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15,味噌っかす

 体育の授業でもこんなに必死に走った事がないかもしれない。

御木本良太が駅の通路を全力で駆けて行くが、真次郎たちの後姿はもう無い。

体育の事を考える余裕があるのは、今の状況にリアリティが無いからだろうか。

後輩とはいえ自分より身体の大きい市村をあんなに痛め付けたり、不意打ちとはいえ、春彦くんに怪我をさせた連中を追っているのだから、もちろん、恐怖も不安もあるけれど、身体は動いたし、走るのが苦手でも脚は前へ出た。


小さい時は身体を動かすのが嫌いじゃなかった。

よく、皆で八幡神社の境内を走り回っていたものだ。

小学校の低学年くらいだと、室戸くんはもう大きかったけれど、宇田川くんとはそんなに変わらなかった。

ベンちゃん辺りは、確か小さかったはずだ。力だってそんなに変わらなかったし、走るのだって負けてなかった。


それも、五年生くらいになると、周りはどんどん身体が大きくなっていって、力の差も顕著になり、あっという間に差がついた。

昼休みのドッジボールでは、大概が最後の方まで残る。

決して上手かったわけで無い。


「だって、当てられないよ」と、気を使われた。

「御木本は、味噌っかすでいいよな」と、同等に扱われなくなった。


 徒競走では大差を付けられて、遅れてゴールに向かう間は、皆が注目した。

「遅っそ」と笑われるのはまだ良い。

「がんばれ」と、弱者を労う素振りで、笑顔で投げつけられた悪意が深く刺さった。


運動の苦手な華奢な男子というレッテルが張られ、出来ないのが当たり前になってからは、真剣に体育に参加する事も無くなったし、身体を使う遊びもしなくなった。

クラスで浮かないで済んだのは、その分だけ勉強をしっかりやって、それなりの成績を取れていたからだと思う。


駅の通路の端まで来て、左に曲がって階段を下りる。階段にも姿はない、まだ追い付かない。子供連れの買い物客が階段を上って来るだけだ。

歩幅が小さいので、割りと階段は早くおりれるが、大股で一段飛ばしなどされては、とても敵わないけれど。


中学生になってからは、体育の授業で二人組になる時は必ず余った。

人数的に誰かが余るのだけれど、欠席などで割り切れるときは「え、御木本かよ、誰か変わってくんない」とか、外れクジ扱いだった。


 二学期の終わりの頃の中途半端な時期に、隣のクラスに春彦くんが転校してきたから、体育の授業で余りが出なくなった。


「よし、二人一組になれー」と、体育教師の号令が飛ぶと、整列がぐしゃりと乱れて各々で相手を探す。

整列しているのだから「隣の者と組め」で良いと思うが、「なるべく違うクラスとか、いつもと違う者と組むように」と、付け足されている。


いつもは、この時間が早く過ぎるのをまって、あぶれて組むはめになる不幸者が出てくるのを待つのだけれど、早いタイミングで春彦くんに声を掛けられた。


「きみ、あいてる?」

彼が抑揚のない声で訊いてきた。

お店じゃないのにとも思ったし、大概この場合は「組もうぜ」とか「やろうぜ」とか、なかには「いい?」「おう」とかで簡潔する強者もいる。

そんな事を考えていたのは、ペアに誘われたのが初めてだったからだった。


「なに、空いてないの?」

「いや、僕は、その」

「なんだよ」

 彼が少し苛立ちを見せて、「じゃいいよ」と、立ち去ろうとする。

「僕で」

 慌てたから、思ったよりも大きい声がでて驚いた。

「僕で、いいの」

 極力丁寧に聞いたつもりだったけれど、彼は雑に答えた。

「何がだよ」

「僕、運動苦手だから」


彼は、背丈こそそれほど高くはないけれど、身体は引き締まっていて朗かに運動神経が良さそうだったから、他の人組んだ方が釣り合いが取れるだろう。

せっかくの申し出だけど辞退するべきだと思った。

きっと、転校生だから知らないのだと。


「そうなんだ、俺は得意だから丁度良いじゃん」

ぶっきらぼうだった彼が、破顔してみせる。

本当にそう思っているように聞こえたから、つられて笑って答えた。


「い、いいの」

「良いも悪いも無えよ、もたもたしてっから、もう、皆あらかた組んじゃってるだろ」


言われて辺りを見回すと、もう、柔軟を始めている組もあった。いつもならこのくらいのタイミングで、あぶれた者が渋々と近づいて来るか、先生が「俺とやるぞ」と背中を叩いてくるのだけれど、今回はすでに相手が隣にいるのだ。


「ご、ごめん、よ、よろしくお願いします」

「おう、よろしく、ね」

彼は、よろしねの、ね、の時に、先生が叩く倍くらいの強さで背中を叩いたものだから、「いてっ」と、背筋を伸ばした。そうしたら、すごく下から見上げていたつもりだったけれど、背伸びした分だけ、だいぶ近くに見えた。


彼は、柔軟から容赦なかった。

向かい合って座り股を開いて足の裏同士を会わせて、手を繋ぐ。股を開くだけでも恥ずかしいのに、更に広げていく。

大体は適当に流すところだけれど、思わず悲鳴が出るほど広げられた。

変な声を上げたので、周囲の視線を集めた。


 お返しにもっと広げたかったけど無理だった。

見透かしたように「遠慮しないでいいんだぜ」と、煽るので悔しくて手を放して、右足の先を両手で掴んで、左足を両足で押さえて、横になって背伸びするように体を伸ばす。

「ぐおっ」っと、彼が声を上げる。更に注目を集める。

「おい、ずるいぞ」というので更に広げる「ぐおお」っと呻く。


 背中を押して前屈する時には「もう乗っかっちゃってよ」と言うので、背中に座るように乗った。前屈しながら彼が揺らすので、まるでロディオに挑むカウボーイの様に彼の背中から落とされない様にしがみ付く。

その様子を、周りが興味を惹かれて注目する。


 背中合わせで腕を組んで順番に背中を伸ばす時には、仕返しとばかりに全体重をかけてきて「重い、重い」と悲鳴を上げる度に、背中で笑っているのが分かった。

交代して、良太が体重をかける番だけど、どうにも軽い。

彼は力一杯に引っ張って背中で押し上げた。

瞬時に、組んでいた腕を緩めたので、良太が空中に浮いた。

身体の中を、ふわっと、何かが抜けていった。

彼は腕を掴み直して引っ張り、ちょうど宙返りした様に、良太を自分の前に着地させた。


すると、あちらこちらで拍手が鳴った。

「おお、スゲエじゃん御木本」

「マジかよ、初めて見たよ」


 いつの間にか囲まれて喝采を浴びていた。

彼はそそくさと輪を離れていって、素知らぬ振りを決め込んでいた。

ざわついた生徒を鎮める先生の号令で二人組の柔軟体操は終了して授業に入た。


 次の体育の時には、「御木本、一緒にやろうぜ」と、あまり話した事のないとなりのクラスの人に誘われた。

「え、マジ、俺も御木本とやりたかったよ」

「うっそ、おれも、前回楽しそうだったの見て」

「じゃ、じゃんけんな」

 

嘘みたいだった『いつも余りにされていた僕を、じゃんけんで取り合うなんて』と、涙が出そうだった。

彼を探してみたけど、端の方で他の生徒と柔軟していた。

彼は体育の授業に出たり、出なかったり、だったけれど、彼と柔軟運動をしたのはそれきりだった。


 良太の身軽さは知られる事になって、体育祭の組体操のタワーなどでは重宝されたりした。

あの時、春彦君がどういうつもりだったのかは訊いた事がないけど、あれで僕が救われた事は確かだ。と、良太は強く思っていた。

 

踊り場を曲がって階段を下りる。外の陽射しが差し込んで、目の前が明るくなる。更に暑さを感じる。

「あ、いた」駅前通りに後ろ姿を見つけた。

向こう側の車道へと足早に渡って行くところだった。

「真次郎くん」声を上げるが、通りを行く車の音に掻き消された。


 走って歩道まで出る、車が行き過ぎたところで、通りを渡りながら声を張り上げた。

「すいませーん、すいませーん」

最初に気づいて振り返ったのはデカ頭だった。

茶髪の腕で突いて知らせたのか、茶髪頭も振り返り、その前を歩かされていた真次郎の驚く顔が見えた。


テナントビルの入り口の所で、ようやく足を止めた。

足は止めさせたけど、これからどうしようかと考えるが何も思い浮かばない。

階段の下の駅前交番の横を通るときにチラっと覗いたけれど、生憎パトロール中で誰も居なかったのは確認できた。


「すいませーん、すいません」

大声で走り寄る少年を、訝しんで睨む。

「何だよ、お前は」

 明らかに機嫌が悪そうだけど、怒鳴りちらす事はしない、やはり駅前通路の目立つ所で市村君にあれほど暴行を働いたのだから意識しているのだろうか。


「僕はその、真次郎君の友人です」と、なるべく大きな声で話した。

少しでも注目を集めたかったからだ。

大きな舌打ちが聞こえた。


「それで何の用なの、真次郎は今から大事な用事あるから相手してられないんだ」

こちらは逆に、極力声を殺して話す。

しかし、怒りを含んだ鋭い視線が向けられる。

二人が真次郎を後ろに隠す格好になったので真次郎の表情は見えない。


「いやあ、さっき駅前で、真次郎君が連れて行かれたって聞いたもので、追いかけてきたんです、何か犯罪に巻き込まれたんじゃないかって心配になって」

大きな声で言ったけれど、道を行く人はこちらに目を向ける程度で、駅前の通路と違いそこまで目立ってはいない。


「このガキ、調子にのるなよ」とデカ頭が言ったところで、急に突き飛ばされた。

歩道に尻もちをついたところを、腕を引っ張られて立たせると、そのまま強引にテナントの通路に投げ込まれた。茶髪頭だ。

「御木本先輩」真次郎の叫ぶ声が聞こえた。

転がった時に、肩を打ったらしい、酷い痛みだ。


「おいおい、ずいぶん飛んだな。なんか、デカイ声出して注目集めたかったみたいだけど、ここは道路ほど目立たねえからな、クソガキ黙らせるくらいの事は出来るぞ」

茶髪頭がゆっくり近づいてくる。

恐怖はあった、震えもあった、でも目は逸らさなかった。

「ガキが」

茶髪頭が横になっている良太の腹につま先を入れて、ひっくり返す様に蹴り上げる。

「うぐっ」と悶える良太を冷めた目で見据えて、二度、三度と繰り返し蹴り上げ、通路の奥の方へ転がした。


「おい江藤。遊んでる場合じゃねえよ、今日はコイツATMに行かせなくちゃだぞ」

 デカ頭が茶髪に止めるように言う。エトウと言っていた。茶髪は江藤と言うのか、ATMとは銀行の事なのか、良太が痛みに耐えながらも考える。


「分かってるよ。丁度いいじゃねえか、さっきは真次郎もゴネてたからなあ、コイツがちゃんとやるようにこのガキ、拉致っとくかよ」

「おお、それもいいな」

「そんな、俺ちゃんとやりますから」

愚案にニヤけた笑みを浮かべる二人に、真次郎が慌てて許しを請う。

「駄目だ、駄目だよ、真次郎君」

 小さいが力強い声で、良太が言った。

「このガキ」

江藤と呼ばれた茶髪頭が良太の脇腹を蹴る。呻き声を上げて弾むように転がる。

「御木本先輩」真次郎が叫ぶ。


「おい江藤、こんな小さい子、蹴とばすなんて、見てられねえよ、俺、小さい妹いるんだよ、なんか重なっちまうよ」

 デカ頭が急に殊勝なことを言い出す。いや、どこも殊勝ではない、言うならば異常だ。

「俺だって、好きでやってる訳じゃねえんだっつーの」

「じゃあ、もうこんなガキ放って置いて、もう行こうぜ、時間ねえしよ」

デカ頭が、苛立って江藤を急かす。

「わかったよ、うるせえなあ」

江藤が仕方なく了承して、デカ頭が口角を片側だけ上げて笑い、良太に捨て吐いた。

「こんな味噌っかす相手にするなよ」


 全身の血が沸き上がって、髪の毛が逆立つ感覚だった。

「ふざけるなああ」

 良太が叫ぶ。身体をひねって立ち上がろうとするが上手く行かない。

 もう立ち去ろうとしていた二人が、振り返る。真次郎が心配そうに見つめている。

「ふざけるな、ふざけるなよ・・・お前らなんかに分かってたまるか」

 唇を噛みしめ、壁を使って立ち上がる。


「どうしたよ急に、もうお前にかまっていられないんだよ、もう、帰って良いからさ」

 デカ頭が、言い聞かせようとして良太の所へ戻る。全身に力を込めて体を投げ出し、デカ頭に突進する。

「ふざけるなあ」

 喉が千切れるほどに声を出して叫んだ。体が燃えるように熱い。心臓が高鳴って激しく脈を打つ。殴られたところが、蹴られたところが疼く。打ち付けられた肩が燃えるようだ。頭から身体ごとタックルの様に突っ込んだ。

「なんだよ、もういいって」


デカ頭は抵抗しないで受け止めたので、そのまま押されて抱え込むように、どっさっと尻もちをつく格好になる。抱えた良太の震える肩の細さに戸惑い、後ろ暗さから苛立って起こす。

「もういいから、帰れよ」

 そう言ったところで、目の前の良太が引き剥がされた。江藤が良太の襟首を引掴んで投げ倒した。

「いいかげんにしろよ」江藤が冷たく静かに言い「行くぞ」と急かせる。


 張り裂けそうなほどの怒りがあるのに、何も出来ない自分の非力を、無力を痛感する。

「ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう」いつからか分からないけれど、涙が流れていた。それでも、出来る限りの力を振り絞る。


「うおおおおお」

 叫び声をあげて江藤に飛び掛かる。

「チッ」大きな舌打ちと一緒に右足が振り下ろされる。

「や、やめてえ」

「御木本先輩」

 通りの入り口の方から、沙希たちの叫ぶ声が聞こえた。良太は、来ちゃだめだと言ったじゃないかと、妹を思う。その刹那、江藤の蹴りが入り、激痛と共に崩れ落ちる。

「きゃーーっ」

 沙希の悲鳴が通路に響く、

「行くぞ」と、残して早足に立ち去る足音と、沙希と松田菜穂が駆けつけて来る足音が、両側で重なって聞こえた。


「おにいちゃん、おにいちゃん」

泣き叫ぶ沙希が良太を揺らすので、耐えきれずに「うっ」と、声をあげる。

「沙希、落ち着いて」菜穂が沙希を気遣い鎮めて「先輩、大丈夫ですか」顔をのぞき込んで声を掛ける。

 良太は目を瞑って頷く。もはやどこが痛いのか分からないくらいに全身を痛みが巡っている。

「くやしいなあ」

 思わず洩らした泣き言を、聞き流してくれたのはありがたい。


「もう、お兄ちゃん」

 天井の切れたままの蛍光灯が見える。小さな蜘蛛の巣が張っている。沙希が身体を揺らすから、一瞬、パチンと、点いたのかと錯覚する。

 そう錯覚したのは通路の入り口で、人が動いたのもあったみたいだ。


「み、御木本さん?」

 市村が、通路の奥の人影に恐恐とした声をかける。

「市村?」

 沙希が振り向くと、市村が突き飛ばされるのが見た。市村の「いでっ」という奇声をよそに、すごい勢いで駆けよって来る。


「な、なに?」

 焦る沙希の横、倒れている良太に駆け寄る。

「春彦くん」

 埃と擦り傷だらけで、血と涙が滲んだ顔がほころぶ。

「ごめん、くやしいけど、止められなかったよ」

「ばかやろう」しずかに言う「大丈夫か」良太がゆっくり頷く。

 春彦は小さく2度頷き返すと、拳を良太の手に軽く当てた。そして、急に立ち上がったかと思うと走り出した。


「春彦君」

 良太が声を掛けるが、そのまま行ってしまう。

心配で、身体を起こそうとする良太に沢田が声を掛ける。沙希が手伝って身体を起こして座り直した。

「あれは、行先分からないで戻って来るパターンっすよ」と、笑って言う。

「沢田くん。そうだ、あの茶髪のリーゼントの人は江藤って言っていたよ、もう一人は分からない。弟がいるって言っていたけど」


「やっぱり、淵高の江藤だな。もう一人は地元の奴かもしれねえな、調べれば分かると思うぞ。あ、俺は、ちなみに青野の先輩な」

 そう言って簡単な紹介を混ぜつつ有森が口をはさむ。

「あとは、何処に向かったかっすよねえ」沢田が、ふうと息をつく。

「そういえば、ATMって言ってたよ、たぶん真次郎君を連れて行くって事は、多分引き出させたいんじゃないかな」

「じゃあ、銀行か郵便局か」


不意に後ろから声がする。

「お手柄だぞ、良太」

いつの間にか春彦が戻ってきていた。

「春彦くん」

「ほら、戻って来た。どこ行ってきたんですか」

「うるせえ、もう一回ビリヤード場見に行ったんだよ」

気恥ずかしそうに言い訳の様に言うので疑わしい。

「さっき行ったばっかりでしょうが」

沢田がヤジを言う。それを無視して春彦が吠える。


「よし沢田、探すぞ、人集めろ」

「今から、ですよね」

「市原あ、連絡まわせ」

「ひゃい、市村です」

 

薄暗い通路に春彦の力強い言葉が響いた。

陽射しが通りから射しこむから、春彦の後ろで光って見える。


「良太、大丈夫か、もう少しだけ手伝ってくれる」


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