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魔法書を作る人  作者: いくさや
少年編
1/238

0 四十万静

はじめまして。

不慣れなため至らぬところがあるかと思いますが、その際はご指摘ください。

 0 


 社畜。

 勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄して、家畜と化したサラリーマンの状態を揶揄した造語。


 つまり、俺だ。

 朝は6時から夜は12時までの18時間勤務。

 1週間は月・火・水・木・金・土・月な週6~7日勤務。

 連休なんて年末年始に取れたら上々で、月の平均勤務時間が450時間。

 納品、陳列、売場変更、広告、レジ、接客、バイトの面接に教育、本部への書類作成などなどなどなど。働けど働けど我が仕事なくならず。


「そして、今日も今日とてサービス残業」


 一人暮らしが長いせいか独り言が多くなってきたよなあ。

 そんな、深夜の2時過ぎ。

 無人の事務所で一人寂しくパソコンを打ち続けている。

 眠い。疲れた。頭の奥がズキズキする。

 けど、帰れない。

 や、帰っても待ってる人がいるわけでもなし。誰に迷惑をかけるわけじゃないからいいんだけどね。


「あー。きつい。目がちかちかしてきたな」


 20代の時は徹夜してもまだ余裕があったんだけどな。30代になった途端に体が重くなった気がする。うん。まあ、軽くメタボなのは否定しない。

 ともあれ、体が発するSOSは無視できそうになかった。

 長い残業経験上、こういう時は小休憩を挟んだ方がいいと知っている。


「となれば」


 鍵のかかった引き出しの一番奥に隠したミュージックプレイヤーを出してイヤホンをセット。

 お気に入りのアニソンを大音量でスタート!

 あー、生き返りますなあ。歌はいいねえ。この頭の奥が溶けるような中毒性。

 続けて3曲ほどアップテンポな電波ソングで下がりきっていたテンションを持ち直す。

 ちょっと脳の回線がバグってきたような気もする。だが、それがいい!


「隠蔽を重ねたオタク趣味。それを無人の職場で全開で堪能する快感!たまらないね!」


 そう。俺は隠れオタクという生体だ。

 わかってる。ヘタレだと言いたいのだろう。オタクの矜持はないのかと。保身に走った臆病ものめと。裏切り者めと!

 そんなもの痛いほど理解している。

 だけどな。

 俺は中学時代にオタクばれからいじめを受けた。

 からかうなんてレベルではない。ガチのいじめだ。

 クラス中から受ける嫌がらせと無視。謂れもない罵倒と評価。

 中学の3年間は俺にとってトラウマ以外の何物でもない。

 そんなだから俺の中では『オタばれ=迫害』の図式が根づいてしまっていた。


 今では日本のアニメーション技術は海外でも評価され、非オタクでもアニメを見ておかしくない時代になっている。

 俺がカミングアウトしてもあの頃のような酷いことにはならないだろう。

 それでも頭ではわかっていても体が拒絶するのだ。

 想像するだけで腕の内側に押しつけられた煙草の痛みを思い出す。

 トイレの便器の水の味と臭いがフラッシュバックする。

 とてもじゃないがカミングアウトなんてできない。


 だから、もう色々と諦めている。

 オタク趣味は一人で楽しめばいい。

 他の人には迷惑をかけないように潜む。

 そんな生き方をしてきた。

 だから、心を開く相手なんていない。

 当たり前だ。

 趣味さえ隠している人間に本当の意味で親しい相手なんてできるわけがない。

 誰に対しても表面の付き合い。

 俺は踏み込まず、相手にも踏み込ませない。


「なんて、今さらだよな」


 どうして上がったテンションが落ち込むような思考をしてしまうのか。

 仕事に意識を向ける。

 アニソンを聞きながら仕事するのはいけないことだが、そもそも今は勤務時間外。多少の公私混同は見逃してくれ。

 キーボードに手を伸ばして、書きかけのレポートの続きを考えたところで違和感に気づく。


 手が、動かない?


 指先の感覚がない。

 視界には俺の腕があるのにそれがいつものように動いてくれない。

 ディスプレイに意味のない文字列が埋められていく。

 肩にかかる不自然な重さがきもちわるい。

 なんだよ、これ。なんなんだよ。

 じわりと恐怖が足先から這い上がってきた。

 早鐘を打つ心臓の鼓動が耳にうるさい。

 無意識のうちに意味もなく椅子から立とうとした。


「え?」


 世界が倒れた。

 机どころか壁や地面まで90度回転する。

 違う。倒れたのは俺だ。

 受け身も取れないで無様にこけたんだ。

 慌てすぎだ。

 落ち着け。

 深呼吸しろ。

 自分に言い聞かすのに全然息が整わない。

 ぜーぜーと熱い息が漏れるだけ。


 なんでだ?

 どうして?

 あんなに激しく転んだのに。

 俺はどうして痛みを感じないんだ?


 気が付けば両手の感覚喪失は全身にまで至っていた。

 どんなに命令しても指先ひとつ動いてくれない。


 霞む視界。

 熱くも冷たくもない床。

 弱い呼吸。

 声にならない吐息。

 外れたイヤホンから微かに届くアニメソング。


 ああ。音楽止めないと。

 見つかったらばれる。


 こんな状況でそんなことを考えるのだから俺のトラウマは徹底していやがる。

 段々と意識が遠くなってきた。

 俺は死ぬのか。

 確信に近い予感。

 無茶な働き方をしていたからいつかはこうなるかもなんて思ってはいた。

 それが現実に我が身に降りかかるとは思っていなかったけど。


 残されたわずかな時間で思った。


 俺の一生はなんだったんだろう。

 いじめられて。

 好きなことも誤魔化して。

 社畜となってボロボロになって。

 誰にも心を開かず、色んなことを我慢して、諦めたまま。

 こんなところで一人寂しく死んでいく。

 看取る人もいない。

 悲しむのは両親ぐらいか。

 誰の心にも残らないんじゃないか。

 嫌だ。

 自業自得だってわかっているけど。

 嫌だった。

 こんな惨めな生涯。


 もし、次があるなら。

 次こそはもっと自由に生きたい。

 誰かと心を通わせたい。


 だけど、決意はむなしく消えていく。

意識は深い闇の底に落ちていき、底なしの黒の中に潜って浮かび上がらない。


 こうして俺……四十万しじま しずかの人生は終わった。

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