下を確認しても傷口は消えている。
「ルネ、ここはお願い。クレアさんは他の人をまとめて」
「それは構いませんがシズはどこへ?」
答えの代わりにバインダーから魔造紙を抜いた。
彼らが出てきた森の入り口に向けて杖を突く。
「いくよ。『力・烈砲』」
赤い衝撃が森の入り口を吹き飛ばした。
殺到しようとしていた数匹の魔物と一緒に。
カウンターで入った一撃を逃れる術もなく、魔物たちは絶命した。
師匠の教えだ。弱った時にこそ敵は襲い掛かってくる。
負傷した獲物を魔物が逃がすわけがない。追撃は当然だろう。組手で無様に座り込んだり倒れたりしようものなら師匠は容赦なく踵を落としてくるからね!文字通り身に染みているよ!
念のため、いつでもバインダーから魔造紙を取り出せるように身構えながら森を見るけど、特に何かが迫ってくる様子はなかった。
「大丈夫かな?」
治療を終えて隣に来ていたリエナも頷く。
リエナの耳が警戒しているなら不意打ちはないだろう。
「もう大丈夫だよ。森でなにがあったの?」
僕が警戒を解いたのに合わせてルネが逃げてきた班に話を聞く。
どうも魔物の集団に遭遇して逃げてきたそうだ。その最中に1人が怪我をしてしまったのだとか。
引率の教師は震えて言葉もなくしている。
「校外実習で怪我人ですか、珍しいですわね」
急展開に驚いていた同級生たちを落ち着かせて戻ってきたクレアが呟く。
実習といいながらも教師が引率しているので実際に生徒が怪我をする場合は少ないのだ。掠り傷ならともかくあれほどの深手を負う事態は滅多にない。
いくら危険とはいっても騎士団と軍が定期掃討を終えた後だ。
深部ならともかく外縁で魔物が群棲しているものなのだろうか?
「先生方と相談してきますわ」
「うん。クレアさん、お願い」
僕たちは震えている避難者を野営地まで連れて行った。
なにか嫌な予感がする。
その予感が正しかったことを僕はすぐに知ることになった。
魔の森に入った第1陣の10班のうち無傷で帰還したのは僕たちしかいなかったのだ。
さりげなくリエナの初魔法。




