後日譚28 進歩
後日譚28
最初に動いたのは偽者だった。
逃げた。
大きなバックステップでルインから距離を取り、そのまま周囲の森に飛び込んだ。
いや、負けられない=戦って勝つではないのか。
あの啖呵の直後に逃走するとは想像していなかった。
というのは、いくら僕でもない。既に二度も取り逃がしているのだ。そういう展開も予想して当然。
戦いこそルインに譲るとして、保険は必要だろう。
或いはルインとしてはこのまま見逃していいかもしれない。隠れ里は取り戻せるのだから。いや、まあ、もう隠れ里なくなっちゃったけど。
うん。えっと、そう! 恐ろしい魔人のせいでね!
……いや。言い訳は後でしよう。
ともかく、ルインの思惑は別として、僕は逃がすつもりがない。
ルインだって再襲撃を警戒するぐらいなら、この場で決着をつける方を望むタイプだ。
なので、バインダーから合成魔法の魔造紙を発動させる。
使ったのは50倍の『氷晶城塞』だ。氷の属性と水晶の召喚に結界の法則の合成。
天頂から百メートル以上の細長い水晶の板が落ちてくる。周辺一帯に隙間なく突き立っていく水晶板の群れ。その全長の半分ほどが地中にまで刺さり、触れた物をたちまちの内に氷結させていった。
そうして出来上がったのは、触れた物を氷に閉ざす監獄という名の闘技場。
森の一角が外界から遮断される。この結界から逃れたければ地中深くに潜るか、空を超えていくしかない。
後方支援終了。
満足して戦場を見ればルインがしきりに辺りを窺っていた。森に隠れた偽者を探しているのだろうか。
……気のせいか怯えているような?
ルインは僅かな逡巡の後に、振り切るように視線を偽者が消えた森へと固定させた。
さて、どうするか。
偽者が逃げたと断定したけど、そうとも限らない。最初から森に潜みつつヒット&アウェーというの考えられる。
ちゃんと理由はある。
まず偽者の攻撃手段は合成魔法のバインダーであること。
しかし、現状はこれを全て使える状況ではない。近くの山頂(新)には仲間がいるのだ。チョイスを誤れば仲間を巻き込んでしまう。ふふ、大威力の使いどころの難しさを味わうがいい。
となると、あのバインダー内の魔造紙で使用可能なもの。
精々、二種の合成魔法で、強化が絡んでいないものに限定される。
二冊の原書を持つルインを相手に、威力で真正面から押し切るにはリスクが伴うだろう。
次に偽者の種族特性。
姿を自由自在に変えられるのだ。不意打ちは得意中の得意。
それも居場所を知られていれば効果は半減だ。
僕の姿をしていればルインは勝手に弱体化してくれるので、基本はそうであるだろうけど、ひとつに執着する理由はない。
森に潜み、木々に擬態して、ルインが近づいたところを合成魔法で襲撃。
僕ならそんなプランを組む。
猪突猛進のルインには効果的だ。
ルインは愚直に偽者を追い、不意打ちを食い破って反撃だろうか。
そんな予想を立てていた。
だけど、ルインはその場に留まっている。相手のフィールドには入らなかった。
相手が焦れるのを待つつもりだろうか? それでは偽者に合成魔法を使わせる隙になってしまう。
そんな僕の懸念は外れていた。ルインは攻撃を選んだ。
「来い。『命名:螺旋鋼矢』」
召喚されたのは捻じ曲がった鋼の矢。数にして五十。ルインを中心に全方位に向けられている。
しかし、相手は人型。そんな小さい的が。森に潜んで居場所も知れないのだから、当たるわけがない。
ルインは大きく息を吸い込むと、そのまま全周に向けて首を巡らせ、竜の火炎を吐き出した。その先には発射の命を待つ矢が浮いている。
火に解けるような金属ではない。それでも捻じれた矢に絡み付くように炎が矢に纏わりいた。
瞬間、ルインが尾で地面を叩く。
それを合図に待機していた矢が発射された。
炎の尾を引きながら、夜の落ちかけた森を五十の軌跡が貫いていく。
って、あぶなあ!
隠れていた木の幹を貫いた一本を背後に倒れ込んで回避。ブリッジの姿勢のすぐ真上を通り過ぎて行った。
いや、五十倍の強化をしているから弾き落とせただろうけど。僕のせいでルインの戦略を邪魔してしまうのは流石に悪いから。
と、安心するのはまだ早い。矢から零れ落ちるように火の粉が散っている。
それだけなら生木を焦がす程度で済んだだろうけど、数が多い上に、ルインの炎が特殊なのか小さな火の粒であっても簡単に消えたりしない。次々と草木に燃え広がっていく。
僕はルインから距離を取った。
矢の軌道の間、火が広がっていない樹上を選んで、戦いの行方を見守ることにする。
五十の矢は僕の『氷晶城塞』に激突してそのまま消えたようだ。
矢が通り過ぎた後は木々が撃ち抜かれてできた道があり、そこから延焼が広がり始めている。いずれは僕のいる場所も危ないかもしれないけど、それまで少しは時間がある。とはいえ、長い時間でもない。
見ればルインは既にルインは第二射の準備を終えていた。今度は矢ではなく、十本の槍が用意されている。
「考えたな」
ちょっと感心。
ルインの意図はふたつ。
まず単純に偽者の隠れられる場所を潰す事。
隠れ続けていては焼け死ぬしかない。まあ、魔神クラスに有効打になるかは正直わからないのだけど。
そして、魔造紙封じだ。
色々と特殊な素材を使っていたりしている魔造紙だけど、大概は紙だ。当然、火にくべれば焼け落ちる。
いや、魔物を素材にした皮紙もあるけど、それにしたってこの強力な竜の炎に耐えられる物じゃないだろう。
原書クラスになるとやたらと頑丈なので、僕の魔法が直撃しでもしない限りは耐えられる。
それと、バインダーに収められているなら、バインダーの耐久限度を超えない限りは内側は無事で済む。
が、そこから取り出せば別だ。
なら、偽者はどうする?
正面から挑むのは危ないのは変わらない。
ルインは最初から迎撃の構えを取っているのだから。
時間もない。延焼は広がるし、ルインは次々と次弾を放つ。
不意打ちに徹するなら遠距離攻撃は必須。そのためには。
「バインダー内からの直接発動」
魔人になる前はかなりの腕前だったのか。偽者はそれが可能だ。
ルインから見て左やや後方。
魔力の発動の気配を感じて、ほぼ同時に水流で構成された巨大な狼が現れた。
水の属性と召喚の合成『清麗狼』か。
狼が大きく身を反らせる。水流を放つ構え。
それをルインは見送った。槍を待機させたまま不動を保つ。
当然、その隙を見逃すはずがない。狼の口腔から放たれた水撃は大瀑布の如く、ルインの巨体を飲み込んでしまう。
直撃すれば竜であってもただでは済まない、が。
水が通り過ぎた後もルインは無事だった。
流体制御の種族特性。
水流は四方に散らされ、ルインの鱗は濡れてさえいない。
大技の後で隙だらけになった『清麗狼』に槍を放ち、あっさりと撃破してみせた。
それどころか続けて原書を発動させ、無数の金属の刃で偽者がいただろう召喚場所の周辺を穿っていった。
容赦がない。
剣が、槍が、斧が、矢が、僕も名前の知らないような武器が次々と焼け焦げ、次に水没しかけた森に突き立つ。
「って、そんな大雑把な」
確かに炎が水撃で消えてしまった今、魔造紙の連撃は危険だ。警戒は要る。
その点、この連撃なら集中を要する直接発動は元より、魔法を発動させる暇さえないだろうけど。
偽者には他にも切り札があるぞ。
だから、気づく。
ルインの炎に、『清麗狼』の水流。
悲惨な有様になった森の中。
巻き込まれただろう森の動物なんていないはずなのに。
まして戦場の中心であるルインの近寄るわけないのに。
一匹の子狐がルインの背後から近づいているのを発見する。
喉まで声が出かけたところでやめる。
あの子狐は合成魔法のバインダーを持っていない。
野生の狐?
魔人に囮に使われている?
それとも、種族特性で化けているのか。
判断に迷った数秒で致命的に出遅れた。
僕が声を出せずにいる間に、子狐はルインのすぐ近くまで辿り着き、その小さな口を開く。
そこに隠されていたのは一枚の魔造紙。
子狐の目が勝利を確信して、笑みに歪む。
「くらえ。『常世の猛毒』」
崩壊魔法の魔造紙!
ブランで全滅させたけど、補充する時間はあった。
子狐から広がる赤い領域はあまりにも小さい。
僕のそれとは比べるのも馬鹿らしくなる規模。
精々、大岩を消す程度だったという前情報通り。
それでもルインの頭を消し飛ばすには十分な効果範囲だった。
咄嗟に飛び出す。
こうなれば偽者が僕を認識するよりも早く、一撃で吹き飛ばすしかない。
崩壊魔法は術者が消したいと認識したものしか効果が及ばないのだ。視認されるより早く制圧してしまえば可能だろう。
けど、樹上に登ったのが仇になった。
僕の踏み込みの威力にただの木が耐えられるわけもなく、幹が砕けて真下に落ちる。
着地から踏み込んで、割り込むまで数秒。間に合わない。
ルインの頭が赤い光に飲まれる。
が、その巨体は淡い光を残して消えてしまった。
いや、崩壊魔法で消滅したわけじゃない。
消滅の範囲は届いていなかった。
落下しながら見失ったルインを探す。
答えは簡単に見つかった。
「あ」
人化。
場違いなふわふわのワンピース姿の幼女がいた。
あの銀髪、間違いなくルインだ。
驚いた。
いや、人化を回避に利用したこともだけど、それじゃなくて。
崩壊魔法を躱したということは、偽者の接近に気が付いていたということだ。
つまり、その前の爆撃じみた派手な攻撃も偽者をおびき寄せるための撒き餌だった可能性が高い。
あのルインが戦術を練っている。
おじいちゃんの手紙を追った時にも話に出ていたけど、本当に強くなろうと努力しているんだ。
けど、幼い少女の姿では決定打は難しいか。
いや、ルインにはまだもう一冊の原書がある。
僕の思考が追いつくよりも早く、ルインの体を真紅の輝きが覆った。強化の付与原書の全頁解放。
既に崩壊魔法は効果時間を過ぎて、なんの成果も出せないまま霧散している。
「まだ!」
子狐が瞬きの間に変身する。
物理法則を無視したような変化は自分の目がおかしくなったのではと思うような異常な光景だった。
現れるのはやはり僕の姿。
ルインが足を止める。
突然、目の前に現れたトラウマそのものに意志は抗っても、肉体は本能的に硬直してしまったのか。
偽者はにやりと笑みを残して、再び森へと逃れようとしている。
「おい」
しかし、その足は止まった。
止められた。
少ない挙動で踏み込んだルインの左足が、偽者の右足を踏みつけている。
いや、踏みつけるなどと生易しい状態ではない。確実に踏み砕いていた。
前に視線を定めたルインの視線は強い。
揺らがず、正面から偽者を睨みつける。
「竜王をなめんじゃねえよ!」
初撃は左の掌打。
続けて右拳が脇腹に。
流れる動作で右下段蹴り。
密着からの裏拳。
胸を打つ掌底。
一撃狙いの大振りはひとつとしてない。
細かく上下左右に散らされた連撃は見事だった。
右足を踏み抜かれたままの偽者は為す術もなくサンドバックになっている。
「うわぁ」
なんというか、過去のものとはいえ自分がフルボッコにされる光景というのはクるものがあるなあ。
しかも、自身の腰ほどまでしかない幼女に。
いや、偽者を応援するつもりはないけど。
勝負は決したかと着地を決めて、息を吐いたところで見えた。
全身を滅多打ちにされている偽者の目は死んでいない。
あれはまだ戦う意思を捨てていない。
案の定、ルインの拳が唐突に空を切った。
幼女化したルインよりも更に小さく。
小妖精の子供みたいな背丈。
変身能力。
そして、口から吐き出されるもう一枚の魔造紙。
恐らくは崩壊魔法。今度は逃げられるような距離ではない。
発動の熱に焼かれるのも恐れることなく、その手が伸ばされる。
ルインは突然の変身に姿を見失っているようだ。
が、え? あれ?
「背、伸びた?」
ルインの背が伸びた。
幼女姿から十歳過ぎの少女へ。
スッと高くなった身長。
なんというか、丁度よかった。
うん。位置とか、高さとか。
既にルインは右足を高く、真っ直ぐ、頭上に上げている。
ワンピース姿でするにはかなりはしたない格好だけど、そんな不埒なことを考えている間に決着はついた。
「寝ろ」
踵落としが炸裂した。
頭から地面にめり込んだ偽者は動かない。
生物の常識を無視した変身をする魔人に人体構造が当てはまるのかわからないけど、脳震盪は確実だろう。
いや、絵的には幼児な僕が銀髪少女に頭を踏みつけられている構図なんだけどね。
なんというか……複雑だ。複雑だ。複雑だ。
ともあれ、ルインの勝利だ。
以前であれば勝鬨でも上げていたところだろうけど、ルインは急に背が伸びた自分の体の具合を確かめるように体を動かしている。
これは、あれか?
僕のトラウマを克服したことで、体が成長したとか?
そんなことを考えていると、いきなりルインがこちらを向いた。
咄嗟に近くの木の裏に隠れる。
「匂いでわかってるぞ、始祖!」
ああ、ばれてるか。
しかし、『始祖』ねえ。確か前は『始祖様』とか謙っていたけど。
まあ、ばれているなら隠れる必要はない。
大跳躍でルインの近くまで跳ぶ。
そっと着地を決めて、改めて偽者の様子を見る。
僅かに痙攣している所を見ると、生きてはいるらしい。
戦闘向きじゃなくても三種魔神、か。頑丈なのだろう。
とはいえ、しばらくは目も覚めそうにない。
「帰ってきてたのか」
睨みつけてくるルインと向き合う。
どうやらルインも僕が死んだとは思っていなかったのか、驚きは小さいようだ。
そして、恐怖に身をすくませることもない。
「ちょうどいい。三年前の借り、返させてもらうぜ」
「血の気が多いなあ」
「俺たちの里、やったのお前だろ」
ぐ。
あの急降下の時に見られていたのか。
確かにルインには怒る理由がある。
「まあ、いいか」
別に付き合う必要はないのだけど、勝ったら隠れ里消滅の件を許してもらおう。
僕が諾意を示した途端、ルインは未だに残る強化付与の残光を纏って襲い掛かって、
「今、俺は過去を乗り越えりゅうっ!?」
「ん」
遥か上空から飛び降りてきたリエナに叩き伏せられた。
両膝をつき、両手を前に投げ出して、うつ伏せになった姿は、あまりにも哀れだった。
完全な不意打ちにルインは目を回してしまっている。
「……リエナさん?」
「三年前の借り、返した」
借り?
あー、もしかして『俺のものになれよ』発言かな。
平然と受け答えしているように見えたけど、内心では腹に据えかねていた、とか。
僕がルインにやりすぎたりしたから忘れていたのを、今の借り云々で思い出した、みたいな?
ルインにはご愁傷様としか言いようがない。
身から出た錆だ。
どことなく『褒めて?』と首を傾げているリエナの頭を撫でる。
満足そうにしっぽを立てているので、正解だったようだ。
つまり、リエナが最強ってことでオケ?




