後日譚猫13 シズの弱点
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「はは。こんなにいい日が来るとは、生きていてよかったです」
「……そんなに楽しいか?」
「はい。始祖さ――っと、秘密でしたね。貴方と並んで道を歩く。それだけでも誇らしい気分ですよ」
僕とミシェルはゆっくりと王都の中を歩いている。
不機嫌な僕と、笑顔で話しかけてくるミシェル。一見するとミシェルが僕の機嫌を取ろうとしているようにも見えるかもしれない。
まるで喧嘩した友人とでも思われているとしたら落ち込みそうだ。
一緒にいるのも嫌だけど、この男から目を離すのは危険すぎた。
ミシェルは擦れ違う人に聞こえない程度の声音で話しかけてくる。
「そんなに睨まないでも大丈夫ですよ。さっきも言った通り、僕が合図を出すか、死亡が確認されない限りは散布しませんから」
「合図を出す前にやられるとは思わないのか?」
「ちゃんと見ている部下がいますので」
そりゃあそうだ。
ここまでする人間がそんな間抜けなことはしないだろう。
なら、その観測手を先に見つけて撃破、といきたいところだけど。
「もちろん、常時複数が見ていますよ?」
「だろうね」
加えて散布される場所も複数。
見張りを同時に撃破して、不審に思われる前に全ての『心象賛歌』を押さえないといけない。
状況は最悪の一言だ。
人質を取られた際の一般的な対処はいくつかある。
まず、人質に害が出た場合、相手を皆殺しにするという、というような宣言と実行力を示す事。
追い詰めすぎて自棄を起こさせないようにするのが難しいけど、こうする事で犯人もおいそれと動けなくなり、膠着状態に持ち込める。
しかし、事このミシェルに関しては意味がない。それはこいつにとっては願ったりかなったりなのだから。僕に王都の人を救えなかったという傷をつけ、更に自分自身も僕の手によって殺されたいなんて願っているんだ。
それに今回は人質の数が多すぎる。とてもじゃないけど、失った場合を仮定するわけにもいかない。
だから、人質を無視して犯人制圧、という過激な手段も却下。
『日影の底』を壊滅させた代償に、王都の住人が全て麻薬中毒者になったのでは話にならない。
いや、そもそもの話。
『心象賛歌』は対処できないのか? 解毒の回復魔法ならなんとかなるのでは? 或いは解毒薬――というか、無力化できる薬品があるのでは?
「何か思いつきましたか?」
「その『心象賛歌』はどんな物なんだ?」
そもそも僕たちはまだその性能を一厘しか知らない。
ミシェル相手に駆け引きは労力と時間の無駄だ。もちろん、鵜呑みにするつもりはないけど、知っておいて損はない。
「そうですね。基本的には前身の『心象命果』と近いです。これを吸引すると、その人の限界以上の能力を発揮できます」
「そこまでは変わらないな」
「ええ。肝心なのはこちらは辛い記憶ではなく、幸せな記憶を遡る事です。服用した量で思い出す幸せの記憶は違ってきますが……あ、試してみます?」
やめろ。瓶を出すな。
ルネの話にも多幸感を煽るというのがあったか。
それだけ聞くと優秀な薬みたいだけど、もちろんデメリットだってある。
まず、言っている通りに引きだされるのは限界『以上』の能力。人間の体は元々それに耐えられないから、無意識というリミッターが設けられているのだ。そこを突き抜けてしまえば自滅もあり得る。
「違うか?」
「いえ、ご明察の通りです。その辺りも服用量で変わりますが……そうですね。出回っている混ざり物と違って、この瓶の十分の一も服用すれば、歩こうとするだけで筋肉が切れて、骨が折れましたね」
そのデータがどうやって手に入ったのか、追及しても嫌な気分になるだけだな。
「じゃあ、あのフォールという竜は?」
「ええ。行き場を失って暴れていたようなのですが、ブラン兵に追われ、スレイア軍に返り討ちされ、ボロボロになっていたのを保護したのです。最初は全くいう事を聞いてくれなくて大変でしたけど、これを使ってからは素直になってくれてありがたいですね」
能力強化、か。
それでもルインに及ばないのだから、フォールそのものの戦闘能力はたかが知れていたようだ。
「もう、戦えないようですが。でも、おかげで皆さんの注目があちらに集っている間に、散布の最後の準備ができました」
結局、フォールの意識は戻らないままだった。
或いは、既に危険位置まで服用したせいで、まともな理性が残っていないのかもしれないし、外傷以上に肉体の内側がボロボロになっているのかもしれない。
「便利に使うだけ使って、最後は捨てたわけか」
「はは。始祖様方のような一部の『特別』以外、僕のようなのは駒と一緒ですよ」
よく知らないフォールに同情なんてしないけど、酷いのに関わったなとは思う。
フォールはルインが竜の島に連れて行くそうだ。その後は、竜族の間で決めるのだろう。
まあ、そもそもの話、王になるのに武力だけしか考えない時点で問題外だ。
別に知恵がなくてはとは言わない。その辺りは周りが補ってもいいから。
それでも配下を、民を、導く背中というか……志。方向性。そういうものを言動の全てで示さなければならない。
今は関係ない事か。話題を元の路線に戻す。
「それと後遺症」
「はい。一度でも服用すればもうこれなしでは生きていけないでしょうね」
麻薬を断つのは地獄の苦しみ、そんな話を思い出す。
自ら手を出した人間は自業自得とでもいるかもしれないし、再び真っ当な道に戻るために超えるべき試練なのかもしれないけど。
「解毒手段は?」
「話すと思います?」
「話さないなら指を一本ずつ折る」
「はい。どうぞ」
それなりの殺気を込めて宣言したのに、ミシェルは自ら手を差し出してきた。
ニコニコと平和に笑う姿に虚勢はない。
いくらなんでもおかしいだろ、これ。
いくら『第八始祖』を尊敬していようと、暴力を受ければ咄嗟に反応してしまうものだろう?
「折らないんですか? ああ、自分で折りましょうか?」
「やめろ」
本気で実行しかねない。
僕の心に残るようなら何でもいいのか。
こだわる事もなく、ミシェルは会話に戻ってくる。
「解毒方法ですけど、ありませんよ」
「……本当に?」
「誓って。なにせ、そもそも毒ではありませんから」
毒じゃない?
確かに能力の向上などはあるけど、それだけだ。
「毒の定義、というのが大変ですけど、『心象賛歌』そのものには人体を害する効果はありませんから。実際、解毒の回復魔法で実験しましたが、効能が消える事はありませんでしたよ」
ちっ、ダメか。
いや、ミシェルが真実を語るとは限らないので、検証は必要だ。
最悪、散布された時は五十倍凝縮した解毒の回復魔法を、なんて考えていただけに嘘であってほしい。
「もちろん、今はないというだけで、研究すれば効果を打ち消す物も生まれるかもしれませんね」
そちら方面からは既にリラとミラが動いている。
僕がミシェルと一緒に行動している間に、リエナたちと合流して対処してもらう算段だ。捕まえたメリスから情報を聞き出し、様々な方面から『日影の底』の企みを砕こうと動いている。
僕が時間を稼ごうとしているのは気づいているだろうけど、ミシェルは邪魔しようとはしなかった。
「僕の仲間たちならやれるぞ」
「そうでしょうね。英雄様達ですから、きっと実現してしまえるのでしょう」
どこか眩しいものを見るように目を細めて、ミシェルは肯定する。
本当に、なんなんだ。こいつ。
大規模なテロを実行しながら、その成否に頓着する事もなく、それどころか自分の命さえ無関心のまま駒にしてしまう。
話せば話すほどに、理解ができなくなる。
「もうひとつ『心象賛歌』にはデメリット、と言いますか、特徴があるのですが、その前に始祖様」
不意にミシェルの笑みが消える。
ここに来て初めて見せる真剣な表情に意識を締め直す。
「僕には疑問がありました。どうして始祖様はこんなにも他人のために働かれるのか、と」
唐突な問題提起に眉をしかめる。
答えるのなんて一言で済むけど、まずは主張を聞いてからにしよう。こちらとしては皆が対処できる時間が稼げるならそれに越した事がないのだから。
「今回、僕が貴方様を特定できたのはいくつも情報を得られたからです。それは何故だと思いますか?」
「そんなの闇組織の情報網だろ」
「ええ。もちろん、それもあります。ですが、僕が言いたいのはもっと根本的な事です。我々の情報網はそれに連なる人間が中心――つまり、始祖様に成敗された貴族や、商人や、武人ですが」
さっきも言っていたな。
やられた奴らから証言を集めて特定したと。
牢に囚われているはずだけど、接触を持つルートがあるのだろう。これも全て終わった後で王様に報告だ。
まったく王様の睡眠時間をなんだと思っているんだ、こいつは。
「で?」
「なぜ、殺さなかったのです?」
夕飯の献立でも尋ねるような、あまりに自然な雰囲気に意味を理解できなかった。
僕が反応できずにいると、ミシェルは説明が足らなかったとでも思ったのか、言葉を続けてくる。
「だって、そうでしょう? いちいち生け捕りなんかにしないで、その場で殺してしまっていれば貴方様の情報が我々に漏れる事もなかったのですから。そも相手は犯罪者。法によって裁かれれば極刑に処されるのが相応な連中です。遠慮なんていらないでしょう?」
自分の側の人間なのに、お前がそう言うのか。
冷徹とか、冷酷とかの方がまだよかった。
ミシェルは常識的な判断として、僕のメリットとして、僕が捕まえた連中を殺しておくべきだったと指摘している。
「いえいえ、それも僕の主張の一部でしかありません。最初に申しあげたとおり、どうして貴方様が他人のために働かなければならないのか、それがわからないのです」
その声には僕を慮るような、心配するような、慈しむような、優しさに――いっそ愛と呼んでしまえるような、優しさに満ちていた。
そんな声音が畳みかけるように続けてくる。
「貴方様の力は絶大だ。事実としてひとつの種族を、大陸を、個人で消滅してしまえるほどに。それこそ始祖信仰のまま、神を名乗っても不遜にならない程です。
「ですが、その力は全て貴方様の物。誰かに強制される謂れのない物。貴方様のためだけに揮われるべきものです。
「なのに、貴方様はその力を人のために使う。家族のために。友人のために。教え子のために。それぐらいならまだしも、国のために。いえ、正確には見知らぬ他人のために。
「それが、わからないのです。
「我が侭に。自侭に。思う侭にされればよろしいではないですか。見知らぬ他人など見捨てればいいのです。
「言葉が悪いなら言い換えましょう。見知らぬのなら、どうしようもなかったと流してしまえばいい。少なくとも普通の人間はそうしています。見た事も、聞く事も、知る事もない場所で起きた悲劇なんて、誰にもどうにもできないのですから。
「なのに、貴方様だけは格別の力を持っているというだけで、その全てに手を差し伸べようとしてしまう。なまじ、救えてしまうがためか、必然の義務のように。そんな義務など、どこにもないのに」
今までいっそ無表情とも変わらない笑顔だったのに、次第に興奮した様子で並べ立てるミシェル。
熱の入った長広舌に一息を入れ、結論をぶつけてくる。
「だから、僕のような矮小な人間に付け込まれるのです。貴方様はあまりにも優しすぎる。甘すぎる」
ミシェルはそう言葉を結んだ。
否定は、できない。
変質的にまで僕に執着しているミシェルは、僕の内面を正しく指摘している。
今までも色んな人に指摘されている。お人好しだ、と。
「本当なら僕の策を破るのは非常に簡単なんですよ?」
言われなくてもわかる。
一番最初の時点で、選択肢に挙げる段階で蹴り落とした選択。
「逃げてしまえって言うんだろ」
「そうです。王都の人間も見捨ててしまえばいいのですよ。貴方様が解決する義務なぞありません。そうですね、僅かな友人だけを連れ出すだけなら難しくないでしょう? 王都が機能しなくなったとしても、貴方様が住まわれる村は独立性が高い。王都の混乱の影響は然程問題にはなりません。いえ、いっそのこと貴方様が堂々と名乗り、現王家に代わって支配すればいい。他の人間ならともかく、始祖様ならば多くの民がついていくでしょう」
名案だとばかりにスラスラと提案してくる。
実際、それを望んでいるように。
いや、『ように』じゃないな。
こいつはそれを望んでいる。
「その時こそ、貴方様は完璧な存在になる」
或いは、強さを極めるというなら、ミシェルの主張は間違いじゃない。
何かを、誰かを、切り捨てる判断もまた、強さの一種である。
人々の上に立つ人間、それこそ王様には必須になる能力だ。
「さて、そろそろでしょうかね?」
好き放題しゃべりまくって満足したのか、ミシェルが足を止めた。
悟りでも開いたみたいな清々しい顔だ。
このまま命を落としたところで後悔はなさそうなぐらい、透明感の高い笑みを浮かべていた。
演説の熱も引いたのか、元の白い肌には夕焼けの朱が映えて見える。
「さて、先程も申しあげたとおり、『心象賛歌』にはもうひとつ特徴があります」
「なんだよ?」
「製法です」
そういえば、『心象命果』の方も詳しく聞く前だったな。
メリスの種族特性を使っているのは知っているけど、ただそれだけじゃないのか。
「ええ。メリスさんの種族特性のみで生まれたのが『心象命果』ですね。あれひとつでメリスさんの寿命が一年も減るそうですよ?」
樹妖精の種族特性は寿命が代価だ。
数百年という長い時を生きる種族でなければ、滅多に使う事もできない能力。
「じゃあ、『心象賛歌』は?」
「はい。メリスさんが、他人の命を削って生み出すのが『心象賛歌』です。正確には僕の命を代償に生み出されたのが『心象賛歌』というべきですかね? きっと、他の人間から、妖精族から、竜族から生み出したら、違う効能が現れると思いますよ」
一瞬、思考が飛んだ。
ある事実が浮かび上がって、
『心象賛歌』がミシェルの命によって作られた?
そして、ミシェルはなんて言って脅している?
酒樽百個分の粉末。
「……嘘だ。一つで寿命が一年も失われるならそんな量を用意できるわけがない」
「あ、それは説明不足でした。どうも短命の種族ですと一年の価値が違うようですね。実際、僕から生まれる『心象賛歌』は『心象命果』の数倍のサイズでした」
僕と同じぐらいの歳に見えるミシェル。
改めて観察してみると、その顔色にはあまりに生気がなかった。
それこそ枯渇寸前に見える程に。
「だから、そろそろ制限時間です。僕が死んだら散布が始まります。それは、何も始祖様に殺された時だけではありませんよ?」
ある意味、過去最悪の敵。
活動報告に3巻発売記念SSを書いてあります。
未読の方はよろしければどうぞご覧下さい。




