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石上杏樹と斑目氷純は、広い会議室のようなところに通された。いかにも取調室といったような狭い部屋に詰め込まれるかと思ったが、よく考えたら杏樹はまだ容疑者ではない。
「本来なら付き添いの方は同席させちゃいけないんだけど…今回は特別ね」
半田警部が若い刑事を伴って二人の向かいに座る。先ほどの女性刑事ではなかった。
「改めて確認させていただきますよ。そちらは石上宗一郎さんの娘さんで、石上杏樹さん。年齢は二十歳、本籍ーー…」
半田警部はひとつひとつ丁寧に杏樹のプロフィールを読み上げていく。間違いないことを確認すると、早速事件の話を始めた。
「昨日午後6時頃、石上宗一郎さんのご自宅で宗一郎さん本人のものと思われる遺体が発見されました。通報したのは宗一郎さんが経営する会社の従業員、永田和馬さん。面識はありますか?」
はい、と杏樹が答える。
「父を訪ねて会社に行った時に、何度か。とても親切な人で、よく会社での父の様子を教えてくれました」
警部は「そのようですね」と相槌を打つ。
「永田さんは宗一郎さんの忘れ物を届けに自宅を訪ねた際、チャイムを押しても返答がなく、しかし室内の明かりが点いていることに不信感を覚え、庭に回って寝室を覗いたところ宗一郎さんと思われる遺体を発見したそうです。…ずいぶん取り乱したようで、悲鳴が付近の住宅にまで聞こえていたらしい。…永井さんは窓から遺体を確認後、すぐに警察に通報し、事件が発覚しました」
はい、と再び杏樹が答える。
「解剖の結果、お父さんは昨日午前九時から十一時の間に殺害された可能性が高いことがわかっています。杏樹さんはそっちのお嬢さんと二日前から旅行に出掛けて、昨日の夜過ぎに最寄りの駅に到着…昨晩は鳴梟荘に泊まったんでしたね?」
「はい。彼女の部屋に泊めていただきました…雨が強かったし、迎えをお願いしようにも、父は車を持っていなかったので」
警部は頷く。
「なるほど。ちなみに旅行の間、お二人はずっと一緒だったんですね?」
「もちろんです」
氷純は警部の言葉に被せて即座に答えた。
「昨日の午前中なら、旅館をチェックアウトした頃なので受付の人に聞いて貰えばわかります」
「……まあまあ、お嬢さん。そう警戒しないで…形式的な質問だっていうのはわかってるでしょ?」
声色は終始穏やかで、我が儘な孫を諭す祖父のようだ。半田警部に優しく宥められ、氷純は一旦口を閉じた。
「旅館をチェックアウトして、そのあとは?真っ直ぐ帰ったにしては帰りが遅いようだけれど」
「荷物を駅のコインロッカーに預けて、昼食を取りました。もちろん二人で。…そのあとは近くのお店を巡って買い物してました。キャッシュレス使ったので履歴ありますよ」
「じゃ、あとで確認させてね」
「はぁい」
二人はランチと買い物をしたあと、午後五時くらいに電車に乗った。本来であれば二時間ほどで到着するはずが、運行トラブルで遅れに遅れ、やっと着いたのが午後十時頃。それは駅に迎えにきた久市来と藤間が証言してくれるだろう。つまり、杏樹のアリバイは完璧ということだ。
「それじゃ、杏樹さんから見て、最近のお父さんの様子はどうでしたか?何かトラブルに巻き込まれているとか、悩み事があるとか」
杏樹は氷純の部屋で話していたことをそのまま伝えた。休日も夜間も外出して戻らないことが多かったことだ。
「そういえば、昨日は久市来先生たちと食事をしてから帰りました。その時父に、友人の部屋に泊めてもらうってメッセージを送ったら、既読はついたんです」
「…ほう?」
おかしな話が出てきた。宗一郎本人は昨日の午前中既に殺害されているのに、その約十二時間後に娘から送られたメッセージを誰かが読んだ履歴が残っている。
「もしかして、犯人がスマホを持ち去っているとか?」
氷純が疑問を口にするが、半田警部はすぐに否定する。
「いや、宗一郎氏のスマホは寝室で見つかっている」
「お父さん、タブレット使ってた?」
杏樹は首を振る。
石上親子が使用していたメッセージアプリでは、スマホの端末一台、タブレット端末一台でログインができる。スマホが寝室にあるならば、タブレットの方を持ち出せば犯人が後から既読をつけることは可能だが…石上宗一郎はタブレットを持っていないと、娘は証言する。
若い刑事はサッと立ち上がって警部に耳打ちした。それに頷いて応じると、刑事は足早に会議室を出ていく。
杏樹が知らなくても、タブレット端末を契約しているかもしれない。もしタブレットの存在がわかれば、位置情報を探れる可能性もある。
「ちなみにメッセージはどういう文面で?」
半田警部の質問に、杏樹はスマホを取り出して見せた。メッセージのやり取りは実に単調で、業務連絡のようだ。『今日は氷純の家に泊まります』とだけ綴られたメッセージに対し、返事はない。ただ『既読』の二文字だけはしっかり残っている。
「お嬢さんは、宗一郎さんとは面識あったの?」
「……その、お嬢さんってやめてください半田さん。宗一郎さん…とは、杏樹の家に遊びに行った時に何度か会ったことがあります。口数が少なくて物静かなお父さんだなって思ってました」
それから半田警部は、石上宗一郎について事細かに質問を飛ばしたが、杏樹の証言ではそれ以上のことは出てこない。元来交友関係の狭い人間のようで、おしゃれな輸入品を扱う会社をやっている割に、社長は地味な人柄をしているようだ。
事情聴取を終えると、ひとまず杏樹は帰っていいということになった。が、自宅はまだ捜査員が出入りしているし、なにより寝室の血痕のこともある。半田警部が気遣ってそのことを話すと、杏樹は落ち着いた様子で答えた。
「じゃあ、必要なものだけ取って、ホテルに移ります。数日ならなんとかなると思うんですけど…」
「杏樹、それならうちに来なよ。あたしの部屋にいてくれてもいいし、なんだったら部屋も余ってるし。半田さんもその方がコンタクト取りやすくていいでしょ?」
半田警部はにこやかに頷いた。
会議室に、先ほど出て行った若い刑事ーー松春雷太が戻ってくると、警部は二人を送るように命じる。
「石上さんのお宅には、まだ久市来先生たちが残っているそうです。刈安先輩が、新たに証拠品が見つかったって言ってましたよ」
「そうか。そういえば、杏樹さんにも確認してもらわなければならないものがいくつかあるな。恐れ入りますが、ご自宅に戻られましたら、もう少々お付き合いください」
杏樹は頷いたが、表情は曇っていた。
松春刑事に先導され、二人はとぼとぼと警察署の廊下を歩いた。氷純はこっそり杏樹の表情を伺うと、彼女は俯き加減に暗い影を落としている。先ほどの事情聴取は毅然と答えていたが、これから事件のあった自宅に帰るとなって急に実感が湧いてきたのだろうか。
氷純はそっと杏樹の肩を抱く。
「あ、お嬢さん」
廊下の前方を、別の部屋から出てきた人物がこちらをみてそう呼んだ。
また氷純のことをそのように呼ぶ警察関係者の誰かかと思ったが、刑事とは全然別の、もっと平和的な雰囲気をした三十代くらいの男だ。Tシャツにカーディガン、スラックスといったラフな格好で、制服警官に付き添われているせいか弱々しい雰囲気に見える。
「あ、永田さん」
杏樹が呼んだ。ーー第一発見者の、永田和馬だ。
「どうも。……あの、この度は」
永田は被っていた帽子を取って挨拶する。昨日警察から散々事情を聞かれたあとで、今朝になってまた呼び出されたとのことだ。表情はずいぶんげっそりして、頬の部分がこけているようにも見える。目の下にはうっすら隈ができていたが、それが疲労のせいなのか元々そういう顔なのかは、氷純にはかわらない。
ただ、永田のおどおどとした態度に、氷純は少し抵抗を覚えた。
「大変ですね、お嬢さん。社長…お父さんがあんなことになってしまって」
「はい。あの、ありがとうございます。父のことでご迷惑をお掛けして…」
「いえ、お気になさらず。…今日はこのあと、どうされるんですか」
「友人の家に、しばらく厄介になることにしました。あの、会社の方は…」
永田は首を傾げる。
「僕はそういうことはわかりませんが、連絡は行ってると思うので…今頃専務たちが対応しているのではないでしょうか」
「…ご迷惑お掛けします」
杏樹は深々と頭を下げた。
別に、杏樹は悪いことをしたわけじゃないのにな。




