9 探索
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幸い森に入ること自体は難しくなかった。
お父さんたち狩人が定期的に狩りに来るので踏み均されただけでも細い道がある。他はどこも背の高い草や蔦で覆われていてとても歩けそうにない。
あの子が来たならここを通っただろう。
他を通ったなら千切れた草とかが目印になっているはずだけど、そういうのも見当たらないから可能性は高い。
「こっちに来てたなら、だけど」
沈黙が怖くて独り言が増える。
どうせなら前向きなことを言えよ、僕。たとえば。
「きっとすぐにお父さんたちも追いかけてくるよ。見つかったら拳骨かな?」
デンプシーロール!デンプシーロール!
あれ?拳骨どころか本気パンチで吹っ飛ばされる未来が見えるよ?僕の頭もげるんじゃない?
おかしい。冗談でテンションを上げようと思ったのに逆にダウナーになってしまった。
「……出発」
陰鬱なスタートを切る。
日は出て間もない時間なので森の中は暗い。かろうじて数メートル先が見れるぐらいだ。
「おーい!」
「誰かいるかー!」
「いたら返事しろー!」
「志村、後ろ後ろー!」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」
いや、声が聞こえれば反応あるでしょ?
この際、内容は何でもいいと思うんだ。あ、気味悪くて隠れる?いやいや、たぶん声でわかるよね?立派なお耳をお持ちなのだし。
「あ、あきらめたらそこで試合終了だよ!」
「い、いいえ、奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です!」
「う、URYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!」
「え、え、エッチなのはいけないと思います!」
「お、おお、おー、俺の歌を聴けええええええっ!」
ごめんなさい。ふざけすぎですね。でも、テンションはあがるよ。
いつもならここでお母さんかお姉ちゃんに見つかるんだけどさすがにこんなところまでは来れないよね。
既に3時間近く歩き続けていた。
山の向こうから日は昇っているので最初より視界がよくなっている。
今のところは山の獣に遭遇することもなかった。人の使う道を歩いていることと大声を出していることがよい方向に働いているのだろう。
日頃の鍛錬のおかげでこれだけ歩き続けていても疲れはそれほど感じない。
まだ狩人の小道は続いているので道を見失っていない。村の人が追いついてこないのはスタートの違いと、どこに行ったかの確定ができないせいなのかな。
大声を出し続けて喉が痛くなりかけたところで森が開けた。
急に明るくなって目が眩んだけど、何度か瞬きすると目が慣れてきた。
着いたのは小さな崖だった。小さいと言っても高さが5メートルはある。大人ならともかく子供の背丈では下りたら戻れなさそうだ。
崖の下は小石だらけになっていて少し先が川だった。
ラクヒエ村の真ん中には川が流れている。たぶん、この川が上流だと思う。さて、問題はすぐ足元の崖の斜面だった。
何かが転がったように土が抉れている。ちょうど子供ぐらいの大きさのものが、だ。
素人目だけど土の跡は新しく見える。少なくとも数日も経過している感じではない。
想像する。薄暗い森の小道を走り続け、急に明るくなった先には崖。
改めて川辺を確認しても猫耳、訂正しよう、少女は見当たらない。
一度、森に戻って適当な長さの蔦を引っ張る。ぐ。自然の植物は思ったより硬いなあ。何度も繰り返すとようやく切れた。いくつか同様に千切って簡単に編み込んでいく。女子ってどうしてあんなに簡単に髪の毛を結えるんだろう。
苦戦しつつも足跡にロープができたので早速、崖近くの木に縛って下に投げる。ちょっと短かったけど下まで届いたみたいだ。
慎重に(第3者的にはびびりながら)蔦を使って降りる。
あー、手が痛い。作業しているうちに少し掌が切れている。
川の水で洗って小休憩を入れる。水を口にして、飲んだ分を水袋にも補充した。
「おい!いるのはわかっているんだぞ!ふん!機関のエージェントめ!今は泳がせておいてやろう!ああ全ては運命石の選択のままに!エル・プサイ・コングルゥ!」
いないから返事がなかった。
いたなら大恥をかいていた。
おかしい。僕が大恥をかくシチュエーションなら誰かが現れるはずなのに。はっ、もしやこれは機関の妨害なのか!?
ノリでやってみたけど恥ずかしい。鳳〇院さんぱねえッス。
……中二病ごっこはこれぐらいにして、自分の状態を再確認。
掌は傷ついたけど血も止まっていて怪我というほどではない。3時間以上の森の歩行による疲労はまだ感じない。その他、異常は自覚できるものはなかった。
まあ、適当なんだけどね。自分の体調を客観視とかできないって。1流のアスリートでもあるまいし。
「さて、捜索再開」
崖を下から観察すると何ヶ所か無理に登ろうとでもしたように土が崩れていた。やはり上で見たのと同じ崩れ方に見える。
どれぐらい前かわからないけど誰かがここに落ちて上がれなくなったのは間違いなさそうだ。
その子はどうする?
正解はこの場に留まる、だけど子供にそんな判断はできないよ。
冷静に何もせずに体力を温存するなんて我慢できない。体を動かしていないと余計に頭の中で恐怖ばかりが膨らむから。いじめっ子から隠れて撒いたのに何もないのが怖くなって隠れ場所から出てしまう。そんな心理だ。ええ。実体験ですが、なにか?
だから、彼女は動く。どこへ?
川を渡って向こう岸という冒険はない。恐怖と好奇心の秤で明らかに恐怖が勝つ。
なら、選択肢は上流か下流。
普通は下流一択なんだけど。子供の知識でそういうのわかるのかな?
足跡でもあったらわかりやすいけど小石だらけの河原から見つけるのは難しそうだ。お父さんならできるのかな?
下流ならうまくいけば既に村に着いているかもしれない。
なら、上流を確認するべきか?
あー。わからない。どのみち現状から確実に正解できるわけがないんだもんな。
決めた。上流に行こう。1時間ぐらい進んで何も見つからなかったら引き返して下流に向かう。
見つかればよし。実はもう村に着いていてもよし。見つからなかったらお父さんたちに情報を渡して後を頼む。
ついていきたいけど許可は下りないに決まってる。
けど、最善の選択はこれだろう。
決めたら即実行。迷ってる時間ももったいない。
川からは少し距離を開けて歩き始めた。うう。河原って歩きづらいな。
「見つけちゃったよ……」
思わず天を仰いだ。
いや、彼女を見つけて嘆いたのではない。
彼女の痕跡を見つけてしまったのだ。
そろそろ決めていた1時間になろうかという頃、河原にたまに生えている細い木に見覚えのあるローブが引っかかっていた。
少し土で汚れて湿っているけど間違いない。彼女のだ。
腕を組んで考える。季節は春とはいえ山の夜は冷える。防寒具は必需品だ。それを置いていく状況が想像できない。
何かあるのだろうかと見回しても普通の河原にしか見えない。
「ここで夜を明かした、のかな?」
僕が山に入ってから4時間ぐらい。
彼女が昨日山に入った予想時刻から想像するにここらで日が暮れたのかもしれない。
月のない山の川辺なんて一寸先も見えない暗闇の世界だ。
猫耳の彼女ならあるいは猫みたいに夜目が効くのかもしれないけど、それだって普通の人よりはというぐらいだと思う。何より夜目が効くというのは僕の想像でしかない。
というか疲れて休んだに決まってるか。いくら人より運動ができても山での遭難で肉体的にも精神的にも消耗している。
食べるものもないし……。食べ物か。
川で魚を獲る?いや、道具もなしに無理だ。獲れても料理できない。生では食べないよな。猫耳でも、ねえ?
なら、手に入りそうな食べ物はどこにある?
森に入れば木の実や茸が採れる。食べられるかどうかの識別ができるかは別として。
近くの崖を見ると木の根が露出している部分があった。ここをよじ登ったのか。僅かに土が崩れてもいる。間違いない。
これはいつのことだろう?夜ではないと信じたい。朝、だよな。
根っこを使って上に登った。
待っていたのは鬱蒼と茂る森だった。
河原まであった狩人の小道もない。自然の姿。それだけに何かが草を掻き分けた痕跡が容易に見つけられた。
踏まれた草と折られた枝。
すごい度胸だな。とてもじゃないけど僕はこんなところに入れない。
一度下に戻ってローブを回収した。
床の小石を並べて矢印を作っておく。ついでに木の枝を折って近くに刺しておいた。これならお父さんたちが気付いてくれるはず。
ローブは荷物になるので羽織らせてもらった。
……考えるな。女の子の着ていた服とか。変態じゃない。紳士。ジェントルメン。イエスロリータ、ノータッチ。
何度か深呼吸して気持ちを落ち着けて踏み入った。
先に人が通っているおかげで覚悟していたほど苦労しなかった。帰りも通ることになると思うので念入りに踏み固めておく。
本当なら今までのように声を出して呼びかけたいところだけど、ここは完全に人の手が入ってない森の中だ。どんな動物の縄張りに踏み入れてしまっているかもわからない。刺激しない方を優先しよう。
30分ほどが過ぎた。
猫耳の子の形跡はまっすぐに続いていた。
どうも食べ物を探している動きじゃない。というかこんな奥まで入らなくても茸とか生えていた。
なら、彼女は何を目指したのだろう?
進行方向に目的を感じる。完全に一方向を目指しているから。
村に戻れるあてを見つけたのかな?いや、そんな都合のいいことはない。
まさか何かに追いかけられていたわけじゃないよな。その想像に背筋が冷たくなった。のんびり歩いている場合ではないのかもしれない。
焦燥を飲み込んで歩みを続けた。ビビれ、僕。怖がりの方が生き残れるんだ。
そんな焦りもすぐに解決した。
風の唸りが急に強く聞こえ出したなと思っていた時、不意に開けた視界に目が眩んだ。
河原の崖を経験しているのでその場に留まってゆっくり目を慣らす。
目を開いて腰を抜かしかけた。
再びの崖。
今度はさっきより倍近い高さだ。
見回せばスプーンでくり抜いたようだった。広さはバスケのハーフコートほど。右手に見える一ヶ所だけがそのまま通路のように森の向こうへと続いている。
もしかしたら昔はここに川が流れていたのかもしれない。枯れた小さな渓谷と考えると納得できる。
地面はほとんど草も生えていないで落ち葉だけが堆積している。
森の中に突然現れた空白地帯。
そこに探し人はいた。
目に焼き付いた猫耳。
けど、喜びの声は上がらなかった。
上げられなかった。
上げたら大変なことになる。
何せ、彼女は。
(なんだよ、これ)
ダンプカーみたいな大きさの亀の甲羅の上で震えていたから。




