後日譚猫17 勝利宣言
17
「ねえ、始祖様。僕はあなたにお会いしたことがあるんですよ?」
激情から一転して微笑むミシェル。
でも、やはり目の雰囲気が違う。どこか挑むようにも、祈るようにも見えて、確かなのは強い感情が宿っている事か。
「シズ、耳を貸してはいかん」
「うん。わかってる」
おじいちゃんの忠告が正しい。
それでも頭の中では記憶を遡るのは止められない。僕がミシェルと会っている? 記憶にはない、よな。
僕の戸惑いを見透かしてミシェルは一人語りを続ける。
「あれはもう十年以上前。学園の事です」
確かに歳は近いから、同時期に学園に在籍していたとしても不思議ではないけど。
こっちは一年次生の最後に中退というか、師匠の研究室を継いだというか、もっと大きな存在である『始祖』になっていて、在学期間は短い。
そして、僕の交友関係は極めて狭かった。
こんな奴がいたら嫌でも覚えていると思う。
やっぱり、嘘だ。無視して今度こそ捕縛しよう。
バインダーから結界の法則魔法の魔造紙を取り出す。
「わからないのは無理もありません。僕は変わり果ててしまったし、会ったというのも一言二言程度でしたから。僕は一字一句覚えていますよ。『君、いつまでここにいるんだ?』と声を掛けたんです。今思えば、先輩とはいえ不敬な発言ですね」
は? 先輩?
そんなの、もっと、接する機会がなかったぞ。覚えているのなんて、ルネを攫ったと脅迫してきた先輩、えっと、なんて名前だったっけ、ぐ、グラ……グラなんとかぐらいじゃない?
「あの頃は、まだ僕は一人じゃなかった。彼女が、アリスがいてくれた。あの時も一緒だった。一人でいる新入生を見て、僕は気にならなかったけど、優しいアリスは心配して声を掛けたんだ。ああ。覚えています。彼女は『一年次生は模写の時間でしょう?』と言ったんですよ?」
……え?
なんか、そんな記憶があるような、ないような。
「ああ。始祖様からするとこちらの印象の方が強いですか。その時、月末恒例の術式崩壊がありました」
おい。
術式崩壊って、それは師匠が合成魔法の研究で失敗していた時の、僕が初めてあの人に出会った時の事じゃないか。
あの頃は凝縮魔法の件で誰にも模写させてもらえなくて、リエナとルネを巻き込まないよう一人でいようとして、途方に暮れていたんだ。
そうだ。思い出した。そんな僕に声を掛けてくれた先輩たちがいた。
名前も知らない。本当に少し言葉を交わしただけの人たちがいた。
正直、顔だっておぼろげで、言われるまで思い出す事もなくて、別に特別な関係でもない。
「思い出してくれましたか? 光栄です。あなたの活躍の噂を聞くたびに誇らしい気持ちになったものです。僕はあの第八始祖様と話した事があるのだ、なんてね」
「ふざけるな」
無視すると決めたのに声を出してしまった。
平民の一年次生を気にかけて、心配してくれた貴族の先輩たち。そんな人が『日影の底』の首魁で、こんな酷いテロを起こしただと?
「それが本当だとしたら、あんたはなんでこんな事をしてるんだ!」
「シズ。やめんか」
おじいちゃんに強く肩を掴まれるけど、今までのミシェルに抱いた怒りが再燃して止められない。
「簡単です。アリスが殺されたから」
燃え上がりかけた感情に氷水がかけられた。
平坦な、感情が死に絶えた声音が、まるで書物を読み上げるみたいに、過去を語り出す。
「僕たちは無事に学園を卒業し、故郷に帰りました。僕は領主の従者になって、アリスは書記士として町の発展に協力していました。そして、何事もなく一年が過ぎて、近く結婚しようとしていた時でした。アリスが殺された」
一度、深く呼吸を挟む。
「酷い死に様でした。暴行を受け、凌辱され、拷問までされ、絶望の底に落とされて、街の広場で曝されて、本当に何の前置きもない突然の凶行でした」
幸せな恋人たちを襲った理不尽。
これからも続くはずの二人の道が途絶えた瞬間。
「後から知った事ですが、犯人は『日影の底』の人間でした」
「……は?」
「ぬう。そうか」
想像外の犯人に戸惑う僕に対して、おじいちゃんは納得したように呻く。
視線で問いかければ、僕とミシェルを見遣り、溜息を吐いた。ここまで聞いて、僕がもう引かないと悟って、妥協してくれたのだろう。
「弱体化して潜伏しておった組織が、首魁の血筋を求めておったのだろう。正確には組織の旗頭にできる正当性を持った、傀儡をだがの」
「ご明察の通りです。過去の首魁の血が繋がっていた僕は目をつけられました。愚かな僕は近づいてきた組織の人間に、『日影の底』を利用すれば犯人を見つけられるし、復讐を果たせると言われて、まんまと闇組織に入ったわけです」
吐き気のする話だ。
もちろん、そんな話を聞いたからってミシェルに同情はしない。
凄惨な過去があったとしても、その憤りを他人にぶつけていいという法はない。
どこまでいっても、ミシェルはこの事件の加害者だった。
それでも、こんな事にならない道はなかったのか、思わずにはいられない。
「だからといって、おぬしがシズを恨む筋はあるまい」
そうだった。
ミシェルが僕を恨んでいるという話だったんだ。
確かに接点はあったけど、彼らの事情に僕は関係ない。
「ええ。筋はありません。始祖様にも、『風神』様にも、ありません。ただ、僕は納得できないんです。あなた方は凄まじい力を持っていらっしゃる。清く正しい心根をされています。多くの、本当に多くの人を無償で救い、感謝されてきました。その偉業を為したあなた方を僕も尊敬しています。確かに、昔も、今も、憧れていると言ってもいい」
それこそふたつ名となって響き渡るほどに誰かを助けてきた。
「だからこそ、どうしてアリスだけが救われなかったのか、納得できない」
それは……理由なんてない。
もしも、僕が事件を知っていれば対処しただろう。
ただ、僕の手の届く場所にいなかった。
残酷な、現実だ。
そう。不幸だったから、としか言いようがない。
どんなに絶大な力を持っていても、僕たちにできる事は限りがある。
それこそ、全て不幸を打ち砕くなんて、神様にだってできないのだから。
「わかっています。これは逆恨みですよ。貴方様を恨むぐらいなら、己の無力を嘆くべきだと、恨みは『日影の底』にぶつけるべきだと。もちろん、それはそれとして手は打ってありますが、それよりも強く考えてしまうのです。誰かが貴方様を褒め称える度に、感謝する度に、『でも、アリスは救われなかったじゃないか』と」
我が事と置き換えて考えてしまうと、何も言えなくなる。
もしも僕がミシェルで、リエナがアリスだったら。
同じ状況だったら、僕はどうなっているだろうか。
「ええ。これも意味がありませんね。僕の不幸は、貴方様にも、他人にも関係ないのだから」
指摘するまでもなくミシェルはわかっている。
わかっていて、行動している。
やはり、同情はしてやれなかった。
「なら、覚悟はできているな」
「もちろん。だからこそ、僕は全てを費やして貴方様に挑んだのですから。貴方様が世界を守るというなら、僕は世界を壊します。逆恨みで壊します。だって、アリスを救わなかった世界なんていらないんだから!」
最後の叫びに全てが要約されている。
皆が救われないのなら、皆で不幸になれ、という呪い。
そんな世界の象徴として僕が選ばれたのか。
「だから、本当の仇である『日影の底』を利用してまで、こんな事件を起こした?」
「はい。僕は無力な人間ですから。利用できるものはなんでも利用します。組織だって、他種族だって、人の気持ちだって、なんでも」
やっぱり、理解はできないという結論は変わらなかった。
この世界が理不尽なのは知っている。
僕だっていくつも失ってきた。
嫌な気持ちが、考えが一瞬たりとも過らなかったと言えば嘘になってしまうかもしれない。
でも、それでも、共感はない。
一人だけ不幸なのが嫌だから、皆で不幸になろうだなんて、付き合うわけないだろ。
確かにミシェルの過去に悲しい事件はあった。
僕はそれを救ってやれなかった。
だからって、目に映る他の誰かを救って悪いわけあるか。
例え、完璧ではなくても、取りこぼしてしまう不幸があったとしても、少しだけ、僅かでも、誰かが笑顔になれるなら、僕が努力する理由には十分すぎる。
或いは、最初の問答。
僕に見捨てろと勧め続けた裏には、そんな歪んだ願いがあったのだろうか。
「それも、これで終わりですね」
ミシェルは起こしていた上半身から力を抜いて、大通りに倒れる。
おじいちゃんに撃退されているのだ。痛みこそ『心象賛歌』の影響で無視できているかもしれないけど、物理的に無理な行動はできない。
それとも、彼の少ない寿命が尽きようとしているのか。
全てを賭してまで実行した計画が破綻したというのに口元には笑みが浮かんでいた。
「満足そうな顔だな」
「ええ。僕は満足しています。ただ、普通の人間がここまで貴方様を追い詰めたのだから。何より、もう僕を忘れる事なんてできないのでは?」
その通りだ。
あんな話を聞いてしまった以上、この男を記憶から消すのは難しい。
聞かなければ良かったと思う一方で、聞いておいて良かったとも思う僕がいる辺り、自覚している以上に混乱しているのかもしれない。
駄目だな。
こんな疲れ果てた状態で考えると悪い方向に向かいそうだ。
囚われてはいけない。
そういう事もある、それだけを心に刻んでおくぐらいでいい。
「シズ、もうよかろう」
おじいちゃんの言う通りだ。
やはり、奴らの貯蔵していた『心象賛歌』も底を突いたのだろう。
リエナたちが襲撃犯を撃退すれば、今回の事件も収束とみてよさそうだ。
姿をくらませていたおじいちゃんがどこで何をやっていたのか、聞くのを忘れないようにしないとな。
でも、その前に。
「いけ。『縛鎖界――歩測圏』」
二十倍凝縮した結界の法則魔法。
鮮紅の結界がミシェルを封じ込めた。これで結界の内部から外には声さえも聞こえない。
外から内へは伝わるので、こちらの声は伝わっているだろう。
宣言する。
「お前の負けだ」
ミシェルは結界の内側でニコリと笑った。
直後、
「シズ!」
突き飛ばされる。
疲れからか、油断からか、反応が遅れてしまう。
受け身は取れた。
重い体を無理やり起こして、身構えれば目の前に森ができていた。
「これ、樹妖精の種族特性?」
しかも、師匠に迫るレベルの規模だ。
煉瓦を突き破って、足元から伸びた無数の樹木。
僕の立っていた場所には、水晶製の獣がいて、大樹の一部みたいに取り込まれている。
「おじいちゃん!」
いや、おじいちゃんは無事だった。
風が舞ったと思った時には木々が切り倒される。
この一瞬の出来事だというのに、僕を召喚獣で庇い、同時に周囲の人々が木々に巻き込まれるのを防いでいた。
無事な姿にホッとした。
トン、と。
背中に誰かの手が触れた。
「けひ!」
不気味な笑気。
振り返るより先に、耳に届く台詞。
「シィンンショウオオオオオオメエイキアアアアアアアアアア!!!」
何かが、体の奥から抜け落ちた。
それでも、体に刻まれた武技が反応する。
振り返る動作と同時。
僕に手を伸ばした姿勢のままの男を把握。
右手で手を払いあげ、左の掌底を男の胸に。
接触の瞬間に、全霊を込めて踏み込む。
メシメシメキッと骨肉を砕く手応え。
「ぴぎゃっ!」
奇声をあげて吹き飛んだ男は毬みたいに地面を跳ねる。
こいつ、捕まえたはずのメリスだ。
この植物もこいつがやったのか?
どうやって? こんなレベルの種族特性が使えるなら研究者なんてならないんじゃ?
いや、この異常な言動は、『心象賛歌』を使ったのか?
人間を嫌悪した様子だったのに、ミシェルから生み出された麻薬に頼るなんてあるのか?
ミラは? リラは?
いくつもの疑問が浮かぶ。
その手から何かの塊が転がって……いや、投げたのか? 最後の力を振り絞って?
何かは狙い定めたように、転がり、深紅の結界の内側へと入り込み、拾い上げられる。
狂気の、いや、狂喜の、笑みを浮かべたミシェルの手の内に。
結界に閉ざされて聞こえないはずなのに、その唇が語る言葉が聞こえた気がした。
『僕の、勝ちです』
そろそろクライマックス。
ミシェルの狙いに違和感を感じていた方は鋭いです。
ミシェルの正体に気づいていた方は超能力者です。
追記、なんか予約投稿を間違えたみたいで半日早くなっています。本日、15時の投稿はありませんので、ご注意を。




