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10,非日常茶飯事

「やあやあ御木本君、またあったね、塾の帰りかい」

 青野春彦の白々しい言葉にも、少し顔を綻ばせる御木本良太だけれど、つい先ほど見た光景が気になっていて、そうも、にこやかには出来なかった。

「また乗せてってくれる?」

「うん、いいけど・・・」

 そんな気も知らぬ春彦は、帰りのバス代が浮いた分だけ浮かれていたけれど、もともと大人しい御木本の、何だか浮かない様子に気づいた。

「ん、どうした、何かあったの?まさか、俺を自転車に乗せるのが嫌なの?」

 大袈裟に悲痛の面持ちで御木本に詰め寄る。

「ち、違うよ、そんなんじゃないよ」と、のけぞって春彦を躱す。

「良かった良かった」と、笑顔で自転車の荷台に乗り込む。

御木本はペダルに足を掛けて踏み出そうと、足に力を入れたけど、どうしても気になって、その足を止めた。


「ん、どうした」走り出すかと思ったら急に止まったので、御木本の背中をポンと叩く。

「あ、青野君さあ、ベンちゃんの弟いるでしょ」

 御木本が遠慮がちに話し出す。

「ああ、次郎だろ、そういえば、この前一緒に帰るときに会ったよね」

「あ、うん、その弟くんなんだけど、先輩とかと付き合いあるのかな」

「先輩って、そりゃまあ、俺も一応せんぱいだし」

 春彦は要領を得ない歯がゆさを感じながらも答える。

「うん、そうなんだけど、もっと上の、高校生とか」

「え、何よ、御木本くん、どうゆう意味よ」少しだけ苛立ちが零れ出る。


「ご、ごめん、さっき、弟くんみたいな子が、高校生くらいの人といたんだけど、その、随分と派手なっていうか、素行が良くはないっていうか」

「悪そうな奴といたって事?」

「そう、そうなんだ、小さい町だから川名の先輩なら大体は顔わかるんだけど、見たこと無いから・・・見間違いかなとも思ったんだけど、仲が良さそうには見えなかったから気になって」

 春彦が不意に自転車を降りて御木本の前に廻る。

「ちょっと詳しく教えてよ」

 いつも御木本に話しかけてくるような気さくで明るい感じは無かったけれど、頼もしさが溢れていて、不安が薄まっていくようだった。


「塾が終わって、建物の裏側の自転車置き場に居た時なんだけど、その、柄の悪い人たちががいて、絡まれないようにと気配消してたんだ」

「御木本くん気配消せるの、忍者じゃん」

「揶揄わないでよ。派手で目立つ人達だったから、そのい3人組に付いていく、不釣り合いな小さい子がいたんだ、よく見たらそれがベンちゃんの弟くん」

「次郎ね」

「うん、次郎君だったんだ。気になって帰る振りして付いていくっていうか、同じ方向に歩いていったんだけど、すぐ先のパチンコ屋さんの上のビリヤード場に上がって行っちゃった。流石にお店の中まで見れなくて、僕は入った事も無いから。

見間違いかなとも思ったんだけど、背中押されて歩いてたし、気になったけど、諦めて自転車押して歩道を歩いてたら・・・青野君に会ったんだよ」


「御木本君ありがとう。ちょっと行って見て来るよ、パチンコ屋の上のビリヤード場だね、また今度自転車乗せてね」

 そう言って笑うと、春彦は緩い坂をパチンコ店に向かって行ってしまった。

そこまで大きな身体ではないのに、その背中は大きく頼もしく見えた。

僕も、と言いかけて口を噤んだ。僕なんかが付いていって何になるんだ、邪魔なだけだ。でもあの、派手なシャツを来た人達は、店の中にも仲間がいるかも知れない。背中に大きく漢字で何か書いてあったけど、読めなかった『なんとか王』だったか、上下黒の服装からして威圧感があった。青野君・・・大丈夫だよね。


 梅雨が明けてからは、一気に気温が上がって、夜でも昼間の蒸し暑さが残っている。

シャツの下が汗ばんで気持ち悪い。建物の間から風が吹いて街路樹を揺らす。

気持ちのいい風だけど、不快感は拭えない。気持ち悪いのはシャツの下だけではないのだろう。


「お兄ちゃん」

 聞きなれた声で我に返った。

「どうしたの、鳴きそうな顔して」

 急に妹が目の前にいて驚いた。誰かと居る時などは決して声を掛けてこないので、外で妹と話すなんてめずらし事なのだ。

「沙希、なんだ、お前も塾終わったのか」

 妹は、兄の僕と同じ塾が嫌で違う塾に通っているが、塾の終わり時間なんてほとんど同じなのだけど、何の気なしに訊いてしまった。

「終わってから、友達と話し込んじゃって遅くなっちゃった」

 

対して遅くなってないのに、真面目な子だなと、感心する。改めて見ると、手前みそだけど、本当に可愛い妹だ。

美人という訳ではないけれど、小さい時はいつも僕の後を付いて来る可愛い子だった。

昔から何でも僕の真似をするから、僕が中学に入って塾に通いだした時も、泣いて愚図って、小学校のうちから塾に入った。

最初は同じ塾がいいって入ったのに、塾に通いだした頃から、あまり真似をしなくなった、というか、話さなくなっていった。兄離れって言うのだろうか。あれは悲しかった。

そうだ、青野君に会わなくて良かったと、ホッとした。ホッとして胸が傷んだ。


「どうしたのお兄ちゃん。具合い悪いの」

 沙希が顔を覗き込んで訝しむ。

 もしも、連れられていたのが次郎君じゃなくて、沙希だったら。僕はどうしただろうか、いや、考えるまでもない。

「沙希、お前バスか」

「え、そうだけど」

「お前、僕の自転車で帰ってくれよ、頼む」

 沙希の前で手を合わせる。

「いいけど・・・お兄ちゃんは」

「ちょっと塾に忘れ物したから」と、言いながら自転車を沙希に手渡す。

「忘れ物って、カバンはカゴに入れたままでいいの?ちょっと聞いてる?」

「大通りで帰れよ、裏道使うんじゃないぞ、暗いから」

「もう、わかってるよ」沙希が不機嫌に返す「早く帰らないと、お母さんに起こられるからね」

 走って道路を横断した背中に沙希の小言が追いかけてきた。

 坂を駆け上がる身体を、初夏の夜風がぬるっと撫でて過ぎた。

 

 緩い坂の上に、派手なネオンで辺りを一際明るく照らしている店が見える、パチンコ店だ。駆けていた足を緩め、呼吸を整えてゆっくり歩く。

店の前を通る時に、自動ドアが開いて客が出入りすると、店内に大音量で流れる音楽と、けたたましい電子音が、くるくる回る光と一緒に流れ出て来る。人が行き交う駅前通りを非日常に染ようとするが、ドアが閉まると消える。

実はこの音も含めた街の音が日常で、ただ知らないだけなのだ。今、御木本が、取っている行動こそが非日常だった。

塾の帰り道以外の行動なんて、すぐ下の本屋に寄るくらいだけど、ちょうど閉店時間なのでほとんど寄った事がない。学校の帰り道も同じく、いつもと違う行動なんて取った事がなかった。一歩が踏み出せないのだ。


この前に、一歩踏み出して、青野君を自転車に乗せて帰った事から、次郎君と会って、今日に繋がっている。非日常だ。

「青野君にとっては、日常なのだろうか」と、一人ごちる。

青野が、日常茶飯事だよ。そう言ったのが聞こえた。


 御木本は、パチンコ店の前を通り過ぎて、脇の通路に入る。表と違って薄暗いが、景品交換をする客がいたりで、人影が無いわけではない。

この通路は、建物の一本裏手の道に通じるので、昼間などは御木本も通ったことはあったが、夜には初めてだった。

どちらにせよ、この通路に並ぶ者たちには、内心では周囲に垂れ流すほどに歓喜している者と、対照的に破裂しそうな負の感情を押し殺している、対の感情が混ざって独特の雰囲気を持っている。これがギャンブルというものなのだろうが、御木本には嫌悪感しか無かったので、ここを通るのは気が進まなかったが、この通路の先の建物の反対側に二階へ上がる階段があるので仕方がなかった。

塾の方から裏通りに周って反対から来るべきだったか、とも考えるが、塾まで下ってから裏に行くよりは、やはりこっちの方が早いので是非もない。

苛立ちをまき散らして列に並ぶ客を横目に、通路を裏手に進む。


 階段を上がらずに、そのまま一度裏通りに出る。塾から最初に次郎君を見かけて付いていった時に、気になるものを見たので確認したかった。

 パチンコ店の裏手には小さな裏口を挟むように、建物に沿って自転車やバイクが並んで停めてある。その中の一台の原付バイクに、探していた物を見付けた。

 原付バイクのサイドカバーに毒々しいステッカーが張ってある。

 崩れた漢字で「赫・耶・王」読めないけれど、あの連中のシャツに描かれていた文字だ。


「あった」

 思わず声を漏らした。おそらく、連中の原付に違いない。これが駐輪しているって事は、中に入って行ったのは間違いなく、まだビリヤード場にいる可能性が高い。

 階段の下まで行って、上の様子を覗ってみる。騒ぎが起きてる様子はないけど、ここからじゃわからない。

 やはり中へ入るしかないと、決心するが、気持ちと裏腹に足が(すく)んで動けない。

自分がこんなに臆病だったのかと、再認識する。

青野君は中にいるのだろうか、やっぱり危ない事になっているんだろうか、僕が行ってどうなるだろうか、弱気な思いに飲み込まれそうになって、強く目を瞑り、大きく見開いた。震える足を一つ叩いて階段を一段、また一段と、登りだした。


 数段登って、ふと次郎君が視界に入った。階段の下の通路を、僕が来たのと逆に通って行った。慌てて階段を折りて追いかける。通路の先に後ろ姿あった、やっぱり次郎君のようだ。

 その背を追おうと駆けだすと、建物から出てきた中年の客とぶつかってしまう。

「いてーな」苛立ちをかくさない、父親ほどの客に「すいません」と頭を下げ、通りへ出た。周りを見渡す。右か左か、これもギャンブルかなと、少し緊張が緩んだ。左を見る。パチンコ店を通り過ぎて駅の方へ歩いている次郎を見つけた。


「次郎君」大声で呼んでいた。

人の名をこんなに大きな声で呼んだ事があっただろうか、きっと無い。しかし、そんな御木本の渾身の叫びも届かずに、歩みを止めない。走り出して叫んだ。

「おーい、次郎君、次郎君ってば」

流石に次郎が足を止めて、キョロキョロとするが後ろは向かない。それでも、足を止めたお陰で追いついた。

「次郎君」

 肩を掴んで声を駆けると、真次郎は反射的に振り向いて、息を切らして下を向いている御木本を訝し気に睨む。

「次郎君、やっと追いついたよ」息を整えた御木本が改めて言うと、怪訝に思っていた次郎が知った顔に気付いたようだ。


「あれ、こ、コンバンハッス。御木本沙希のお兄さんですよね」

「ああ、覚えてくれてた、よかった」

「それは、まあ。ど、どうしたんですか」

「え、いやあ、その、じ、次郎君を見かけたから」

 次郎がキョトンとしている。それはそうだろう、共通点なんてほとんど無いし、髪の毛も、この前見た時よりも茶髪が金に近づいている。

体系は同じくらいだけど、ジャンルは真逆に行こうとしている。

 街灯の明かりに照らされて次郎の髪が光って、ブロンドのように見えた。


「それは、どうも。でも、俺、次郎じゃないんですけど」

「えっ?」

「次郎じゃなくて、真次郎なんですけど」

「ええ、だって、青野君が・・・」

名前を間違えるなんて、失礼千万、自分の皮相浅薄さが情けないけど、青野は確かに次郎と言っていた。

「あの人は、前からそうなんですよ」

「ご、ごめんね、真次郎君。でもなんで、青野君は次郎って呼ぶんだろう」

「さあ、何でだったか、お前はシンなんていらねーって。可笑しいですよね」

 真次郎が破顔して笑顔を見せた。髪の色に似合わない幼い笑顔だ。いや、逆に似合っている。まるで洋画に登場する子役のようだ。

「青野君らしいね」つられて笑顔になる。

「いつか、あの人に認められて、真次郎って呼んで貰えるといいんですけど」

 真次郎が照れくさそうに後ろ髪を弄る。自分を棚に上げて、その幼い笑顔の華奢な少年を見て、なるほど、青野が心配して飛び出していく訳だなと、ひとり納得する。


 自然と二人並んで歩き出す。並ぶと御木本の方が少しだけ背が高い。

華奢に見えるのは、僕と同じで筋肉が付きにくい体質なのだろうか。

華奢な体格がコンプレックスで、密かに筋トレに精を出していた時期があったが、あまり効果が無いので本を読み漁って調べた事があった。


薬指より人差し指の方が長いと、胎児期に浴びる男性ホルモンの量が少なかったせいらしく、これだと中々筋肉が付きにくい。いわゆるホルモンシャワーだ。これは性的指向や物事の考え方にも影響があるらしいけど、今のところはピンと来ない。

他にも、薬指が長くても、遅筋線維の割合が速筋線維より高いと、筋肉が付いても付いていないように見えるらしい。

薄明りの中、真次郎の手を見ると、どうやら後者のように見えた。

少しホッとして、羨ましい。


「どうかしました」

 真次郎が不思議そうな顔で訊いた。じっと見過ぎていたらしい。

「あ、いや、真次郎君、手が大きいから、きっと背が伸びるんだろうなって」

「そうですか、そんなに大きくないと思うけど、皆みたいに背伸びないし」

真次郎が手のひらを広げて見せる。本当は手の大きさと身長は関係ない。身長が伸びると、一緒に手も大きくなる。それが成長なんだ。


「見て、僕の手なんて、ほら」

 真次郎の手よりも一回り小さい手を開いて見せ

「ね、真次郎君は、これからだよ、これから」

 一瞬間があって「そうだと良いんですけど」と、遠慮気味に微笑んだ。

勝手に秘密を明かしたような気になって親近感を持った。

真次郎も同じような悩みを持つ者同士として、僅かにだが打ち解けてくれた気がする。


「青野君なんか『女子みたいにキレイな手だねえ』って、いつも言うんだよ、失礼だよね」

「失礼、あの人、失礼なんですよ」真次郎が笑う。

青野の話題になると嬉しそうだ。青野が大好きなのが良く分かる。

「そうだ、青野君見なかった」

「えっ、青野先輩いるんですか」

 思わず喜んだ後に、気まずそうな表情を見せた

「ガシャーン」

 突然、すぐ先のテナントビルから音がした。

何かが割れたのか、金属が転がるような音もした。

 真次郎と顔を見合い、ハッとする。

どちらともなく、街灯の薄灯りが照らす歩道を、非日常へ走り出した。


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