96 実験
96
「……あー、んー、んー、うん。オーライ、理解了解。いや、ごめん。やっぱりちょっと、待って」
僕は若干の目眩に耐えながら、ゆっくり現実と向き合っていく。
目の前に立つのは高さ20メートル以上ある人型。
全身から赤い光をぼんやりと放ちながら、堂々と2本の足で直立している。
元となったミラの木を取り込んだ影響なのか、胸部が全体の中でも大きく膨らんでいる。それに対して手足も胴体も細い。その割にバランスは良いのか直立に危うさはない。
関節の辺りからは僅かな葉をつけた枝が飛び出してもいるけど、動きを阻害したりはしないようだ。
頭部は貌なし。鼻も口も耳もない。ただ2つの赤目がひときわ強い輝きを放っている。
光の巨人、赤いバージョンを想像してもらえばほとんどその通り。
南極大陸でおねむしてて、下手に接触したら大爆発とか起こしそう。
いや、巨大ロボット系を予想していたから。がっかりしたわけじゃないよ。
でも、何か言いようの知れない不安が沸き起こってきただけ。
だって、あれ系だとするなら、絶対にするよね。もうお決まりを通り越して風物詩みたいなものでしょ?
(……すぐ暴走しそうなんだけど)
なにせ、拘束具もないのだから大暴れしてくれと言っているようなものだ。
まあ、全て現代日本のオタク的な見地だから根拠はないけど。
「シズ君?何かありましたか?」
「いや、平気。ちょっと驚いただけ」
うん。逃げちゃダメだ。
いや、待て。まだ、引きずってるぞ。落ち着け。
深呼吸ひとつで気持ちを切り替えて、改めて召喚された巨人を見上げる。
(原書の全頁解放だけあって、かなりの魔力だ)
単身で魔神すら撃破できるという評価も納得だ。
物理的な攻撃が有効な魔神相手ならかなり期待できる。
「では、次に下級結界の法則原書を展開」
巨人を包み込むように深紅の繭が発生する。
全頁解放でも下級だとこんなものか。
雑魚相手ならともかく魔神相手には心もとないな。数発でも直撃したら破られると思う。
「続けて強度の付与原書を重ね掛けします」
うっわ。
さすが付与魔法。
結界の輝きが一気に強くなった。上級の結界よりも上だ。
ここまでいけば腐蝕の魔神でも溶かすことはできなかっただろう。
僕でも難しいかな。50倍の3種合成魔法でもないと砕けそうにない。
付与の強度は対象の強度を硬化も軟化もできるというものだ。強化は能力全体を底上げするのに対して、こちらは強度だけに限定している分、その面では強化に勝る。単純な硬度で勝負するのではなく、状況に応じてゴムのように柔らかくなるのも厄介だ。
敵に付与することも可能だけど、その際は直接魔造紙を当てなくてはいけないのが使い勝手の難しいところ。
僕は強化の方が使い勝手がいいので除外しているけど、前衛を担当する魔法士は愛用するという。
自在に扱うにはかなり繊細な操作がいるらしいので玄人向けだ。
「展開完了。リラちゃん、どう?」
「ええ。前回と同じ。問題なく作動しているわ」
巨人の各所に咲いた花から情報収集しているリラが確認する。
「シズ君?」
「こっちも問題なし。たぶん、ただの攻撃は徹らないと思う」
12冊のうち3冊が同時発動しているけど、ミラは操作に不安を感じないようだった。
順調な滑り出しと言っていいだろう。
「この後は?」
「属性下級の単発と、2冊同時発動の実験です」
原書の下級だとどれぐらいの威力になるだろう。
単発はともかく同時発動は上級をも上回りそうだ。
50倍の結界で防げるのだろうか。
『紫電渓谷』は100倍だけど、強化の方向性が範囲に振っているから単純な防御力では不安が残る。生物相手なら高圧電流で防げるだろうけど、魔法攻撃に対してアドバンテージにはなりづらい。
「一応、西側に向かって撃ってもらえる?」
十分に距離を置いているとはいえ、万が一にも森に被害が及んだら大変だ。
ミラも元からそのつもりだったようですぐに巨人が西方向に顔を向けた。
「では、氷の属性原書を単発で……」
「ん」
ミラが開始を宣言する前にリエナが待ったをかけた。
猫耳がぴくぴく盛んに動いている。かわいいと和みたいところだけど、ああやって周囲から情報を収集している時はリエナが警戒している時だ。
「リエナ?」
「何か、来る。遠いけど……こっちに向かってる。速い。それに、後ろ。たくさんいる。多い。これは……魔物?」
南東の方向に目を向けたまま呟いている。
単語だけでも物騒な気配がしていた。
やがて、こちらに視線を戻したリエナはしっぽをゆっくりと揺らして、既に戦闘態勢一歩手前になっている。
「シズ、すごい速さでこっちに何かが向かってきてる」
「何かってどういうの?」
「やな感じ。今まで感じたこともないぐらいやな感じ」
今まで?リエナが感知した中でも最大級ともなれば武王やルインさえも上回るということだ。そんな相手はひとつしか思い当たらない。
(魔神か?)
「それと南の方に魔物がすごいたくさん」
「たくさんって、どれぐらい?」
「数えきれないぐらい。多分、魔の森よりいる」
おいおいおい。万越えかよ。
どこからそんな大量に湧いて出てきた。
「そんな、海岸線には樹妖精の監視植物があるのに……」
「反応はなかったの?」
「ないわよ!今だって何も感知していないわ!でも、確かに、いる。すごい勢いで草木がなくなっている。これ、小さい竜みたいだけど」
甲殻竜じゃないならいい。もうあいつらの顔は見飽きた。
「小さい竜……走角竜か?」
「あれより小さい。でも、見たことないやつ」
新種か?
いや、もしもテナートから海を渡って来たというなら未知の魔物の可能性は十分にあり得る。
ミラの意見も聞こうとしたところで気づいた。必死で何かに耐えている様子。額には汗が浮いて、苦しげに細い息を漏らしている。
「ミラ!?」
「……巨人の、制御が……もう」
それだけ残して意識を失ってしまった。
慌てて抱き留めるけど、体が不自然なほど熱くなっている。苦しげに胸を押さえて、いくら呼びかけてもきつく閉じた瞼は開かない。
同時、背後で巨人が動き出した。
方角は先程までリエナが見ていた南東。
重たい音を立てながら、ゆっくりとした足取りで、それでも1歩で数メートルを踏み越えていく。
1歩ごとに足からは地を掴むように木の根が生えては突き刺さる。次の足が同様に踏み出すと、生やしたばかりの根を強引に千切って進んでいく。
完全にミラの制御から離れてしまっていた。
(本当に暴走しやがった!)
僕の嫌な予感ばかり当たらなくてもいいでしょ!?
シズがいて、実験で、不吉なシルエット。
失敗しないわけがない。




