喪11 思い出してみよう⑥
今回も暗いのでお気を付けください。
喪11
町が燃えている。
開拓村が三つ集まったぐらいの小さな町。
この辺りの村では交流の中心で、少ないながらも領主軍の兵が常駐していて、定期的に国の騎士団も巡回する。
もちろん王都や領主の都市のような大規模な戦力を常備しているわけじゃない。それでも獣や盗賊に対する守りはあった。
堀とか塀で囲われているわけじゃないけど、頑丈な木製の柵が設置されているし、小規模な物見台だってある。
「なにが、あった」
お父さんの掠れた声。
誰も答えられない。
助けを求めるはずだった場所が失われようとしている。現実があまりに遠い。遠すぎて受け入れられない。
結局、あたしたちがまともに思考能力を取り戻せたのは、朝日が完全に登りきってからだった。
何があったかわからないと次の指針も決められないので、危険を承知で調査に向かう。
でも、町を襲撃した何者かが残っている可能性が高いので、あくまで近くから観察するだけのはずだった。
だけど、お父さんとつっくんが町の様子を見に行くと、意外なことに中に入って調べることができた。二人はなかなか戻ってこなくて、残って待つあたしたちは心配で仕方ない。
昼が近づく頃になってようやく戻ってきた二人に文句のひとつも言いたかったけど、そんな言葉はとても出てこなかった。
顔面蒼白。
かなり悲惨な状態だったみたい。
お父さんとつっくんは首を振って具体的な話を避けた。
でも、少しぐらいはわかる。
二人で行って、二人で戻ってきた、という事実だけでも絶望的な結末が想像できる。あの燃え尽きようとしている町に残る人なんているわけがないのだから。
「だだ、誰も、いいいなかった?」
「ああ。生きている町の人も。ディフェンドの兵も。一人もいなかった」
最初に想像したのは奴らの正体が密偵ではなくて、侵略軍の斥候だった可能性。だとしたら、あたしは本来の目的ではないことになる。
でも、仮に町を襲ったのがディフェンド国だったとしたらおかしい。
折角、制圧した拠点を破棄するなんて考えづらい。町をひとつ落とすほどの戦力を無駄遣いするなんてありえない。
だから、ショタが次に考えた可能性を口にする。
「じゃあ、盗賊団、ですか?」
「いや、連中に襲われたならあんな殺され方にはならない。あれは人ではなく、獣の仕業だ」
薬師として断定するお父さん。
この中の誰よりも信頼できる保証に顔を見合わせる。
確かにこの辺りはスレイヤ王国の辺境で、開拓の最前線だもの。野生の獣の脅威はあって、実際に村の家畜が襲われたりしたこともあった。
だけど、言ってしまえばそれぐらいの被害。少なくとも町が一夜にして滅びてしまうような話じゃない。
「もしかしたら、魔物という奴かもしれない」
魔物。
北から突如として現れた脅威。
群れれば小国すらも滅ぼす戦力に、積極的に人間を襲う凶暴性。
噂だけなら聞いていたし、近くで見た人がいるという話も耳にしている。
そんな奴に襲われたりすればあたしたちなんてひとたまりもない。
幸い、今はどこかに行ってしまったみたいだけど、惨劇が起きたのはそう前のことではないと思うと安心はできない。
どこに向かったのか調べようにも雨のせいで足跡も残っていないらしい。
「……どうしよう」
誰にともなく呟いたショタの言葉が全てを物語っている。
決めつけるには早いけど、魔物がいるならここに留まるのは危険。
かといって、村に戻ればあの男たちが待ち構えているかもしれないし、魔物の襲撃を防げるわけじゃない。
近くの他の村も一緒。
魔物から身を守れるとしたら王国の騎士団か軍がいる場所でもないとダメかもしれない。
王都は遠すぎて無理。
ここからいける範囲だと……。
「領主様の町か、隣の領だ」
地図を手にしたエレ君が同じ結論を口にする。
街道があるのは領主様の町で、単純な距離だと隣の領――あたしが嫁ぐはずだった国境沿いの町。
領主様の町まで馬車で五日ぐらい。
隣の領への最短経路は森を歩いて抜けないといけないけど、たぶん三日ぐらい。
距離を取るか、道程を取るか。
どっちも危険で、色んな可能性を想定できてしまう。
賭けにならざるを得ない選択。
そして、決断しないといけない選択。
「……と、隣の、領、いい行きましょ?」
だから、あたしが決める。
他の誰にも責任を押しつけてしまわないように。後悔するならあたしだけでいいもの。
「街道は追手が来るかもしれない、か」
「連中もまさか最前線に行くとは思わねえだろうな」
「■■っち。大丈夫? 歩ける?」
「へへ、平気よ」
「歩けなく、なったら、僕が、おぶる、から!」
最後につっくんとお父さんが無言で頷いて、決まり。
選んだ理由なんてない。本当になんとなくだった。
どちらも良い点と悪い点がある。だけど、ここで迷って足を止めて時間を無駄にしてしまうのだけは間違っている。
だから、即断した。
誰も反対しないのは、この決断が皆で決めたことだと言いたいからなのかも。
「亡くなった方には申し訳ないが、焼け残った食料をまとめておいた。森の前には残せないから荷台はここに捨てて行こう」
決まってしまえば後は早い。
馬を荷台から放して、手分けして荷物を載せて、すぐに出発する。
判断は間違っていなかった。
三日、森を歩き続けた。
ほとんど人の手が入っていない森の踏破は容易じゃない。
安易に獣道を使えば縄張りを刺激してしまうし、木々の鋭い葉や棘が肌を傷つけ、中には毒虫までいた。
あたしのせいなのに、一番あたしが足手まといなのに、誰も文句も言わずに、当たり前みたいに手を貸してくれて。
慎重に、でも、できるだけ急いで。
枝葉の隙間に覗く太陽や星を頼りに進むべき道を探して。
四日。
予定より余計に一日を費やしながらも森を抜けた。
でも、ダメだった。
強行軍で脱落者が出たのか。違う。
一日の遅れが悪かったのか。違う。
目的地を間違っていたのか。違う。
運とか、努力とか、才能とかも関係ない。
単純に正解なんてなかった。
ようやく深い森を抜けて、夕日に染まる草原を小一時間ほど歩いたあたしたちが見たのは、数日前に目撃した光景と似ていた。
黒煙を上げる城塞都市。
夜の帳が落ち始めた群青の空に赤い炎が揺らめく。
破られた城門。
所々が崩れた城壁。
無数の屍。
そして、逃げ惑うディフェンド国軍の兵に襲い掛かる魔物。
初見で魔物と断じる理由は簡単。
一見すると大きい赤い毛並みの狼。
だけど、違う。
あの赤は体毛なんかじゃない。
狼の全身が燃えている。
炎の毛皮の狼。
こんな生物が自然界に存在するわけがない。
狼が駆け抜けた後には火の粉が舞い上がり、草原のあちこちから煙が昇り始める。
炎の熱に浮かされ、未知の恐怖に駆られた兵士は無残だった。飛びついた狼に次々と組み伏せられて、喉笛を食い千切られていく。
しかも、ただの獣であれば空腹を満たすため獲物に満足するだろうに、炎の狼は死者には目もくれずに次の標的に襲い掛かった。
誰かが犠牲になっている間に逃げる事さえ許されない。
そんな地獄絵図が城塞都市の周辺を覆っている。
遠くは国境の向こうから、遠く地平の向こうまで。赤い炎が篝火のように動き回っていた。おそらくあのひとつひとつが魔物なのだろう。
こんなのどこに行っても変わらない。
領主の町どころか、隣国のディフェンドさえも襲撃を受けているのにどこへ逃げればいいというのか。
「どこからこんな魔物が……」
「北の守りが破られたのか?」
お父さんの推測通りだとすればスレイア王国中に魔物が流れ込んだことになる。
でも、魔物はディフェンド王国側の方が多いような気がした。だとすれば、魔物の流入は隣国からかもしれない。
さっきは暗い気持ちに流されて酷い状況を考えてしまったけど、まだ無事な町はあるかもしれない。
実際、抵抗している人たちはいる。
「まだ、町の方は無事みたいだな」
「うん。戦っている人、見える」
暗いのに反抗期とヒーちゃんには見えるらしい。
だけど、あそこまで辿り着いたところで保護してくれるとは限らない。平時ならともなく、こんな混乱した戦場ではあたしの確認なんて悠長なことできるわけがない。
皆の表情も暗い。無理もなかった。ただでさえ肉体的に疲労しているのに、苦労して辿り着いた先がこれでは心まで折れてしまう。
とはいえ、ここで呆然としていてはいずれ気づかれて……。
「まずい! 見つかった!」
お父さんの声に身が竦む。
兵士たちを追いかけていた集団から炎がふたつ、こちらに向かってくるのが見えた。
「逃げろ! 森まで戻るんだ! 生木ならそう簡単に燃えないはずだ!」
少なくとも草原で火に飲まれる心配はない。
暗い森なら炎の狼は目立つので、不意打ちされる心配も減る。
疲れ切った体に鞭打って走る。
ヒーちゃんと反抗期が先頭になって道を開き、あたしの背中をエレ君とショタが押してくれて、つっくんとお父さんが後ろを警戒していた。
でも、魔物の足は速い。みるみるうちに距離が縮まっていく。
とても逃げ切れない。森に入る前に追いつかれる。
「離れていなさい」
「おとう、さんっ!?」
お父さんが足を止めて、未だに担いだままだった荷物を片手に追手と対峙した。
その背中に嫌な光景が頭を過ぎる。
あたしを逃がすために一人で誓いに殉じた騎士。
「お父さん!!」
あたしの叫びが背を押してしまったようにお父さんが飛び出す。
お世辞にも速いとは言えない。元々は医師で体を動かす生業じゃないのだから当然。
左右から襲い掛かってくる二匹の魔物。その右側に自ら突撃した。
走る勢いのままに跳びかかってくる狼。
その眼前に荷物を放り投げて、自身は頭から地面に飛び込む。
結果、お父さんは狼の下を潜り抜けて、狼は顔面に荷物をぶつける形になった。 けど、相手は燃える狼。ただの狼なら意味があったかもしれないけど、荷物をぶつけたぐらいでは僅かに怯む程度。
なのに、狼は着地に失敗した。
それどころかその場で転げまわって暴れだす。
狼自身の炎に照らしだされた光景をよく見れば、空気が僅かに濁っているようにも見えた。
「毒、か?」
エレ君の呟きに答えは出せない。
即効性が高すぎることを考えると、毒じゃなくて劇薬か何かが顔にかかったと考えた方がしっくりくる。
かつて死病の特効薬を作り出した医師。
薬師としての実力も開拓村に身を置くレベルではなかったのだろう。
そのお父さんが用意した薬は魔物にも効果があったらしい。
転げまわる狼はとても襲撃に回れるように見えない。草原に火を撒き散らしながら暴れ続けて、回復の兆しはない。
その間にお父さんがもう一匹と対峙する。
四つん這いで伏せた体勢のお父さんと、似た姿勢の狼。
人と獣では体の使い方がまるで別次元。しかも、疲れた体で走り回ったせいで既に肩で息をしているぐらい。
もしもこのまま跳びかかられればお父さんは為す術もなくディフェンドの兵と同じ運命を辿ってしまう。
だけど、仲間がもだえ苦しむ様子に狼は警戒したのか、すぐには襲い掛かってこなかった。
一分ほどの睨み合いが続いて、
「……お前に、知恵があって、助かったよ」
お父さんが何事もないように平然と立ち上がった。
その目の前で狼は四肢から力が抜けたように崩れ落ちる。
こちらは暴れたりしない。全身を大きく何度か震わせると、そのまま動かなくなってしまった。纏っていた炎が消える。
布で口元を覆ったお父さんが暴れる一匹を迂回して合流した。
まだ呼吸の整わないお父さんはいつもの姿に見える。
「……お父さん?」
「薬師は、薬の扱いに、気を付けねば、ならない。よく覚えて、おきなさい」
言葉の重みが違った。
戦慄を覚える皆の中で、あたしだけは安堵に胸をなでおろす。
大切な人を失うかもしれなかった恐怖が、ゆっくりと溶けていくようだった。
「よし。すぐにここから離れよう。まずは少しでも安全な場所を……■■!」
言葉の途中でいきなり突き飛ばされる。
簡単に倒れ込んだあたしが見たのは、大きな狼に肩を噛まれて押し倒されたお父さんの姿だった。
ただの狼じゃない。
見ている目の前で、その全身から炎が溢れだした。
魔物。
炎を消すのも点けるのも自由自在。
炎を纏った二匹が気を引いて、炎を消した一匹が不意を突く作戦。
そんな今はどうでもいい考えが浮かんで消える。
「お父さん!!」
「が、あっ!」
苦痛の滲む声を上げながらもお父さんは、自由な左手を狼の口の中に自ら突き込んだ。
でも、狼は離れない。巨体でお父さんを抑え込んでいる。
触れられた先から炎がお父さんを傷つけ続けた。
「おおおおおおっ!」
聞いたこともない声を上げて誰かが駆け抜ける。
ショタだ。
燃え続けている相手を逡巡もなく蹴り飛ばした。
勢いのついた一撃に狼が撥ね飛んで、着地するなり再び襲い掛かろうと身をかがめて、そのまま痙攣を始める。さっき何かを飲ませたんだ。
でも、今はそれどころじゃない。
「お父さん!」
倒れたまま起きようとしないお父さんに縋りつく。
真っ白になりかける頭を懸命に動かして、応急処置を施そうとして気づいた。
意識がなく、弛緩している。
だらりと力の入らない体が重かった。
見れば噛み傷は鎖骨まで達していて、背面に至っては首筋まで届いている。首の付け根に深々と刻まれた裂傷。
こんな傷で反撃したなんて信じられない。
だって、これは。
見習いでもわかる。
わかってしまう。
わかってしまった。
致命傷。
「あ……」
頭の後ろの方から白い空間で塗り潰されていく。
「■■!」
誰かたちの声も遠い。
胸は熱くて、指先まで冷え切っていて、頭は真っ白で、真っ暗で見えない。
あたしは意識を失った。
喪女編も残すところあと二話(の予定)です。
 




