後日譚猫11 心象命果
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「マタツマラヌモノヲツクッテシマッタ……」
王都から東に五キロ地点。
そこから更に一キロ近くも東へ向かって、地面が抉られているのを振り返り、新たにできた大地の傷跡に溜息する。
金竜をサーフボード代わりに地面を滑ったのは失敗だったか。
あのまま墜落するに任せていたら、クレーターだけで済んだのにな。
いや、墜落に合わせてとどめを刺したら死んでしまうかと思い、わざと角度をつけて地面を滑らせたんだよ。その方が威力が分散するから。
おかげで金の竜鱗が派手に削り取れて散らばってしまったけど、死ぬよりはマシでしょ?
そのサーフボードは僕の足下で気絶している。
頭は地面に突き刺さって見えなくなっているのだけど、時折痙攣しているし、頑丈な竜族なら大丈夫だろう。
反省しつつ少し待っていると、頭上に影が差した。
すぐに追いかけていたのだろう。ルインがすぐ隣に着地する。
そして、開口一番に、
「……また、やりやがったよ」
竜のままなのに、実に嫌そうな顔をしているのがわかった。
失礼な。
途中でこれはまずいとブレーキしたんだぞ。
その証拠に金竜の頭が地面に埋まっているだろ?
「別に文句はねえよ。正直、手間が省けた」
僕らが手を出さなくても勝つ算段はあっただろうに、昔と違って憎まれ口が減ったな。
「こっちに配慮して戦ってくれてたからね。助かったよ」
「元は竜族の不始末だからな。他に迷惑はかけねえに決まってるんだろ」
竜の頭をプイッとそっぽ向けるルイン。
うん。銀竜姿でやられてもかわいくないぞ?
それにしても、この数年で僕が相手でもほとんど怯えなくなったのはいいけど、段々と口調が武王っぽくなってないか?
「シズ!」
ルインとやり取りしていると、その巨体の上を走ってくる影がある。
視線を僅かに上にずらしたところで、当人が勢いのままに飛び降りてきた。
ふわりと広がる着物の袖。
薄桃色の長い髪をなびかせて、危なげなく着地する。
「久しぶり、リラ」
長命な樹妖精だけあって外見に変化はない。
リラは相変わらずの強気な気勢で僕の肩を掴んできた。
「あなた、男の子が生まれたって本当!?」
「………」
挨拶も吹っ飛ばしてそれかよ。
思わず疑いのまなざしを向けてしまった。
結婚式の時の話を本気にしているんじゃないだろうな?
「な、何よ。子供が生まれたにゃら、み、見たいだけなんだから!」
噛んだりするところが怪しい。
とはいえ、リラは頻繁にソプラウト大陸からアルトリーア大陸に出てくるので、魔人村にも顔を出す機会がそれなりに多い。
三姉妹が生まれた時もわざわざ様子を見に来てくれたものだ。
産後で動けないリエナに代わって、色々と手伝ってくれた事もある。
疑惑の視線を受けたリラの目元が少し潤んできたので、ここは信じるとするか。
「今回は全員、連れてきてるから、後で会ってあげて」
「や、約束よ!?」
だから、そこで勢い込んでこないでよ。
再び疑念が深くなりかけていると、再び頭上から声がする。
「シズくーん。ひさしぶりー」
見上げるとルインに襟をくわえられて降ろされる途中のミラだ。
こちらもリラ同様、変化が少ない。ふんわりお姉さんの雰囲気まんま。
リラは何年かに一度は会っていたけど、ミラは結婚式以来じゃないのか? 樹妖精の里に行った時もタイミングが悪くて会えなかったんだよな。
そんなわけだからか、親しげにハグしてくるミラ。
既婚者相手にヤワラあまり無邪気に抱き着かないでヤワラカもらいたいところだけど、ヤワラカイ僕ももういい大人だ。いちいち騒ぎ立てたりしないぞ。仮面がなかったら危なかったかもしれないけど。
関係ないけど……リエナさんはどちらですか? いや、関係ないけど。
「リエナちゃんはねー。先に戻ってるってー」
どうやらルミネス家の屋敷に戻ったらしい。
確かに二人して子供から離れるには、今の王都は物騒だからね。できた奥さんを持って幸せだ。
あと、ちょっとホッとしました。この光景では浮気を疑われなくても、嫉妬の炎がメラメラと燃えがったかもしれない。
「ふう。シズ君、おっきくなったねえ」
「ミラは変わらないね」
満足したらしく、ようやく解放してもらえた。
さて、再会の挨拶はこれぐらいにして、話を進めよう。
「で、何がどうなってこうなったの?」
二人がルインに乗っていて、金竜に襲われていたという事態。わからないことだらけだ。
三人は顔を見合わせて、最初にリラが話し始めた。
「わたしたちは王国の人から頼まれて来たの」
ルネが言ってた協力要請か。
確かに旅程が順調なら使者は樹妖精の里に到着していているはずだった。
「それにしては速いよね?」
「俺が乗せてきたからな」
ルインの速度なら一ヶ月の道程も数日で事足りる。
タイミング的には不思議はない。
なら、竜の島にいるはずのルインがどうして樹妖精の里にいたのだろうか?
「そいつ――フォールっつう金竜なんだけどな」
ルインが未だに気絶したままの金竜を見下ろす。
冷たく侮蔑するような視線だった。
「まあ、生きてる竜の中ではかなり歳くってて、偉そうでよ。俺が次の王になるって決まった時に、母さ……前竜王に逆らったんだ。『次の竜王は我だ』ってよ」
「あー」
「で、返り討ちにあって逃げたから、放っておかれてて」
「うー」
「そしたら、また帰ってきたんだよ。しかも、いきなり襲いかかってきやがった」
「んー」
「もちろん、追い返したけどな。ただ、妙に強くなってたし、暴れまわるし、変な臭いがしたから、そういうのに詳しそうな奴に聞きに行ってたんだ」
なんというか、スレイア王国の貴族によくいた連中の同類だなあ。
僕も色々と面倒をかけられているので、ルインの気持ちがよくわかる。
その辺り、ブランや竜族は腕っぷしではっきりしてると思っていたけど、例外はどこにでもいるのだろう。
歳のとり方って大事なんだな。うちのおじいちゃんみたいにたくさんの人から尊敬されている人もいるのに。僕も気を付けよう。
「じゃあ、そのついでにここまで二人を送ってくれたんだ」
「おう。そしたら、いきなりまたこいつが現れやがった。変に知恵まで働かせやがって」
そうして、空中戦を展開する事になったのか。
ルインも王都に被害を出さないようにしつつ、背中の二人も守りつつで大変だっただろうに。
しかし、強化と凶暴化。あと、変な臭い、か。
僕の鼻では何も感じないけど、竜族には嗅ぎ取れるらしい。
「でよ、始祖」
「ん?」
「人間の国ってこんな酷い臭いがするもんなのか?」
いや、竜族の基準がわからないんだけど。
けど、ルインだってスレイアはともかく、ブランの方には何度か行っているはずだ。
スレイアだけが臭いっておかしいでしょ。長い間、戦いの日々が続いたブランよりは、スレイアの方が各種環境が整っているはず。
まさか、人間が多くて人間臭いとかじゃないよな?
「っていうか。町の上だと臭いが強すぎてわからなかったけどよ。これ、フォールの奴からする変なのと同じ臭いだぞ?」
おいおい。急に話が嫌な方向に流れたぞ。
強化と凶暴化した竜と同じ臭いだって?
「……やっぱり」
「やっぱりって、ミラ。何か知ってるの?」
「ええ。ルインちゃんに急いで送ってもらったのも心当たりがあったからなの。早く対処しないと大変なことになるかもしれないし、わたしの予感が当たっていたらその金色の竜さんも関わっているはずだったから」
ミラが研究者モードになって、スラスラと話し始める。
言いながらミラはセーターの襟ぐりを開いて……って、なにしてるの!?
慌てて回れ右。
「ちょっと、ミラ! どこから出してるのよ!」
「えー? 壊れないようにー、運ぶのに便利でしょー?」
「くっ、この、姉えぇ……」
ミラが何をどこから出したのか、考えてはいけない。
樹妖精の里から滅多に出ないせいか、研究に没頭しているせいか、色々と無防備すぎるよ。
「シズ君、これを見てもらえる?」
「いや、えっと……ああ、うん」
何を見ろというのか動揺しかけたけど、ミラの口調が戻っているから大丈夫そうだ。
おそるおそる振り返ると、ミラの足下ではリラが膝から崩れ落ちていた。全力で見なかった事にしておく。
改めて、ミラが持っている塊を観察する。
大きさはミラの掌に収まる程度。リンゴとかと変わらない。
しかし、色は紫色な上に、形もなんか刺々しい。加えて見るからに生々しい肉感をしているので、食欲はまったくわかない代物だ。
「これ、大森林で採れるの?」
「いいえ、これは自然物じゃないわ。ある樹妖精が色んな植物を掛け合わせて、品種改良して生まれた物なの。名前は『心象命果』」
前世ではともかく、現世ではなかなかない発想をする樹妖精だな。
しかし、いつも朗らかに笑っているミラの表情が暗い。どうにもその樹妖精に関して、良くない記憶があるようだ。
「はい」
「え?」
不意に果実を渡されて、ごく普通に受け取ってしまう。
人肌程度の生温かい感覚が残っているのを無視しようと精神を落ちつけているのに、ミラは更にぶちこんできた。
「一口、食べてみて」
「…………はい?」
「食べると、わかる。ううん、そうしないとわかってもらえないと思うから」
「ハイイイィッ!?」
これを、食べろとおっしゃいますか?
既に言ったように、見た目からして食欲を減衰させるというのに、保管されていた場所が問題だ。
抵抗感が半端ねえんですけど!
なんのプレイだよ、これ!
しかし、ミラは譲るつもりはないのか。そもそも僕が忌避している問題点に頓着していないのか。じっと見つめて来るだけ。
ルインは興味なさそうにそっぽを向き、リラはじいっと僕の顔と果実を見てくる。
どうやら拒否できない流れらしい。
「シズ君なら、きっと大丈夫だから」
ミラが重ねて言う様子は、かなり真剣に見える。
ええい、ままよ!
少なくともミラが食べるように言う以上は毒ではあるまい。
あ、でもその前によく拭いておこう。
服で念入りに拭いてから、意を決して噛り付く。
「いただきます!」
意外に食感は悪くなかった。
果物ではなく、木の実と認識した方がいいだろう。アーモンドとか、ピーナッツとかあんな感じの歯ごたえだ。
味は薄い。ほとんどないといってもいい。
などと考えていられたのは、そこまでだった。
唐突に視界が暗転して、音が臭いなど、外界の情報が遠く離れていく。
そして――
「おい」
師匠が手を上げる。
反射的に目を瞑ったけど、衝撃は来なかった。
代わりに声が降ってきた。
「いつか言ったな。お前は足りてねえだけだと。お前に足りねえのはな、自信だよ」
「自信?」
そんなのないに決まってる。
僕は前世で失敗し続けて、生まれ変わっても間違ってばかりで。
上手にできたことなんてほとんどない。家族やリエナや師匠がいてくれたから何とかここまで来れただけだ。
それなのに自信なんてどこから出てくるっていうんだ。
「だから、くれてやる」
ポンと頭に優しく手が乗せられる。
「シズ」
背筋が震えた。
師匠が僕の名前を呼んだ。
お前とか。チビとかじゃなくて。
名前で。
初めて。
「シズは手間がかかって面倒で出来が悪くて」
不器用に頭を撫でた。
「人のためにばかり本気になるあほうだが」
微かに振り返った顔は笑っていた。
「俺の自慢の弟子だ」
だから、自信を持て。
そんな声にならない言葉を唇が残す。
そして、老木が長い生を全うしたようにゆっくりと倒れた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――っ!!」
自分が絶叫している事に気づく。
噴き出した感情のままに暴れ出しそうな体を抑える。
あの時の激情が、あの時と変わらない鮮度で、衝撃で心に甦って――いや、心を抉っていた。
歯を食いしばり、感情を飲み込み、ズクズクと鼓動するような衝動をなだめる。
それでも残った、体内が焼ける感覚が治まるまで何度も呼吸を重ねて、ようやく自分を取り繕える程度に回復する。
「シズ、大丈夫? 顔色悪いわよ?」
どうやらリラが背中を擦ってくれていたようだ。
慣れていないせいか、ちょっと背中がこすれて痛いけど、その外部からの刺激のおかげで衝撃から完全に復帰できた。
「ありがとう。もう、大丈夫」
「でも……泣いてるわ」
「ああ。そうだろうね」
涙目で心配そうに見上げてくるリラに笑いかけて、立ち尽くしていたミラに視線を送る。
どこか怯えるような、辛そうな表情しないでよ。僕の方が申し訳ない気持ちになってしまうじゃないか。
「ごめん、なさい。嫌な想いをさせてしまって……」
まあ、確かにこんな『効果』があるというなら、事前に説明してくれてもいいじゃないかとも思うけど、これは実際に体験しないと実感できなかった。
少なくともあの感情の再現は、いくら言葉で説明されても絶対に無理だ。
そして、先に言われてしまえば口にできたか、疑問だった。
仮に、今の体験を数年前にでもしていたらどうなっていたか。
あの時、腐蝕の魔人にぶつけた激情を、辺りに撒き散らしていて八つ当たりしていた可能性を否定しきれない。
「この『心象命果』は食べた人間の一番つらい記憶を再現するの。再現した記憶の影響で情緒が不安定になり、使用者の限界以上の力を引き出させる」
ミラの説明を聞いて、リラの顔色が蒼白になる。どうやらリラはこの『心象命果』について聞かされていなかったようだ。
掴みかかるような勢いでミラに詰め寄りかけたところを、僕はその腕を掴んで止めた。
「いいから。僕は大丈夫だし、ミラだって、自分で試した後なんでしょ?」
だからこそ、実感するにはこれしかないと判断したのだろう。
でなければ、ミラが僕にこんな仕打ちするわけがない。
きっと、これの危険性を正しく認識できているのは、僕とミラだけだ。
そして、先程の会話の流れから、この『心象命果』が事件に関わりあるのだと察する事もできた。
手元に残っている一口かじった『心象命果』をミラに返す。
「それが麻薬の原料なの?」
「いいえ。聞いている症状とは一致しない点が多いわ。でも、ルインちゃんが言うには、そこの金竜さんからする臭いと、これの臭いがとっても近いらしいの。自然界に存在しないはずの『心象命果』と」
なるほど。
樹妖精の里でルインから相談を受けた時点で、この『心象命果』に辿り着いていたのか。
そして、そんなタイミングでスレイア王国から、正体不明の麻薬の調査協力依頼。関連があるのではないかと疑っていたところに、さっきのルインの『王都から同じ臭いがする』という発言。
ルインの嗅覚だけで判断するのは危険だけど、ひとつの道しるべになるかもしれない。
今回の事件と無関係だったとしても、こんな物は放置できない。
「それで、この『心象命果』を作ったっていう樹妖精は?」
「わたしの前の研究主任で……」
「待って!」
同時、僕は足場にしていた金竜から飛び降り、リラがミラの前に立って抜剣し、ルインは翼を広げて宙に飛び上がった。
わかっていないのはミラだけだ。
王都の方から誰かが向かってきている。
騎士や軍人が来るのはわかる。
リエナが子供たちと一緒に来る可能性も、ルネやクレアが来る可能性もある。
だけど、この気配はなんだ?
「きもちわりい」
ルインのぼやきが全てを物語っている。
強者が纏う圧迫感ではない。
ただ、違う。
人ごみに紛れてしまえば埋もれてしまいそうな程度の違いなのだけど、こうして人のいない場所に出てくると違和感が浮き彫りになる。
そうして、数分で駆けつけたのは二人の男だった。
どこかリラやミラと通じる美しさを持つ、痩身の青年。
そして、にこやかに、場違いなほど柔らかく微笑む青年。
僕とルインが違和感を抱いたのは後者だ。
実際に見ただけでは特筆するべき点がない。町で歩いていても気にも留めないだろう。ただ、こうして対峙すると先程の感覚が正しかったと確信できた。
何かがおかしい。
いや、何かがずれている。
その男は僕と目が合うと、ますます笑みを深めた。
「はじめまして。第八始祖様、並びに大戦の英雄様たち」
変装した僕の正体を知っている。
どうして? という疑問が浮かぶよりも先に対処が必要だ。
誤魔化すか、無視するか、どう対処するか決める前に、男は更に言葉を続けた。
「僕はミシェル・クピド。そして、隣の彼がメリスさん」
「メリス、さん」
「久しいな、元同胞。相も変わらず人間などと交わるとは、見るに耐えないな」
冷たい視線に言葉。
リラは何か言い返そうとして、ミラに制されている。
そんな三人の殺伐とした雰囲気を気にする素振りもなく、ミシェルと名乗った男はマイペースに自己紹介を続けた。
「始祖様がお探しの『日影の底』の首魁は僕です」
活動報告で書籍3巻の告知をしております。
未読の方はよろしければご覧ください。
最初の方の駄文は無視してOKですよ?
 




