ちちばなれ
以前、活動報告に書いたSSです。
既読の方はすいません。
目を覚まして頬に感じたのは温かく柔らかい感触。
「ん。おはよ」
「おはよう……ごめん、すぐ起きるね」
庭に面した窓辺。
見上げれば妻の顔。
どうやら膝枕をされているようだと理解する。
春の日差しにうつらうつらとしているうちに、眠ってしまっていたのか。
おなかには薄手の毛布がかけられていた。
夫は起き上がろうとして、頭を上から押さえられてしまう。
「疲れてる。休んでて」
「あー」
夫が帰宅したのは明け方。
一ヶ月にも及ぶ長めの仕事を終えて帰ってからまだ数時間。
旅装を片づけている途中で寝落ちしたのだと思い出す。
いざとなれば動けるだろうが、疲労が蓄積しているのも事実だった。
妻の目を見て、これは抵抗するだけ無駄だろうと悟ると、浮かせかけていた頭を元の位置に戻す。
「じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」
「ん」
どこか満足そうに妻のしっぽがゆったりと揺れている。
「大変だった?」
「ちょっとね。王様の愚痴を聞くだけのお仕事なんだけど」
そう。魑魅魍魎じみた権力闘争などで頭を悩ませるスレイア国王の『友人』として、夜中に話を聞いているのだ。
何故かその後に、国王の愚痴のタネがなくなるという現象が起きるが、あくまで偶然である。
ただ、そうなると、機嫌のよくなった国王は仲のいい『友人』にプレゼントをくれたりする。
村の運営資金だったり、学び舎のための素材だったり、色々とだ。
「だいぶ場馴れしたと思ってたんだけど、最近は妙な連中が増えていてね。なんか古い犯罪組織みたい」
既に始祖権限も失い、異界原書も後進に託した夫。
あくまで普通の魔法使いだ(笑)。
今までのようにはいかない。
普通だから(笑)。
「ん。わたしも手伝う?」
「うーん。まだ、大丈夫かな」
現状、手遅れになる事もなし。
夫として、父として、男として、愛する家族を自分の力で養いたいという気持ちもある。
「大変なら呼んで?」
「うん。その時は頼らせてもらうよ」
麗らかな日差し。
風に揺れるカーテン。
遠い村の営みの音。
遊ぶ子供たちの声。
平和な光景だった。
「……あれ?」
夫は不意に違和感を抱く。
いつもの日常に何かが欠けているのではないか、と夫は寝起きのぼんやりとした思考を空回りさせている。
自覚していた以上に疲れていたのか、頭がうまく働かないようだ。
(あ、しっぽが、しっぽが鼻に……捕まえ――逃げられた……。いや、そうじゃなくて)
鼻先に揺れるしっぽの誘惑に惑わされながらも考える夫。
この数年の日常。
村に戻った時の光景。
そう。
子猫がいない。
いつもなら三姉妹が飛びついてきて、そのまま猫まみれコースのはずだ。
帰宅時は三人とも熟睡中だったので仕方ないとして、こんなよく見える位置で寝落ちしていたのだから気づいていないわけがない。
よく考えてみれば一歳半になった息子も妻の腕の中にはいなかった。
「子供たちは?」
「ん。あっち」
指差された先を見れば、四人と一匹。
つかまり立ちを卒業し始めた息子がよちよちと歩いている。
拙い歩みだ。
一歩一歩を確かめるように、ゆっくりと進んでいる。
足元では竜の子がバタバタと走り回り、勢い余ってコロンと転がっては、再び懲りもせずに走り出していた。
既に乳離れも済み、粥を食べるようになってからどんどん大きくなっている。
一ヶ月も会えない間に成長した息子に目を細める夫。
竜の子はいい。
自分の子供じゃないからどうでもいいとかではなく、勝手に大きくなるから放っておいて大丈夫という生態の持ち主なのだ。
いずれは躾などの必要はあるだろうが、まだ先の話だろう。
気になったのは他だった。
「……なにしてるの、あの子たち」
まず、長女。
息子がしっかりと握って離さないのは彼女のしっぽだ。
先導役らしい。
そして、息子の後ろには次女と三女。
こちらは中腰の姿勢で姉と弟に並んでいる。
「あ!」
首を傾げていると、息子がつまずいた。
夫は思わず体を浮かしかけるが、その肩を妻にそっと押さえられる。
「にゃあ」
前につんのめりそうになるのをしっぽがふんわり受け止める。
今度は右側に傾いてしまう。
「にゃ」
「なー」
その下に滑り込む妹たち二人。
一番やわらかいしっぽで受け止めている。
しっぽのクッションに確保されて、息子はきょとんとしていたけど、しっぽの感触が楽しいのかキャッキャッと笑い出す。
しっぽの感触や、転びそうなってもしっぽを手放さないあたりにも父親の血筋を感じる。
自分にも猫耳としっぽはあるのだが、本人の中でどういう感想になっているのだろうか。
ちなみに、竜の子はまだコロコロと転がっていた。
無事を確認すると姉妹仲良く弟の頭を撫で始める。
いや、毛づくろい……なのかもしれない。
「えっと」
「ん。お世話するって」
初めての弟に三姉妹は夢中のようだ。
前以上にお手伝いするようになったらしい。
姉弟仲がいいのは良い事だろう。
ともあれ、帰宅と朝の挨拶がまだだった。
未だに妻の拘束は外れないので、膝枕されたままで威厳も何もない姿のまま声をかける。
「みんな、おはよう。それと、ただいま」
「「「ん」」」
娘たちは息子を囲んだまま、一言どころか一音だけ。
(……あれ? そっけなくない?)
一ヶ月という長丁場で不機嫌なのだろうか?
しかし、もっと長い期間を空けた事もある。
機嫌を悪くした事なんてないはず。
「あー、おみやげ。おみやげが机に」
「「「あとで」」」
あっれー?
今までなら猫まっしぐらだったお菓子でも釣れない。
「その、そう。一緒に散歩とか……」
「「「あとで」」」
心が折れそうになった。
「ちょっとお父さんにもだっこ……」
「「「や」」」
息子にNTRた。
出張の多いお父さんの悲哀を理解した瞬間だった。
「む、娘が反抗期ー!」
「ん。大丈夫。わたしは大好き」
膝枕のまま嫁の腰に抱き着く旦那。
その姿があまりに哀れだったためか。
娘たちは顔を見合わせる。
猫耳としっぽが期待にぴくぴく揺れている。
「お父さん、お仕事おわり?」
「おうち、いる?」
「遊べる?」
三つの問いかけに両手を広げる父親。
やっぱり膝枕のままだが。
「もちろんだよ! 仕事なんてあっても十秒で終わらせるから!」
「お願い、聞いてくれる?」
「聞くよ! 絶対!」
「約束?」
「するするする!」
実際に父親の脳内では、弟子一号を捕まえて転移の後、二十倍凝縮合成魔法で犯罪組織を根こそぎ消し飛ばすシミュレーションが行われていた。
かなり本気だ。
師匠の影響か、悪党にはわりと容赦ない男である。
「作戦成功!」
「やたー!」
次女と三女がお父さんのおなかに飛び乗ってくる。
娘も娘で容赦ないダイブだった。
長女はさすがに自重して、小さい体で弟を抱きかかえてヨロヨロ歩いてくる。
まあ、やっぱりお父さんのおなかの上に座るのだが。
さすがに四人も乗ると腹筋もつらいのだが、そこは父親の威厳のために平静を装っている。
「お父さん。わたしも王都、行きたい!」
「約束!」
「やくそくー!」
突然のおねだりに考える。
さっきも妻のとの会話で出たとおり、最近の王都はちょっときな臭い。
が、約束はしてしまったのだ。
ここから前言を翻すのは良くない。
たとえ、問題があっても根こそぎ粉砕して王都観光すればいいのだ。
だから、彼の答えは決まっていた。
妻に目を向ければ頷きが返ってくる。
「よし。じゃあ、準備ができたらいこうか」
三人が歓声を上げて、息子はきょとんと姉たちを見上げていた。
家族旅行の始まりだ。
「ところで、作戦って?」
「男の人は、おねだりすると、喜ぶって!」
「こうやったら、お願い聞いてくれるって!」
「クレアお姉ちゃん! お手紙!」
妻の親友の入れ知恵だったらしい。
どうせ猫まみれになりたくて、王都に来るよう誘導したのだろう。
父親の唇が三日月を描く。
「そっかー。みんな、いいかい? 今度、クレアに会ったら……」
三人の子猫たちから『クレアおばさん』と挨拶された大貴族が膝から崩れ落ちるのは別のお話。




