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谷崎潤一郎の『私』

作者: Setsu
掲載日:2026/05/09

 谷崎純一郎に『私』という短編がある。一高の寄宿寮に居た私が「ぬすツと」の疑いをかけられる。友人の寮生がつぶやく。

「ぬすツととなるとどうも人種が違ふやうな気がするからナア」

 谷崎の女性との関係を見ていると、小説家となるとどうも人種が違ふやうな気がすると思わざるを得ない。

 谷崎は最初の結婚相手である千代夫人の妹セイ子と関係を結んだ。妖艶な美人のセイ子を谷崎は葉山三千子という女優にして、原作・脚本:谷崎潤一郎の映画に出演させた。

 谷崎の親友である佐藤晴夫はセイ子と暮らす谷崎と浮気夫を献身的に支える千代夫人の間を行き来して取り次ぎし、千代夫人への同情が恋情に変わり、とうとう、谷崎から彼女を譲りうける約束を取り付けた。しかしセイ子に結婚を断られた谷崎は、その約束を取り消した。怒った佐藤は谷崎と絶交したことが一九二一年の小田原事件として知られている。谷崎潤一郎は佐藤との会話をメモに取ったりしながら、その三角関係を一九二三年に『神と人との間』として発表した。従順な千代夫人が自分の妹セイ子に夢中の谷崎に妻として尽くす心情を悲しい苦しいと知りながら、自分の行為を良心のある人間ならすべきでないことと分かりながら、それを小田原事件の二年後に小説にしたのである。千代夫人の妹セイ子との奔放な恋愛模様をその翌年の一九二四年に『痴人の愛』に仕立て上げ、しかもその上に一九二八 年に『蓼食う虫』を発表している。書生の和田六郎と千代夫人の不倫を公認し、それを材料に描いた小説である。まるで小田原事件をきっかけに、周囲の人々を傷つけてきただろう自分を世間に対して開き直ったような小説家としての谷崎であった。普通の人種であるならば、他の異性に心を惹かれたり、それが浮気にまで発展する事はあっても、また結婚相手に不倫があっても、自分の名誉や関係する人々の迷惑を考えて世間にそれを堂々と発表する事はないだろう。そして大抵の場合は、家庭を保つと言う責任を全うする。しかし谷崎は普通の人種ではない小説家であった。

『私』は一九二一年三月、谷崎が三五歳の時に発表されている。佐藤晴夫に千代を譲る約束を取り消し、佐藤と絶交した小田原事件と同じ年である。一高を舞台にした小説だから、もっと早い時期に描かれたものかと誤解しがちであるが、友に妻を譲ると言ったあの言葉はどうだったのかと、世間からも非難されている時期に書かれた。

 盗みの疑いをかけられた「私」は彼を疑わない寮生に熱い友情を誓うが、結局は「私」が「ぬすツと」であることが明らかになる。彼らを騙したことになる「私」は独白する。

「さうだらう、僕は決して一言半句もウソをつきはしなかつたゞらう。ウソはつかないがなぜハツキリと本当の事を云はなかつたんだと、君たちは云ふかも知れない。やつぱり君等を欺して居たんだと思ふかも知れない。しかし君、そこはぬすツとたるの僕の身になつて考へてもくれ給へ。僕は悲しい事ではあるがどうしてもぬすツとだけは止められないんだ」

 盗みの対象が小説の種であり、友情を恋愛、「ぬすツと」を小説家と置き換えて考え、上の文章で「僕」を谷崎とし、「君たち」を女性たちとしてみると次のようになる。谷崎は決して一言半句も女性たちにウソをつきはしなかつた。ウソはつかないがなぜハツキリと恋愛は小説を書く材料である事を云はなかつたんだと、女性たちは云ふかも知れない。やつぱり女性たちを欺して居たんだと思ふかも知れない。しかし、小説家たる谷崎の身になつて考へて欲しい。谷崎純一郎は悲しい事ではあるがどうしても小説家だけは止められない。

 まるで『私』中で小田原事件の言い訳をしているようである。小説家になるべく生まれた自分の運命を開き直って公表しているようである。自分の良心が咎める道徳に反する行為をしたと谷崎は自覚している。そこまでしても谷崎は小説家だけは止められなかった。

 その理由は、やはり『私』の中に書かれている。友人の寮生内で皆に信頼されて居る樋口と自分を比べて「私」は以下のように述べる。

 「彼こそは最もぬすツとに遠い人種である。さうして彼が其の信頼をかち得た原因は、彼の上品な人相と、富裕な家庭のお坊つちやんであり博士の令息であると云ふ事実に帰着するとすれば、私はさう云ふ境遇にある彼を羨まない訳に行かない。彼の持つて居る物質的優越が彼の品性を高める如く、私の持つて居る物質的劣弱、―S県の水呑み百姓の忰であり、旧藩主の奨学資金でヤツと在学しつゝある貧書生だと云ふ意識は、私の品性を卑しくする。私が彼の前へ出て一種の気怯れを感じるのは、私がぬすツとであらうとなからうと同じ事だ。私と彼とは矢張人種が違つて居るのだ」

 谷崎が高等科卒業したころ実家の商売が傾き、奉公に出されるはずだったが、神童とまで呼ばれた才能を惜しむ周りの援助により中学校へ進むことができた。その後は援助者の家に住込みの書生となり、学業を続けることができた。ところが一高に在学中、その書生だった家で小間使いとの恋愛事件を起こし、追い出されて学生寮に入った。学資は伯父などから援助を受けた。東京帝国大学国文科に進むが、文壇に出られない焦りから神経衰弱となった。東大は授業料未納により退学になった。そんな中でも次々と『刺青』『麒麟』『少年』『幇間』『飈風』『秘密』などの短編をを発表した。作品が永井荷風に認められ、ようやく文壇での地位を確立することができた。

「私」が独白するように、学費も出せない貧しい家の出身である谷崎は品性を卑しくさえしても、どうしても小説家として認められ、経済的に自立しなければならなかった。

 谷崎は一九一五年、二九歳で石川千代子と結婚して、その年に『お艶殺し』『法成寺物語』『お才と巳之介』 を発表した。

 『お艶殺し』の主人公、駿河屋の番頭新助は自分を殺そうとした三太とその親分の清次の妻を殺す。新助は道理のよくわかる金蔵にかくまってもらい、駿河屋の娘お艶と駆け落ちし、お艶を自分のものにしたい清次に騙された次第を打ち明ける。金蔵は新助に説教をして、悪事をいちど働いた人間は次から次へ悪事を続ける深みにはまっていくが、そのように自分を滅ぼすことのないようにと、お艶にひとめ会ったら自首する約束をさせる。

 新婚の谷崎が、いちど浮気をして千代夫人を苦しめることにでもなったら、次から次へ女性遍歴をして愛欲の深みにはまって行くことを自覚して、それを戒めるような『お艶殺し』の中の説教である。それにもかかわらず千代夫人の妹と関係するという非道徳なことをしでかし、まるで『お艶殺し』の新助が金蔵の忠告に従わずに人殺しを重ね、ついにはお艶まで殺すように、背徳的恋愛を重ね、サディズム、マゾヒズム、同性愛、フェティシズムなどの性的倒錯を含めた性的悦楽を探求し、それを小説に書く。

 そのような世間から非難されるような行状を平気のような顔をして行い、それで谷崎が平気だったかと言えば、やはり孤独な重い心を感じていたようである。

 『私』中で「私」が独白する。

「思ふにぬすツとが普通の人種と違ふ所以は、彼の犯罪行為その物に存するのではなく、犯罪行為を何とかして隠さうとし、或は自分でも成るべくそれを忘れて居ようとする心の努力、決して人には打ち明けられない不断の憂慮、それが彼を知らず識らず暗黒な気持に導くのであらう。ところで今の私は確かに其の暗黒の一部分を持つて居る。私は自分が犯罪の嫌疑を受けて居るのだと云ふ事を、自分でも信じまいとして居る。さうしてその為めに、いかなる親友にも打ち明けられない憂慮を感じて居る」

「ぬすツと」を小説家と、「私」を谷崎と、「犯罪」を「浮気」と、置き換えれば、小説家が小説人物を描くための浮気事態は悪いことではないが、それが妻を傷つける浮気と世間に知られたくなく、自分でも意識したくないが、そのために憂鬱になり人に話せることでもないので暗く重い気持ちになると、小田原事件前後の気持ちを説明しているような文章である。

「私」は以下のようにも独白する。「若し少しでも思ひやりのあり良心のあるぬすツとであるなら、出来るだけ友情を傷けないやうにし、心の底から彼等に打ち解け、神様に見られても耻かしくない誠意と温情とを以て彼等に接しつゝ、コツソリと盗みを働くべきである」

 谷崎は女性を悲しませることをできるだけ避けて、神様に見られても耻かしくない誠意と温情とを以て女性たちに接しつゝ、コツソリと小説にすべきと考えていたのではないだろうか。

『神と人との間』では浮気をして平然と妻を苦しめている主人公は、犯罪を犯しているような悪魔的人物として描かれている。しかし書生の和田六郎と千代夫人の不倫をモデルに、夫が小学生の子供の気持ちを考慮して離婚すべきかどうか悩む『蓼食う虫』では、罪の意識はあまり感じられず、かえって妻の不倫を公認し、その人権を尊重するような主人公がフェミニストとして自分を誇らしく思っているような感じがある。

 一九三一年に書いた『恋愛及び色情』で、西洋では騎士道など女性を崇拝し尊敬する文化があるが、日本では平安時代以後はまともな恋愛小説も書かれず、江戸時代の西鶴や近松でも女性は男性より下のものとして扱われ、明治になって漱石ぐらいから女性に対する意識が変わってきたと述べている。谷崎は西洋文学の影響受けた新しい時代の作家として、女性の意思を尊重するフェミニストとしての意識があったようだ。

 一九二六年に佐藤と和解した谷崎は、一九三〇年、千代子と離婚し、佐藤と再婚させた。このとき、千代、谷崎、佐藤の連名 の声明文を発表した。「……我等三人はこの度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り、……」

 谷崎としては、今までの封建的な男たちの間のやりとりでなく千代子の意志でもあると、男女平等的な思想をこの声明に表したつもりだろう。

 しかしながらこれは「細君譲渡事件」として世を騒がせ、非難された。当時の風潮を映して、谷崎と佐藤よりも女性の千代に風当たりが強かった。おまけに春夫に引き取られた千代と谷崎の子である鮎子が通っていた聖心女子学院を退学させられるとばっちりまで受けた。

 千代は一五年間の谷崎との結婚生活で、自分の姉を好きだった夫に愛されず自分の妹と浮気され、その境遇を同情した佐藤に譲られる約束を取り消され、夫にそそのかされるように和田と密通して夫から結婚を勧められ離婚になりそうだったが、千代夫人を諦めきれない佐藤の反対で取りやめになり、結局は佐藤との結婚を夫から承認され離婚した。女性からは離婚できず男性だけが離婚の権利を持っていた時代であったが、谷崎に浮気され他の男たちに譲るの譲らないのと、千代夫人はまるで物のように扱われたように見える。

 谷崎との波瀾万丈の結婚生活で、千代夫人は耐え忍ぶ弱いだけの女性だったのだろうか。夫が自分の妹と浮気している悩みを打ち明け慰めてもらう佐藤が自分を恋していることを知りながら谷崎にも尽くすというのは、普通の女性だったら佐藤へ罪の意識を感じるだろうことのように思われる。もっと強く言えば千代夫人は佐藤を操り、もて遊んでいたようにも思われても仕方がないのではないか。佐藤に譲られることを取り消された後、若い住み込みの書生である和田に恋され密通した時も谷崎に全てを報告していたようである。千代夫人は佐藤や和田と谷崎の三角関係を苦しむよりは、小説の種として谷崎に提供できることを密かに喜んでいたのではないだろうか。谷崎を立派な小説家に仕立て上げたいと応援する気持ちが心の底にあったように思われる。

 谷崎が千代と結婚した経緯は、佐藤と取りあった挙句だと言うことであるし、佐藤や和田に譲る譲らないは、三角関係から刺激を受け、また佐藤をじらして喜ぶ悪魔的心理だったようにも思われる。三角関係を故意に作り出し、嫉妬心を快楽の刺激材にする心情はいくつかの作品に出てくる。『鍵』中で主人公は妻の浮気を疑って、嫉妬心で妻への情欲を刺激させ、主人公の死後、妻と娘婿である妻の情人とその夫人である娘が一つ家に住むという異常なシチュエーションを結末にしている。『瘋癲老人日記』の語り手の老人は、若い嫁の不倫をそそのかすような言動で、自分の恋心を刺激している。

 また『小将滋幹の母』の中で滋幹の美しいと噂される母に気のある左大臣時平が彼女のかつての情人だった平中に彼女について質問するのを平中はわざと焦らして、なかなか答えないという意地悪をする。

 嫉妬が恋を燃えたたさせることや人に意地悪をして楽しむことや人が苦しむのを見て快感を覚えることさえもある人間の心理をよく知っている谷崎だった。

 谷崎は一九三一年、「細君譲渡事件」 の 翌年に二四歳になる古川丁未子を二番目の妻とした。谷崎とは二一歳の年齢差があった。丁未子は大阪府女子専門学校(現在の大阪公立大学)を出た女性編集者だった。谷崎は丁未子と再婚するつもりで千代との離婚を決心したのであろうが、三度目の妻となった根津松子とも 「細君譲渡事件」 の三年前の一九二七年に知り合っている。谷崎は四一歳、松子は文学好きの二四歳で大阪の豪商である繊維問屋「根津商店」御曹司の妻だった。谷崎は人妻である松子に心惹かれながらも丁未子と結婚したことになる。一九三一年、丁未子と結婚した年から谷崎は現在の西宮市相生町にあった根津別荘別棟に住んでいる。新居を松子の世話になったようである。一九三二年、丁未子と結婚した翌年に松子一家の隣に引っ越し、松子との不倫が始まった。翌年に丁未子と別居し、その翌年に離婚する。谷崎の女性遍歴で一番苦しめさせられたのは丁未子だったのではなかろうか。他の女性を恋している夫と結婚し、その人の別荘が新居で、一年後にはずうずうしく若い新婚の妻とともにその女性の隣家に引っ越しされ、目と鼻の先での夫の不倫の果てに家を追い出され離縁に至った。二四歳から二七歳までの女性として大切な時期を谷崎に翻弄された丁未子は、なんとも気の毒で不幸せな女性に思える。丁未子は一九六九年に六二歳で亡くなっている。松子に夢中だった谷崎にとって、丁未子は通りすがりの人に過ぎなかったようである。

 谷崎のことであるから丁未子とのことも何かの小説の材料にしたに違いないとは思われる。しかしインターネットにあどけない可憐な美人である彼女の写真が数枚載っている他は、谷崎の小説のモデルになったというような情報がない。一九三六年に発表された『猫と庄造と二人のをんな』に姑のおりんの策略で家を追い出された庄造の前妻の品子という女性が出てくる。しっかり者すぎるところが姑の気にいらず、庄造は彼女に見下されているような感じが嫌であった。品子が几帳面で針仕事でぐうたらな庄造を支えていたという設定が、インテリでか弱そうな丁未子の写真のイメージに全く合わない。品子が追い出された後に入ってくる後妻の福子は、わがままな不良娘の持参金付で、猫に嫉妬した夫婦喧嘩で庄造の体中を引っ掻いたりつねったりする。これも丁未子の写真からは想像ができない人物像だ。『猫と庄造と二人のをんな』は丁未子と離婚した二年後に発表されたのだから、丁未子と別居し離婚した経緯が反映されていても良さそうなものだが、品子が家を追い出された後の辛さや孤独感がいくらかは描かれていても、結末では品子に愛猫を取られた庄造が一番哀れで惨めなのではないかという吐露で終わっている。

 丁未子と離婚し、同棲から結婚に至った松子は多くの作品のモデルになっていて、いじめられて喜ぶような性的倒錯傾向がある谷崎が松子に送った恋文は有名である。

「一つ御寮人様へ御願いがあるのでござりますが、今日より召し使いにして頂きますしるしに、御寮人様より改めて奉公人らしい名前をつけて頂きたいのでござります、『潤一』と申す文字は奉公人らしゅうござりませぬ故『順市』か『順吉』ではいかがでござりましょうか。柔順に御勤めをいたしますことを忘れませぬように『順』の字をつけて頂きましたらどうでござりましょう」

 そのような恋文をもらった松子は彼女に示されたような女性崇拝の気持ちを尊重して、うまく付い合い、谷崎がそれを昇華して『春琴抄』に仕立て上げたことを喜んだことだろう。松子は自分の夫と駆け落ちした末の妹である信子をまるでそのことに何らの葛藤もないように、谷崎と結婚後に暮らした家に同居させ面倒を見た。「台所太平記」に語り手の妻として登場する松子は女中たちにも温情を施す面倒見の良い女性として描かれている。きっと谷崎の母を恋する気持ちをも包み込むような包容力のある女性で、良い小説をかかせたいために協力し続けたのだろう。

 その気持ちは、他の女性たちにも共通だったように感じられる。

『細雪』で蒔岡四姉妹として描かれる松子姉妹であるが、主人公、雪子のモデルになった松子のすぐ下の妹である重子も、末の妹である「こいさん」のモデルになった信子も自分たちが観察され小説の材料として利用されていることを知りながら、暗黙のうちに協力したのだろう。

「瘋癲老人日記」で颯子のモデルになった谷崎の義理の息子の嫁である渡辺千萬子に至っては小説の筋までアドバイスしていることが谷崎と交換した二百通もの書簡から判明している。御寮人様の奉公人にして欲しいと崇められた松子は「瘋癲老人日記」では「婆さん」と呼ばれる羽目になっているが、黙認したようである。千代や松子をはじめ谷崎の色欲探求道で苦しめられたはずの女性たちが谷崎の小説に協力したのは、もちろん小説を書くことで経済的にその女性たちを支えられるということもあるだろう。しかしそんな自分たちの損得だけではなく、谷崎を偉大な小説家にしたいという願いがあったのではなかろうか。どんな分野であれ偉大になる可能性がある人物が身近にいたとしたら、できるだけのことをしてその人物を偉大にするための協力をしたいというのは、なぜだかわからないが私たちに湧き上がる気持ちである。

 一九六一年に発表された『瘋癲老人日記』で主人公の卯木督助うつぎ とくすけは谷崎より三歳年上に設定されている。つまり執筆した時でも高血圧などに苦しんでいたが、さらに三年後の自分を想像して、凄まじい手足の冷え、浮腫み、痛みや入れ歯を抜いたときの醜さや若い嫁の美しい足に惹かれる滑稽さを被虐的に描いている。

 七七歳の督助は、婆さんである妻と息子夫妻と孫と住み込みの看護婦と数人の女中と犬と、プールも作れるほど広い、親の代からの東京麻布の敷地に住んでいる。嫁いで子持ちの督助の娘たちも訪ねてくる。家族全員交代で時々は軽井沢の別荘にも滞在する。孫を含む家族との交流の多い裕福な老人の生活が伺われる。いまだに経済力がある督助のご機嫌を損ねないように、皆から大事に扱われている。

『瘋癲老人日記』は当時の谷崎の熱海の家での生活をかなりそのまま描写して、看護婦の手記も実際にあったものであることが千萬子との往復書簡や『谷崎潤一郎の恋文-松子・重子姉妹との書簡集』などから分かっている。

 督助は谷崎で、婆さんは松子、息子の浄吉は重子の養子となった松子の長男の渡辺清治、嫁の颯子さつこは清治の妻である千萬子、七歳になる孫の経助は、谷崎が千萬子に宛てた書簡を元に『祖父 谷崎潤一郎』を著した渡辺たをりに当てはまる。他に陸子くがこという三人の子供がいる督助の娘や城山五子いつこという京都在住の二人の子供がいる未亡人である督助の別の娘も出てくる。谷崎には実際に二人の娘がいて、一人は『細雪』で「悦子」として描かれる谷崎の養女となった松子の連れ子の惠美子て、もう一人は佐藤晴夫に引き取られ、その甥と結婚した谷崎と千代の間にできた鮎子である。「細君譲渡事件」の声明に、「……素より双方交際の儀は従前の通りにつき、右御諒承の上……」と表された通り、両家の付き合いは続き、鮎子は谷崎の家に出入りしていた。

 この二人が督助の娘のモデルであるかもしれないが、城山五子という未亡人は督助の看病をしたり最後の手記を書いたしっかり者で、『細雪』で看病が得意だと描かれた「雪子」である重子がモデルかとも思われる。重子は徳川家の一族である渡辺明と結婚したが死別し、子供がいなかったので、松子の前夫との長男である清治を跡継ぎとして養子にした。重子は千萬子と結婚した清治と共に谷崎家に住んでいたようだ。

 居候になっていることを気がねにする重子の手紙に谷崎は以下の返信している(一九五一年)。

「……私はあなた様を御世話申上げることを自分の生きがいの一つと致して居ります あなた様は或る意味では私の創作力の源泉であり私が老いて今なお仕事が出来ますのはあなた様のようなお方が精神的の支えとなっている御蔭だと存じていますので御礼は私の方からこそ申上げるべきだと思います 何卒今後共他人行儀なる御考は止めて頂きます 家内を除きましては娘よりも誰よりも私に取りあなた様が一番重要な存在です……

今日あたりから鮎子と孫共が四五日来ることになって居ります……

では拝顔の節万々

八月一日

潤一郎拝」

 なんとも丁寧で大抑で相手を喜ばせる手紙であるが、谷崎の「気持ちに一言半句もウソをつきはしないで」いるのだろう。しかもこんなふうに谷崎は女性を悲しませることをできるだけ避けて、「神様に見られても耻かしくない誠意と温情とを以て」女性たちに接した。

 谷崎家の大家族の中でいろいろな軋轢を感じる渡辺千萬子に対しても「誠意と温情とを以て」一九五九年に次のような手紙を書いた。

「……あんな風に時々重子さんにはびっくりさせられることがありますが そう云うところにあの人でなければ見られない面白味もあり長所もあるので私は困ることもあるが芸術的には惹きつけられることも多々あります 中々複雑な女性です

 あなたは立ち場が違うので困惑されるのは尤もですが何とかして将来はパパやあなたと重子さんとの関係がもう少し巧く行くようにと祈っています 折を見て重子さんに私から上手に忠告して見ようと思っています

大小のバアバが惠美子のことをあなたに隠すのはあなたに比較して惠美子があまり劣りすぎるからです……

あなたは「私には意地の悪い性質がある」と自分でも云っておられましたが病院のおじいちゃんも熱海の二人のバアバも君を尊敬し畏れている反面 君にそう云う短所のあることを認めているようです、あなたが自分でそう云う以上それは事実かもしれませんが私はまだ実際にあなたのそれを見せて貰ったことがありません あなたが私に遠慮しているのだとすれば私はむしろあなたを水臭く感じます あなたに意地悪されるくらいで私の崇拝の情は変るものではありません……

つまりあなたは鋭利な刃物過ぎるのです その欠点は直せるものなら直すに越したことはありませんが 少なくとも私だけには遠慮する必要はありません 私はむしろ鋭利な刃物でぴしぴし叩き鍛えてもらいたいのです…」

 谷崎はその慧眼で周りの人々も自分も鋭く観察分析し、美徳も悪徳も見通し、小説の材料にした。それらの人物像が小説として公表されて、その人生に作用する迷惑を知ってはいただろうが「自分でも成るべくそれを忘れて居ようとする心の努力」をして「決して人には打ち明けられない不断の憂慮」を構わず、小説家として大成した。『瘋癲老人日記』から伺われるように、私生活でも松子夫人の係累を中心に縁ある女性たちにハーレムの様に囲まれて尊敬され大事にされながら最後まで過ごすことができた。浮気をし倒錯した色恋道を突き進んでも『お艶殺し』の新助のように破滅に至らなかった。それは『私』中で次のように言い訳され説明されている気持ちがあったからだと考える。

 次の文を「ぬすツと」を小説家に、「君等」を貴女達に、「君等の物を盗んだ事」を貴女達を小説の種にしたことに、「友情」を愛情に置き換えて読んでほしい。

「僕がぬすツととして生れて来たのは事実なんだよ。だから僕は其の事実が許す範囲で、出来るだけの誠意を以て君等と附き合はうと努めたんだ。それより外に僕の執るべき方法はないんだから仕方がないさ。それでも僕は君等に済まないと思つたからこそ……君等の物を盗んだ事も本当だけれど、君等に友情を持つて居る事も本当なんだよ……」

 谷崎は普通の人とは人種が違う小説家であった。それを彼は次のように表現する。

「両方とも本当の所が小説家(ぬすツと)の特色、人種の違ふ所以です」

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