24 術式崩壊
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魔法を覚えられない。
大問題が起きてしまった。
先日の基礎魔法で僕が起こした現象は想像以上に学園を揺るがす事件だった。
今まで模造魔法は原書に近づけば近づくほど効果が上がるもので、全ての魔法使いは始祖の魔法の再現を目指してきた。
対して僕の魔力20倍魔法。
術式も魔法陣もバランスも初心者。
紙もインクも最底辺。
最低限の機能しか発揮しない魔造紙だった。
ただ魔力が前代未聞の量で注入されただけ。
それが現存するあらゆる『力・烈砲』の効果を上回る結果を発揮した。
いや、してしまった。
それは模造魔法の根幹を揺るがす事態だった。
すぐに目撃者には箝口令が敷かれ、その事実はなかったこととして処理された。
これは何も旧来の魔法使いが保身に走っただけではない。スレイアに留まらず人類社会の根幹に模造魔法は関わっている。特に魔族との戦いにおいては戦略の中心だ。それが揺らいでは国が傾きかねない。
基礎訓練の期間が終了した1年次生は研究棟に向かい、希望する魔法の模写に取り組んでいる。
そのなか僕は無人の校舎で外を眺めていた。
お日様、あったかい……。
いや、現実逃避もしたくなるよ。
なにせ、僕は全ての教員から魔法の模写を断られてしまったのだから。
おかげで僕のバインダーにはまだ基礎魔法しか入っていない。漆黒のバインダーが虚しく腰で揺れていた。
そりゃあそうだよね。これまでの人生を費やして原書に近づけてきた魔法書が、ただ膨大な魔力だけで乗り越えられるかもしれないんだから。悪夢以外の何物でもない。
アイデンティティを崩壊させかねない存在など拒否されるに決まっている。
学長先生ですら教師陣の反応を抑えられなかったのだから相当のことだ。
リエナとルネは一緒に教師探しをしようとしてくれたけど、僕の方から自分たちの模写を優先するようにお願いした。このまま僕に付き合って魔法を覚える機会を失うなんて事態になれば僕は自責で死んでしまう。
ただでさえ僕と友人ということで警戒されているのだ。足を引っ張りたくない。
元より少なかった僕の周囲の人間関係はすっかり距離を置かれてしまった。
これも魔法書の模写が原因だ。模写させた魔造紙を僕に見せるのではないかと教師陣が警戒しているらしい。
1年次生が模写をお願いしに行くとまず最初に『君はシズと友人関係にあるか?』と聞かれるのだとか。
こんなので友人ができるわけがない。
ちくしょう。神様は僕が嫌ってるとしか思えないんですけど。
いいんだ。僕にはルネがいる。
ルネこそ最高の友達さ。
優しいし、かわいいし、気遣いができるし、かわいいし、一緒にいると心が安らぐし、かわいいし、あとかわいい。
……友人、だよ?
ルネは罪づくりだと思う。
正直な話、僕はもう基礎魔法だけでもいいような気がしている。
現在のバインダーに収められている魔造紙は例の魔力20倍注入版だ。今なら甲殻竜だって1撃で屠れると思う。
単純な魔法の威力ならおじいちゃんやお母さんにも勝てるはず。や、実戦で勝てる気は微塵もしないんだけどね。
それでも戦力としてなら十分すぎた。
むしろ、基礎魔法以外の魔法を覚えていいものか疑問に思う。
基礎魔法であれなら本格的な魔法ではどうなってしまうのか。
或いは20倍以上の魔力を注入すれば……恐ろしくて試すこともできない。
ともあれ、このまま午後を全て日向ぼっこで消費するわけにはいかないので席を立つ。
まだお願いしていない教師は何人かいるので訪ねてみよう。
ま、ダメだったけどね。
訓練場の片隅。木陰の下で膝を抱える。
先輩たちが教師の監督の元、本格的な組手を行っていた。
刃は潰しているものの数十人の人間がひとつ所で剣や槍が振るわれる様は圧巻だ。まあ、お母さんと比べると迫力不足だけど。中にはリエナと互角なのではと思う人もいる。
僕が作ってしまった溝はちゃんと埋められていた。土系統の属性魔法が使われたみたいだ。
おかげで未修復の雑木林の惨状が浮き彫りだった。
今になって思えば罪もない植物を散らしてしまったのは申し訳なかった。
ぼうっとしていると男女の先輩方が近づいてきた。華麗な装飾の武装から見るに貴族なのだろう。あと2人の距離が近い。カップルか。爆発しろ。
「君、いつまでここにいるんだ?」
「1年次生は模写の時間でしょう?」
「……ああ。すいません。お邪魔しました」
目障りだからどこかに行けってことですね。わかりますよー。空気読めますよー。
怪訝そうな顔をする先輩方に一礼して歩き出そうとしたところだった。
雑木林の向こう側で赤い光が天高く突き立った。
…………はい?
ちょ、ちょっと。あれ。あれえっ!?
知ってる!僕、知ってるよ!
ちゃう! してへんよ!僕は何もしてへんからね!?
ほら!魔筆も持ってないでしょ!
爆発しろって思ったけどカップル羨んで20倍魔法とかも使わないから!
大混乱の僕とは対照的に先輩方はあーなどと声を上げるだけで平静そのものだ。
「そういえばもう1ヶ月か」
「月末の恒例行事ね」
「あの、先輩方。あれ……術式崩壊、ですよね?」
忘れたくても忘れられない8歳の記憶。
甲殻竜を余波で殺してしまった最悪の人工災害。
あの時よりもずっと小規模ながらも現象の内容は同じに見える。
「ああ。よく知っているな。あれは術式崩壊だ。まあ、この学園の月末の名物だな」
「1年次生は見るの初めてよね。いい?月末にあっちに近づいちゃ駄目よ」
なんで平然としてるの?人工災害ですよ?
あと思いの外、親切な対応だった。
あれ?……ああ、いい貴族様なんだ。失礼しました。立派な貴族になってください。応援しています。
僕に注意を促して訓練に戻る先輩方に頭を下げて見送った。
行くなとは言われたけど、やっぱり気になる。
光の柱が消えた雑木林の向こう側。
確か学園の見取り図だとあそこは空き地だったと思ったけど。
忠告をくださった先輩方には申し訳ないけど行ってみよう。
僕は決意して訓練場の死角から雑木林に入っていった。
雑木林を超えて僕が目にした光景は更地だった。
城壁と雑木林の間にできたデッドスペース。
広さは小体育館ぐらい。
雑草もない平らな土壌があるだけ。
いや、中心に焦げ跡がある。きっとあそこが術式崩壊の中心点だ。見たところ素材となった物は見当たらない。
「おい、チビ。こんなところに何のようだ」
木の陰に隠れていて気づかなかった。
いつの間にかすぐ横に誰かいたらしい。
濃い青髪の青年だった。
痩身ながらも身のこなしは無駄がなく、ただ立ってそこにいるだけなのに実力者だと伝わってくる。勘だけどリエナより強い。
飾り気のないシャツにスラックス姿で特徴的なのは教員用のローブだけだ。
腰のホルダーには金色のバインダー。左手には白木の杖が握られている。
ゆっくりと煙草を吸って吐き出す姿は絵になっていた。
「何のようか聞いたぞ、チビ」
声の温度がひとつ下がる。
うわ。不機嫌そう。怖いなあ。
というか全然教師っぽくないんだけど……。入学式にもいなかったよね?
疑問は保留して答える。三度目はないような気がしたから。
「術式崩壊が見えたから気になって……」
「お前、1年次生だな」
頷くと男が1歩近づいてくる。こちらが警戒する隙もなく間合いに入られてしまった。
がっしりと顎を掴まれて顔を覗き込まれた。
なに?奪われる?初めて奪われちゃうの?
やめて!緩み始めてる新しい扉を刺激しないで!
というか煙草!当たる!顔に当たるから!根性焼きは前世で十分だから!
色々と心配していたけど、唐突に解放されて思わず座り込んでしまった。
「術式崩壊と知ってここに来るとは驚きだ」
「あの術式崩壊はあなたが?」
「そうだな。それがどうした?」
あっさりと答えられる。人工災害を起こしたというのに悪びれもしていない。
「いえ。どうしてそんなことになったのか気になって……」
「ふん。失敗したからに決まってるだろ。わかりきったことを聞くんじゃねえよ」
魔法学園の教師になるほどの実力者が術式崩壊を起こす事態というのが想像できない。
理解できないでいる僕に男はくわえ煙草のまま皮肉げに笑った。
「チビ。お前はこの世界の魔法をどう思う?」
「え?模造魔法ですか?その、変わっているなって思いますけど」
「ほう。そういう認識はできるのか……ふん。色々と歪んじゃいるようだが、少しは見込み有りか?」
一転して愉快そうな笑みに変わった。
何か嫌な予感がする。
男は座り込んだ僕の手を取って無理やり立たせると、そのまま握手の体勢になった。おかげで逃げられない。
「俺はレグルス。見てのとおりここの教師だ」
「え?あ、ああ。はい。僕はラクヒエ村のシズです」
「ああ。噂の1年次生か。『災厄』のシズだろ」
知らない間に僕にもふたつ名ができてたYO!
やったー。これで僕もおじいちゃんとお母さんの仲間入りだね!
複雑な気持ちを胸の内で静めている間に話は進んでしまった。
「おい、チビ。お前、俺の弟子になれ」
新キャラ登場。




