92 鬼ごっこ
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樹妖精には植物操作という種族特性がある。
その中でもリラは感知に長けた能力を持っているとミラは言った。
大森林前で僕たちを待ち構えていたのも帰省時はその能力を生かした役目を受けているからだろう。
そして、リラの身体能力は高い。
樹妖精は元から人間よりも全体的に高性能なのに加えて、他の大陸まで出向いて原書収集するのだから樹妖精の中でも優秀な方なのだ。
ちなみに、師匠は種族最高峰に鍛えた肉体に、500年にも及ぶ武技の研磨で超人レベルに至っていたようだ。
更に場所は樹妖精の里。
道も知らない僕に対して、向こうは生まれ故郷。種族特性を利用すれば道なき道すらも通行可能。
地の利は完全に向こうにある。
そんな状況で追いかけっこして僕に勝機はあるのか?
あるわけない。
「なんて、思った、だろ?残念、でしたー」
全身汗まみれ。破裂しそうな心臓。ちっとも戻らない呼吸のリズム。
そんな状態でも僕はリラに追いついていた。
特別なことなんてひとつもしていない。
あらゆる条件が不利に働いているなら、僕は唯一勝っているもので勝負するしかない。
つまり、諦めない根性だ。
僕は追いかけた。
走って、走って、走って、走って。
空中回廊を。枝の上を。暗い洞の中を。
跳んで、登って、這いずって。
リラの背中を一瞬でも見失うものかと追いかけた。
ゴールのない鬼ごっこの勝敗を決めるのは何か。
絶対に追いつけないほど遠くに逃げるか、どちらかの心が折れるかだ。
ゲーム開始から10時間。
お互いにもう走るどころか歩いているのかよろめいているのかわからない有様だけど、気持ちだけは走っている。
奇しくも決着の地は初めて大樹を見た場所だった。
再び空は夜に閉ざされ始め、大樹の幹がうっすらと光を帯び始めている。
ライトアップされた舞い散る花弁の下。
そんな中、リラの心が折れた。
ぽっきりと。
きれいに。
「おねがい、だから、もう、やめて」
涙ながらに膝を抱えてうずくまるリラ。
拳を突き上げて勝利を主張する僕。
(あれ?似たような構図をブランでも見た気がするけど……気のせいだよね?)
嫌がる女性を執念深く追い続ける男。
ストーカーとの違いは劣情など一切ないことぐらいか。
つまり、見たままだと違いがないわけだけど。
大丈夫。情熱は伝わるものだから。
……いや、すいません。
ちょっと疲れて思考回路がおかしくなっていました。
段々と冷静になってきてかなり犯罪的な絵図だったような気がしてきた。ここが現代日本なら間違いなく通報されていたレベル。そして、誤解が解けないパターンだ。
逃げられるから追いかけていただけなのに、途中から目的と手段が入れ替わっていた。
負けるものかとレース気分になっていた気がする。すぐに負けず嫌いの自分がひょこりと顔を出してくるなあ。
「あー、ごめん。ちょっと、いや、だいぶ間違えた」
涙目で見上げてくるリラ。うん、大丈夫。ルインの時ほどじゃない。僕を見るルインの目は恐怖の大王に対するそれだった。
「……もう追いかけない?」
「追いかけない。約束する。最初に言ったけど、話がしたかっただけなんだ」
……言ったよね?言った。確かに言った。言ったら逃げられたのだから間違いない。
よし。原因は僕だけじゃないぞ。
積りに積もった花弁の絨毯の上に座り込む。
声を届けるには十分だけど、お互いに近寄るには一挙動以上必要になる位置。それぐらいがちょうどいいだろう。
しばらくはお互いに呼吸を整える。少し休めば、すぐに。
いや、普通に無理。気持ち悪い。吐きそう。鼻の奥がツンとする。おなか痛い。
意地を張るところでもないのでバインダーから回復魔法の魔造紙を取り出して、自分とリラを回復させる。
ようやく人心地着いた。
「あー。改めて、少し話をしよう」
「……断ったら追いかけて来るんでしょ」
「いや、しない。約束したから」
その時は別の手段を考えよう。
ミラに協力してもらえば何とかなる気がする。来ないと昔の恥ずかしい話を朗読とか。いや、ダメだ。それはいじめだ。そして、ミラは本当にやりかねない。
考えているとリラが深々と溜息をついた。
「なんなの、あなた?」
「いや、ただの人間だけど」
あ、始祖とか言った方がいいのかな?
でも、そういう意味で聞いてきたわけじゃないだろうし。
「私の知ってる人間はもっと酷かったわ。同胞が何人も攫われて、酷い目に遭ったり、殺されたりもした。私も弱っていたら親切なふりして近づいて襲われかけたわ。ミラは人間が全員そうではないって言うけど……」
「……そいつら、誰か覚えてる?スレイアに戻ったら消し飛ばす」
師匠の同族になにしてくれやがった。
どうせスレイアの貴族だろう。わかってないならわからせるなんてしないぞ。わかってないなら(物理的に)いなくなれ、だ。
「……本気で言ってる」
「当然だよ、ってわかるものなの?」
リラがじっと見つめてくる。
リエナの視線とも違う。何か奥底まで見通されるような感覚がした。
「私は感知が得意だから。何を考えているかはわからなくても嘘か本当かぐらい気づけるわ」
人間嘘発見器だ。
うーん。人間社会だと生きづらいだろうな。人間不信になるのも頷ける。
ある程度の鈍感さがないとすぐに疲れて潰れてしまう。
「ねえ」
「なに?」
「あなた、魔法使いよね?」
今さら何を。まあ、確認だろう。頷くとすぐに続けてきた。
「なんで、魔法を使わなかったの?」
まあ、気づかれているか。感知系だし当然だ。
追いかけっこでは強化の付与魔法も回復魔法も使わなかった。徹頭徹尾、己の五体のみで走り抜けた。
というか、大森林に入ってからはできるだけ派手な魔法は使わないようにしている。
理由は極めて単純。
「師匠の故郷を傷つけたくないからに決まってるじゃないか」
強化魔法で枝を踏み抜いたとか。着地で陥没させたとか。絶対に嫌だ。
「……それも、本当」
リラはしばらく逡巡していたけど、やがて決心したのか居住まいを正した。正座をして、両手を前に置き、頭を地面に下げて、勢い余って顔面から突っ込んだ。
ふが、とか言っているけど、下は花弁なので痛くなさそう。
ともあれ、その姿は見紛うことなき土下座だ。
うわ。僕、美人さんを土下座させている。
始祖宣言の時にも思ったけど、悪いことしていないのに罪悪感が湧き上がってくる。
一連の流れを目撃している人がいたら執拗に追い掛け回して土下座させている鬼畜がいると勘違いされるんじゃないの?
「えっと、新進気鋭の嫌がらせ?」
「茶化さないで。昨日は叩いてごめんなさい。それと今までの態度も。私が悪かったわ」
突然の謝罪についていけない。
何か心を開くようなポイントがあっただろうか。
ともかく、僕が謝罪を受け取らないとリラはこのままだ。
「わかったから。気にしてないから頭を上げてよ」
「いいえ。ちゃんと謝らないといけないわ。ミラに言われた通り、私、あなたが羨ましかったのよ。レグルス様に指導してもらえるなんて、守ってもらえるなんて。レグルス様に何度も戻ってきてほしいってお願いしたけど、それだってきっと近くにいてほしかっただけ。拳骨されて帰らされてばかりだった。だから!」
一気にまくし立てるリラ。
ああ。顔は見えないけど泣いているのがわかるよ。ほら、鼻すすってるし。
ていうかね。
「師匠が拳骨したなら気にかけてた証拠だよ」
師匠は気に入らない相手は無視するか、徹底的に叩き潰す。
拳骨したなら一緒に説教もあったはずだ。
それがリラに見どころがあると思ったのか、シエラさんの血縁だからなのかまではわからないけどね。
「……本当?」
「本当なのはわかるんでしょ?」
リラが恐る恐るといった様子で顔を上げた。
花弁まみれの顔だった。思わず吹き出してしまう。いや、シリアス展開からこれは酷い。完全に隙を突かれた。
最初はどうして笑われているかわからない様子のリラだったけど、鼻の頭から花弁が落ちてようやく気付くと真っ赤になって、続けて涙目になって震えだした。
あ、耳の先まで赤くなるんだね。
リラがキッと睨みつけてくる。
「―――――っ!や、やっぱり、認めないわ!ちょっと、嘘つかなくて、レグルス様のこと教えてくれて、森のこと考えてくれて、いい人なのかなぁって思ったりしたけど、そんないじわるする人なんてレグルス様の弟子にふさわしくないんだから!」
立ち上がるなり僕を指差して宣言してくる。
いや、もう結構認めてくれているような気がするのだけど。
「とにかく、叩いたのと悪く言ったのはごめんなさい!許してくれてありがとう!でも、これとそれとは別なんだからぁ!」
うーん。樹妖精で確実に僕より長く生きているはずなんだけど、精神的な成長は別問題なのかな。いや、僕が人の精神的な成長について語るなんて分を弁えろという感じだけど。
なんというか。そう、いじられて輝くタイプというか。
少しミラの気持ちがわかってしまった。
さすがのリラも『覚えてなさいよ』と言ったりはせずに駆け足で去っていった。おしい。
いや、結局戻る場所は一緒なんだけどね。




