後日譚猫18 心象神化(?)
18
もしも。
もしも、ここまでの展開全てが罠だったのだとすれば。
体力の消耗。
魔造紙の消費。
精神的な疲労。
それだけじゃない。
それだけなら対処できた。
仲間は対処でちりぢり。
用意していた切り札は既に使用済み。
ああ。僕を始祖と呼び続けていたのも、事件が起きているのに周囲に人を残すためだったのか?
あの瞬間、おじいちゃんの対処が遅れたのは、周囲の人間を守るためだったのだし。
こうして思い返してみれば、ミシェルの行動の全てに意図が隠れている気がする。
僕は最初にメリスを制圧した。
あれも最初にやられた事で、僕の頭の中から存在を消すためだったのかもしれない。事実、あの場面で樹妖精の種族特性が使われるなんて、頭になかった。
いや、そもそも、昨晩から徹夜で『日影の底』の末端を潰して回ったのも読まれていたのか。
昼まで寝たとはいえ、最善の体調とは言えなかった。別に徹夜の一日で動きが悪くなったりしないけど、それでも底力という部分では削られてはいたんだ。
王都の全住民を人質にした大犯罪。
その全てが僕を追い込むための手段だった。
僕を素材にした『心象命果』を手に入れるための!
一年の寿命を奪われたという事実に寒気がする。
それ以上に、僕の精神を形にした物がミシェルの手の内にある事実が恐ろしい。
小ぶりな南瓜ぐらいのサイズ。
僅かに楕円を描いた球体。
つるりとした表面は柔らかにも硬くも見える。
今は結界の内側にあるせいでわからないけど、転がった時にチラリと見えた色は黒。
僕の『心象命果』だ。
ミシェルは笑みに薄く開いた唇を大きく開ける。
喰われる。
まるで、自分が飲み込まれるように錯覚してしまう。
「ぬん!」
心身に掛かった負担からか、未知の事態に心が竦んだのか、自分でもわからない。
動けずにいた僕の横をおじいちゃんが駆けていく。
それでも、ミシェルが果実に噛みつく方が早い。
歯が埋まり、齧り取られ、咀嚼もないまま飲み込まれる。
そこで、ミシェルの右腕が落ちた。
おじいちゃんだ。
走りながらバインダー内で魔造紙を発動させたのか。
恐らく、風の刃で切断してのけたのだろう。
「……おじいちゃん」
その背中に強い覚悟を見た。
これが本気の『風神』なのか。
鋭い戦気が溢れている。
そうだ。隙を突かれたのは事実で、『心象命果』を生み出されたのは取り返しがつかない。だけど、それを摂取されなければいいのだ。
ミシェルは半身に受けた衝撃に身を回して、倒れ込んだ。
両腕がいきなり隻腕になったせいで抱えていた果実を取り落としている。
それでも、派手に血を撒き散らしながらも、残った片腕で再び果実に飛びついていく。
「やらせんぞおお! 最高のおおおおお! 『心象命果』のおおおおおお! 効果を見せろおおおおおお!」
狂気が溢れたようなメリスの叫び。
骨と内臓にダメージが通っているはずで、身動きすらままならないのに、腕を叩きつけた。
地を割って、再び樹木が突き立ち、おじいちゃんに向かって殺到する。
「ふん!」
再びバインダー内発動。
おじいちゃんの周囲を無数の風が舞い、炎が吹き荒れる。
樹木が切り刻まれ、その端から灰になって焼け落ちた。
今のは極大魔法? それにしては発動が同時に見えたけど。
「まだだ。ま――」
「寝ておれ」
止まらないメリス。
そこへ一気に間合いを詰めたおじいちゃん。
一閃――風が踊る。
メリスの四肢。その腱が切断された。
声にならない凄惨な絶叫を上げるメリスだが、おじいちゃんはその喉に容赦なく剣の柄を叩き落とした。
僅かに痙攣して、メリスが動かなくなる。
「ミシェル!」
僕はその間にミシェルへと迫る。
既に結界まであと五歩。
おじいちゃんが戦っているというのに、座り込んだままでいられるか。
結界に突入。
出血のせいか顔面蒼白のミシェルは、既に食べかけの果実を口元に持っていた。
でも、間に合う。
あの大きさ、どうやったところで一口で食べきれるものじゃない。
僕と同じ展開を予期したのか、ミシェルは目元をひきつらせ、
「あ、があああああんごっ!」
顎の骨が外れるのも構わず、自ら果実を喉の奥へと押し込んだ。
まるで自分の左腕を飲み込んでいようにも見える異常な光景。
涙が溢れ、酷い有様なのに、目の色だけは歓喜で満ちている。
その腹を容赦なく蹴りつけた。
強化の付与を施していない肉体のみの技。
それでも内臓が破裂してもおかしくない威力を込めている。
「ふふ……」
なのに、止められた。
凡庸な武技しかないはずの、ミシェルによって。
右腕を失い、両足もまともに立てないというのに。
残った左腕一本で僕の蹴りを受けている。
それは知っている。よく知っている。
僕の武技。
衝撃を受け流す技。
「ああ。さすが、始祖様だ!」
しかも、僕の動揺を巧みについて蹴り足を払ってきた。
これも知っている。相手の力を利用した投げ。
危うく投げられそうになり、自ら後ろへと飛んで回避。
本当に、僕の能力がコピーされたのか?
食べてからすぐ。
光を発したり、見た目が変化したりはしていない。
それでも僕の『心象命果』はミシェルを変質させたのか。
ミシェルはそんな自分の左腕を満足そうに眺め、にたりと笑みを浮かべる。
右腕からぼとぼとと零れる血にも頓着せず、何度も左手を開いては握り締め、喜びに打ち震えていた。
「わかります。この力、どんどん馴染んでいく。なるほど、これ程、これ程の力! 僕なんかとは格が違う! 限界を壊すだけの『心象賛歌』なんて目じゃない! これは『心象神化』とでも呼べばいいのでしょうか! 僕の器が、格が、どんどん膨れ上がっていく!」
その全身が赤い輝きを放っている。
魔力の光だった。
まだ、常人と同程度のそれだけど、これも効果が完全に馴染めば僕のようになるのだろうか。
「間に合わなんだか」
「ごめん。僕がもっと早く走ってれば」
「無理もあるまい。儂とてああもされては動けんよ。今は奴をどうにかせんとな」
おじいちゃんが途中でメリスの制圧に行ったのは、僕がミシェルへと向かっているのに気づいたからだ。
僕はその信頼に応えられなかった。
「はは! 体が熱い! 燃えるようだ! これこそが始祖様のお力なのですね!」
ミシェルが僕の力を得たのだとしたら大変な事になる。
さっきの武技を見るに、僕が鍛えた技を再現してみせた。
そう考えると、僕の魔力も得たかもしれない。
そして、僕の力というと……あれ?
「さあ、最後の戦いを始めましょう! 僕の命が続く限り!」
宣言するミシェル。
だけど、動かない。
いや、正確には動けない。
だって、立てないから。
おじいちゃんによって両足を動けなくされているので、戦闘どころか歩くことも立つこともできないのだ。
僕の武技を得ても、使えるのは左腕一本分。
今更になってその事実に気付いたのか、ミシェルは自分の体を見下ろし、首を振った。
「……いえ、僕にはこの魔力がある!」
しかし、バインダーもなければ、魔造紙も持っていない。
「まだ、まだだ!」
ミシェルは左腕に血をつけ、何やら地面に術式を書こうとしている。
おじいちゃんがさせまいと前に出るのを止めた。
「シズ?」
「いや、たぶん……」
敢えて書かせる。
ミシェルは書き上げたそれを、即座に発動させた。
叩きつけた左腕が火傷するのも構わずに。
ただの、属性魔法だった。
『闇・千手』――足元に広がった闇から伸びる影の帯で、範囲内の獲物を押し潰す魔法。
僕はタイミングを合わせて震脚を放つ。
足元に広がりかけていた闇が衝撃で乱れ、ほぼ同時におじいちゃんが起こした烈風で吹き散らされた。
「馬鹿な……。何故?」
「だって、凝縮してないし」
唖然とするミシェルに言ってやる。
指摘でようやく気付いて、火傷だらけの左手に魔力を集め始めるけど、隙だらけだ。
「いけ。『氷・凍錠』」
氷の属性魔法の下級。
反応の遅れたミシェルの左腕を氷漬けにする。
「っつ――こんなもの! 僕の魔力なら!」
「いや、魔力単体に意味はないし」
魔力は術式で変換されなければ意味がない。
学園を卒業しているなら知っているだろうに、ミシェルはそんな基礎もわからなくなっていた。
「なら、武技も、ダメなら……そうだ、始祖様の魔法を!」
「残念だったね。それはもう十年以上前になくなったよ」
僕を始祖たらしめていた始祖権限は代償にしてしまった。
となると、僕の武器は師匠と武王から基礎を積み上げた武技。そして、大量の魔力を凝縮した魔法だけ。
こうして冷静になってみると、今の僕から能力をコピーしても致命的、とまではいかないよなあ。
「まあ、それも今は使えないけどね」
確かに僕の武技はかなりレベルが上がっているけど、それだって最上ではない。
何より、片腕だけではほとんど意味がないのだ。
いや、たとえ五体満足だったとしても、武技だけだったら、今みたいに遠くから魔法で波状攻撃でもすればいい。それこそ、おじいちゃんあたりなら易々と沈めてしまえるだろう。
で、魔法だけど、こっちは前提条件がある。
「模造魔法って、準備しないと意味ないだろ?」
少なくとも、敵がこれだけ接近している状況で、魔造紙を用意できるわけがない。
普通に邪魔される。
この王都で使った魔法だって、以前から用意していただけだ。
仮にミシェルが創造魔法や崩壊魔法、そして、異界原書の魔法の術式をもコピーできていたとしても、書き上げられないなら意味がない。
「馬鹿な。そんな、馬鹿な。始祖様のお力が、それぐらいなわけが、神に比肩する力が、こんなわけが」
ここまで策謀を巡らせていたミシェルだけど。
誰よりも、下手すれば僕よりも、シズという人間を理解していたミシェルだけど。
いや、だからこそ、なのか。
僕を過大評価しすぎていたのだ。
始祖なんて神格化されたりもしたけど、今の僕はただの人間だ。
ちょっと武技が強くて、ちょっと人より魔法が強くて、ちょっと人の知らない魔法を知っていて、超超超超超家族と猫耳を愛する父親に過ぎない。
「なら、この熱はなんだというのですか!? この、僕の内側に燃える衝動! これこそが始祖様のお力でしょう!?」
「さあ、勘違いじゃない?」
思い込みというか、プラシーボ効果というか。
極限まで追い詰められて、大怪我を負って、しかも、麻薬を使用しているなら、ねえ。
あれだけの事をしでかして、果たしたはずの大願だったろうに。
なんとも、微妙な結末だ。
「そんなわけがあるか! 始祖様のお力はまだ! こんな! この! 違う! まだだ! まだ、この、先にいいイイッ!?」
哀れにも思える叫びが途中で変わる。
ミシェルを覆っていた赤い光が強くなり、直視するのさえ厳しくなった。手を翳しているのに目が眩みそうだ。
「なに、これ!?」
「ぬう。魔法が通らぬか」
隣でおじいちゃんが唸る。
どうやら僕が驚いている間に魔法を放っていたらしい。
でも、魔法が無効化されてしまったのか。
「あああああああああああ!! これだ! 今こそ! 僕が! 完全なる! 始祖へと! 神へと! これで! アリスを! 蘇らせられる!」
光の奥からミシェルの声が聞こえる。
ここに至って、ようやく奴の本心を聞いた気がした。
いや、今はそちらに気をやっている場合じゃない。
僕はバインダーから魔造紙――『闇・万触・不帰境』を発動させる。二十倍凝縮した闇の属性魔法の上級。
本来なら、王都の三分の一さえも消滅させかねない魔法なのだけど、広がった闇がミシェルに届くことなく散ってしまう。
「まだ、ミシェルの変質は終わっていなかった?」
「今までのは先に飲み込んだぶんだけだったのかの」
それか。
理屈としては理解出る。
「いけ。『常世の猛毒』」
残り少ない崩壊魔法も試すけど、光をいくらか散らせた程度で終ってしまう。
駄目だ。
止めたいけど、手がない。
そして、それ以上に打つ手を考える時間もなかった。
唐突に、光が止む。
光量に潰された視界が戻るまでの僅かな時間。
辺りには音もない。
気配も変わらない。
それが、嵐の前の静けさに見えて、背筋が冷たくなる。
ミシェルはいた。
放心したように、座り込んでいる。
「………」
今までの高揚した気配はない。
変化は、乏しい。
怪我はそのまま。
束縛も変わらない。
ただ、ひとつだけ。
ひとつだけ、決定的に違った。
「……え?」
「……ぬう」
その頭上、貴族の血筋には珍しくない金髪の隙間から。
「猫耳?」
金色の猫耳がピコリと揺れていた。
予想されていた方はけっこういましたよね?




