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鳴梟荘の事件簿1『ヒュドラ殺し』  作者: 久市来 翠
第一幕

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6/8

 石上宗一郎氏の自宅は、藤間たちが思っていたよりずっと小ぢんまりしていた。食品輸入会社の社長であると先に紹介されていたので、高級住宅街にあるような立地がよくて敷地が広い、おしゃれで豪華な一戸建て建築を想像していたのだ。

 もちろん一戸建てではあるのだが、高級住宅街というより団地で、立地が良いというか郊外で、敷地はさほど広くもないささやかな庭があり、周囲の住宅とあまり変わり映えしない質素めの平屋だった。青々とした芝生がきちんと敷かれていて、壁も屋根も傷んだ様子がないきちんとした印象。その反面、人が住んでいた気配があまりしない。まるでまだ眠りこけているようだ。

 石上家の前には黒山の人だかりができていた。警察が到着したのは昨日の夕方頃だが、朝になって警察が来ていることに気づいた近隣住民が集まってきているのだろう。黄色い規制線の前でちょっとした押し問答が始まっていて、「押さないでください!」だの「動画を撮らないでください!」だのといった警官の声が悲鳴のように甲高く響いていた。

 そんな人だかりの中を、刈安が躊躇なく掻き分けていく。久市来、藤間は車中で渡されたマスクをして、軽く手で顔を隠しながら刈安の後についていった。中には記者も混じっているらしく、掴みかかりそうな勢いで質問を飛ばしてくる声がした。

 刈安は慣れた仕草で規制線をくぐる。これで何度目の臨場だろう。久市来はぼんやりとその回数を数えた。

 重い玄関扉を開けて中に入る。藤間は自前の白い手袋をしながら、きょろきょろと周囲を見回した。

 「いい趣味だな」

 藤間が呟いた。

 入ってすぐ右手に、胸の高さほどの靴箱。その上にはガラス製の花瓶と可愛らしい動物の置物が数点。それからキースタンドとディフューザーが順番に置かれている。

 動物の置物はどこかの土産物のようだが、花瓶はけっこう値が張りそうだ。輸入会社の社長らしいから、恐らくこれらも海外製のアイテムかもしれない。

 隅の方には開封していない郵便物がまとめて置かれ、大学からと思われる封筒も紛れていた。青い角2封筒は病院からのものだ。『大谷内科クリニック』ーーどこか悪いところがあったのだろうか。

 それから、靴箱の反対側に姿見とカレンダーがある。壁掛けのカレンダーはクローバーの模様が入っており、日付の下には広めの記入欄がある。女性のものと思しい筆跡で細かく予定が記されていて、整然とした家具類の中でそれだけが人の生活感を物語っていた。

 「こっちだ」

 刈安が廊下の奥から急かしてくる。石上宗一郎氏の寝室は、庭に面した左側奥。廊下を一歩進むごとに、殺人現場特有の香りが強くなってくる。何度規制線を潜っても、これだけは慣れないーー慣れてはいけない香りだ。

 「うわっ」

 推理作家は殺人の残り香をまとう寝室に入った途端、その惨状に思わず声が漏れた。想像はしていたけれど、それを上回る血痕の量に顔を背けてしまう。

 被害者の寝所は、まるで病室のようだった。部屋の中程に静かに鎮座し、白いシーツと布団が残されている。被害者が寝ていたであろう枕元には血が飛び散って、布団は少し前まで入っていた人の形をまだ残していた。血痕はシーツだけではなく、床や壁やナイトテーブルなどにも飛んでいて、証拠物件を数える黒いプレートが置かれていた。

 「大丈夫か、キラ」

 久市来は部屋の隅に寄って少し背中を丸めた。刈安がその肩に手を掛ける。

 「う、うん…。大丈夫。すぐ慣れるから」

 「お前は逞しいな」

 刈安は肩をすくめた。

 「今回は現場を見てすぐ吐いた奴も少なくない」

 そりゃ警察官だって人間だから。…そう言いかけてやめておいた。実物の遺体を見たら自分だって耐えられないかもしれない。

 藤間は現場の惨状を目にしても顔色ひとつ変えないまま、忙しく辺りを見て回る。まずはベッド。手を触れないまま顔を近づけてじっくり観察し、慎重に離れる。

 続いて背の高いベッドサイドランプ。紐を引っ張るタイプのやつで、今明かりはついていない。

 「発見時、ランプはついてたのか?」

 「いや、ランプじゃなくて普通に部屋の明かりがついていたよ」

 「死亡推定時刻は?」

 「その日の午前9時から11時くらいまでだろうってよ」

 「ずいぶん真昼間だな」

 藤間は次にカーテンを開けた。南向きの窓からは陽の光がよく差し込んでいる。レースとドレープの二重カーテンにも血飛沫が飛んだようで、下の方はマダラ模様に汚れていた。窓の鍵はよくあるクレセント錠。開けるとすぐに庭へと出られるようで、低いコンクリートの塀の向こうからは先ほどの人混みが見える。何人かがこちらにカメラを向けていた。

 「カーテンは元々閉まってたのか」

 「いや、発見時は開いていた。今はご覧の通り、人の目があるから閉めているだけだ」

  ほらよ、と刈安はタブレットを寄越した。画面は写真フォルダが開いており、細かくこの部屋の記録が残されている。確かにカーテンは開いており、茜色の空に夜の色が差し込み始めているところだ。

 藤間はそのままタブレットを片手に、室内の状況を見比べながら観察を続ける。

 「刈安さん。ちょっと」

 廊下の方から呼ぶ声がした。刈安は短く返事をしてそちらに向かう。作家は少し迷って、刑事の後についていった。

 廊下を少し戻ると、リビングの扉が開け放たれている。鑑識の制服を着た捜査員が、リビングの方から顔を出していた。刈安が来ると何かの資料を見せて小声で相談を始める。

 久市来はその間、リビングの様子を見せてもらうことにした。

 白を基調とした15畳ほどの部屋。右手はリラックスできる大きいソファと、向かい合わせに四十インチほどもあるテレビが設置されている。テレビ台はモニターを囲うように棚になっていて、本や写真立て、小物などが飾られている。上の方は天井の高さにピッタリ合っていた。オーダーメイドだろうか。

 棚に収まっているのは文庫ではなく写真集の類だ。世界の美しい建築集とか、海の生き物集とか、動植物集とか。大人向けの図鑑といった感じの本が多数揃っている。置物はガラス製が多く、ホコリひとつ残さずきちんと掃除されていた。

 外観を見てもそうだが、この家には生活感を醸す汚れや痕跡などがあまり残されていない。杏樹がまめに掃除をこなす姿を想像したが、なんとなく後ろめたい気がしてすぐにやめた。

 宗一郎がしているのかもしれないじゃないか。

 続いて、重厚なデザインのキャビネットと観葉植物。壁には額縁が掛けられ、こちらは絵画のレプリカではなく、小さい女の子と母親の写真が入っている。プロが撮ったものだろう、ピントや画角がかなりしっかりしていた。

 次いで、部屋の左側はアイランドキッチンとダイニングテーブル。暖かみのある木目調のもので統一されており、食器棚に収められている食器類も、洗練されたシンプルなデザインのものばかりだ。

 「冷蔵庫、すっからかんだぜ」

 突然隣で声がしたかと思えば、いつの間にやらやってきたらしい藤間が冷蔵庫を覗いていた。

 冷蔵庫は、言葉通りのすっからかんではなく、正確には調味料や酒類しか入っていなかった。卵や牛乳、生鮮食品系は入っておらず、タッパーで保存しているようなものもない。

 「杏樹ちゃん、料理好きだったはずなんだけどね」

 久市来は傍から覗き込んで言う。

 「旅行の予定があったからな。ダメになりそうなものは使い切って行ったんだろう。父親は料理をしないタイプなんじゃないか」

 藤間はふらりと冷蔵庫から離れ、シンクや電子レンジ、換気扇などを覗き込む。ゴミ箱は空だった。

 「何にもない」

 「外食で済ませてたかな」

 「なるほど」

 二人はゴミ箱を閉じた。

 久市来はその後も藤間と一緒に一通りの部屋を見て回った。寝室、リビングの他に娘の部屋と洗面浴室、物置部屋くらいだが、開けられていたという金庫は物置部屋にあった。そばにいた捜査員に立ち会いを頼んで見せてもらったが、素人目にはわかることはあまりなかった。

 仕方がないので二人は玄関に戻る。他に見るものもないのでとりあえずカレンダーの書き込みを眺めた。几帳面そうな筆跡で、いつも定規をあてているのだろう、罫線もないのに真っ直ぐに書き留められていた。色ペンなどは使っていないようで、黒一色だが読みやすいよう空間をとっている。予定は二ヶ月先まで書き込まれていた。

 藤間は玄関ポーチの方を覗いていた。

 「なにかあったか?」

 探偵は答えない。

 久市来は藤間の後を追ってポーチの方に出た。ドアに向かって左側にライトと玄関チャイム。右側に郵便受けと宅配ボックス。宅配ボックスはまだ真新しく、傷一つついていない。

 タイル製のアプローチを二段下がったところには傘立てがあった。ボックスタイプのデザインで、シンプルながら外観にも合っている。今は、ピンクと黒の二本が差してあった。

 藤間はその傘立てと、玄関、そして庭の方を何度も見比べている。腕を組んだまま塀の方へ歩いて行ったかと思うと、しばらく塀を見つめた後また玄関の方に戻ってくる。チャイム、傘立て、そしてまた塀の方。これを何度か繰り返していた。

 「よう探偵諸君。なにか手がかりは掴めたかね?」

 鑑識員との相談が終わったのか、刈安が偉そうにしながら戻ってきた。久市来と同じく藤間の奇行を目にすると、切れ長の目を丸くする。

 「……どうしたんだ?」

 「さあ」

 藤間はそのまま庭の方まで歩いて行った。

 「ところで、警察さんの方ではなにか見つかったわけ?鑑識さんから何か言われてたろ」

 「……ああ、うん。直接事件に関係あるかはわからないんだが、リビングと物置部屋の窓枠が少し歪んでいたらしい。新しい傷もある」

 「こじ開けられたかもしれないってこと?」

 「多分な。殺人というよりは空き巣の手口だ。前に入られたのかもしれないな」

 「泥棒に入ったら宗一郎氏と鉢合わせて殺した?」

 作家の問いに、刑事は表情を曇らせた。

 「それはないな。窓自体の修理はされていたから、空き巣に入られたことがあるとしても今回じゃないだろう。あるいは、盗みに入った空き巣に合鍵を作られてしまった、っていうケースも考えられるが」

 「なるほど」

 最近は、鍵の形状や刻印だけで簡単に合鍵が作れてしまう。

 そういえば玄関にキースタンドがあった。家のものかはわからないが、一本だけスタンドに引っ掛けられた鍵があったのでそれが合鍵かもしれない。あんな風に置いていたら、一度侵入してしまえば確かに合鍵は容易に作れそうだ。

 例えば、以前侵入した空き巣が合鍵を作っていたとしたら。相手は会社の社長でそこそこいい家に住んでいるし、物置部屋に金庫がある。一度目はバールでこじ開けておいて、二度目にきた時にゆっくり金庫を開けるつもりだとしたら。

 「か〜り〜や〜す〜」

 庭の方に徘徊していったはずの藤間が、反対側から戻ってきた。なんだかニヤニヤとした表情で刑事と肩を組む。

 「ちょっとこれ見てみ」

 藤間は傘立てを指差す。

 「普通の傘立てだ」

 「普通だけど、普通じゃないんだわ」

 そう言って藤間は上を見た。

 傘立てが置いてあるのは玄関ポーチの二段下。出入り口から離れてはいるが、外置き用の物なので特に気にはならない気がする。刑事と作家は首を傾げた。

 藤間は得意げに差してある傘を二本とも取り去り、傘立てをひっくり返す。昨晩の雨で雨水が溜まっていた。

 「普通こういうのは屋根があるところに置くもんだろ。雨を凌ぐのに傘を使うのに、その傘が浸水しちゃあ意味がない」

 「確かに。…じゃあ、なんで」

 玄関ポーチのスペースには十分余裕があるので、狭くて置けなかったということではないだろう。藤間は傘立てを持ち上げて、恐らく本来置かれていたであろう場所に置き直した。玄関扉の左側、チャイムの下あたりだ。確かにそこなら雨には濡れない。

 「なんで動かしたと思う?」

 まだニヤニヤしながら藤間が聞く。

 今度はチャイム、傘立て、そして玄関扉の鍵穴を順番に指差して、そこから見えない糸を辿るように指先で空中をなぞる。そのまま庭の塀まで進んで行った。

 突き当たったのは庭を囲む塀。その、下。青々とした芝生の上に、ぽつんと植木鉢がひとつだけ置かれている。

 作家はそれが何を示しているのかはわからなかったが、刑事の方はピンときたようだ。鑑識員を呼び植木鉢の中を検める。

 土を掘り返した。硬いモノに当たる。

 一同は顔を見合わせた。

 「…監視カメラ!!」

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