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魔法書を作る人  作者: いくさや
学園編
41/238

36 夜が明けて

 36


 王都第2区画。

 貴族街西部。

 今は亡きオーズベルク公爵の旧邸宅――消滅。


 学園の生徒たちはその噂でもちきりだった。

 なにせ壁で隔てられていても学園があるのは同じ第2区画。寝起きする場所の近くで大規模な破壊が起きれば無視はできない。

 平民たちは現場まで行けないものの、実際に見てきた貴族子弟の話から噂が広まっていて大変なことになっている。


 曰く、魔族の襲撃。

 曰く、大貴族の抗争。

 曰く、新魔法の実験失敗。


 少し事実を掠めているのが嫌になる。


 幸い死者は出なかった、らしい。

 ケンドレット家関係者は爆心地より後ろにいたので衝撃が直撃することはなかった。

 それでも爆風は凄まじく、大小の瓦礫と一緒に転げまわったせいで大怪我を負ったという話だった。

 邸宅の周辺は無人の家だったのも幸いした。元々、あの辺りに住んでいたのは公爵の関係者ばかりだったそうで、侯爵が亡くなった後は空白地帯になっていたらしい。だからこそ、ケンドレット家もああいうことに利用していたのだろう。ともかく、巻き添えがなかったのはよかった。貴族とはいえ、クレアのようにまともな人もいるし、親は屑でも物心のつかないような子供までいるのだ。

 無差別爆撃などテロ以外のなにものでもない。


 事件の詳細は表沙汰になっていない。

 それでも、そこにケンドレット家と僕の確執があったことは知る人は知っている。

 というかガンドール家が積極的に吹聴した。抗争相手の失態だ。隠蔽されるのを座視するはずがない。

 とはいえ、出来事をそのまま話してしまうと僕の存在が表沙汰になる。

 それを望んでいないのは向こうも把握しているから、関係を悪化させるのはあちらも本意ではなかったようだ。

 なので、限定的な話だけが広がった。


 ケンドレット家当主が『灰のエルサス』の嫡男を手籠めにするため私情で一部の軍を動かして誘拐し、『虐殺樹海』によって制裁された。


 と。

 所々、事実を混ぜながらも歪曲した事実を浸透させるガンドールの話術が恐ろしい。

 おかげでケンドレット家当主のガインは美少年好きの色狂い伯爵という評価を受けてしまっていた。

 事実、ルネを誘拐されたグランドーラ家には多額の慰謝料が送りつけられたとか。それが祖父の怒りを買ったらしく王宮で騒ぎになったとも。

 さらに、軍を独断で動かしていた事実も発覚したので発言力を大きく削がれる形となった。それでも権力を剥奪されずに済んでいる辺り、大貴族の称号は伊達ではないのか。

 ともあれ、失墜した信用を取り戻すのが第1で僕への干渉は落ち着くと助かる。

 逆恨みの可能性もあるので油断はしないようにしよう。


 あの晩、ルネは師匠と一緒に戻ってきた。

 お姫様抱っこで運ばれてきた時は目眩を覚えたとだけ言っておく。いや、ほとんど絵画の題材にしていいぐらい絵になってましたよ?


 ルネはあの日、寮に帰る途中、グラフトたちに囲まれて外に連れ出されたのだとか。

 救出劇の様子を師匠は教えてくれなかったので、ルネに聞いてみたけど要領を得なかった。

 目の前で軍人たちが一人、またひとりと次々に空へ舞い上がって気絶していったのだとか。

 それ、どんな魔法?

 種族特性なのだろうか?

 ……純粋な体術の成果という可能性もある。


 リエナとクレアからは文句をぶつけられた。頼ってもらえなかったことが不満らしい。

 状況的に助けを呼べなかったのだと説明したけど、ルネの居場所が特定できた時点で他の寮生に2人へ伝言を頼むこともできた。

 実際は僕に貸しを作りたいガンドールの妨害が入ったはずだけど、1人で立ち向かう以外の方法もあっただろう。昔からの悪い癖だ。


 しばらくの間はリエナにルネの護衛を頼んだ。

 そんなある日、ルネから『リエナが無言でずっと見つめて来るのだけど』と相談された。どうやら恋人認定の件に筆舌にし難い色々な感情があるらしい。

 これに関してはルネには我慢してもらう他ない。そのうち、折り合いをつけてくれるはずだ。


 1件も落ち着きを見られるようになったある日。

 僕は師匠の研究室を訪ねた。


「師匠、教えてほしいことがあるんですけど」

「おう。俺も言いたいことがあんだ。そっち、先に言え」


 顎で座れと指図されるのも慣れたものだ。

 師匠はいつも通り窓辺で香木を咥えている。


「僕の状況は以前よりも酷くなっていたんですか?」

「まあな。そこらへんは聞かされたか?」


 頷いた。

 鋭角目が最初の接触の時にご丁寧に説明してくれている。

 クレアも否定しなかったのだから、あれは貴族の共通見解なのだろう。


「で?」

「師匠は僕に隠していることがあるんじゃないかと思いました」

「連中がほざいてたやつか」


 鋭角目の憎悪。

 偽笑顔の恐怖。

 それらは師匠へ向けられていた。

 師匠個人が両家と過去に因縁がある可能性もある。

 だけど、それだけならこのタイミングで重なるとは思えない。


「もしかして、僕のことを影で守っていてくれたんですか?」

「ちげーよ。夜の散歩してたら害虫がちょっかいかけてきたからプチッとしただけだ」


 プチッという擬音が怖すぎる。

 ともかく、貴族たちの見解を聞いた時、率直に思ったことがあったのだ。


 僕、どうして生きてるんだろう?


 や、自己嫌悪に陥ったわけではなく。

 貴族から見ると利用価値はあっても、それ以上に邪魔な存在でしかないように思えたのだ。懐柔なり服従なりできないなら始末した方が簡単なのでは、と。

 つまり、暗殺。

 事故に見せかけて……というのは貴族の常套手段だろう。

 既に後ろ盾を恐れて手を出さない状況は通り過ぎていた。

 だけど、普通ならああしてケンドレット家の派閥が直接出て来る前にそういう手で出て来るものではないのか?

 そして、鋭角目と偽笑顔の言葉を思い出してようやく考えが至った。


 暗殺がないのではなく、暗殺が未然に防がれているのでは、と。


 誰が?

 決まっている。

 警戒している完全武装の軍人を複数、一方的に封殺する実力。

 僕の現状を僕以上に把握している見識と予測。

 他に誰がいるというのか。

 師匠は暗殺の魔の手から一人無言で守ってくれていた。あの晩もガンドールの妨害を撃退して駆けつけてくれたんだ。


「ちっ、気持ち悪い目で見てくんじゃねえよ」


 そして、素直に話してくれるわけもない。

 困る。感謝したいのに言葉を受け取ってもらえないなんて。

 いや、諦めるな。

 そもそも感謝してすっきりして終わりでいいのか?

 違う。

 僕は師匠の弟子だ。

 弟子の役目は師匠に認められること。


「師匠、お願いがあります」

「ああん?んだよ。言ってみろ」

「僕を鍛えてください」


 師匠の目が細くしぼられて、僕を深く見つめてくる。

 重圧に負けないように見つめ返した。

 体感的には数倍の時間が過ぎて、師匠は野性味の溢れる笑みを口元に浮かべた。


「ちっとはマシな面構えになったか、チビ」

「そんなにひどい顔してますか?」


 鏡でも持ち歩いた方がいいのだろうか。

 師匠は香木の煙を吐き出して前に身を乗り出す。


「チビ。返事の前に俺の話を聞け」

「はい」

「俺が復讐をしようとしていた話はしたな。誰の仇だと思う?」


 もうずいぶんと前のように感じられる話題に戸惑う。

 確かあの時は師匠の尋常ではない殺意で話が中断して、そのまま僕とリエナのお説教になったのだっけ。


「家族、ですか?」

「ちげえ。恋人だ」


 師匠のコイビト……こいびと……恋人?


「ええっ!?嘘でしょ!!」

「……なにが信じられねえのか言ってみろよ」


 怒鳴らない師匠の方が怖いって学びました。

 そして、普通に失礼だった。

 師匠ほどのいい男に恋人がいない方がおかしいぐらいだ。


「すいませんでした」

「まー、いい。俺も自分で似合わねえと思うしよ。実際、ちゃんと恋人できてたのかも今となっちゃ疑問だ。……話が逸れたな」


 定位置の窓辺から白木の杖を取って、師匠は話を続ける。


「俺も昔は普通の妖精らしくスプラウトに住んでいた。といっても生まれて100年ぐらいの話でかれこれ500年以上は帰ってねえがな」


 スプラウト大陸。

 妖精と亜人の住まう大陸。

 アルトリーアの南に位置する世界最大の大陸だ。

 一言で妖精と言っても種族は非常に多い。樹妖精・獣妖精・羽妖精など多種多様だ。


「シエラとはガキの頃からよく一緒にいた。何かと俺についてくる奴だったな。そこんところはチビと猫に似ていたか」


 過去に思いを馳せる様子に何も口を挟めない。

 シエラさんといったのか。どんな人だったのだろう。なんとなく菩薩みたいな人を想像してしまうのだけど。


「成人して、恋仲になって、まあ満たされた時間が続いて、そして魔神になにもかもを持ってかれた」


 空気が凍結したような錯覚に背筋が震えた。

 500年を超えて消えない憎悪。


 魔神。

 魔物が時を経て魔王になり、その魔王が他の魔王を食い殺すことで生まれるという魔族の最大最強戦力。

 1体の魔神が現れれば王都の守りなど1日と耐えられないという。

 この1000年はアルトリーアに出現したという記録はない。

 伝説上の存在だ。


「復讐を誓ったわけだが、そのすぐ後に初代学長の奴が倒しちまった。しまらない話だ」

「よく、倒せたものですね」

「あいつは原書を持ってたからなあ。ありゃあ、天変地異だったぞ。大森林が半分消えたぐらいだ」


 原書!

 この王都にも2冊あるとは聞いているけど、どちらも王宮で厳重に管理されていて王族であっても触れることができない人類の至宝だ。

 魔神さえも討ち滅ぼすとは伝説に偽りなしか。


「まあ、そうして全部終わっちまって、全部なくしちまって、俺は痛感した。大切なものがあるなら強くねえといつか失うんだとな」

「師匠が学園に来たのも関係あるんですか?」

「ああ。魔神に負けて種族特性だけの戦い方に限界を感じたからな。それに原書なんて規格外を見たんだ。目指すに決まってる」


 そして500年。

 師匠は研鑽を重ねてきたんだ。

 しかし、師匠の口端に浮かぶのは自嘲の笑みだった。杖を額に当てて語る様子はまるで懺悔のようだった。


「それも間に合わなけりゃ意味がねえ」


 師匠の守りたかった人はもういない。

 消えない憎悪と後悔を師匠はこれからも抱えて生きていくのか。


「だから、お前は間違えんなよ」


 言葉が重い。

 精一杯の誠意をこめて一言返した。


「はい」

「よし。しばらく研究がねえぶんはしごいてやるよ。まあ、そうだな。俺に頼んだのを後悔する程度にはな?」


 師匠は凶悪な顔で笑った。

 物騒な言葉も表情もこの人だと安心してしまえるから不思議だった。


 ただし、師匠のその言葉が嘘偽りない厳然たる事実だったことだけをここに記しておく。


 師匠。人間は生身で音の壁は越えられないんですよ?

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