断章10 ディン・ブラン・ガルズ
断章10
「武王!」
「くんじゃねえよ!」
反射的に駆け寄ってくるルーを蹴り飛ばす。
掬い上げるような軌道で吹き飛んだルーは狙い通りヴェルたちの所に落ちた。
腹に風穴開けられて加減なんてできないが、姿こそ幼くとも竜の頑丈さの根底は変わるまい。痛そうにしながらもすぐに起き上がる。
そして、直後に足元から無数の糸が噴きあがった。
白い糸は粘着性を帯び、俺の手足を絡めて封じていく。
もう少しルーを離すのが遅かったら2人とも捕まっていた。
「兄さん!」
「てめえらもくんな!全滅してえのか!」
土中から何かが這い出てくる。
黒い毛皮を纏った巨体。
背中には4対8本の足が蠢き、蛇の形をした尾が不気味に身をよじらせている。
頭は豹のような獣面だが、よく見ればわかる。
あれは表層だけだ。その下には別の顔があるはずだ。
なんとなく察しはつく。
ルーが前に言っていた人語を使う魔神。
元武王と魔竜を囮にするような戦術を普通の魔族は使わない。
魔神であってもだ。
「魔人、かよ」
呟くだけで血を吐いた。
腹を貫いた腕も虫のそれだ。
鋭い爪を持った毒々しい緑色。
(やべえ。完全に中身、持ってかれた)
致命傷だ。
始祖の回復魔法なら或いは癒せるかもしれねえ。
が、回復係は後方。この魔神が安易に近づかせるわけがねえ。
「リュウハ、ノガシタカ」
金属が軋む音みたいな声。
かなり聞き取りづらい。
それでもそれは確かに人の言葉だった。
4種魔神。
知性に長け、罠を以って謀殺する暗殺者にして軍師。
「2ツヘッテ、1ツジャ、アワナイナ」
やっぱり、罠かよ。
あー、くそ。
元から馬鹿な自覚ぐらいはあるが、仇を前にして警戒が足らなかったか。
情けねえ。
だが、情けなくともやることはひとつだ。
「2つじゃ、ねえ。3つ、だろ!」
全力を振り絞る。
貫かれたとはいえ始祖の強化魔法は残っていた。
傷口から血が溢れるのも無視して糸を切ろうともがく。
だが、どんなに力を込めても僅かな数が切れるだけ。切ってもそれ以上の糸が背中の8本足から吹き出してくる。
「ムダダ。オマエハ、モウワレワレノ、モノダ」
「なにを!」
「オウヲ、ウシナッタ、ヒトナド、ウゴウ。ソシテ、ソレガ、テキニナレバ、ゼツボウ、スルダロウ」
「誰がお前らなぞに――!」
言葉の途中で腹に別の痛みが襲った。
見れば尻尾の蛇が咬みついていやがる。
途端、目の前が真っ暗になった。
目が見えなくなった?違う。なんだ、これは。意識が、薄く。毒、なのか?
強烈な眠気に襲われて、考えることすら億劫になっていく。
糸はいつからか粘着性の代わりに硬質化していた。
そのおかげで倒れずに済んでいるが、もう自分の体をどう動かせばいいかも思い出せなくなっている。
誰かが遠くで叫んでいる。
それも段々と遥か彼方に。
(これは、ザザザ、俺も、ザザザザザ、なのか、ザザ、本懐を果たし、ザザザザ、しまらねえったら、ザザザザザザザザ)
雑音がうるさい。
音がするたびにガリガリと自分の中の何かが削れていく。
塗り替わる。書き換わる。奪い取られる。
ああ。そうか。ザザザ。
わかる。ザ。
これが、魔人に。ザザザザザ。
いや、魔族に。ザザザザザザザザ。
なる。ザザザザザザザザザザザザザ。
魔族は、こういう。ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ、オレガ、ザザ、ワタシガ、ザザザ、アタラシイ、ザザザザ、セイヲ、ザ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ざっけんじゃねえぞ、くそったれがっ!!!」
咆える。
雑音を跳ね除ける。
冷たくなった体の感覚。
痛みもわからなくなった死に体。
それでも、それは俺だ。
たとえ、死ぬ1瞬前であろうと俺だ。
命惜しさにくれてなどやるものか。
俺は誰だ?
「俺こそがディン・ブラン・ガルズ!」
手足は動かない。
目の前の魔神が何か囀っている。知らねえよ。
俺は誰だ?
「魔を退け!人を守り!」
幾重にも糸が巻かれる。
腹の蛇が毒を注ぎ込んでくる。
俺は誰だ?
「戦士を率い!先陣を駆ける!」
この身を侵す何もかもを振り切る。
ただひとつ自由な意識を腰のバインダーに浸透させる。
指定などいらない。ここにあるのはただひたすら身体強化の付与魔法。
俺は誰だ?
「武の頂にして!人類の守護壁!」
その全てを発動させる。
始祖の強化魔法があったため使うことのなかった秘蔵。
元武王のために用意していた切り札にして禁じ手。
俺は誰だ?
「俺こそが武王だ!」
全ての強化付与魔法を発動させる。
ひとつで完成された魔法を組み合わせて相乗するのが極大魔法。
それとて10枚が限度だろう。
加えて同じ魔法を重ねたところで相乗はしない。
まして身体強化。無理矢理に増強された肉体が耐えられるはずがない。
45枚の強化重ね掛け。
待っているのは確かな破綻。
太陽の如き赤に埋もれる。
動いてもいないのに肉と骨が軋みを上げる。
全身が壊れていっているのだと、失ったはずの痛覚が報せてくる。
それらを人生を賭して鍛え抜かれた肉体と積み重ねた研鑚で御した。
「武王を……」
ブランの王。
人類を数百年と守り続けた民の王。
数多くの死を超え、願いと祈りを託された者。
武王の名を汚すことだけは許さない。
硬さと粘りの2層を為す糸を剛力のみで引き千切る。
腹に刺さった腕と蛇を握り潰す。
1歩。
それだけで激痛が襲う。
意識が消えかける。
だが、必要な1歩。
目の前の敵に最高の1撃を叩き込むのに最適な位置。
そいつは何か言っている。だが、もう聞こえない。
メチャクチャに手足を振っている。だが、この痛みに比べれば何ほどでもない。
命乞いか自棄か暴れている。だが、やることは変わらない。
特別な技などいらない。
何百、何千、何万、何億と。
繰り返した動作。
馬鹿な俺にでもできること。
それこそが武の神髄。
「武王をなめんじゃねええええええええええええええええええええええええええっ!!!」
腰だめに引いた拳を前に突く。
拳が魔神を直撃した。
瞬間、風が吹く。
嵐のような豪風。
林の木々が折れ飛ぶ。
瓦礫が吹き払われる。
味方が伏せて結界を張ったのはヴェルの指示か。
残ったのはそれだけだった。
魔神の姿はない。
粉微塵になりながら空の彼方に消えていった。
「………………………はあ」
魔法は勝手に消えた。
もう体が動かない。
感覚なんて一足先に死に果てた。
掠れた視界でヴェルやルーや兵たちが駆け寄ってくるのが見える。
それを睨んで止める。
こりゃダメだ。
回復魔法どうこうってもんじゃねえ。
「ヴェル」
小さな声しか出ねえのな。
情けねえ。
「頼んだ」
「………っ、はい!」
みっともねえ顔すんじゃねえよ。
後ろの連中を見る。こっちもひでえ面だ。
「お前らも、しっかりやれよ」
「「「はっ!!!」」」
声だけでも張れるなら上等だ。
最後に誰よりも前で止まったまま、拳を握りしめたまま、俯いたルーを見る。
「ルー」
「……なんで、助けた」
涙声で糾弾してくる。
泣いたまま怒鳴り散らすルー。
「俺を庇わなかったら武王がこんなことになんなかっただろ!王だろ!死ぬなよ!死ぬんじゃねえよ!いつもみたいにゲラゲラ笑えよ!ふざけんな!こんなのいいわけねえ!いいわけねえだろうが!」
なげえよ。
なに言いたいかわかんねえって。
何故かって?
そんなの知るか。
馬鹿だから勝手に動くんだよ。
馬鹿にあれこれ聞くんじゃねえ。
手前で考えろ。
もう、あんまり話す余力もねえんだ。
「生きろよ」
「……ったり前だ!生きるに決まってんだろ!武王が……武王が守るぶんまで、俺がっ、強くなって!全部全部全部!まとめて守ってやるよ!」
あー、そりゃあ大きく出たな。
竜王のもあんのにな。
俺のぶんはでけえぞ?
まあ、色々ときついだろうが、ルーならやれんだろ。
「任せた」
「――――――――――――おう!!」
あー、限界、か。
油断すっとさっきの雑音が来るし。
伝えるべき相手は足りねえが、あっちはあっちでうまくやんだろ。
手助けに行けねえのは未練だが、なあに。悲観するほどじゃない。
あいつが何とかしてくれるだろ。
バインダーに残った最後の魔造紙に意識を向ける。
上級の火属性魔法。
人間なんて簡単に焼き払う。
魔人化を防ぐための自決用。
「先に行く」
火柱が上がった。
左手を持ち上げる。
武王の最期が俯く姿じゃ格好がつかねえからな。
「お前らはゆっくり来い」
ああ。
これが終わりか。
馬鹿なりに頑張った。
失敗は多かった。
戦うだけが取り柄で。
外交なんて任せきり。
失ったものは多く、取り返しがつかないものばかり。
だからこそ、己を鍛えて、戦い続けた。
何かが残せただろうか。
炎の向こう。
俺を見る者たち。
そうか。
俺はここで終わる。
だが、武王は継がれていく。
俺が守った誰かが継いでいく。
なら、俺の生は無為ではなかった。
「じゃあな」




