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魔法書を作る人  作者: いくさや


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喪10 思い出してみよう⑤

今回も重いですよ。

まだまだ重くなりますよ。

 喪10


 つっくんは走り続けた。

 雨で視界が悪くなって、歩きづらい森の中を。

 あたしを肩に担いだ不自然な体勢のまま黙々と走る。


 夜になって自分の手さえも見えなくなって、ようやく足を止めた時もあたしの手を離さなかった。

 暴れるのをやめても絶対に。

 あたしがどこかに行ってしまわないようにしてくれている。

 でも、おかげで見失わないでいられた。

 気が狂いそうになるほどの感情が胸の中で暴れても、つっくんの手の温かさが、一人じゃないという事実が支えてくれたのだと思う。


 朝になると再び走る。今度はあたしをおぶって。

 本当はあたしも走りたかったのだけど、とてもつっくんについて行けそうになくて、背中を借りることになった。

 どれだけ走ったのだろう。

 雨が降り続けているせいで時間の感覚がないけど、たぶんお昼ぐらい。

 つっくんはようやく足を止めて、あたしを降ろしてくれた。


 林と森の間。

 見覚えのある空き地。


「こ、ここ」


 あたしたちがよく来ていた場所だった。

 ほんの少し前までは薬草摘みしたり、エレ君と反抗期に勉強を教えて、ヒーちゃんと遊んだりしてたのに。


「■■! ツクモ!」


 太い木の陰からショタが飛び出してきた。

 あたしたちの顔を何度も見て、安心した顔になりかけたところで凍りつく。


「おばさん……は?」


 何も返せない。

 お母さんがどうなったか。

 状況と聞こえた声だけしかわからなくて、最悪な想像が浮かんで、でも、わからないから希望も残っていて、だけど、あまりに儚い希望なのもわかっていて、何も言えなくなってしまう。


「■■っち」


 俯いていると、ヒーちゃんがやってきた。

 泥だらけの服にびしょ濡れのままの姿。顔や手には治療の後があった。きっとあの後、全力で森の中を村まで走ってくれたのだ。

 ヒーちゃんは無言のままあたしに抱き着いてくる。力いっぱいにしがみついてくる腕は痛いぐらいだった。

 あたしたちの雰囲気から察してしまったのかもしれない。


「■■」


 聞こえた声に肩が震えた。

 見れば二人の後ろからやってくるのはお父さんだった。

 悲しげな渋面を見れば、今のあたしたちのやり取りから何があったか気づいているみたい。


「おと、うさん」


 うまく言えない。

 逃げるためにお母さんを見捨ててしまったあたしに、この人を父と呼ぶ資格があるのか。

 お前のせいでと罵倒されても不思議じゃない。

 だって、二人は夫婦だけど、あたしは血の繋がりもない義理の娘なのだから。


「あ、ああ、あた、し」


 それでも話をするのはあたしの義務だと思って、いつも以上にうまく動かない口で切り出そうとした。

 だけど、すぐに遮られてしまう。


「今はいい。今は少しでもここから離れよう」


 こっちだと言って先導するお父さん。

 何も感じていないわけがない。表情は努めて平静を装っているけど、握りしめた手が震えていた。

 二人の娘になって、仲のいい夫婦なのは誰よりもあたしが知っているから。


 それでもあたしのために想いを飲み込んで、行動してくれる。

 林と森の間に出来た隙間みたいな道は、村の狩人たちが巡回する時に使っている。

 この道を行くと街道近くまで出られるそうで、そこにエレ君と反抗期が用意した馬車で待っていてくれているらしい。

 あたしの知らないところでお父さんたちは何かあった時のために、あたしを逃がす準備を進めてくれていたのね。

 道行ではつっくんが声を潜めて、昨日の詳細をお父さんに説明している声だけがする。


「そうか……。■■をここまで連れてきてくれてありがとう」


 首を振るつっくん。

 つっくんには悪いことをしてしまった。

 一番に逃げないといけないのはあたしなのに、巻き込んで、お荷物のあたしを運んでくれた。彼を恨むなんて筋違いだ。つっくんが無理にでも逃げてくれなかったら、今頃は何もできずに殺されていたのだから。


「おじさんは、急いで、戻ってきて、くれたんだ」


 ショタが耳打ちする。

 そういえばお父さんは村長と一緒に隣町に行っていたはず。村に帰るのは夜だと思ったのだけど。

 ショタの声が聞こえたのか、お父さんが頷く。


「ああ。町で例の手配書を調べている奴らがいると聞いてね。先に戻ったんだ」


 奴ら。

 あの人たちはなんだったのか。

 時間が経って、少しだけ冷静になれば簡単に想像できた。彼らの言葉の端々にいくつもヒントがあったから。


 ディフェンド国の密偵。

 スレイア国の情報収集が役目で、こうして主要道から離れた場所に来たのは迂回路を確認しに来たのか、新しく見つけるためよね。

 その途中でリセリア・コルト・フィ・ディフェンドの特徴を持った人間が、手配されると同時に姿を消したという話を聞いたのかしら。

 確信はなかったと思う。半信半疑で調査に来て、正解に行き当たった。

 そう考えると『殺せ』というのもわかる。ディフェンド国にしてみれば、あたしの死が侵攻の理由なのだから、死んでいないと困るのね。その上、事実を証言でもされれば諸国からの糾弾は避けられないから猶更。


「追って、くるかな?」

「くく、来る、わ」


 歩きながら何度もショタが後ろを振り返っている。

 雨の降る森は暗くて、見通しが悪い。誰かが後ろから近づいて来ていても、なかなか気づけないかもしれない。


「そうだな。奴らが密偵だとすれば、自分たちの存在を国に報告されれば役目を果たせなくなる。しかも、成果もなしに国に帰ったところで処罰は避けられないからね」


 お父さんが解説して、続ける。


「だから、私たちは隣町に行こう。あそこなら騎士団が定期的に巡回している。最悪の場合でも保護してもらえるし、奴らも無茶はできないだろう」


 保護してもらった場合はスレイア国に利用されるのは避けられないけど、ディフェンド国に殺されるよりはいい。

 隣町まで馬車なら半日。

 雨でなければ夜でも走らせられただろうけど、こんな天気じゃ夜は暗くて何も見えないだろうから、どこかで休まないといけない。




 その後、あたしたちはエレ君と反抗期と合流できた。

 無事を確かめるのも、お母さんのことを話すのも全て後回しで、すぐに馬車に乗り込んで出発する。

 警戒していたディフェンド国の密偵は現れなくて、順調に街道を馬車は走り続けた。

 荷台ではつっくんとヒーちゃんが眠っている。昨日から一睡もしていなかったのに、自分たちだけ休めるかと辺りを見張っていたけど、お父さんが眠り薬入りの水を飲ませて、強制的に眠らせた。

 荷台の後ろでショタが、左右をエレ君と反抗期が見張っている。

 あたしは御者を務めるお父さんの隣で黙ったまま。


「……母さんは、最後まで『お母さん』を出来たんだな」


 ぽつりとお父さんが呟く。

 前を向いたまま独り言のような、あたしに伝えようとしているような、皆には聞こえない小さな声で。


 ずっと思っていたことがある。

 どうして二人はあたしなんかを引き取ってくれたのか。

 本当の娘以上に大切にしてくれるのか。


「お父さんは、ど、どうして、あたしを、ま、守ってくれるの?」

「お前が私たちの娘だからだよ」


 シンプルな理由。

 でも、違う。

 あたしは二人の本当の娘じゃない。


「本当の娘だよ。あの日、お前を助けた日からね」


 お父さんはこんな状況なのに穏やかに笑った。

 そのまましばらく無言が続いた後、不意にお父さんが話し始める。


「昔話をしようか。ある医者夫婦の話だ」


 唐突な話題だけど、真剣なお父さんの目を見ると口を挟めなかった。


「王都に高名な医者がいた。その医者には一人の弟子と、娘がいて、互いに切磋琢磨しながら腕を磨き、知識を集め、やがて師を超える医者となった。ついに王宮にまで認められ、多くの人々から救いを求められ、応え続けた」


 王宮に認められた……つまり、有事の際に王族の治療を任されるほどの実力者なのね。専属医だけではどうしようもない時に呼ばれて、平時は貴族や平民を診るのだと思うわ。


「そんな二人は夫婦になり、すぐに娘が生まれた。忙しかったが、幸せな日々だった。しかし、娘が三つになった歳の冬――『死の粉雪』が王都で発症したんだ」


 『死の粉雪』はある死病の名前。

 冬の新雪が降り始める季節に起きた病気で、発症すると高熱を出し、激しい咳や頭痛を起こす。食事を受け付けなくなり、無理に食べさせてもすぐに嘔吐する。そうして徐々に衰弱していき、命を落とす原因不明、不治の病、だった。

 今は特効薬が開発されたおかげで、重症になる前に服薬すれば助かる。

 高価な薬だけど、平民でも無理をすれば手に入れられる金額設定のおかげで、今でも原因不明なものの、助かる者は多い。

 けど、それは最近の話。


「夫婦は王宮に呼ばれた。多くの医師たちと協力し、患者を救うために尽力した。来る日も来る日も看病し、集められた薬草を煎じ、試しては、煎じ、試しては、煎じ、過労で倒れ、起きては薬を煎じた」


 王都で死病が流行したからには対処は総力を振り絞ったものだっただろう。

 お父さんの言葉は大げさでもなく、実際に起きた出来事だと思う。


「そうして、遂に夫婦の手によって特効薬が完成した。それまでに多くが死に、多くが失われたが、確かに夫婦たちはそれ以上の未来を守れた」


 お父さんはそこで僅かに俯く。

 笑っている。表情は笑っている。だけど、その目には深い嘆きがあった。


「だが、疲れ果てて帰った二人を待っていたのは冷たくなった娘の亡骸だった」


 手綱が強く握りしめられる。

 今更、この昔話の夫婦が誰のことか聞くまでもない。

 しばらく、お父さんは前を……その時の光景を、睨み続けて、やがてひとつ大きく息を吐き出した。


「留守を任せた世話人が、病の発症した娘を見捨てて逃げたんだ。屋敷に残された娘はどんな気持ちだったか、今でも考えさせられるよ」


 想像する。

 三才の少女が弱った体で冷たい部屋に一人きり。

 父と母の姿はなく、助けを呼ぶ声は誰にも届かない。


「夫婦は優れた医者だったかもしれないが、良い親ではなかった」

「そ、そんなこと」

「事実だよ。愛する我が子より医者としての義務を優先したのだから」


 違うと伝えたい。

 だけど、お父さんの微笑みは癒しを求めていなかった。後悔を抱え続けることが罰だというように。


「それからだ。夫婦は人の治療ができなくなってしまった。どうしても娘の姿が思い出されてしまうんだろうね。悪いことを考えてしまう。『あの子は死んでしまったのに、何故この人たちは……』とね。特に子供は酷かったな。彼らは敏いから。診察しようとすると泣いて暴れる子もいたよ」


 すぐに二人は医者を辞めると決めた。

 医者としての誇りが自分たちを許せなかったという。


「夫婦は王都を出た。医者としてではなく、薬師としてなら生きていけるだろうと、ね。国中を巡り巡って、辿り着いたのが開拓中の村だ」


 不思議には思っていた。

 薬師は専門知識の要る専門職で、どこからでも引く手あまただもの。

 大きな町ならともかく、開拓村にいるなんておかしい。もっと稼げる場所はいくらでもあるのだ。

 なのに、二人はここに留まり続けた。


「村での生活にも慣れて、しばらくした頃。急患が運ばれた。こんな田舎にいるはずのない美しい娘だ。衣服は素朴ながらも素材は高級品。夫婦はすぐにその娘が高貴な身分の者だと気づいた。同時に、怪我をした上に一人で倒れていた状況から訳ありなのだと」


 話からするに落馬の際に骨を折っている。衰弱も激しい。放っておけば遠くない未来に命を落とすのは間違いない。

 開拓村で抱えるにはあまりに難しい人物。

 薬師として全力を尽くしても助からない。

 医者としての技量がいる。

 だが、自分たちは医者を捨てたのだ。

 村の為にも、自分たちの為にも、見なかったことにするべきではないか。

 そう考えなかったとは言わない。

 それでも、二人はあたしを助けた。


「ど、どうして?」

「うん。君が私たちの手を握って言ったんだ。『助けて』ってね」


 覚えていない。

 あの時は熱で朦朧としていたから。

 それでもあたしを助けて死んでしまった人のためにも、何もできないまま死んでしまうのは許せなかった。


「気が付けば体は勝手に動いていた。何年も使わなかった医師の技能を全力で注ぎこんだ。娘の顔を思い出さなかったわけじゃない。だが、傷ついた人がいて、その人が助けを求めている。それだけ。それだけで良かったんだ。医者が人を救うのに理由なんて」


 そして、二人の医者が生きる意味を取り戻して、おかげであたしは死なずに済んだ。


 あたしが眠っている間に話し合ったらしい。目が覚めて、行く宛てがないようなら自分たちの娘にならないか提案しようと。

 娘と一緒に失った生きる意味。それを取り戻すきっかけとなったこの少女を今度こそ親として守りたいと。


「亡くなった娘の代わりにしたつもりはない。だが、そう感じさせてしまったならすまなかった」

「う、ううん。だ大丈夫。ちゃ、んと、わかってる」


 そうか、とお父さんは微笑んで、あたしの頭に手を乗せた。

 雨に冷えた手。

 でも、確かな愛情を感じた。


 二人は決めたんだ。

 あたしを本当の娘だと。

 血の繋がりとか、経歴とか、過ごした時間とか関係なくて、全力で守るんだと。

 だって、知っているから。

 ほんの少し目を離しただけで、容易く失われてしまうことを。

 だから、お母さんはあんなにも、あたしのために。


 そして、隣に座るお父さんも一緒だ。

 きっと同じ状況になればお母さんと同じことをしてしまう。

 そんな可能性は決して低くない。この追われている状況次第では、取り返しのつかない事態になってしまうかもしれない。


「なに、心配するな。私にも昔の伝手がある。国にいい様に使われたりはさせないさ」


 あたしの不安を誤解して、お父さんは笑って見せる。

 強い人だ。

 最愛の妻の安否が知れないのに、人のために笑って見せられるんだから。


「ありがと。お父さん」

「気にするな。娘を守るのは父の義務だよ」




 あたしたちはそのまま夜まで馬車を走らせた。

 夜は交代で見張り、薄い毛布に身を寄せ合って眠り、夜明け前に出発する。

 追手の姿はない。それは喜ばしいことのはずなのに、あるはずのものがない事が不安に思えてくる。

 誰もが不安に覚えながら、胸の奥に封じ込めたまま馬車は進む。


 そして、雨雲が去って、ようやく朝日が姿を現した頃。

 あたしたちは隣町が見える位置まで辿り着いた。

 小さな丘の上。

 馬車の上から見つめる。


 火の手を上げる町の姿を。

重い話が続くので、短いですが活動報告に軽い話を載せてあります。

よろしければご覧ください。

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