後日譚猫14 父親として
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14
ミシェルの事でひとつだけわかった。
正しくは理解できない事がわかった。
死人の気持ちがわかるはずがなかったのだ。
メリット、デメリットなんて論外。後先なんて考えないのも当然。最初から後も先もないのだから。
ただミシェルは無理心中しようとしているだけなんだ。王都の人々と、僕の心を巻き込んで。
ああ。よくわかった。
我慢なんてする必要なかったんだ。
だから、突き放すように告げる。
「そんなにやりたいなら好きにすればいいだろ」
「ふふ。ようやく決断できましたか?」
「決断? そんなものはいらないよ」
優しい? 甘い?
そんなのは百も承知している。
一番古くは前世。
あの頃は優しいなんて前向きなものじゃなかった。
ただ、自分の価値がわからなかっただけ。少なくとも人を押しのけてまで幸せになっていいのか、疑問だった。
だから、人の分まで働いて、働いて、働いて、そうしている間だけなら生きていてもいいんだって誤魔化して、最後は無理が祟って命を落とした。
生まれ変わっても。
やっぱり、自分の価値は見つけられないままで。
わからないままに右往左往ばかり。その頃には既に自分より他人を大切にするのが当たり前になっていた。
だけど、師匠から自慢の弟子と言ってもらえて。
自分には価値がないなんて断じるなんて、もう絶対にできなくなって。
失敗しながらも、誇れる自分になれるように頑張ってきた。
そして、ようやく見つけられた。
こんな失敗だらけで、情けない自分だけど、もう自分の価値とか、優しさとか、甘さとか、そんな区別もつけられないぐらいになった僕だけど、それを誇りに思ってくれる人たちがいるんだ。
「ゴチャゴチャと好き放題言ってくれたけど、僕のお人好し加減を舐めるなよ。今更、人に言われたぐらいで変わるか」
子供が生まれてわかった。
あの子たちは僕の背中を見て育っている。
僕の事を父として慕ってくれている。
あの子たちが誇れる男でありたい。
それだけ。それだけが自然と胸に浮かんだんだ。
百の言葉も理屈もいらない。
そのためなら、正義の味方だろうが、ヒーローだろうが、英雄だろうが、なんにだってなってやるさ。
例えそれが張りぼてで、数年後には覚めてしまう幻想だとしても、せめて幼い間は、その夢を守ってあげたいんだ。
ああ。意地だよ。意地で何が悪い。
「そうですか。では、お望みのままに」
ミシェルが両手を挙げて、まるで指揮を執るように振るう。
それを止めない。
ここで殴り飛ばして失神させるものか。
お前の尽くを打ちのめしてやるから、覚悟しておけ。このままやりたい放題にやって、満足したまま死ねると思うなよ。
ミシェルは散布と言った。
ここから予測できるのは高い位置からの散布すると効率的だという事。
とはいえ、田舎町と違って、王都にはどこにだってそんな建物がある。今頃、クレアあたりが大急ぎで手配してくれているだろうけど、数が多すぎて、短時間ではとてもじゃないけど特定しきれない。
なら、根こそぎ消してやればいい。
二十倍凝縮の強化魔法を発動。
同時に手近な建物の屋根へ上り、更に跳躍する。
辺りを見渡せば、近くは同じ東区に。南区と北区の商家らしい建物にも、遠くは西区の劇場の上で何かがばら撒かれようとしているのが見えた。
「見つけた」
落下しながら、バインダーから魔造紙を取り出す。
こんな人目のある場所で使えば言い訳しても無駄かもしれない。
だけど、面倒事を恐れて、本当に大事なものを見失うものか。
「いけ。『三千世界の終焉』」
五十倍凝縮の崩壊魔法。
かつてテナート大陸を消滅させた、崩壊魔法の中でも最も広い効果範囲を持つ魔法。
とはいえ、もう始祖権限はない。大陸を覆うような範囲は無理。それでも、五十倍なら王都を全てカバーできる。
崩壊魔法の対象選択はもともと二種類。
○○を消せか、○○以外を消せの二択。
その指定は使用者の認識に強く左右されるのだけど、模造魔法での再現では劣化していて、前ほどの万能性は失われてしまった。それでも本質はそのままなのだ。たとえどれだけ広くても、目視していれば十全に。そうでなくても、そこにあるとわかっているなら消せる。
「王都の空気中から『心象賛歌』を消せ!」
鮮紅が王都を包む。
突然の魔法現象に方々から悲鳴が上がるけど、今は構っていられない。
僕の目ではこの赤い領域内で遠くに撒かれた粉末なんて捉えきれないけど、これで撒かれた物は消えたはずだ。
着地すると、周囲の注目が集まる。でも、それも後回し。
「さすがは、始祖様! そうでなくては!」
「何を……」
強がるなと言いかけたところで止まる。
ミシェルは掲げた腕を未だに揮い続けていた。部下に指示を出し続けていた。
「何も一度に同時とは言っていませんよ?」
「そういう事かよ!」
僕は今の崩壊魔法で『空気中』と限定してしまった。
そうしないと、どこにあるとも知れない対象まで消せる確信がなかったから。つまり、密閉して散布を控えていた物までは消せていない。
模造魔法は元の術式から劣化している。
一度の魔法で消せるのはひとつだけ。
そして、ゆっくりと鮮紅の空間は薄れてきていた。五十倍じゃ短時間しか発動できないんだよ。
「まだ、今の魔法はありますか?」
あるわけないだろ、こんな大規模魔法。何枚も常備しているわけない。
『三千世界の終焉』が終わり次第、第二陣が撒かれる。
しかし、今ので場所はわかっているのだ。
再度、跳躍。
「いけ。『業失剣――伍』」
巨大剣が出現する端から掴み、先程の散布場所、四ヶ所へ向けて全力投擲。
それぞれの屋上の見通しが良くなった。目を凝らせば、衣服以外を失った人たちが騒いでいるようだ。
そこで『三千世界の終焉』が途絶える。
視界から鮮紅が消えた。
「やっぱり、まだだよな」
上空から見れば、ちょうど準備をしようとしたのか、屋上に出てくる集団が見えた。
建物の上を強化の脚力のままに跳躍していく。所々に、罅割れができてしまうのは焦りのせいか。
でも、それだけ急いだおかげで、間に合った。
僕の到着と同時に散布される『心象賛歌』。くそっ、僕にぶっかけるみたいにしたな? だけど、今は好都合だ。
「いけ。『常世の猛毒』」
最初の崩壊魔法。
撒かれたばかりの粉末に対処するには十分な効果範囲がある。
ついでに、予備で持っていた業失剣を屋上の人間たちに叩き込んだ。
一人、バインダーを持っている人間がいたのだ。効率的な散布を考えれば、ただ樽をひっくり返すだけじゃなく、風の属性魔法で広範囲に広めようとしていたのかもしれない。
でも、これで無力化は終了。
大跳躍で再びミシェルの下へ。
ミシェルはゆっくりと通りを歩いていた。逃走というにはあまりに呑気な風情だけど、先程のように指示を出していない。
「小細工は終わりか?」
「いいえ。既に全ての指示を終えましたので、見晴らしのいい場所で見学しようと思いましてね。まあ、合図なんて最初だけで、始まってしまえば後は計画の通りなのですが」
くそう。
強がりじゃない。
まだ、何かあるのか?
「しかし、素晴らしい魔法です。その崩壊魔法をこの目で見れただけでも、苦労した甲斐がありました」
「白々しい事を」
「ですが、数に限りがあるのでは?」
模造魔法で発動させているのだ。
僕が既に魔造紙なしでは魔法が使えないとばれている。
「ええ。何度も申しあげますが、調べましたから。その威力も、所持枚数も、そろそろ限度でしょう?」
「さあな」
素直に教える必要はない。
けど、ミシェルはまるで問題にしていなかった。
本当に僕の事を調べ尽くしているんだ。
「まあ、なくなったところで、他の手段があるのでしょうけど」
推測された通り、ある。
相手の身柄を考えなければ、他の模造魔法を使って、粉末もろともに氷漬けにするなり、結界に閉じ込めるなりできる。
でも、それは最後の手段にしておきたい。
「ですので、そろそろ次の趣向といきませんか?」
「遊びのつもりか」
「ええ。僕に取っては、始祖様との最後の戯れですから」
イライラする。
完全にミシェルのペースだ。
僕の魔法はもちろん、性格まで調べて、傾向と対策まで……待て。
おかしい。
僕が崩壊魔法を使うのなんてわかっていたはずだ。
なら、もっと多くの場所を用意していないとおかしいんじゃないか? 時間差だけのはずがない。
「そうですよ。空中散布なんて、あまり効率が良くないですからね」
僕の思考を読んだようにミシェルが先回りしてくる。
でも、考えてみればその通り。
普通、街を歩いていて、空から得体のしれない粉末が降ってきたらどうする? 普通は逃げる。
多少は浴びる事もあるかもしれない。吸ってしまうかもしれない。
でも、そうなる前に手近な建物に避難するものだ。
人々が内に籠ってくれるなら、その間に撒かれた粉末を処理する事もできる。
王都中を人質と言いながら、事実と違った。
少なくとも、ミシェルが望むような結果にはならない。
それに、そもそもだ。
今の応酬で消した粉末はとてもじゃないけど、酒樽百個分なんてなかった。
じゃあ、残りの分はどこにある?
「ほら。来ましたよ?」
「何が――」
尋ねるより早く気配を察知する。
僕に向かって凄い勢いで駆け寄ってくる中年の男。
正気の目じゃない。そして、戦いに向かない素人の動きにあるまじき素早さ。
こいつ、『心象賛歌』を使っている!
でも、それだけなら恐れる事なんてない。
油断なく制圧しようとしたところで気づいた。
男が持っている、小さな袋。
「まさか!」
「きひゃっ! ひへひゃ!」
奇声と同時に袋を振り回してくる。
開いていた袋の口から粉末がばら撒かれた。
判断は瞬時。
最小挙動の歩法で後退。
同時進行で杖でバインダーを打ち、発動。
その効果が現れるよりも更に早く、小妖精の杖を投擲した。
「くきゃけ!?」
眉間に杖を受けて、男が派手に転がっていく。
そこで魔法が発動した。
通常の属性魔法。闇の下級。
「いけ。『闇・盤触』」
男がいた辺りで急速に広がる影。
影は即座に伸びあがり、範囲内にある物質を飲み込み、抱きしめるようにして消滅させる。僅か数秒の魔法発動の後には何も残っていない。
確認する前に消してしまったけど、今の粉末。
「おい。今のは……」
「ご想像の通りですよ」
『心象賛歌』を使った自爆テロ、だと?
「我々『日影の底』には自分の命を賭けてでも、貴方様に恨みを晴らしたいという人間がそれなりにいるんですよ? そうですね、ざっと三十人ほどですか」
恨まれる覚えはある。
ほとんどが逆恨みだけど。
それこそ、極刑が確定している人間の中には協力する奴がいるかもしれない。
「ええ。王都の中で暴れる手はずです。始祖様おひとりで間に合いますか?」
フォールの時も含めて、既に十枚の魔造紙を消費してしまっていた。
もしも、このペースが続けば、とてもじゃないけど対処できなくなる。
周囲が騒がしい。
ああ。どこかで誰かが暴れているのだろう。
それに、連発した崩壊魔法。
数年前から王都にいる人間なら、そろそろその意味に気付くかもしれない。
突然の凶行と。
失われたはずの始祖の魔法。
「どうでしょうか? そろそろ、方針転換しませんか? 始祖様のご友人なら重要施設にいらっしゃるでしょうから、まだ手遅れにはならないはずですよ?」
うるさい。
さっきから周りへの配慮もなく『始祖様』と呼ぶのもいやがらせじゃなかろうか。
「だから、どうした。僕の切り札は崩壊魔法だけじゃない」
「では、合成魔法ですか? 個人を狙うにはあまり向いていないのでは?」
ミシェルの指摘は正しい。
合成魔法では凝縮していなくても、どうしても規模が大きくなりすぎる。
だけど、答えている時間もないし、必要もない。
僕はバインダーの一番後ろ側。
用意だけしておいて、実戦では使った事のない魔造紙を取り出す。
「いけ。『空間跳躍』」
異界原書を元に生み出した模造魔法を発動させた。




