32 逆鱗
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「我々の下に来い」
直截な物言いにポーカーフェイスで答える。
「せめて、名乗ってもらえませんか?」
「初対面ではないだろう?」
目つきに覚えがある。入学試験の時に学長室にいた鋭角目だ。
いや、名前は聞いてなかったけどね。
「教師の名前も把握しとらんとはな。所詮は平民か」
「用事がそれぐらいなら失礼しますよ」
席を立つ。
師匠の研究室とは離れた位置にある研究棟の一室。
まるで貴族の家の応接室のような豪奢な作りに呆れるばかりだ。師匠みたいな実用一点張りも問題だけど、研究から離れすぎだろう。
やたら毛足の長い絨緞の感触に戸惑いながら出口に向かう。
「いいのか?」
「的確な説明もできないあなたが悪いのでは?どこかの誰かに『話は聞きに来たけど不足だらけの話をして困惑されていた』と報告されて困ってください」
この教師がどこかの貴族の手下なのは確定。
なら、ひとりだけで僕と対峙するわけがない。最低でも護衛がいるはず。これも確定。
集団だとすればその中でも更に派閥があるだろうと思って、適当に言ってみたのだけど鋭角目は眉間にしわを寄せた。
図星みたいだ。じゃあ、大きな集団で内部でも派閥争いがある、も確定。
「まずは話を聞きたまえ。君にも悪い話じゃない」
僕はドアの前で止まった。いつでも出ていくという意思表示だ。
それにしても口調を改めてもこれか。乱暴な口ばかりな師匠の方が人として真っ当に見えるのは不思議だ。
「どうぞ」
「我々はケンドレット家の当主ガイン様の御意志の元、この学園で優秀な同志を求めている」
ケンドレット家。当主の名前まで出てきた。軍の最高権力者なんだよな。
「君は選ばれた。これは名誉なことだ。平民が目をかけていただくなどなかったからな」
平民は同志じゃなくて使い捨ての道具ですか?
他のクラスの友達から聞いてるんだぞ。先輩の中には散々命令されて使い潰された人がいるって話を。
「あまり僕とは関わりたくなかったのでは?」
ほら。故郷にはおじいちゃんとお母さんがいるし。
たまに手紙とか送っているけど今のところは貴族とのあれこれは書いていない。
だって絶対、中身確認してるでしょ?
「このまま君が卒業まで何事もなく過ごしていたならそれでよかったのだがな」
状況は変わったのだよと肩をすくめた。
憎しみをありありと眼差しに込めてぶつけてくる。
甘いよ。そういうのは慣れてるんだ。はい。眉毛を見ろー。怖くないからねー。
「最近、君は1年次生の平民代表にしてやつらの希望の星だ」
「誤解ですよ。確かに友達は増えましたけど」
「そうか。なら、そういうことにしておこう」
絶対、そういうことにしてないだろ。
ああ。でも、そんな風に見られていたのか。穿ちすぎだ。貴族の価値観でばかり考えないでほしい。
「あの『灰のエルサス』の嫡子とも昵懇だ」
「ルネには野心も復讐心もありませんよ」
「それも、そういうことにしておくよ」
元から『ない』ものを『ない』と証明するなんてどうすればいいんだよ。
「加えてルミナス家とも懇意と見える」
「懇意って。普通のクラスメイトですよ?」
「クレア嬢はリエナという亜人をえらく気に入ったみたいだが?亜人風情をまるで友人のように扱っているとか。いい贈り物をしたものだな?」
誰が亜人風情で贈り物だ。潰すぞ。
余程、喉から出かけた言葉を飲み込んだ。
代わりに腰のホルダーから漆黒のバインダーを取る。まだ、杖は構えない。
臨戦態勢1歩手前の反応でようやく失言に気づいた鋭角目が面倒臭そうに謝罪してくる。
「失礼。君の幼馴染だったか」
「それで、終わりですか?」
もう話を切り上げてもらいたい。今ので答えなんて確定してしまった。
「さらにもうひとつ。あの厄介な樹妖精が君の味方をしている。あの『狂人』『虐殺樹海』『蒼の絶望』と呼ばれるレグルスが、だ」
師匠おおおおおおおおお!!
あなたもふたつ名持ちじゃないですか!
というか僕よりもよっぽど凶悪なふたつ名じゃないですか!
何を他人事みたいにからかってるんですか!
「師匠が動くのがそんなに怖いものですか?」
まあ、僕も師匠が手を上げただけで反射的に歯を食いしばってしまうけど。
「とぼけたことを。何度、煮え湯を飲まされたことか」
ますます憎しみの色が濃くなる鋭角目だけど、話が見えない。
本当に心当たりがないのだ。師匠に確認しておこう。
鋭角目は怒気を収めて話を最初に戻した。
「これらのことから既に君は学園の一勢力として成立している。しかも、ルミナス家に近しい勢力として、だ。座視できまいよ」
学園の貴族勢力はガンドール家・ケンドレット家・ルミナス家の3すくみで膠着していた。
僕の存在はそれを覆すものとして認識されているらしい。
友達を作りたかっただけなのにどうしてこうなってしまうのか。師匠が言っていた不穏な空気の意味がようやく分かった。
どうする?
ルネの件でも思ったけど、野心がないと証明するのは難しい。
正直、関わり合いになりたくないという心情が1番強いけど、クレアが困っているなら僕は協力してしまうだろう。
他の2家にとってそれはルミナス家の派閥という意味になる。
友情という言葉は通じないだろう。自分たちにない価値観は理解できないのだ。きっと、それはお互いに。
ともあれ、僕はケンドレット家に肩入れすることだけはない。
リエナのことをふざけた扱いした一事を以って論外だ。
「帰らせてもらいます」
「……いいのかね?」
最初と同じ言葉なのに今は嫌な空気を纏っていた。
少なくともドアノブに伸ばした手が止まるぐらいには。
鋭角目は不意に立ち上がり、窓辺に近寄るとカーテンを開けた。
月夜の風景は静かだ。丁度、僕らの学生寮の窓明かりが見える。
「君の恋人に不幸が起きるかもしれないよ?」
血の気が凍る感覚に目眩がした。
恋人?
リエナが捕まった?
あの、リエナが?
亜人の優れた感覚で不意打ちも難しく、単純な腕前でも同級生どころか全校でもトップレベルのリエナが?
いや、でもリエナだって無敵ではない。
師匠には勝てないだろうし、多いとは思えないけどお母さんクラスも無理だ。
絶対ではないんだ。
「なに。返事は急ぎませんよ。色々と確認することも多いでしょうし」
「……」
「我々はいつでも君を待っているよ。ただし、あまり気が長いとは思わないで」
「黙れ」
ああ。くそ。
こんな気持ちはいつ以来だ。
いや、生涯でも初めてじゃないのか?
赤く染まる視界。
黒々と渦巻く胸中。
脈打つ鼓動の焼ける熱。
理不尽な暴力の中でもここまでの憤りは抱かなかった。
自分がこんなに怒っていることに驚いてしまう。
簡単に『キレる』なんて言葉を使ってきたけど、あんなの遊びみたいなものだ。
この今の感情と比べれば生温すぎる。
「宣言する」
ダメだ。抑えてなんていられない。
吐き出さないと破裂する。
だから、バインダーから適当に魔造紙を取り出した。
「あいつに傷ひとつでもつけてみろ。全部、終わらせるぞ」
杖の先端で魔造紙を窓辺の壁に叩きつけた。
別に魔造紙の起動に言葉はいらない。誰もがわざわざ口にするのは周囲への配慮でしかない。
こいつら相手にするべき配慮なんてひとつも思い浮かばなかった。
鋭角目の直近で炸裂した魔法が窓も壁も根こそぎ吹き飛ばして大穴を生む。
埃の舞う中で、腰の抜けた鋭角目の男を睨みつける。
もう言葉はなかった。
僕はどんな形相をしているのだろう。息を飲んだ鋭角目が全身を振るわせて後ずさっていく。
僕はできた穴から飛び出した。
まずはこの目で確かめないといけない。
シズ君の怒りポイントが見えます。
自分に嫌なことがあっても強がったり、誤魔化したり、黙って耐えたりしますが、人のことだと我慢できなくなってしまいます。




