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魔法書を作る人  作者: いくさや


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喪12 思い出してみよう⑦

 喪12


 あたしは一人きり。


 白と黒の境界線。

 見渡す限り続く濃淡の世界。

 右手は白の地平。左手は黒の地平。

 二色で空まで塗り潰されている。


 その狭間でぼんやりと立ち尽くしていた。


 白と黒の隙間から、仄かな光が生まれては白の地平へ向かっていき、その途上で輝きを失って消えていく。

 少しずつ光の粒は増えているような気がするけど、ちゃんと見てないから自信はない。

 黒の世界は相変わらず黒いまま。

 全てを受け入れるようでいて、実際は全てを己に塗り潰してしまっているのかもしれない。


 あたしは何をしてたんだっけ?


 心の内で呟けば最悪の記憶が蘇った。

 動かないお父さんの体の重さが手に残っている。

 お母さんの悲痛な叫びが耳の奥から離れない。

 あたしを送り出した騎士の後ろ姿が脳裏に焼き付いていた。


 あたしが大切だと思った人たちが、あたしのために命を落としていく。

 とんだ疫病神。

 不幸を運ぶだけの存在。


 白い世界に目を向ける。

 光の粒は数を増やし続けて、気が付けば白い世界を埋め尽くす勢いだった。

 それでも溢れてしまわないのは、光は確実に消滅しているから。

 輝きを失い消えていく光に目を奪われる。どことなく懐かしい気配を感じて、ふらりと足が進みかけた。

 きっと、あの先は穏やかで、静かな時間が流れている。

 穏やかで、静かで、変わらない世界。


 けど、足は進まない。


 何かに足を掴まれているみたい。

 もちろん、地面から手が生えているわけじゃないけど、誰かが必死に引き留めている感じがして、その気持ちに気づいてしまうと振り払えない。

 進めないうちに気づく。

 あの先は平和だけど、それは終点なんだろう、と。

 辿りつけば、もう戻れない一方通行の墓所。


 ……ダメよね。ここで終ってしまうなんて許されない。


 三人はあたしを守ってくれた。

 あたしにはあの人たちの死に報いる義務がある。

 このまま何もできないまま死んでしまっていいわけがない。

 それでは三人があまりにも報われない。死は絶対で、覆らないのなら、せめてその死を意義あるものにしたかった。


 なら、死に目を囚われてはいけない。

 だから、自然と逆方向に視線が移る。

 漆黒の世界。


 恐る恐る踏み出せば、何もない空間に足が触れた。

 ほんの数歩の歩みで全身が黒に飲まれる。振り返っても白い世界も、その境界線も見えなくなっていた。

 前後左右どころか上下の感覚さえ不明。

 歩いているのか、落ちているのかもあやふや。


 それでも進む。

 感覚だけを信じて。

 白い世界が死出の門なら、黒い世界は生者の極み。

 前に。

 深みに。

 深奥に。

 何があるか、何に行きつくのか、まったくわからないけど、立ち尽くしていても何も得られないなら、進み続ける。


 どれだけ時間が過ぎたのか。

 一分。一時間。一日。一週間。一ヶ月。一年。十年。

 なんと言われても信じてしまえそうなぐらい確かな指標がなくて、気がおかしくなりそう。

 或いは既に正気ではないのかもしれないなんて不安が過ぎるけど、元からあたしは普通じゃないから大丈夫なんて自分を誤魔化しておく。


 黒い世界には何もない。

 黒い世界には何でもある。

 果ても終わりも遠く遥かで。

 果ても終わりも近く僅かで。

 辿り着くのは意志と言葉。

 辿り着くのは本質と表層。


 意識まで朦朧とした中、不意に視界が切り替わった。

 本当に急な出来事で、摩耗した精神が一発で目が覚める。


 だって、それは夜の森の闇の中、何匹もの魔物に追いかけられる五人の友人の姿だったのだから。


 エレ君が馬を引いている。

 ヒーちゃんが馬に乗った人が落ちないように支えている。

 つっくんが先頭を走って道を作っている。

 ショタが後ろから襲ってきた炎の狼を蹴り飛ばしている。

 反抗期が近づいてくる魔物の位置を報せている。


 馬の背中にはぐったりと動かないあたしがいた。


 皆が頑張っている。

 守ろうとしてくれている。

 こんな苦境に陥った原因のあたしを。

 無責任に気を失って邪魔になっているあたしを。

 恨むどころか、助けることに疑問さえ挟まずに。

 必死に。ひたすら必死に守って、逃げ続けている。


 でも、五人の子供の抵抗はあまりに儚くて。

 魔物の数は尽きることがないみたいに次から次へと増えていって。

 やがて、皆は森の奥で行き詰ってしまった。




 大人でも乗り越えるのには苦労しそうな崖が行く手を阻んでいる。左右も背後も魔物が道を塞いでしまって、逃げ場はどこにもない。


「僕が、突っ込むから、その隙に、逃げて」

「……私も行こう」


 覚悟を決めたショタとつっくん。

 止めようと叫びかけたエレ君を片手で制して、視線で残りの仲間を示す。

 肩を震わせて俯く反抗期にショタが笑いかけた。魔物を恐れながらも、気丈に作り上げた笑顔で。


「頼りない、けど、僕たち、年上、だからさ」


 ショタとつっくんが背後の魔物に自ら吶喊した。

 今まで逃げる一方だったところからの反撃に魔物たちが戸惑って、僅かに道ができる。


「行って!」


 ショタの似合わない怒号にエレ君が馬を引き、反抗期が振り返ろうとするヒーちゃんを引っ張る。

 一団が抜け出しかけたところで魔物たちの混乱が治まった。

 すぐにショタが引き倒されて、それを助けたつっくんが背中を爪で斬りつけられる。

 脱出に成功したエレ君たちにもすぐに魔物が追いついてしまった。


 魔物が馬の首に噛みついて、あたしは馬から投げ出され、倒れた馬の体に潰されそうになったヒーちゃんをエレ君が庇って、反抗期が魔物を蹴りつけようとして、逆に体当たりを受けて吹き飛ばされる。


 終わりの光景。

 既に何度も見てしまった終幕。

 辺りにはありふれた惨劇。


 その最中に友人たちが放り込まれて、為す術を失っている。


「いや!」


 いつの間にか、あたしは黒の世界を抜け出していた。

 慣れ親しんだ肉体の感覚と、五感を刺激する生々しい自然。

 落馬で打ち付けた痛み。魔物たちの殺意。炎の熱。

 唐突な世界の切り替えに頭が痛くて、すぐにでも意識を手放してしまいたくなる。


 それでも目眩を堪えながら、必死に地面を這った。


「■■!?」

「エレ君!」


 一番近くに倒れていたエレ君の手を掴む。


 理屈なんていらない。

 今必要なのは奇跡。

 願うのは一発逆転。


 そんなのはどこにもない。

 世界はたくさんの優しさと、たくさんの残酷が等しく降り注いでいる。

 どんなに願っても奇跡なんて起きない。

 夢物語でしか起きてくれない。


 だけど、あたしはその一端を既に持っている。

 ないのなら、生み出せばいいだけじゃない。


 黒い世界。

 あそこは世界の根幹。

 火は熱く、物を燃やす。

 高いところから物を放れば下に落ちる。

 生き物は呼吸しないと死んでしまう。

 当たり前の法則を構成している世界の舞台裏。


 そんなところにあたしが潜り込んでしまったのが何故かと言えば、そういう才能に恵まれていたからかもしれない。

 或いは、あたしを助けるために死んでしまった人たちに報いるための術を求めていたからかもしれない。

 でも、理由なんてどうでもいいの。


 確かなのは、今のあたしには奇跡を起こす手段があって。

 その全容は未だに掴めなくても、夥しいほどの力の奔流にあたしは届いて。


 何もできずに看取るなんてもう嫌だから。

 どんなに辛いことが待っていたとしても。


 あたしは皆を助けたい。


「権限、譲渡」


 極彩色の光が輪となって広がった。

 エレ君を中心に五人の仲間へと伝播する。

 黒い世界から掬い上げた力が五人の身の内に刻まれていく。

 世界に新たな法則を生み出す権利を。


 きっと五人とも理解する。

 その権限の使い方を。

 まるで生まれた時から持っていた手足と同じように。

 莫大な力の拡張に戸惑うのは僅か、最初に立ち上がったのはエレ君だった。


「エレメンタルの名の元に示す。

 氷の理を遍く刻むもの、

 凍土の茨に触れる愚者を戒めよ、

 氷・静層・止連環、

 八元、万象を改竄せよ。

 其は新たなる世界の法なり」


 呪文が森の木々に飲み込まれ、エレ君の権限に従って速やかに履行される。


 望まれたのは魔物を縛る氷の縛鎖。

 異様な雰囲気に飲まれていた炎の狼たちが、次々と氷の輪によって囚われていく。

 四肢を、胴を、頭を、氷の円盤が包み込んで、身動きを封じてしまった。

 何匹かは全身の炎を激しく燃えあげるものの、氷を妨げる効果は然程もない。それどころか氷輪は次第に数を増していき、狼の全身が完全に氷の内に閉じ込めてしまった。

 氷漬けにされた魔物は生きていないだろう。


 そして、世界に法則がひとつ加えられた。


 属性魔法。

 火・水・風・土・雷・氷・光・闇の八属性を自在に操る魔法。


 周囲一帯の魔物が死に絶えた静寂の中、綺麗な歌声が流れ出した。

 見ればエレ君に抱きしめられたヒーちゃんが目を瞑って歌っている。

 祈りにも似た短い歌が終わると、あたしたちの体を温かな光に包まれて、逃避行の間に受けた傷が消えていった。


 回復魔法。

 仲間たちの傷を癒す優しい魔法。


 重傷だったつっくんの回復は劇的だった。時間が逆行したように傷が塞がって、まるで最初から傷なんてなかったように癒えてしまう。


「今のはエレメンタルとヒルドか?」

「そうだが、違う。■■だ。ロディもわかるだろ?」

「ああ。わけはわからねえが、確かにわかる。どうやればいいのか、初めから知っているみたいな変な感じだ。■■、何をやったんだ?」

「ひひ、秘密、よ」

「■■っち。ありがと! 助かったよ!」


 駆け寄ってくるヒーちゃんを抱きしめる。


 当面の危機は去った。

 僅かに弛緩した空気の中、あたしは変化を自覚していた。


 半身の感覚がない。

 腰から下がまるで動かせなくて、ヒーちゃんの体が当たっている場所も感触はなくて、起きようとしても重りでも引きずっているような気持ちになる。

 なんとなく、わかっていた。

 こんな奇跡を何もなく得られるわけがない。

 だから、これはきっと代償。

 黒い世界から権限を奪った罰。

 この足が動くことはもう二度とないという確信がある。

 喪失感は大きい。あたしを形作る肉体の半分が失われたのと同義なのだから、自分の半分が奪われたともいえるかもしれない。

 それでも、後悔はない。

 寧ろ、仲間たちの命がこの程度で守れたのなら僥倖だって思うぐらい。


「どうしたの、■■っち?」


 ヒーちゃんがあたしを見上げてくる。

 いつまでも起き上らないあたしを不思議に思ったのかもしれない。


「う、ううん。なな、なんでもないわ」

「なんでもない、わけないよ。酷い、顔色だよ」


 ショタまで難しい顔をしている。

 どうも自覚はないけど体調がよくないみたい。

 咄嗟に隠そうとしたけど、どの道ここから移動しようとすれば説明しないわけにはいかないのだから、隠しようがないので諦めた。


 説明すると皆は驚いて、それから怒った。

 今まで見たことがないほど怒った。

 エレ君は額に青筋を浮かべて淡々と間違いを指摘して、ヒーちゃんは泣きながら怒って、つっくんはひたすら強い視線で睨んできて、ショタはもう何を言っているかもわからない程に怒鳴って、反抗期は背中を向けたまま拳を握りしめ続けていた。


 それを聞いて、あたしは嬉しかった。


 自分たちが助かった事よりも、あたしが代償で半身不随になった事に憤る友達たち。

 そんな人たちを今度は助けることができたのだから、嬉しくないわけがない。


「……言いたいことは山ほどあるが、今はこの事態をどうにかしよう。■■、どうする?」


 どんなに怒りを向けてもあたしが笑っているのに疲れたのか、エレ君が直面している問題に意識を移す。

 突然、方針の提示を求められても首を傾げるしかない。


「あああたしが、き、決めるの?」

「この力は■■のものだ。私たちはそれを借りているに過ぎない。なら、使い方は■■が決めるのが筋だろう」


 四人を見回しても頷きが返ってくる。


 あたしが、決める。

 責任の重さを実感した。


 五人に渡した権限は絶大。

 それこそ国をひとつ滅ぼせるぐらいに。

 たとえばここであたしがディフェンド王国を滅ぼしてと頼めば、その賛否は別として実現できてしまうと思う。スレイア王国を支配することだって難しくない。

 願えば叶う。そんな領域になってしまったお話。


 思い浮かぶのは不器用な騎士の背中と優しすぎた両親の姿。


「皆、お願い」


 だから、あたしは決めた。


世界みんなを救って」

咄嗟に中二詠唱が出てくるエレ君の業の深さは見なかったふりをするのがマナーですよ?

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