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鳴梟荘の事件簿1『ヒュドラ殺し』  作者: 久市来 翠
第一幕

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3/8

 時間は少し巻き戻る。

 刈安耕介は、先日発生した傷害事件の聞き込み捜査のため、後輩の松春雷太刑事と共に一日中走り回っていた。真昼間から押し入り強盗に入った挙句、盗んだ車で逃げ回り交通違反と人身事故を起こしまくった凶悪犯で、他の班から応援を呼ぶには充分な事件だった。刈安、松春の班の担当ではないが、応援として駆り出されることになったのである。

 「ひっでぇ事件ですねぇ、しかし。重症三名、軽傷が十四名うち子供が二人。数万円のためにこんなにしますか普通」

 刑事一年目の後輩は少々口が軽い。人当たりが良くて話しやすいのは長所かもしれないが、聞き込みや事情聴取の際はうっかり捜査情報を口にしそうで、刈安は横でヒヤヒヤしっぱなしである。

 ーーもっとも、顔が怖いと評判の自身は、いざ聞き込みや取り調べに回っても、相手が怖がってなかなか話してくれないといった事態になりやすいので、スムーズに捜査が進まないことがよくある。きっと、この軽薄そうな後輩を預けられたのはそういう事情をくんでのことだろう。刈安はバックミラー越しの自分の顔を見つめた。……そんなに怖いだろうか。

 「そういや、聞きましたか先輩。あの話」

 「あの話?」

 「ほら、聴取とる前にいなくなっちゃった人のことッスよ」

 刈安がなおも首を傾げるので、松春は得意げに説明した。

 「病院に運ばれた被害者のうち、一人行方をくらました男がいるって話ですよ。なんでも逃げた強盗の車に撥ねられて腕を怪我したけど、かすり傷だから帰るって言って消えちまったらしいッスよ」

 「へえ、名前は」

 「聞く前にいなくなっちゃったそうッス。…なんか怪しいことでもしてるんスかね」

 おどけた様子で松春は笑った。

 まあ、大方危ない薬か何かをやっている奴だろう。少しでも後ろ暗いことがある人間は、たとえ被害者側でも警察との接触を避ける。

 今頃は担当の捜査員が消えたその男を探しに走り回っていることだろう。

 時刻は午後六時過ぎ。これから二人は本部に戻って報告書を作成しなければならない。聞き込みで走り回るよりも、デスクワークの方が気が重くなる二人は、途切れ途切れに会話を交わしながら夕方の住宅街に車を走らせる。

 ぼんやりした空気に割り込むように、刈安のスマホがけたたましく鳴った。

 『お前ら、今どこだ』

 ぶっきらぼうは調子で電話を掛けてきたのは二人の先輩、半田友成警部だった。低い威圧的な声で喋る。

 「飯生町の住宅街です。聞き込みから引き上げるところで」

 『今すぐ引き返せ。三丁目でコロシだ。ーー現着しろ』

 ベテラン警部はそれだけいうとさっさと電話を切ってしまった。刈安は大きくため息をつく。

 「半田さん、なんだったんですか」

 電話を切った後舌打ちをする先輩刑事に、松春は恐る恐る聞いた。

 「三丁目でコロシだってよ」

 「うちの班ですか」

 「だから電話寄越したんだろ」

 ハンドルを握る松春の手に、汗が滲む。

 刈安は窮屈な車内で足を組んだ。苛ついた時の癖で、大学時代にはよく「真っ直ぐ座れないのか」とからかわれたものだったが、警察官になってからも直らない。むしろ、「態度がでかい」「怖そう」「もっと柔和に」と押さえつけられることが多くなった気がする。

 ーーああ。そういえば、強盗捜査の指揮を執っている管理官も、やたらと人の顔を見てそんな文句をつける奴だった。

 刈安は苛立ちの原因がわかると、その忌々しい顔を振り払うように頭を振って姿勢を直した。……これから仕事だ、しっかりせねば。

 閑静な住宅街を縫うように、車両はくねくねと右左折を繰り返す。パトランプはつけていないが、見慣れない

車両は不審に思えるのだろう、時折すれ違う通行人が怪訝な顔を向けていた。

 目的の家はすぐに見つかった。既に付近をパトロールしていた機動隊が到着しているようで、赤灯を回している車が二台停められている。表にいた警官に敬礼で挨拶し、二人は中へと入っていった。

 玄関前に警察官ではない男が一人。今にも失神しそうなほど青ざめた顔をして蹲りながら、警官の質疑に応答していた。

 「第一発見者の方です」

 先にとうちゃくしていた機動隊の警官が言う。

 「ずいぶん参ってるみたいッスね」

 松春が呑気に言うものだから、警官は少々呆れ顔で「はぁ」と答える。人間の遺体を発見して気分がよくなる人間など、ほとんどいない。刈安がそう口を挟もうとすると、警官は今度は同情するように言った。

 「…まあ、あんな遺体をみてしまったら、仕方ありません」

 「そんなに酷いんですか」

 「ええ…まあ。見ればわかると思いますが…」

 警官が言葉を詰まらせていると、別の警官がえづきながら玄関から飛び出してくる。

 腐乱したり損傷が酷かったりすると、耐性のない者はああやってリタイアする。刈安は比較的平気な方だが、白い手袋を嵌めて気合いを入れた。

 玄関から入ってすぐ、薄暗い廊下が真っ直ぐ伸びている。奥の扉が一箇所だけ開いていて、部屋の明かりが漏れていた。

 「うっ」

 後ろからついてきた松春が、慌てて口を抑えた。

 独特の甘ったるい腐臭が、鼻の奥にまとわりつく。

 二人は覚悟を決めて部屋に入った。

 部屋の真ん中にはシングルベッドが一つ。煌々とした明かりの下、真っ白な布団がヒト型に盛り上がっている。

 「ライタ。お前、外出てろ」

 「え、だ、大丈夫ッス」

 「ここで吐くなよ」

 刈安は白手袋を嵌めた指で一気に布団を摘み上げた。

 「うわッ!!」

 だから言ったのに。松春は堪えきれず部屋を飛び出した。

 白い布団とシーツに包まれた遺体は、眠るように横たわっていた。胸の上で両手を重ね、きちんとパジャマを着た男の身体だ。見たところ身体に外傷はないが、遺体には大きく欠損している箇所がある。

 ーーその男には、首がなかった。

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