89 シーヤ
0話や番外も含めると今回で100話でした。
早いものです。
今後もお付き合いいただければ幸いです。
89
「姉様。レグルス兄様……」
2本の白木の杖を抱きしめて静かに涙を流すシーヤさんを前に僕は言葉が出せなかった。
一段高くなった編み草の台座の上に座った妙齢に見える女性――シーヤさんこそ樹妖精の長だという。
どう見ても20代後半ぐらいにしか見えないけど、御年550歳を超えているらしい。樹妖精の平均寿命が300歳というからかなりの高齢だ。師匠に近い。
そして、先程の言葉からもわかるように昔の師匠を知る数少ない人物だった。
僕たちはリラに連れられて長の間に通された。
大樹の最上部に位置する高さまで登るだけで一苦労かと思ったのだけど、そこはリラが種族特性で解決してくれた。ゴンドラ状になった枝と葉でスーッとひっぱりあげられて到着。
まるで神社のような雰囲気の建物に入ると既にシーヤさんは僕たちを待っていて、互いに簡単な挨拶を交わした後、すぐに杖を貸してもらえないかと頼まれた。
手元にないのは不安だけど、シーヤさんの真剣な眼差しを断ることもできなかった。
リラの時にも感じた疑問だったけど、どうやら樹妖精の杖は同族を傷つけることはないらしい。人間なら僕以外は触れないけどシーヤさんも大丈夫だった。
静かに泣き続けるシーヤさんを見守ることしかできない。
僕もリエナは当然として、シーヤさんの脇に控える偉丈夫の男性も。
同席しているリラも言葉なく俯いている。いや、こちらはいつからか泣いていた。どうにも涙もろい性格のようだった。
シーヤさんの悲しみの深さは事情を知らなくてもわかる。
悲しみの大小なんて比べられるものではないけど、僕と同じぐらい傷ついていることがわかったから。
どこがどうってことではなく、直感で読み取れた。
たぶん、同じ痛みを知る者として。
シーヤさんにとって師匠がどんなに大切な人だったのかよくわかる。
「……ごめんなさい。取り乱したわ」
「いえ。もう、いいんですか?」
差し出された2本の杖を受け取りつつも聞き返してしまう。
僕は師匠の死を受け入れるまでもっと時間が掛かった。
シーヤさんは穏やかな笑みを浮かべてみせる。意識して作った笑みだとわかるけど、強がりでもないと思えた。
「覚悟は、していたから」
「そうでしたか。シーヤさんは師匠とはどのようなご関係で?」
なんとなく想像はつくのだけど、確認のために尋ねる。
「私はシエラ姉様の妹よ。レグルス兄様には本当によくしてもらったわ」
やっぱり。
確認すると師匠の血縁はいないそうだ。500年前の魔神の襲撃で亡くなったらしい。
なら、師匠にいちばん近しい人はシーヤさんで間違いないか。
「レグルス兄様の最期を聞いてもいいかしら?」
当然、聞かれる。
脳内で響いているのではないかと錯覚するほどの大きな鼓動に頭が真っ白になりかけた。
「……シズ?」
小さな声にリエナがいてくれることを思い出した。
大きく深呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻す。
心配そうに耳を伏せているリエナに強がりの笑みを見せて、あの時の出来事を伝えることにした。
「あんたのせいで!」
掴みかかってくるリラを躱すのは簡単だったけど、されるに任せた。
リラは涙を浮かべたまま僕を睨みつけてくる。
「あんたがいなかったらレグルス様は死ななかったのに!」
「……そうだよ」
頬で衝撃が走り、熱い感覚がじんわり広がっていく。
振るわれる拳も止める気はない。
それが気に障ったのか、リラが再び拳を振り上げたところでその手を握った人がいる。
「リラ、やめなさい」
「父様!でも、こいつのせいで!」
「レグルス様の生き様をお前が汚すな」
どうやら親子らしい。
リラは父の言葉に何を思ったか苦しげに俯くと掴まれた手を振りほどき、僕を突き飛ばすように押してそのまま出ていってしまった。
リラの父親らしき男性が手を差し伸べて起こしてくれた。
ずっと年下のはずの僕に躊躇いなく頭を下げてくる。
「客人、娘が失礼をした」
「いえ、当然の反応だと思います」
「すまない。娘の未熟を受け止めてくれたな。あれも客人が悪いわけではないとわかってはいるだろう。後で謝罪させる」
この人はセンさんというそうだ。朴訥とした話し方をする人だった。
全員が元の位置に戻って、改めてシーヤさんに頭を下げる。
「すいません。リラの言う通り、師匠が亡くなったのは僕のせいです」
「頭を上げて」
シーヤさんの声は穏やかだった。
不思議に思って顔を上げると、微かな微笑みを浮かべている。
「教えてくれてありがとう」
「……どうして笑っていられるんですか?」
少なくない反感を抱きつつも聞かずにはいられなかった。
「レグルス兄様らしいと思ったから」
「師匠、らしい?」
「いつもは人を寄せ付けないのに、気に入った人にはどこまでも世話をして、自分を犠牲にしてでも守ろうとする」
よく知っている。
いや、実感がこもっている?
シーヤさんが困ったような懐かしむような悲しむような複雑な微笑みを浮かべた。
「私も500年前にレグルス兄様に助けられたの。魔神の炎で森が燃えて、逃げ遅れたところをレグルス兄様が探しに来てくれて、森の外まで連れ出してくれたわ。……私を助けたりしなければ姉様を守れたかもしれないのに」
ああ。この人も僕と同じなんだ。
大切な人を引き換えに助けられて生き残った。
「若い頃なんてレグルス兄様に随分迷惑をかけてしまったわ。私なんて助けなければ、とか。姉様の代わりに、とか。ふふ。その度に拳骨されちゃったものよ。『ふざけたことを言うぐらいなら俺以上に仲間を救えるようになれ』って」
(……昔から、あの人は)
その様子が簡単に想像できてしまって、僕もシーヤさんも胸が熱くなってすぐに言葉が出なくなってしまった。
シーヤさんは僅かに潤んだ瞳を閉じて続ける。
「それから頑張って、頑張って、気づいたら長になっちゃってたわ」
「……すごい、ですね」
「だって、あの人に追いつきたいじゃない」
その通りだ。
その気持ちはとてもよくわかる。
「でもきっと、レグルス兄様は満足していたわ。こんなに自分のことを想ってくれるお弟子さんを守れたのだから」
そうだろうか。
いや、それは僕次第なんだ。
師匠の自慢の弟子としてどうあるかで変わってくる。
その言葉の重みに囚われてはいけないけど、忘れることなんて絶対に嫌だ。
「そうあるために努力します」
「ええ。頑張って」
先駆者の言葉は重かった。
そうだ。頑張ろう。
頑張らなければならない、ではなくて、僕が頑張りたいんだ。
「リラのことはごめんなさい。あの子たちには小さい頃からレグルス兄様のことを話していたし、特にリラは何度か王都で会っていたから」
面識があったんだな。
どうやらリラはシーヤさんの孫なんだとか。
この場にいたのは3人とも親族だったのか。見た目では実感できないけど、話している所を見たりすると納得できる。
「杖は僕が持っていても?」
「レグルス兄様はあなたに託したのでしょう?それに姉様も一緒の方が喜ぶわ」
素直に感謝した。
まだまだ僕には師匠が近くにいてくれないとダメだから。
少しだけ肩の荷が下りた気がする。
いや、まだ本題にも入っていないのだけど。
正直、僕にとっては師匠のことを伝える方が重大事だった。
とはいえ、こちらも大切な話だ。
互いに居住まいを正して、僕はヴェルから預かっていたブランの国書を渡した。
1度はシエラさんを連れて脱出したものの家族がまだ逃げれていないことに気づいた2人。
シエラさんに残るよう言っても聞き入れられず2人で森に戻る。
師匠はシーヤを見つけて外まで連れて行き、自身は再び森に。
その頃、シエラさんは魔神に見つかってしまい里から逆方向に逃げながら誘導。おかげで多く樹妖精が命を救われる。
状況を知った師匠がシエラさんを追うものの既にシエラさんは瀕死。
怒り狂った師匠が魔神を一時撤退させるも時遅く、シエラさんは師匠の腕の中で息を引き取った、というエピソードを入れようかと思ったのですが長くなってしまいそうなのでカットになりました。
ちなみに初代学長が来るのは再戦に挑んだ師匠が負けた直後です。




