番外13 猫の涙
番外13
シズがいなくなった。
わたしの目の前で。
赤い光がピカッて光ったら。
さっきまですぐそこにいたのに。
どこにもいない。
どんなに耳を澄ましても、
どんなに目を凝らしても、
どんなにシズのことを想っても、
少しもシズのことがわからない。
わたしだけは。
誰よりもわたしだけはシズのことがわかるはずなのに。
いまは少しも伝わってこない!
ずっと一緒だった。
ラクヒエ村で出会ってから、ずっと。
王都に行っても、ブランに行っても、この森に来ても。
ずっと、ずっと、ずっと。
一緒にいたのに。
近くにいたのに。
いまはシズがどこにいるのかもわからない。
体の芯が凍える。
伸ばしていた手は何もつかめない。
「シズ?」
呼んでも声が返ってこない。
世界が冷たい氷に覆われたみたい。
「シズ!」
不安で心が溢れた。
ミラもリラも驚いて止まっている。
わたしは何も考えられない。
シズがいない。
家の中を探してもいない。
外に飛び出してもいない。
大樹のあちこちを走り回ってもいない。
森の中を駆け巡ってもいない。
いつもみたいに綺麗に走れない。
バタバタと暴れるみたいに走る。
こんなにシズに会いたいのに!
シズのことがわからないなんて!
「みゃああああ」
心細くって声がもれる。
もうそうなってしまうと抑えられない。
気が付けばわたしはいつかシーヤと話した広場で泣いていた。
ポロリポロリと涙の粒がこぼれる。
「うにゃあああああああああああああああああああああああああああああああん!」
いないいないいないいない。
シズがいない。
いないの。
いないのがわかる。
わかってしまう。
シズはいま、このセカイのどこにもいない!
「リエナちゃん!」
不意に誰かに抱きしめらえる。
びっくりして腕に噛みついていた。
それでも誰かは逃げたりしないでわたしを抱きしめ続けてくれる。
わたしは興奮して何も考えられない。
誰かの心臓の音が聞こえてきて、それがゆっくりとわたしの中にも染み込んでくる。
少しずつ。少しずつ。
わかってくる。
「大丈夫よー。落ち着いてー。なにも怖くないからー」
落ちついた声。
安心するリズム。
(……ミラ?)
抱きしめてくれていたのはミラだった。
後ろにはリラもいる。すごいつらそうな顔をして、涙目になってる。
「リエナちゃん、落ち着いたー?」
いつもの優しい言葉。
それからやっとミラの腕を噛んでいたことを思い出した。
熱い鉄の味が口の中にある。
ゆっくり、口から力を抜いていく。
ミラの右腕に痛々しい歯形がついていた。うっすらと血の球が浮かんでいく。
今までとは別の痛みが胸に刺さった。
「……ごめん、なさい」
「いいのよー。こんなのー、ぜーんぜん、へいき」
そんなわけない。痛いに決まってるのに。
わたしはバインダーから回復の魔造紙を出す。
あ、槍がない。いつも持っているのに。どこだろう。家に置いてきた?走ってる時に落とした?
「……これ。落ちてたわよ」
リラが槍を持ってきてくれた。
上手にお礼を言えない。まだちゃんと息もできないみたい。
それでもなんとかお礼を言葉にして槍を受け取る。
「ん。『新緑の歌』」
傷口に魔造紙を当てて石突で押さえる。赤い光がミラの腕を包んですぐに傷はなくなった。
「ありがとうー、リエナちゃん」
「お礼、いらない。わたしが悪い」
真っ白だった頭がちょっとずつ動き出す。
シズがいない。
やっぱり、どんなに探しても見つけられない。
「シズ、いなくなった」
言葉にしてしまうと悲しみの波がまた押し寄せてきて、泣きそうになる。
「落ち着きなさいよ!泣いたって、なんにもならないでしょ!」
リラに怒られた。
いつも泣いてばかりのリラなのに、今も涙目なのに、でも泣いたりしてない。
「あいつが、そんな簡単に、いなくなるわけないじゃない!あなたが1番知ってるでしょ!」
ちょっと震える声で言われて思い出す。
そう。シズは1番。最強。無敵。
絶対に負けたりしないし、負けたままでいるわけない。
だから、どこかに行ってしまっても絶対に帰ってくる。
「……ん」
今はわたしがわかる所にいないだけ。
でも、そんなのシズには関係ない。
シズならどんなところからでも帰ってくるんだから。
「ん。リラ、ありがとう」
「いいわよ。別に」
リラはわたしの槍だけじゃなくて白木の杖も持っていた。
シズがレグルスを置いて行っているのだから、あの時の出来事が本当に大変なことだってわかる。
「さっきの、なに?」
「……後ろからちらっと見えただけだけど、模造魔法の根源術式って書いてあったわ。リエナちゃんはそれ聞いたことある?」
ふんわりミラがきりっとミラになった。
学園の授業とかシズといっしょに調べたことを思い返すけど、根源術式なんて聞いたこともない。
「バインダー、ちょっと見せてもらえる?」
「ん」
「……何も書いてないわね。バインダーも始祖様の残した技術なんだっけ。じゃあ、何が仕込まれていても不思議ではないのね。あの様子からすると魔法使いを識別してたみたいだけど、魔力量、独自術式、禁忌。それかしら。禁忌……シズ君、最後に言っていたわ。魔力は誰かが作ったって、それが禁忌?でも、それならおかしいわ。破ってはいけない禁忌ならシズ君だけじゃなくてわたしたちもまとめて消しているはず。あれだけの魔力ならこの里ごと消すことだってできたでしょうに。じゃあ、消されたのではないとしたら……シズ君はどこかに連れて行かれた?」
ミラの呟きは聞き取れるけど、何を言っているのかわからない。
でも、最後のはわかった。
シズはどこかに連れて行かれた。
わたしでもわからないどこかなんて思いつかないけど、平気。
シズなら絶対に戻ってくるから。
「ん。リラ、それちょうだい」
「それって、レグルス様?樹妖精の杖は人には持てないわよ?」
知ってる。前に触ったら棘が刺さった。
でも、手を出したまま待っているとリラは溜息をついてからそっと手に乗せてくれた。
途端に杖に棘が生えて刺さる。
だけど、放さない。
「レグルス、ちゃんとシズに返すから、それまで我慢して」
戻ってきたシズに渡すのは絶対にわたし。
他の人にはゆずれない。
増え続けていた棘が止まった。
ゆっくりと棘が木の中に戻っていく。
「ん。ありがと」
最後にちょっとだけ短い棘が刺さった。
今回だけだぞって言っているみたい。わかってる。
これはシズの杖。シズだけの杖。わたしは預かるだけ。
わたしのことを複雑そうに見ていたリラが全然違う方に向き直りながら聞いてくる。
リラはこっちを見たいのか見たくないのかよくわからない。
「……どうするの?」
どうしよう?
ずっとシズについて行くって決めていただけだからわからない。
「どうすればいい?」
「それはリエナさんが決めないといけないわ」
シーヤが来ていた。
なんで?
あ、色んなところ走り回ったし、すごい光ったし気になるよね。
白い布に包まれた長い物を抱えている。
「わたしたちはシズ君とリエナさんに協力するわ。でも、何を手伝ってほしいか決めるのはあなたたちよ。相談なら聞くし助言もする。だけど、決めるのはあなたよ」
シズじゃなくて、わたし?
シーヤもシズがいなくなったの知ってる?
あ、リラが先に話したんだ。遠くにいても話せるから。
決める。
これからどうするか。
わたしが決める。
ちょっと不安。
だけど、これが普通。
今までシズに任せていた方がダメ。
相談されて考えるんじゃなくて、何を考えるのかから決めないと。
シズが戻るのを待つ?
スレイアに行って誰かに相談する?
それとも、シズはいないけどブランに行く?
正解が何かはわからない。
でも、決める。
「……ん。決めた。ブランにいこ」
シズが武王との約束までに戻ってこれるかわからない。
スレイアに行ってもきっと誰もシズに起きたことはわからない。
なら、前に進むべきだと思う。
シズにだけ頼っちゃいけない。
それに、シズならわたしたちだけでどうしようもなくなったら、きっと来てくれる。
そう、信じてる。
「いいの?」
「ん」
「わかったわ。リエナさん。リラも。こっちにおいで」
シーヤに呼ばれる。
近寄るとシーヤは持っていた包みを慎重に渡してきた。
短い方をわたしに、長い方をリラに。
開けると綺麗な槍の穂先だった。
リラのは刀。鞘から抜くとわたしのと同じ光り方をした刀身が木漏れ日に反射している。
はらりと降ってきた葉っぱが刃に触れて、そのままスッと分かれて落ちた。
わかる。これ、すごいやつだ。
リラも驚いて、口をパクパクさせている。
「シズ君からのプレゼントよ」
本人が渡すべきなんだけどね、とシーヤが困った顔で微笑む。
シズから?
「魔神の鎌を加工したものよ。族長会議の前にシズ君に頼まれたの。誰か鍛冶の得意な人を連れてきてほしいって。リエナさんは槍の強度が足りなかったから」
シズ、わかってたの?
強化魔法を使って槍を使うと折れそうになってたこと。
さすが、シズ。すごい。
「リラは前に刀を折ってしまったお詫びだって」
「……いいって、言ったのに」
鞘に戻した刀をリラが大事そうに抱きしめる。
「お礼はシズ君が戻ってきたら言うのよ」
「ん」「うん」
「さあ、準備を急ぐわよ!」
シーヤが手を叩いたタイミングだった。
わたしとリラが同時に空を見上げる。
「何か飛んでくる」
「速いわ。これは……」
「竜……飛竜」
見上げた木々の上空を竜の影が通過した。
妖精編、終了。
次回からバジス編です。もしかしたら竜の大陸編って名前にするかもしれませんが、その時の気分次第。
これからプロットを考えるので次回更新に間に合わなければ申し訳ありません。頑張ります。




