11 血
11
甲殻竜。
背中と腹部を覆う堅固な甲羅を持つ地竜。
全長は10メートル前後で数トンもの体重を支える四足は強靭。
牙や爪は鉄製の剣や鎧さえ砕き、尾の一撃で大木さえも折れる。
雑食ではあるが動物の肉を好み、鹿・猪・熊などを餌にする。
性質は飢えた獣そのもので執着性が強い。一度定めた獲物は絶対に逃がさない。
満腹になるまで餌を求め、狩り続ける。空腹が満たされると巣で1ヶ月ほど休眠し、腹が空くと再び狩りを繰り返す特殊な生態を持つ。
討伐には王国の騎士団が1個中隊が必要とされる極めて危険な魔物。
猫耳少女が淡々と解説してくれた。
どうやら今まで家の中に籠って本ばかり読んでいたらしく、運動が得意な印象に反して豊富な知識を持っているらしい。
そして、手に入ったのが今の嬉しくない情報だった。
ボスけて。
1個中隊って戦闘訓練を積んだ騎士200人だよ?
なんで、そんなのがラクヒエ村の近くにいるの?
こんなのが村にきたら全滅確定だよ!?
お父さんたち山で何を見てきたんだよ!?
鹿とか猪とか狩ってる場合じゃないって!
王都に救援呼びに行かないと!
誰か!メロスを呼んで!じゃなかったら加速装置プリーズ!いや、加速装置があるなら倒せる。
甲殻竜は僕らを落とす件については諦めたのか、重量感のある歩きで森を進んでいる。
草木を蹂躙しながら進む姿は戦車みたいだった。
それでも僕らのことは忘れていないのか、時折首を巡らせてこっちを見てくる。
お願い3つとも使うから僕のこと忘れてください。ダメですか。そうですか。うぐぅ。起きないから奇跡っていうんですね。わかります。
まず戦力的に撃退は難しい。
僕らというかラクヒエ村の総力を結集しても瞬殺される。
つまり、お父さんたちが追いついても事態の解決にはならない。
次に甲殻竜の習性。仮に空腹期と満腹期とでも呼ぶとして。
満腹期の間は眠っているというなら、アクシデントのない自然な目覚めを迎えた現在は空腹期を意味してしまう。
猫耳少女の情報が正しければこれから満腹になるまで眠らないらしい。この巨体が満たされるほどの食事はどれぐらいかかるのか想像したくなかった。
なので、眠るのを待つ作戦も不可能。
ダメだ。エンディングが見えない。神兄様、どうすればいいの?
隣から突き刺さってくる視線に気づく。
ああ、僕が不安そうにしてたら彼女も怖くなっちゃうよね。意地を張るんだろ?
「よし。ご飯にしよう」
「?」
不思議そうに首を傾げないでよ。
シャツの中に入れていた黒パンを取り出す。他に入れる場所なかったんだもん。包み紙があるから汚くないから。
黒パンを半分に割って一方はしまって、もう半分を二人で分け合う。気持ち大きい方は譲った。紳士だからね!いや、単純に彼女は昨日の朝から何も食べてないし。
亀の食卓。
甲殻竜の背中で食事した人なんてどれだけいるんだろう?ちっとも嬉しくない。
分け合ったパンはすぐに食べ終わってしまった。再び少女がこちらを見つめてくる。これからどうするの?と目と耳が言っていた。
そうだね。まずは。
「僕はシズ。君は?」
自己紹介だろう。
いや、いつまでも少女とか村長の孫とか、耳とか、猫耳とか、猫耳とか、猫耳とか、猫耳少女とか、猫耳って呼ぶのもおかしいし。
「……リエナ」
「リエナね。よろしく」
握手のつもりで手を差し出されたら意味がわからなかったのか手を乗っけてきた。かわいい!抱きしめたい!
苦心の末、欲求を抑え込んだ。鎮まれ!俺の右腕!セクハラして張り飛ばされて転落死なんて前世より酷い死に方だからね?
表面上はポーカーフェイスで話を続ける。
「これから交代で休憩しよう」
「いいの?」
「疲れたままだといざという時にちゃんと動けないから。リエナから休んで。大丈夫。僕が見てる」
乗せられたままの手を握った。少しは安心してもらえるかな?僕の理性はノータッチの誓い破っちゃったけど大丈夫かな?
あれ。僕が不安になってきた。
リエナは少し迷っていたようだけど目を瞑った。すぐに寝息が聞こえてくる。昨日からずっと山の中を一人でいたんだ。おまけに甲殻竜なんて化け物に狙われる状況。無表情でわかりづらいけど疲れているに決まっている。
さて、一人になって思考に没頭できるようになった。
途端に押し寄せてきた後悔が胸を焦がす。
すぐ横で閉じられた甲殻竜の顎。並んだ牙の鈍い光。肌を撫でた獣の臭気。
遊びじゃない。現代日本では体験したことのなかった圧倒的な暴力。村の中みたいに安全が当たり前みたいに保障された場所じゃなかったんだ。いや、こんな化け物を実際に見た今となっては村だって絶対安全とは限らない。
恥ずかしい。前世の記憶を手に入れて人とは違うと、自分だけは大丈夫だと勝手に思い込んでいた。何の根拠もないのに。
怯えすぎて何もできないのもダメだけど警戒心がなさすぎだ。
ゲームじゃないんだ。親切に解決できる手段が用意されているわけじゃない。ひとつの判断が、ひとつの遅れが死を招く。
もっと必死になれよ、僕。
頭をガツンと殴られた気分だった。
こんなみっともないところをリエナには見せられない。1人で不安だったところにようやく現れた助けが頼りないんじゃ不安にさせてしまう。
再度、確認する。意地を張れ。その意地がまだ僕を動かしてくれるんだから。じゃなかったらとっくに心が折れていた。
深呼吸を繰り返す。
どうしたって恐怖をなくすことはできなかったけど、動けなくなってしまわないようにメッキはできた。
(持久戦、しかないよね)
お父さんたちが僕らを見つけてくれて、そこから救助してもらうまで。
或いは考えたくないけど、甲殻竜が次の満腹期に入るまで。
水は雨を待つしかない。水袋の残りの水を大切にしよう。
食べ物は半分の黒パンのみ。最悪、甲殻竜の甲羅に生えている草で飢えを凌がなければならない。
果たして8歳児の体は過酷な環境に耐えられるのか。不安だった。
「ん」
「あ、起こしちゃった?」
手を引っ張られてリエナが目を開けているのに気付いた。
まだ寝入ってから1時間ぐらい。
やばい。もしかして強く握りすぎてた?女の子と手を繋ぐなんて初めてだから加減がわからないよ。ああ。手汗が出てきた。大丈夫。子供の汗はぬめってないよ。サラサラだよ。ファブリーズいらないから。……ダメだ。慣れそうにない。
「まだ寝てていいんだよ」
「もういい。シズ、休んで」
健気な言葉に胸が熱くなった。
耐えろ。耐えるんだ。
ぐっと手を握り返してくるリエナに微笑み返した。少し歪んでしまったかもしれない。
(鼻血が出そうになった)
女の子に名前呼ばれて手を握り返されただけで鼻血ってどんだけ異性に免疫ないんだ、僕。我ながら情けないよ。
「ね?」
こちらの葛藤なんて知るわけもなく、というか知られたら僕は身投げするかもしれない。
とにかく、リエナはきゅっと手を握ってくる。小首を傾げて、頭の猫耳も気合十分でピンと立っていた。
いけない。直視していたら決壊する。目を逸らせ。
(……ん?なんか服の下が動いてる?)
逸らした視線の先が彼女の腰の辺りだった(深い意味はない。偶然です)のだけど、そこが何かモコモコ動いている。
(ま、まさか。それ。まさか。本当に?)
ズボンからぴょこん、と黒い毛色のしっぽが飛び出した。
ピーンと立ったしっぽ。長さは30センチぐらい。黒い毛は短いけどふわふわで先っちょだけ白い毛並みになっている。
のおおおおおおおたあああああああああっちいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!
鼻血の代わりに血涙が出そうになりました。
耳と同じく『しっぽ』と絶叫していたら暴走していた。拘束具なんて3秒で吹っ飛ばせるね。僕のA〇フィールドは猫型さ!
だけど、乗り切った。僕は勝ったんだ。
勝因?無意識に触ろうとしていた手を甲羅に叩きつけて黙らせたおかげかな。今ならこの甲羅だって叩き割れそうな気がするよ。うん。気がするだけなんだけどね。
というか痛い。
後からどんどん痛くなってきた。というかリエナの視線もイタい。どこか怯えたみたいな目でこっちを見ている。
いや、目の前でいきなり暴れだしたら怖いよね。うん。一般的に。決して僕の猫耳としっぽへの執着が怖いわけじゃないよね?ねえ?違うでしょ。違うに決まってるじゃない。違うって言ってよ!どうして離れるの!?ねえ、どうして!?
はい。ヤンデレごっこ終了。結論、男がやっちゃいけないよ、これ。怖さの中に見苦しさぐらいしかないから。
ふう。危なく体中の穴という穴から血が噴き出るところだった。
リエナは恐る恐るというふうに僕を見つめてくる。ああ。怖かったね。ごめん。もう大丈夫だよと頭を撫でた。
一目でわかるぐらいリエナがほっとする。
(うわ。髪の毛やわらかい)
内心で興奮している僕は油断していた。
リエナが自分の頭を撫でている手を捕まえるのに反応できない。
驚いている間に彼女は僕の赤くなっている手をペロリと舐めた。
鼻血を噴いた。
それはとても赤く、空気を染めて、宝石のように煌めき、木漏れ日を受けた景色は遠い故郷の夕暮れを幻視させた。
耳としっぽはセットです。
尻尾ではなくしっぽです。
By シズ




