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十五年

作者: 椎葉碧生


…夢だ、これは夢。夢オチと言う奴だ。さぁオチろ!! さぁ!!


「目、乾かない?」


夢の癖にレスポンスするなーっっ!


ニヤニヤとしながら、あたしの目の前に座る男はウーロンハイを煽った。オチナイ。

あたしはやはりリアルなのかと項垂れ、幹事であり下座に座るサチコを呪う。末代まで呪ってやる、そう誓う。


これは『合コン』という男四人対女四人の居酒屋で行われている飲み会である。二年程彼氏が居ないあたしを不憫に思ったサチコが企画したもので、サチコの会社の男繋がりらしい。どんな繋がりだっ!!

どういう繋がりをもってしたら、あたしを二度も振った男があたしの目の前に座る等と言うミラクルを起こせると言うのかっ!

五分程前だった。この男、野口清太(しょうた)はウェリントンの眼鏡を掛け、堂々と集合時間に三十分程遅れてやって来た。あたし以外の女三人はこの男を見た瞬間、呆けた顔をした。何故かって、見目麗しいからだ。

綺麗な二重、すっと伸びた鼻梁、薄い唇。笑うと見える八重歯が愛らしい。


あたしは、阿保な顔をした、様だ。開いた口が塞がらないとはこういう事を言うのだろう。髪はすっかり伸びて『野球少年』などと言う面影はないが、その目元も八重歯にも見覚えがある。見覚えどころでは無い。忘れる訳がない。小学校から中学、高校迄ずっとずっと好きだった男だ。

男はあたしの前に座っていたマサキ君を退け、上座へと座り


「初めまして、野口です」


とぶちかました。『初めまして』?

この男はまたしても、あたしを”スルー” なのか。いや、此れは悪い夢に違いない。こんな事がリアルに起きる訳が無い! と冒頭に遡る。




今迄、自分の前に座っていた男達と談笑していた女達、幹事のサチコ迄もが清太に熱い視線を送る。サチコは彼氏が居る筈なのに、サチコの繋がりの合コンの筈なのに、何故っ!

清太は、むず痒い程のイケメン振りで女達を翻弄した。野口の横に一列に座っている他の三人が霞んで見える。

と言うか、誰だこの野口。


あたしが知る野口清太は、やんちゃな男子だった。野球やスポーツは得意だが勉強はイマイチの典型的体育会系。明るくて冗談も言うから中学になると先輩にも可愛がられて、主将にもなって責任感が増し後輩にも慕われていた。ぐりぐりの坊主頭だったけど、清太を好きな女の子は片手で足りない位は知っている。

あたしもその一人だった。

清太とは小学校から一緒で、清太を好きだなぁと思ったのは四年生の時からだ。クラスで下らない事ばっかり言ってるのに、リトルリーグで白球を追う清太は別人みたいに一生懸命だった。汗や泥で汚れた顔、イレギュラーボールを顔面に受けても、「ばっちこぉーい!」と叫ぶ清太はキラキラと輝いて恰好良かった。



決して、目の前に居る男の様にヘラヘラと女を侍らす男では無かった。



あたしは軽い眩暈を覚えながら、腰を上げるとサチコの横、末席へと移動した。空席を埋めるかのように女達は一つずつお尻をずらす。清太以外の男が、不審な動きをしたあたしへと視線を向ける。あたしはこの居たたまれない空気を払拭する様に彼等に笑い掛け、

「次、何飲みます?」

とメニューを広げた。

…アレはあたしの知っている野口清太ではない。他人の空似だ。彼も「初めまして」と言ったではないか。あたしはアレを知らない。うん、そうだ。よし、飲もう。

一対三、一対三の小規模な飲み会が開かれている居酒屋の個別ブース。うん、最早『合コン』ではない。



週末の居酒屋が二時間制、セオリーでしょう。幹事のサチコと男側の幹事タカアキが精算をして、サチコの友達のユリが清太の空似の野口に「二次会行こうよぉ」としな垂れ掛かっている。あたしもタカアキに「カラオケに行こう」と声を掛けられた。何となく、むしゃくしゃするから行っても良いかと手を上げ……られないっっ!!

掴まれた手首に視線を落とし、大きな手の主の元を辿る。空似の野口だった。

「…何ですかぁ?」

「ごめん、彼女酔ってるみたいだし俺、送っていく。またね」

言うが早いか、空似の野口はあたしを引っ張り肩を抱くと、あたしの意思などお構い無く足早に歩き出した。「野口くぅん?!」名残惜しそうな女達の声が、遠ざかって行く。


繁華街から路地へと入ったのか、人の数がぐっと減った。あたしは空似の野口の手から逃れようと肩を捩り「放して下さいっ」と声を上げる。望み通り、手は離れあたしは逆によろめいた。


「急に放さないでよっ!」

「放してって言ったし」

「言ったけどっ」


テンポの良い掛け合いをしてしまった所で空似の野口が笑った。くそぅ八重歯が可愛い。



「変わってねぇの、(みのり)



空似と言ってくれ…残念ながら、あたしの知っている野口清太らしい。あたしは項垂れた。


「…清太は変わったね」

「変わってねぇよ。あ、髪は伸びたか」

清太は自分の髪を摘まみ上げ、笑う。視線を逸らし一緒に笑う事をしないあたしを、清太は訝しく思ったのか直ぐに笑いを収めた。

「何、カラオケ行きたかった?」

「…別に」

「じゃぁ何に怒ってんの?」

「…怒ってないし」

「じゃぁ根に持ってる?」

「…は? 何を…?」

「俺がお前を振った事」


うわ、本当何処から目線? あたしはキッと清太を睨みつけ「気にしてないしっ」と叫んで踵を返した。学生の頃から「阿保」とか「馬鹿」とか言われた事は多々。だから清太がそういう口調で話す事は承知している。でも、明らかに人を傷つける様な物言いはしない男だった。今みたいにあたしの古傷を抉る様な真似はしない男だった筈だ。


「待てってっ!」

待てと言われて待つ程、あたしはお人好しじゃないよっ。歩くと言うよりは走りに近い足の運びのあたしの数歩後ろに靴音が聞こえる。あたしが最後に見た高校三年の春の時よりも更に身長が伸びたのか、コンパスも長い。あっと言う間にあたしの前へと回り込む清太。


「っ…前に立たないでよ!」

「俺退いたらお前、逃げるだろ」

「決まってるでしょ」

「…久々の再会じゃん。もうちょっと話そうぜ」


にへらと笑うこの男の顔が気に食わない。昔は好きだった筈なのに。

あたしの好きだった清太はこんな風にだらしなく女に笑い掛ける男じゃなかった。


「会いたくなかった」


苦い笑いが込み上げる。





   ***




清太に初めて告白したのは小学校六年の時だった。学区が同じだから、同中に上がる事は判っていたけれど、”卒業” に乗じて告白をしようと思った。…正直言うと、中学になるとグッとライバルが増えると見越したからだった。仲の良かった友達も、好きな男子に告白するって言ってて「じゃぁ一緒に言おう」みたいなノリも有ったと思う。ノリって言うのも失礼な話かもしれないが、十二歳だ、御愛嬌だろう。

卒業式が終わると、何とか清太を教室に呼び出して

「清太が好き」

と気持ちを伝えた。余りにも恥ずかしくて俯いていたから、その時の清太の顔は見ていない。けれど暫く沈黙が続いて、あぁ此れは脈が無いんだと振られたんだと理解した。あたしは自分が居た堪れなくなった。此処で泣いたらもっと恥ずかしいと思ったあたしは泣くのを堪えて、何とか笑う。

「それだけ、ありがと、バイバイ」

って教室を飛び出た。卒業してからは春休み突入で、中学校の入学式当日迄、清太の姿を見る事は無かった。ブカブカの学生服に身を包んだ清太は、やっぱり恰好良かった。中学は一学年十二クラスと言う大きな学校で、見事にと言うか、三年間清太と同じクラスにはならずあたしが出来る事と言ったら部活に励む彼を盗み見る事だけだった。

未練たらしく彼を想い続けた中学三年間。何ら接点は持てなかったが、あたしの気持ちは清太にしか預けられなかった。

野球の強い高校へ進む清太と、家から近い公立高校へと進むあたし。今度こそ本当に清太を諦める時が来たのかと覚悟した中学の卒業式。その覚悟は呆気なく崩れた。


(みのり)


担任や友達と写真を撮っているあたしを呼んだのは紛れもなく清太だった。この三年間、口を聞いたことすら目すら合った事のない想い人があたしを呼んだ。


「高校行っても頑張れよ」


そう言って、タコが出来た大きな手であたしの頭を撫でた。

狡い狡い狡いっ!! 何を頑張れって言うんだ!

あたしは清太を諦めて、高校デビューってのをして、清太じゃない誰かを好きになって、清太じゃない彼氏を作るつもりだったのに。

どうして此処に来てあたしに話し掛けたりするんだっどうしてあたしに触れたりするんだっどうしてその熱をあたしに分けたのだっ!



結局…高校デビューも叶わずあたしは普通の女子高校生になった。そして清太の行った学校のホームページをチェックしたり、SNSを最大限に利用して野球部の試合に足繁く通う二年を送る。春の大会の県予選、負ければ引退のその試合をあたしは観に行った。一回戦から強豪校と当たり、幾らか諦めムードのある応援席であたしはお守りを握り締め清太を応援した。

あたしは清太の努力を知っている。誰よりも、等とおこがましい事は言わない迄も彼を伊達に八年間見てきた訳じゃない。相手が何処であろうと、勝って少しでも甲子園に近い所に行って欲しいとあたしは願い祈った。


結果は、四対三の素晴らしいゲームだった。清太達ナインに惜しみない拍手が贈られた。応援席に座る人達に対して彼らが帽子を取り去り、深々と頭を下げる。

「有難うございましたぁっ!」

最後まで頭を下げていたのは主将だった清太で、あたしの目からは涙が溢れて止まらなかった。

きっとこのメンバーで一番甲子園に行きたくて一番努力をして、一番野球が好きだったのが清太だ。彼の夢が終わってしまうと思ったら、悔しくて悲しくて涙がどんどん零れた。


県営野球場の片隅で膝を抱えるあたしの傍に、清太はやって来た。

「もう締めるって」

あたしはタオルで顔半分を覆って泣き腫らした目を清太に見られない様に俯いて、のろのろと立ち上がった。

「…悪かったな、連れて行ってやれなくて」

その台詞をあたしに言うのかっこの野球馬鹿っ。アンタが一番悔しがってる癖に、あたしなんか慰めに来るんじゃないっ!

心の中でそう叫びながら、言葉にしたのは別の台詞。


「清太が、好きだからっ」


嗚咽混じりの告白をして、あたしは今度こそ何か言って! と清太を見上げた。清太は帽子のつばを引き下げて表情を隠して無言のまま、軽く頭を下げる。今度も又、此れが彼の答えだった訳だ。あたしも何て懲りない…。

「バイバイ」


今度こそ、ばいばいだ。





   ***






「…俺は会いたかった」

清太の言葉にあたしは耳を疑った。彼に視線を向けると、清太の方がよっぽど傷ついた表情をしている。

「知ってるか、穂」

「……」

「俺が名前で呼ぶ女、お前だけだって」

動揺するな、あたしっ。この男の台詞に振り回されては駄目だ。痛い目を見るのはあたしなのだから。

「だからどうした」

「…男前過ぎだろ、それ」

煩い煩いっ。もうあたしを振り回すんじゃないっ。

「俺の友達が今日、コンパに行くって。幹事のタカアキって奴がご丁寧に女側の簡単なプロフィールをメールしてきてた。たまたま其れを見たら其処にお前と同姓同名の柴崎穂って名前があった。年齢は二十四、飲み会の場所が此処。絶対お前だって言う自信があった」

「…話ウマすぎでしょ、それ」

「友達に、代わって貰った。お前に会いたくて」

「空似の野口、あたしの知ってる野口清太は女にそんな歯の浮く様な台詞を吐く男じゃなかったんだよ」

「空似じゃねぇ」

とにかく、あたしの好きだった清太は居ない。だからあたしはその男の横を擦り抜けて行こうとした。


「なぁもう一回言えよ、俺を好きだって」


馬鹿なの?

気狂ってるの?


「アンタねぇ? アンタがあたしの好きだった野口清太だったとしてっ! この六年音信不通だった男を好きだとか有り得る? あたしは清太の六年を知らないしっ、あたしは清太に二度も振られてんのっ。あたしがっ、ど、んな思いでっ…どんな…」


馬事雑言ぶつけてたら、感情が止め処も無く溢れてきて、凄く凄く好きでどうしようもなくて、諦めきれなくて苦しかった事が走馬灯のように押し寄せて来て、どんどんどんどん涙が零れた。


「悪かった」

そう言って清太はあたしの震える身体を抱き締めた。全く以て知らない感覚で、あたしの頭の中はパニック状態になり息苦しくなる。

「小学生の時は本当に解らなかった。好きだとかそういう気持ち。野球しか知らなかったから」


中学生になって男女の差は更に著しくなって、周りでも好きだとか彼女とかヤッたとかヤらないだとか…やっぱり自分には野球があって焦りなんか無かった。でも、穂が野球を好きな自分を純粋に応援してくれている事は本当に嬉しかった。コイツは俺の事、無条件に受け入れてくれてるって胡坐を掻いてたと思う。

高三の春、お前に告白された時…正直戸惑った。

俺自身お前に好意は有った。有ったけど…甲子園の夢が断たれてハイ次女って言う程器用にもなれなかった。戸惑ってる間にお前は「バイバイ」って目の前から消えて行った。

考えてみれば高校の違う俺とお前を繋ぐのは「野球」しかなかったのに…二度もお前を傷付けて連絡取れる程図太くもなれなかった。


「後悔だったよ。お前と会えなくなった俺には後悔しかなかった。大学で野球を続けたけど…趣味の範疇を超える事はなかった。知り合う女は一様に”野球やってたんだ、凄いね” の一言だ。何をして凄いなんだよって思った」


清太の長い話を聞いてる間に涙は薄くなって、息を整える。未だ抱き留められた状態だから思考能力が低下はしているが、清太の野球は凄いよってあたしは未だちゃんと思えた。


「…お前の知らない六年、俺お前の事ずっと想ってたよ。なぁ…穂、もう一回言ってくれよ」


小学四年から高校三年の八年の間に通算二回の告白は玉砕。二回目の玉砕から二十四歳の今日迄の約七年、トータル十五年。



馬鹿にしないでよ。


あたしは力強く清太を押し返し、身体の自由を奪い返す。清太は虚を突かれた様な顔をした。



器用じゃない、図太くないなんて言い訳しないでよ。本当に好きだったんなら、本気で連絡取る気なら出来た筈。




「本気、見せて。あたしに本気だって証拠見せてよっ」




もういい加減忘れたかった。会わなくなって七年。

街で電車で取引先で、清太に似た人に会う度に心が掻き乱された。望みなんて持ってない、だって二度も拒否されたんだから。なのに諦めきれなかった。

だって本当に好きだったんだもの。

別の男に気持ちをやれない程に、好きだったんだもの。簡単じゃなかった、諦めるなんて簡単じゃなかった。




「九回裏ツーストライクスリーボール、最後の一球。清太はどう出るの?」




挑戦的な目を向けたあたしに清太は”参った” と言う様に笑う。そして言った。

「どんな球でも全力で振りに行く」

清太ならそうするだろう。清太はそういう野球をしてきたのだから。だけど、あたしはただの白球じゃない。



想いのある柴崎穂なの。



だから本気(おもい)を見せて―――――。











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