後日譚7 厄日
後日譚7
記念すべき式典に現れた異形を前にざわめきは止まらない。
異界原書が放つ魔の気配は魔族という種そのもの。普段は僕の魔力と相殺されて隠れていたけど、抑えが失せればどんなに勘の鈍い人間でもわかる濃厚さ。
たとえ、ここで僕が正体を明かしたところで第8始祖のシズとしては信じてもらえそうにない。
始祖の姿を騙る魔族だと思われるに一票。
きっと魔人の存在も王都の上層部には知られているだろうから尚更だ。実際、魔人とか魔神とかいう単語が聞こえてくる。
パニック一歩手前という感じだ。
騎士団が真っ先に動き出した。
僕と王様の間に割り込む形で近衛が立ちふさがり、厳しい表情で僕を睨んでくる。
後ろで守られている王様やルネの方がよほど焦っているのが対照的だった。
どうしよう。
逃げるだけなら難しくない。
50倍の強化付与で大跳躍すれば一気に王都から逃げ出せる。
でも、それだと式典に、正確にはルネの管理者叙任に影を落としてしまうだろう。
やばい存在が現れただけでも不吉なのに、取り逃がしたとあっては大問題だ。
とはいえ、名乗り出るのも不可。
ならば、後はひとつしかない。
(泣いた赤おに作戦、始動)
僕は青鬼になる。
悪役を果たして、打ち負かされるふりをして離脱。
当然、赤鬼役は決まっていた。
ルネだ。
問題は打ち合わせも、コミュニケーションもなしのアドリブで演じ切れるわけがないので、まずは意思疎通が必要だ。
こんな時に頼れるのはただ一人。
(リエナ!)
王様やルネよりはるか後ろでぽかんとしているリエナにアイコンタクト。
でも、さすがに視線だけで以心伝心とはいかない。
小声で『僕に襲いかかってきて』と言ってみた。リエナの猫耳がぴくぴく動いたので聞き取れたようだけど、今度は僕の求めるところが分からないのか首を傾げてしまう。
あまり時間が経てば騎士団が動いてしまう。
加減して倒すのは簡単だけど、今度は加減したのが露見してしまってはいけない。
あー、リエナがすぐに襲いかかってくるような台詞。
ダメだ。思いつかない。
悪口を言っても悲しむだけだろうし。そんなこと嘘でも言いたくない。
なら、これでどうだ?
焦りに背を押されるように深く考えず、リエナにだけ聞こえるよう呟く。
「僕、リエナに殴られたりするの好きなんだよね。リエナに槍で叩かれたらもっとリエナのこと好きになっちゃうかも」
我ながら高レベルの変態発言に正気を疑ってしまう。
だけど、目的だけは叶った。
リエナさん、覚醒。
ぴんと立った耳としっぽがやる気ゲージを満たしたと伝えてくれる。
王前であっても特別持ち込みを許された愛用の槍を構え、同時にバインダー内の魔造紙が発動。
全身に赤い輝きを満たす姿は間違いなく強化の付与魔法。
瞬間、僕はリエナの姿を見失った。
直感だけで魔造紙を発動する。
書いたばかりの強化付与と結界の二枚。
発動の確認も待たずに、両手を頭上に構える。
数瞬の後、頭上から落雷のごとき苛烈さで叩きつけられた槍の振り下ろし。それをギリギリのところでクロスガードで受け止めることに成功した。
激突の衝撃波が轟音と共に拡散していく。
突然の爆風に無防備だった参列者が倒れそうになる。
結界が間に合わなければ香木、折れてたかもしれない。
槍を押し込もうとしてくるリエナの目に正気の色は薄い。
すっかり僕に夢中だった。
嬉しいようでいて、ちっとも嬉しくない。
僕を喜ばせようとしてくれるのはわかるのだけど、そのために痛打されてはたまらない。なんて愛情の重さだ。
ここにきてお花畑状態が発動するとは……今日は厄日か!?
力任せに槍を押し返すとリエナは流れに逆らわずに後退するけど、すぐに鋭い一閃を放ってくる。秒間に数発という神業には舌を巻くしかない。
それらを弾き、流し、躱す。
攻防のたびに衝撃が弾けた。
一瞬の判断ミスが死を招く。
極度の集中に外界の余分が剥げ落ちていった。
突きに目が慣れた頃合いに放たれる横薙ぎの線の攻撃。
潜り抜けながら反撃の足払い。
飛び上がって躱すリエナへ追撃の当身。
牽制に振われる槍の穂先に急停止。
乱れた動きの隙を狙った石突。
死角から叩き込まれるそれを掌打で跳ね上げる。
がら空きの胴へ密着からの肘撃。
打撃に対して自ら回転することで受け流される。
同撃、旋回して迫る槍を自ら前に出て肩で受け止めた。
回転を止められて身を傾けた隙を逃さずに今度こそ回避不能の肘打ち。
しかし、手応えはない。まるで羽毛を打ったような感触はリエナが自ら背後へ飛ぶことで衝撃を殺したからか。
密度の濃い戦闘から僅かに意識が浮上する。
……なんで、僕はリエナとガチバトルしてるの?
こんなことしている場合じゃない。とにかく、リエナを正気に返さないと。
完全に戦闘モードに入ったリエナが再び襲い掛かってくる。
最早、視認もできない超高速の刺突を勘だけを頼りに回避。
擦れ違いざまに囁く。
「リエナ、愛してるよ」
「ふにゃっ!」
かわいらしい驚きの声に和みかけるけど、今はやることがある。
勢いを失った槍を掴んで、周りからは槍の奪い合いをしているように演技。
何事か期待するように見上げてくるリエナにくらっとしたけど、我慢だ。僕、我慢。
「リエナさん」
「ん。大丈夫。ちゃんと痛くする」
大丈夫じゃない。
根気強く呼びかける。
「……リエナさん」
「だから、もっと好きになって?」
抱きしめてえ。
刹那の間に衝動が暴発しかけた。
辛うじて理性が本能を下してくれたので問題ない。
「リエナさん。お報せがあります」
「ん」
「痛くしたら喜ぶのは嘘です。ごめんなさい」
「!?」
リエナが驚いて、続けて残念そうに耳としっぽを伏せさせる。
罪悪感で胸が押し潰されそうだ。
「……シズ、嘘はダメ」
「はい。ごめんなさい」
「反省した?」
「うん。お詫びに今度、なんでもするから許してくれないかな?」
「ん。わかった。じゃあ、後でちゅーして」
接吻!?
いや、既にブランで奪われたりしたことあるけど。
それってされる側じゃなくてする側ってことですよね!?
うわ、うわあ!
って、気持ち悪い反応している場合じゃないんだって。
「善処するよ。だから、ちょっとここをどうにかしよう」
「ん」
短くこの後の指示を出して、準備が終ったところでリエナの槍を突き放す。
タイミングを合わせてリエナが距離を取った。
観客と化していた騎士団の手前まで着地して、僕と対峙する。
これまでの応酬を見た後に参戦しようという猛者はいない。
騎士団の方針は僕の捕縛や撃破から要人の退避に変わっているのか、じりじりと僕から距離を取ろうとしている。
参列者たちは僕のことをもう魔人と決めつけていた。
まあ、魔族で模造魔法を使う奴がいるとすれば元魔法使いの魔人しかありえない。
中には目ざとく僕の持つ漆黒のバインダーを見つけて、第8始祖様の遺品ではないかと騒ぐ者までいる。
想像力が豊かな人だな。
リエナは前列に残ったままのルネに目を向けた。
以前、魔王を相手に共闘した経験からだろうか、それだけでルネはリエナの意を察してくれた。護衛を振り切ってリエナと合流する。
リエナから僕の伝言を聞いたのだろう。ルネは僕を見て小さく頷いた。
準備完了。
ルネは式典の最後に合成魔法のお披露目を行うはずだった。
おかげでバインダーを所持している。
だから、不自然ではない。
合成魔法の魔造紙を持っていても。
そして、それが誰が書いたものかなんて余程、近くで観察しないことにはわかるはずもない。
リエナを通して渡した僕の魔造紙だって、わかるはずもない。
僕は乱暴に異界原書を叩いた。
続けて小声で囁く。
「異界原書、限定解放。『号砲』、力を貸してくれ」
『あ? んなことより今は……』
「た・の・む・よ?」
『は、はい……『むにゃむにゃ』』
妹が絡んでいない兄の方は結構ヘタレなので強く言うと従う。妹は無視だ。
おかげで半透明の球体がちゃんと発生してくれた。
膨らんでいく球体が限界を迎えたところでルネが動く。
「『白涙景』」
光の属性魔法と結界の法則魔法の合成。
絹のような白糸が僕との間に発生する。
その糸の一本一本が熱線だ。触れればその身を焼き貫かれる。
攻防一体の境界線が僕の姿を完全に隠す。
ただ轟音だけが光の壁の向こう側で炸裂したことで誰もが連想しただろう。
僕が何かしらの種族特性を使おうとして防がれたのだと。
続けてルネは計画通りに僕の魔造紙を手に取る。
こちらも作ったばかりの『流星雨』だ。
いつぞやの魔の森、中枢を破壊した20倍ではない。通常の『流星雨』である。
とはいえ、王都ぐらいなら無差別爆撃できる範囲があるので、そのまま使えば王都は五分と掛からず死都となるだろう。
「続けて『流星雨・集束鏡』」
ルネに嘘をついてもらう。
見破られることはないだろう。
『流星雨』の光量は莫大なものだから見分けようにも目視が難しいし、今は『白涙景』によって更に視界が光で塗りつぶされている。
問題は如何にして『流星雨』を被害なく防ぐか。
もう一度、異界原書を叩く。
「異界原書、解放」
異界原書が開く。
中に存在するのは頁ではない。
ひとつの世界、そのものだ。
圧倒的な光に王都中の人々が目を塞いでいる、不可視の数秒で終らせる。
呼び出すは防御の種族特性の根源たる存在。
絶対防御の化身。
「防げ、『大地を支える老亀』」
空を埋め尽くした閃光が遮られる。
まるで日食のような昼夜の逆転現象。
それを為したのは一匹の亀だった。
王都を覆う巨大な亀。
その甲羅は星の雨の如く降り注いだ光を平然と受け止める。
壮絶な光爆の音だけが王都に鳴り響くけど、光線のひとつとして甲羅の守護を破ることは叶わなかった。
『流星雨』が止むのに合わせて、まるで霞のように巨大な亀は薄れて消えていく。
僕は適当な火属性の魔造紙を僕がいた辺りに炸裂させて地面を焼いておき、ぶーたれる異界原書の兄に命じて姿を消した。
立ち去ろうとしたところで思い出す。
あー、このバインダーはどうしようか。
僕の遺品とか言っていたし。
……仕方ない。置いていこう。
僕は手に入れたばかりの漆黒のバインダーをその場に投げ出して、今度こそ離脱を果たした。
『流星雨』と『白涙景』が終り、視力を取り戻した会場の人々が目にしたのは先程まで謎の魔人がいた辺りにできた焼け焦げた地面。
ポトリと落ちた漆黒のバインダー。
そこに魔人の姿はない。
自然、ルネの合成魔法が魔人を打ち滅ぼしたと連想するだろう。
僕たちのアドリブを察した王様や学長先生が参列者の思考を誘導し、リエナとルネもそれを肯定することでようやく会場に安堵の息がこぼれる。
その光景を窪地の上から見下ろして、僕は溜息を吐いた。
あー、疲れた……。




