後日譚30 事情
後日談、大変お待たせしました。
ちょっと重めのお話です。ご注意ください。
前回までのあらすじ
シズ:地形さん、ごめんなさい。調子に乗ってやった。今は反省している。
リエナ:ぶい。
ルイン:きゅう。(気絶中)
リゼル(偽物):叱られた。頭、痛い。誰か助けて……。
他の魔人:夢心地。
シズ:お話、しよ?
大体、こんな感じ。
後日譚30
四神『威竦みの王虎』で思考停止中の魔人たちの中から、さっき声を絞り出した一人を自由にする。
けど、すぐ復帰するわけではなく、突然の解放でぼうっとしていた。
大体、六・七歳ぐらいの子供に見える。
背は僕の腰にも届かないぐらい。
細い手足で、痩せているというよりはやつれている。
異質なのは紫色という人間らしからぬ髪色。色素が抜け落ちたように白い肌という程度。
魔物という分類に入れるにはあまりに頼りない姿だ。下手をすればただの人よりもか弱く見えた。
「女の子、か?」
魔人にも性別はあるんだ。いや、当たり前のことだけど。
こうして落ち着いて正面から向き合う機会を得て、改めて気づかされる。
僕は魔人という存在がどういうものなのか、ほとんど知らない。
大怪我などで精神が弱くなった人間が、異世界の理によって魔族化した人間。
そんなことぐらいしか知らない。
中でも表舞台に出たのは限られている。
しかも、どれも魔神化していたので、他の魔物の種族特性が混ざっていた。魔人単体での遭遇は初めてかもしれない。
「……あ!」
僕が物思いにふけっている間に正気に返ったらしい。
僕の隣で悄然としている偽物――リゼルへ一直線に向かい、勢いのまま抱きついた。
「リゼル! リゼル! リゼル!」
「テトラ。大丈夫だから。落ち着け」
「リゼル! リゼル! リゼル!」
「いや、おい。ちょっ!」
「リゼル! リゼル! リゼル!」
なんというか、じゃれつく子犬みたいになっている。
問題はリゼルが未だに幼児版の僕という姿なので、のしかかられて腰が逆方向に曲がりそうだということだ。もうひと押しでブリッジみたいになりそうだけど、大丈夫?
このままでは押し倒されるのではと心配していたら、リエナがテトラと呼ばれた少女の首根っこを捕まえて引き離してくれた。
途端、大人しく釣り下げられるテトラ。
視線でどうしようかと聞いて来るリエナに、そのまま待機を頼む。
強い精神力の持ち主かと期待しての選択だったのだけど、どうやら本能的なものだったらしい。
解放されたリゼルに声をかける。
「そろそろ他の姿になってくれない?」
「じゃあ、これで」
三年前の僕にまで背が伸びて、髪色が黒く変色する。
「いや、僕以外の姿というか、本当の姿に戻ればいいだろ」
「もう覚えてねえよ。そんなの」
拗ねるようにそっぽ向くリゼル。
どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
元の姿を覚えていない、か。百年以上を誰かの姿を借りて生きていたリゼルは、想像以上に過酷な境遇で生きてきたらしい。
それは、それとして。
「だから、言葉遣い」
ゴツンと拳骨を落とす。
まあ、嫌な事を聞いた分を差し引いて、少し優しめに。
「……ごめん」
「まあ、いいか。で、この中で一番話が出来るのは誰?」
「ヨルムのおじさん」
そう言ってリゼルが指差したのは、恰幅のいい男だった。
背は僕より低いぐらいだけど、横幅や厚みはかなり逞しい。
オレンジ色の短めの髪に、灰色の肌という異次元な組み合わせがやや目に痛い。
彼を解放する。
「……んむ。ここは……そうか」
テトラより意識の回復が早い。
辺りを見回してから僕に向けられた眼には理解の色があった。
立ち上がると、両膝に手を突きながら頭を下げてくる。
「始祖様。リゼルを止めて下すって、ありがとうございます」
訛ったしゃべり方だな。
「リゼルはこげなことしたのは、俺らのためなんです。叱責は俺が受けます。どうか、リゼルや他の奴は勘弁してもらえんでしょうか」
「おじさん!」
「リゼルは黙てろ! こげんいうのは大人が責任とらなあかん。お前を止めらんなかった俺の責任だ」
ヨルムをリゼルが止めようとするけど、ヨルムはたじろぐことなく頭を下げ続ける。
いや、悲壮感たっぷりに罰の取り合いをされても。
「はいはい。とりあえず、落ち着いて。話を聞かせてください」
間に入って二人をひきはがす。
リゼルだけじゃなく、他の魔人からも話を聞きたいから解放したのだし。
「しかし、始祖様! そんではけじめが!」
「そういうのは話を聞いてからで」
「ぬう。したら、ここは俺の腕一本……!」
「い・い・か・ら!」
ゴツンとやってしまった。
なんだか、対処が誰かに似てきたような気がするな。
もっと風格とか威圧感で言うことを聞かせられるようになりたいなあ。
力づくになってしまったけど、ようやく全員が座って話せるようになれた。
残りの魔人には悪いけど、全員から一度に話を聞けるわけでもないので暫くは自失してもらう。
僕とヨルムが向かい合った。リゼルはヨルムの後ろに控えている。
え、リエナとテトラ?
なんだか、気が合ったのか二人離れたところで遊んでるよ。追いかけっこしてる。
テトラがリエナのしっぽを追いかけて、捕まりそうになるたびにかわし続けるという遊びみたいなんだけど、それは絶対に捕まえられないからね?
キャッキャッと楽しげに笑っているからいいんだけど。
ちょっと混ざりたいと思ってるのは秘密。
これで気絶したルインとかが見えなければ平和な光景なんだけどなあ。
「改めて、ヨルムと申しますだ。こうなる前はブランの辺境の村で樵をしてますた」
納得。いかにもそれらしい体格だ。
「じゃあ、魔人の事について教えてもらえますか?」
ヨルムは考え込んでから、手を広げた。
「見ての通りとしか言えんのです。前より頑丈になった、としか」
「種族特性は?」
「ありません。まあ、ちっとばかり知恵が働くぐらいで」
「だから、魔人は魔族の中でも扱いが悪かったんだ。魔神はともかく、その下の連中からは強くねえとなめられる」
基本、弱肉強食だからね。
多少程度の知恵では厳しいだろう。
元魔法士でも魔造紙はバインダーに残っているだけ。魔人になっては魔力を失っているだろうから、消費した分を補充することもできない。
少しは頭を使い始める魔神からは評価されるかもだけど。
「俺みたいに魔神までなれば違うんだけど」
知恵を持つ魔神となると厄介だろう。
獣の本能で種族特性を扱うのではなく、戦術として武器にするのだ。
罠まで駆使するのだから性質が悪い。
「魔人になった時の話を聞いても?」
踏み込んだ質問だと思う。
ヨルムは先程よりも時間をかけてから答えた。
「俺は山で魔物に襲われて、背中をバッサリ抉られたんですわ。命からがら逃げ延びたはいいが、村には戻れんで。そのまんま、山で休んでおったら、気がつけば……」
魔人になっていたのか。
次の問いは僕も迷った。かなりデリケートな部分だ。
とはいえ、先送りにして解決する問題じゃない。
「……その先のことも話せるなら」「覚えてる」
かぶせ気味になるほどの勢いで答えられる。
僕を見る目は平坦だった。
器のギリギリまで水を注いだコップを連想させる。つまり、少しでも情動の波が振れれば溢れ出す状況だ。
溢れるだけならいい。だけど、この危うさは器そのものを傷つけかねない危うさに思えた。
「覚えてる。村に戻って、家族を、友を、村の仲間を、この手で殺した。どんなに嫌だと思ても、体は言うことを聞かねえ。変な、音が鳴り続けてた。それからも、魔物に混じって、人を襲い続けていた」
わかった、と言って止めることはできない。
安易にわかったなどと口にできるものか。
自分が同じ境遇になったらと想像するだけで、怖気が走る。
「ずっと、遠い景色を見てるみてえだった。自分で死ぬこともできねまま、俺は三十年。三十年、戦い続けた……」
「おじさん。もういい」
淡々と語り続けるヨルムをリゼルが止めた。
彼の気持ちを理解してやれるのはこいつだけだ。
気遣うようにそっと肩に手を置いて、何度も首を振る。
「おじさんが悪いんじゃないんだ」
「でもよ、俺はこの手で。家内を。息子を」
「おじさんじゃない。おじさんじゃないんだ」
「ああ。どして、こないなことに。俺がなにをしたってんだ」
僕はその嘆きを聞き遂げる義務がある。
僕の腰に下げられた異界原書。彼らに地獄を味わわせた原因の持ち主なのだから。
無骨な両手で顔を覆って、それでも罪の意識のためか泣くこともできずに嘆くヨルム。
小さな体で彼を庇うようにリゼルが前に出る。
「あんたも、もういいだろ。他に聞きたきゃ俺が答える!」
「……いい。リゼル」
その肩を掴まえたヨルムが顔を上げる。
肌色こそ人外であっても、その顔色の悪さは見て取れた。
それでも頑なに自らの役目を果たそうと身を乗り出す。
「でえじょうぶだ。俺が答える」
「おじさん! 俺なら平気だから!」
「いんや。子供は大人に任せとくもんだ。頼りねえけんどな。それぐらいはさせてくれ」
或いは自ら手にかけてしまった息子とリゼルを重ねているのかもしれない。
ともかく、僕が口出ししていいことではないので、黙って聞いている。
単純な年齢としては三種魔神であるリゼルの方が年上であろうが、人として生きた年数を彼らは重視しているらしい。
そこからも、今の彼らが「魔族」としてではなく「人」としてありたいと願っていることが読み取れた。
「始祖様も、すまね。続き、話すだ」
大人がその役目を果たそうとしているのだ。大丈夫かと心配するのは野暮というものか。
「お願いします」
「こげんふうに、自由になっただは三年前。ほんに、突然。霧が晴れたんだ」
おそらく、僕が異界原書を生み出した時だろう。
それまでは異世界の理から命令が常に放たれていたということか。
となると、現存している魔物は人を滅ぼすために襲いかかってきているわけじゃなく、元の獣の本能に根ざして行動しているらしい。
「始祖様。ほんに、ありがとうございますだ」
深く深く、頭を下げられる。
自分より年上の大人にこうも誠意を以てお礼を言われるのは背中がむず痒くなるな。
「いや。僕はやるべきことをやっただけですから」
「それでも。あなた様がおらんかったら、後悔することもできなんだ」
複雑だ。
始祖として感謝されておきながら、僕は異界原書のことを隠している。
けど、ここで全てを詳らかにぶちまけるのが正解とも思えない。彼らの復讐心を煽る結果の末に幸せはあるのだろうか。
言い訳だな。
いずれ、彼らには明かそう。
「……じゃあ、支配から目が覚めた後は今までどうしていたんです?」
それがリゼルの起こした様々な事件にも繋がっているのは予想できる。
「最初はみんな、自分の故郷を目指しました」
その結果は聞くまでもない。
自らの手で滅ぼした者もいるのだ。そこまで決定的なことになっていなくても、大なり小なりの被害を出している。
彼らには帰るべき場所がない。
「んだから、どこか村か町で静かに暮らすればいいと思っとったんですが。この見た目ですけんな」
人間離れした容姿。
妖精族と言い張るのにも無理がある。カラフルな髪色はともかく、肌はかなり異質だ。
テトラでも肌が白すぎる。
魔人という存在自体は一般に秘匿されているけど、受け入れてもらえるかといえば難しい。
「そげんふうに逃げて、隠れて、人のいねえところ探してる内に同じ仲間を見つけたんだ」
ヨルムは優しげな視線をリエナと遊ぶテトラに向ける。
「あん子が最初の道連れで、他の連中もちいっとずつ増えて。でんも、ブランの兵に見つがって、危ないとこをこん子に助けてもらた」
隣に座るリゼルの頭を撫でる。
リゼルは嬉しそうな、恥ずかしそうな、何とも言えない顔をしていた。
僕の視線に気づいて、そっぽを向いてしまうけど。
「そっからだ。リゼルが『俺たちの国を作る』なんて言い出してよ」
「仕方ねえだろ! 他に行く場所がねえなら作るしかねえじゃん!」
それが国造りの動機なんだ。
突飛な発想だな。
たった十人の同胞が安心して生きられるために国を造ろうとか普通は考えないよ。
けど、リゼルが本気だったのはわかる。
仲間の反対を押し切って、自分の持てる能力を出し尽くし、使えるものはなんでも利用して、本当に国を造ろうとしていた。
まあ、僕が叩き潰したわけだけど。
「俺たちがどれだけ酷い目にあって来たと思ってんだ! いいじゃねえかよ、報われてもよ! 俺たちのための国で穏やかに生きてもよ、いいじゃねえか!」
同情はある。
予期していたよりも過酷な生き方をしているのだ。
とはいえ、リゼルのやり方で彼らが幸せになれるのかと言えば、疑問だった。
「甘えんじゃねえよ」
言葉を選んでいるうちに新たな声が割り込んできた。
気絶していたルインだ。
頭を押さえながら上体を起き上がらせ、足を投げ出した格好のままリゼルを睨んでいる。
「お前らがどんだけきつかったんだろうが、俺たちの里を奪っていいわけねえだろ」
それに、と付け加える。
「自分は何も悪くねえみたいに言うな」
「俺は、俺たちは悪くねえ! 死にかけて! 乗っ取られて! 放り出されたんだ! それなのに、俺たちの何が悪いっていうんだよ!」
焼けつくような怒りを瞳に宿したリゼルが吼える。
だけど、ルインは揺るがない。
「俺は知ってる。魔人にされそうになっても、跳ね除けて、人として戦って、人として死んだ馬鹿を、知ってる」
お前ら、あれと同じ人間なんだろ、と。
万象の理で見たどこかの馬鹿な王様の最期。
あの鋼の意志を、王の意地を、後に続く者に示した男の生き様を、同じ人間が諦めるなと言いたいのか。
二人の睨み合いはすぐに終わった。
「リゼルをいじめるなあああああっ!」
ルインの背後からロケット頭突きで突撃したテトラによって。
さすがに気付いていたのか、ルインはひょいと躱して、横を通過して行きそうになったテトラの両足を捕まえた。
逆さづりにされたテトラは両手を振り回して暴れるものの、リーチが足りずにバタバタするだけだ。
「んだよ。邪魔すんな、ガキ」
「リゼル! 悪くない! 頑張ってる! いい子!」
何故に片言になるのか。
けど、ルイン。相手をガキ呼ばわりしているけど、それと本気で睨み合ってるお前も同レベルだから。
それと、後ろ。ルイン、後ろー。
「ん。放す」
リエナのフルスイングでルインの横っ面が薙ぎ払われて、地面に叩きつけられた。
攻撃の気配、ないからなあ。躱せないんだよ、あれ。
投げ出されたテトラの首根っこを再び掴むリエナ。
途端に大人しくなるテトラ。
なんか、調教されたペットみたいだ。
「くそっ! 修業が足りねえのか……」
悔しげに呻くルインは無視するとして。
僕は突然の展開に茫然としていたリゼルと向き合う。
「話はわかった」
つまり、リゼルの頼みは行き場のない魔人たちを救いたいということだ。
色々と考えるべきことはある。
魔人の罪と罰。
異界原書の存在。
世間の風評。
そういった諸々は一度置いておく。
思い出すのは学園の出来事。
僕が魔法を覚えることも、友達を作ることもできず、孤立しかけていた時だった。
あの人の言葉。
ああ、逆の立場になると色々とわかることがあるんだな。
この一言にどれだけの意味があったのか。昔の僕はわかっていなかった。
「お前、僕の弟子になれ」
魔人の悲惨なエピソードはこれでも軽い方だったり。
ルインは厳しく言っているけど、同情の余地はありますね。
というか、あの人と同じレベルを求められるのも一般人にはきついですから。




