後日譚猫19 最期
19
猫耳だ。
間違いない。
犬耳でも、狐耳でも、まして兎や熊でもない。
僕が言うんだから確実だ。
形。
毛並。
毛つや。
極上の一品だった。
もしも、ミシェルが女性で、僕にリエナがいなかったら、本能のままに跪いて忠誠を誓っていたかもしれない。
いや、ねえよ。
「……これだけ、かの」
隣のおじいちゃんも困惑していた。
戦闘状態の『風神』を戸惑わせたという意味では、なかなかない実績かもしれない。
猫耳ストとしては、この猫耳の価値についてとことん語り尽くしたいところだし、おじいちゃんなら喜んで僕の話を聞いてくれるかもしれないけど、なけなしの理性が『そんな場合じゃないだろ、コラ!?』と主張している。
ミシェルにこれ以上の変化はない。
さっきまでの輝きも失せて、完全に無力化された男が猫耳を揺らしているだけ。
いや、よく観察してみると、腰の後ろでは柔らかな毛並みのしっぽが揺れていた。こいつ完璧じゃねえか。
「みたい、だね」
ああ。さっきの自己評価を思い出した。
『ちょっと武技が強くて、ちょっと人より魔法が強くて、ちょっと人の知らない魔法を知っていて、超超超超超家族と猫耳を愛する父親に過ぎない』
最初の一口で前半部分が働いたというのなら、無理に飲み込んだ残りの大部分で最後のひとつが発揮したと考えると納得できた。
うん。今の僕ってそういう割合だし、不思議じゃない。三割、戦闘。七割、猫。そんな感じ。
これは『心象神化』とは呼べないな。『心象猫化』と呼ぶべきか。
「猫は世界を救う。真理だね」
「シズ、さすがにそれは違うんじゃないかの?」
いや、おじいちゃん。その人の大切なもの、愛するものが大切なんだよ。
おじいちゃんだって孫やひ孫のためなら世界だって救うでしょ。つまり、そういうことなんだよ。
「どちらにしろ、これで終わりだよ、ミシェル」
放心したままのミシェル。
ゆっくりとこちらに目の焦点が合った。
理性の色はあるのか、ないのか。元が元だから判断が難しい。
「……始祖様は、いつだって、僕の想像を超えますね」
感情の色が抜けきった声だけど、会話は可能のようだ。
この結末、普通の人なら心が壊れてしまいかねないけど、その辺りが最初から既に壊れていたミシェルは耐性があったのだろう。
「これは、本当に、想像できませんでした」
「まあ、ね」
世界を救った始祖から生み出された『心象命果』の結果――猫耳としっぽが生えた。
そんな事を予測できる者がいるとしたら、僕と三日三晩徹夜で猫耳としっぽについて語り明かせるファンクラブだけだろう。
もちろん、ミシェルは会員ではない。
「お前は、猫耳としっぽに負けたんだよ」
さすがにこの勝利宣言は我ながらどうかと思ったけど、事実なのだ。
あのミシェルも返す言葉がなく、項垂れてしまった。
けど、沈黙は続かない。
俯いたミシェルが乾いた笑い声を上げ始める。
しょげていた猫耳も興奮して立ち上がっている。
「何がおかしい?」
顔を上げたミシェルの目には変わらない狂気の色。
いっそ穏やかな微笑みで、問いかけに問いを返してきた。
「これで本当に終わりだと思いますか?」
まだあるっていうのか?
けど、『日影の底』で最も脅威だった『心象賛歌』は既になく、これまでの応酬でその人員も使い果たしているだろう。
仮にまだ戦力が残っていたとして、おじいちゃんまで参戦した現状、脅威になるとは思えなかった。
「強がりならやめておいたほうがいいんじゃない?」
「いえいえ、確かに王都での仕掛けは潰えました。ですが、何も策はそれだけではありませんよ」
勝利を確信しているのか、ミシェルはしっぽをピンと立てている。
勿体つけるつもりもなく、端的に言葉を放つ。
「スレイア王国の大都市、その水源に『心象賛歌』を混入する用意があります」
他の人間が言ったなら、はったりだと断じられた。
だけど、これまでの動向をみると嘘とは言えず、なによりもその猫耳としっぽの具合をみると、戯言とは言えなかった。
「いや、嘘だ」
「嘘ではありません。事実です」
「それを実行するには『心象賛歌』が足りないだろ」
一個で一年の寿命を消費するという話。実際に見た『心象命果』のサイズ。ミシェルの寿命など。
それらを換算すると、やはり酒樽百個分というのが妥当な数なのだ。
なるほど、それだけの貯蔵があるなら不可能ではない。
でも、実際はこの王都での襲撃で使い切ってしまっている。
前もってそういう手配はできたとしても、肝心の『心象賛歌』がなければ実行できるわけがない。
「ああ。そうですね。散布したの粉末が全て『心象賛歌』だったのなら」
おい、まさか。
様々な手段で散布された粉末。その全てを検証する暇なんてなかった。
もしも、あの大半が世間に出回っていた混ざり物だった場合、確かに貯蔵に余裕がある事になる。
まずい。
僕がいくら大地を削って疾走しようとも、対処できる数ではないし、時間も足りな過ぎる。
「このままでは貴方様の『傷』にはなれそうにありませんので。無関係の方々には申し訳ありませんが、僕に付き合っていただきましょう」
対抗手段は?
ミシェルからの合図を出させる?
ミシェルが素直に吐くだろうか?
脅そうが、痛めつけようが、ミシェルが折れるとは思えない。
考え込む僕。
その僕を見て笑みを深めるミシェル。
「無駄じゃよ。そちらは既に片付いたからの」
おじいちゃんが一言で切って捨てた。
さすがに全力戦闘は体に響いたのか、片膝をついて座り込んでいるおじいちゃん。寄り添ってきた水晶の召喚獣に体を預けている。
僕も唖然としているけど、ミシェルの方が口を開いたまま茫然としていた。
「おじいちゃん?」
「ぬしらが動いていたのはわかっていたからの」
「え? どうして?」
こういっちゃなんだけど、闇組織の活動が表立ったのは最近だ。
「一年前からだよ。グラシエン様は長い間、様々な伝手を繋いで王国全体に諜報の根を張っておっての。それに儂やその仲間も協力しておる」
学長先生が?
学長を引退してからも色々と活動しているとは思っていたけど、そんな事をしていたなんて知らなかった。
じゃあ、おじいちゃんに届いた学長先生の手紙も、そういう連絡だったのかもしれない。
「いや、いくら『風神』様でも間に合うはずがありません! 僕は本当に、王国中に手配しました! 一ヶ月前に確認が届いた時、どこも異常はなかった! あの数と距離、一ヶ月で対処できるわけがない!」
そうだ。
僕だって五十倍の強化の付与魔法でなんとか、というレベル。
しかも、ミシェルは一ヶ月と言っていたけど、おじいちゃんが失踪したのはほんの数日前。
「儂もただ安穏と過ごしていたわけではないからの」
それが答えだと言わんばかりに、背後の晶獣を撫でるおじいちゃん。
そうだ。その召喚魔法、なんなの? 僕も知らないんだけど。
いや、これに限らず、先程からおじいちゃんの魔法がおかしかった。
極大魔法を連発しているにしては反応が早すぎる。あれは複数の魔法の連続使用で、効果を倍増させる技術だ。同時発動ではない。
それに、そうだとしても規模が狭すぎる。普通は周辺一帯を吹き飛ばす威力になるはずなのに、効果範囲は下級の魔法レベル。
「それ、なんなの」
「合成魔法だよ。ただし、シズとレグルス殿が作ったものとは別物だがの」
へ?
合成魔法?
いや、確かにそれは候補に挙げていたけど、すぐに却下していた。
だって、僕が知らない合成魔法なんてありえないんだし。
驚愕で言葉を失う僕たちにおじいちゃんはバインダーから魔造紙を出してみせてくれた。
見た事もない術式だった。
いや、所々に知っている術式もあるんだけど、そのままじゃないというか、崩れているというか、マークに置き換えられている部分まである。
「色々と工夫しての。ようやく完成したわい」
いやいやいや。
ちょっと待ってほしい。
僕がこの世に生み出した合成魔法は、正しくは合成魔法ではない。
僕が師匠の考案したものを、創造魔法で形にしただけなのだ。真実の意味で複数の魔法を合成してはいない。
裏技というか、チートというか、ある種のズルをしている。
それを、おじいちゃんが完成させた?
真正面から?
模造魔法のルールに則って?
「レグルス殿の研究資料を見せてもらったおかげでの。まだまだ完成したのはごく一部だが、まあ、実戦で使える形にはなっておるよ」
おじいちゃんの得意とする極大魔法は、確かに合成魔法に通じる部分があったけど。
師匠の五百年にも及ぶ実験データもあっただろうけど。
とんでもない。
これは真合成魔法と呼ぶべきか。
「どうして、そんな」
「シズ。人生は研鑽の積み重ねよ。まして、指導者というのなら、先達として常に先を歩かねばならん。いずれ後続が僅かでも、一歩でも前に行けるように、のう」
これは胸に刻まないといけない言葉だ。
この数年、確かに武技を磨いてきた。
異界原書の模造魔法化も成功させてきた。
だけど、それに満足していた部分がないとは言えなかった。
「話がずれたの。こやつは『命名:晶獣』に『風・流砲』と『刻限・早矢神式』を合成したのだが、まあ早馬とは比べ物にならんよ。後は儂とグラシエン殿と仲間で、こやつで回れば間に合うだろう?」
だから、学長先生も老兵部隊も姿を消していたのか。
他言しないで、独自で動いたのは情報の流出を恐れたのかな。
こいつらの情報網を考えると、慎重に動く必要があったのは理解できる。
「……あちらは、どうなりましたか?」
「最早、ぬしの組織は存在せんよ」
ここまで動いたんだ。
それこそ、今度は残党もないだろう。
おじいちゃんと因縁のあった『日影の底』の終焉だった。
「は、はは。ははは。は、は、……はあ」
ミシェルは笑おうとして、しかし、声は虚しく重なるだけで、吐息になった。
伏せた猫耳に、弛緩したしっぽ。
今度こそ、策は尽きたのだろう。
どうやら、『心象命果』の効果も切れたのか、まるで景色に解けるように猫耳としっぽも消えてしまった。
恐らく、武技や魔力の方も同様だろう。
ちょっと猫耳としっぽがもったいないと思ったのは秘密だ。
ともあれ、ミシェルの野望は潰えた。
王都の被害は少なく。
他の都市は無事で。
僕の『心象命果』に託した願いは届かず。
そして、
「どうでしょうか、始祖様。貴方様の手で引導を渡してくださいませんか?」
「ごめんだ」
どの道、ミシェルの命はもう長くない。
元から寿命を削っていたというのに、右腕の失血は既に致命的だった。
助からない。
「では、『風神』様は如何ですか? かつての大敵の孫ですよ?」
「ぬしはぬしの業を払わねばならんだろうよ」
厳しい言葉とは反して、おじいちゃんの目は悲しげだった。
過去の因縁に想いを馳せているのか、その内心は窺い知れない。
ミシェルは残念です、と然して執着した様子もなく笑った。
「本当に、全部、終わりました」
疲れ切った声でミシェルが呟く。
終わったのはミシェルの策略の事だったのか、それとも『日影の底』への復讐だったのか、或いは心に秘めた奇跡だったのか。
それはミシェルにしかわからず、もう誰にもわからない。
ゆっくりとミシェルの体が倒れる。
重さを感じさせない軽い音。
まるで空っぽの張りぼてみたいだ。
「アリス………」
掠れた声で呟いて、やがて、上下していた胸が動きを止めた。
首筋に手を当てても、命の気配は失われていた。
『日影の底』首魁、ミシェル・クピド。
希代の大犯罪者の最期だった。
彼の魂がどこにいくのか、僕にはわからない。
起こした事態の重さを考えれば、生まれ変わって幸せにとはいくまい。
あの白い世界を経て、生まれ変わるには宿業が重すぎる。そこから解放されるまで気が狂う程の時間がいるだろう。
その果てにアリスとの再会が果たされることを祈ろう。
「……僕はお人好しだから、ね」
あれだけやられて、そんな事を思ってしまうのだから、確かに僕は甘い。
ぼんやりと開いたままだったミシェルの瞼を閉ざし、僕は短い黙祷を送った。
「終わったの」
「うん。ありがとう、おじいちゃん。助かったよ」
黙祷を終えて、振り返るとおじいちゃんと目が合った。
今回は本当に、陰に日向にと大活躍だった。
「本当はシズが来る前に、終わらせるつもりだったのだがの。まあ、これもひとつの経験に、するしかないのう」
受けた被害はかなり大きかった。
改めて奪われた一年の寿命に背筋が冷たくなる。
けど、嘆いても取り返しはつかない。せめて、それを糧としないと本当に無意味になってしまう。
実際、僕の対応のまずさがあった。
色んなフォローがなかったら、この騒動での被害は僕一人では収まらなかったはずだ。
その勉強代と割り切ろう。無理にでも。
「情報って大切だね」
前世の知識的にその言葉は知っていたけど、実感が伴っていなかった。
個人としてはただの人間だったミシェルだけど、情報を手に入れ、それを最大限利用する事で、僕をここまで追い詰めてみせた。
「それがわかれば、上々だのう」
「学長先生の情報網かあ、僕もそういうのを考えた方がいいかな」
「いずれは、誰かが継ぐだろうがのう。シズは、シズで、持っておった方が、いいかもしれんのう」
こういうのって人との繋がりだからなあ。
僕が苦手としている方面だったりする。
けど、苦手だからと動けないのでは同じ失敗を重ねるだけだし、さっき聞いた先達としての在り方にそぐわない。
色々と動いていこう。
「まずは、事後処理かな」
街の復興。
麻薬の除去。
後は始祖の復活、とか?
ああ。もう隠すのは無理だろ、これ。いいさ。面倒を嫌って義務を放棄していた面があるんだ。
「とりあえず、クレアのところに行こうよ。それともリエナたちが向こうから来てくれるのを待とうか?」
けど、返事がない。
見ると、いつの間にか合成魔法の晶獣が消えて、おじいちゃんが仰向けに倒れていた。
「おじいちゃん!?」
僕の叫びに、おじいちゃんは目を覚まさなかった。
裏設定。
シズとミシェル、血筋に繋がりがあったりします。




