異なる人間の生き方
翌日、朝倉とハクチーは家にいた。
朝食を食べた後、ハクチーは例によってテレビを見ており、朝倉もまたテレビを観ている。普段ならば次の計画を練っているところなのだが、そんな気にはなれなかった。
かといって、テレビを集中して観ているわけでもない。今の朝倉は、テレビの内容など全く理解していなかった。誰かが映っているのは見える。何かを言っているのも聞こえる。だが、それらは朝倉の心にまで届いていない。
理由はといえば、昨日の出来事が未だ心にのしかかっているからだ。
昨日会った少女は……化粧こそ濃いものの、根っからの悪人には見えなかった。少なくとも、朝倉の始末してきたヤクザたちほどの悪人ではなかった。
しかし、その腹の中は汚らしい色に染まっていた。
(ギャルってね、話してみればみんな性格いいんですよ! いい奴らなんです!)
どこかのテレビタレントが、そんなことを言っていたのを思い出す。だが、その性格の良さは相手がタレントであるがゆえ、だろう。ハクチー相手にも性格の良さを発揮するギャルなどいない。
そう、どいつもこいつも弱者が相手だと本性を剥き出しにするのだ。特に、あの年頃の少年少女たちは残酷である。人を傷つけることに、何のためらいもない。
(じゃあ、お前はどうなんだ?)
朝倉の裡に潜むものが、そっと尋ねてくる。その問いに対する答えは、ひとつしかない。
(俺は善人じゃない。人殺しの悪人だ。関係ねえよ)
「朝倉あれ見ろ」
不意に言われ、朝倉はハッとなった。
テレビの画面を見れば、公園が映し出されている。かつて、朝倉とハクチーがクリームパンとおにぎりを食べ、チンピラ四人をぶっ飛ばした場所だ。お笑い芸人らしき男が、公園を散歩している。いわゆる「街ブラ系番組」だろうか。
「あそこで朝倉とハクチーおにぎり食べた」
楽しそうに語るハクチーを見て、朝倉の顔も自然とほころんでいった。
一方、ハクチーはいつになく雄弁に語っている。
「昔公園に住んでたことある。他にオッサンいっぱい住んでた」
「そうか」
朝倉は、軽い口調で答える。が、その後の言葉を聞き跳ね起きた。
「食べ物やるから服脱げ言われた。だからハクチー脱いだ。そしたらハクチーの体触ってきた。それから……」
そこまでで充分だった。朝倉は、何があったのかすぐに察する。と同時に、体の裡から凄まじい怒りが湧き上がってきた。
「そいつらはどこにいるんだ? 連れていけ。全員殺してやる」
極めて冷静な口調だった。しかし、朝倉の怒りを彼女は敏感に感じ取ったらしい。
「朝倉なぜ怒る? あいつら約束守った。だからハクチーも約束守った」
ハクチーは不思議そうに聞いてきた。その瞬間、朝倉は耐えられなくなった。
「そんな奴らとの約束なんか守らなくていい! そいつらは、お前を利用してるんだ! しょうもない食い物で、お前を……」
そこまで言って、朝倉はハッとなった。では、自分はどうなのだろうか。
俺だって、そのホームレスと一緒だ。
こいつに、金も払わず危険なことをさせていたんだから……。
しかも、人殺しだぞ。
人殺しをやらせたじゃねえか。
(こいつは、上手く使えば最強の手駒になるじゃないか!)
ハクチーの強さを目のあたりにして、最初に思ったことだ。その記憶が蘇る。
手駒、だと?
なんだよ、手駒って?
人間扱いしてねえじゃねえか。
こんな人生を送ってきた奴に……。
今までの朝倉なら、憎しみと殺意で全てを塗りつぶし終わらせていた。哀れみも、良心の呵責も、悪人に徹することで誤魔化していた。
だが、もうそれはできなかった。
次の瞬間、朝倉は座り込んだ。ハクチーの目を、正面から見つめる。
「いいか、これからは男の前で服を脱いだらダメだ。わかったな?」
「な、なんで?」
「なんでもだ。とにかく、男の前で服は脱がない。体も触らせない。わかったか?」
「朝倉にも?」
「俺にもだ」
「じゃあ山野はいいの?」
「山野さんは……あれでも、一応は女だ。信用もできる。だから脱いでいい」
「わ、わかった」
困惑しつつも頷くハクチーを見て、朝倉は心を決めた。
もういい。
復讐は、俺個人でやる。
こいつには……ひとりででも幸せに生きていけるよう、俺が生き方を教える。
これからは、俺がハクチーを守る。
「すまなかったな、ハクチー」
気づくと、そんな言葉が出ていた。
「なぜ謝る?」
不思議そうに聞いてくるハクチーに、朝倉は顔を歪めた。
「ありがとな、今まで俺に付き合ってくれて」
「なぜお礼言う? 今日の朝倉変だ」
「違う。これで普通になったんだよ。今までがおかしかったんだ」
そう、今までのハクチーの人生は……いや、人生などと呼べるものですらなかった。
人から騙され、バカにされ、利用されるだけの日々……もちろん、その利用した人間の中には、朝倉も入っている。
だが、今日からは違う。
もう、彼女に人を殺させたりしない。少しでも、人間らしい生活をさせる。
そのために、俺の時間を使う。
・・・
その頃、西村陽一は真幌市狂言町にあるキックボクシングジムにいた。何かに憑かれたように、サンドバッグを叩き、蹴りまくる。
その威力は、他の会員とはまるで違うレベルであることは明白だった。西村がパンチを打つたび、ドスッという重い音が響き渡る。西村がキックを叩き込むと、サンドバッグはくの字に曲がる。
やがてインターバルの時間になり、西村はペットボトルに口をつける。
その時、ジムの扉が開いた。入って来たのは、見るからにひ弱そうな少年だ。おそらく見学だろう。震えながら、ジムの中を見回している。
西村は、思わずクスリと笑っていた。十六歳の時の自分も、あんな感じだったのだろう。
あの頃の西村は、ニートだった。そして、何もかもが嫌いだった。
世の中に存在する、一般大衆と呼ばれる人々。自分の生まれてきた意味を考えようともせず、流行りのものに飛び付き、他人を嘲笑い、弱者を叩く。それでいて善人面をして、お涙ちょうだいの映画やドラマを見て涙を流す。そんな連中が、嫌で嫌で仕方なかった。
だが、社会に出て生きていくには……そんな連中の仲間にならねばならないのだ。
認めたくはない事実だった。だが、ニートの期間は、いつか終わる。自分の力で、生きていかねばならない時がくる。
それでも、一般大衆の仲間入りだけはしたくなかった。だからこそ、西村は小説を書いた。自分の中の暗い衝動を、文章の中に叩きつけたのだ。同時に、少しでも共感してくれる人間がいることも願った。
だが、読んでくれる者はいなかった。ここにも、自分の居場所はなかった。
やり場のない怒りをぶつけるため、十六歳の西村は勇気を振り絞って格闘技のジムの門を叩いたのである。
その時、ゴングが鳴った。インターバルの時間は終わりだ。西村は、再びサンドバッグを叩く。
サンドバッグに己の手足を叩き込みながらも、頭は冷静に考えを巡らせていた。
先日、銀星会の小川が殺された。外傷から判断するに、素手で殺された可能性が高いらしい。百九十センチで百十キロという堂々たる体躯の小川を、素手で殺す……確実に、普通ではない相手だ。
だからこそ、狩りがいもある──
銀星会の上層部は、一連の事件を新興組織の仕業だと思っている。日本最大の広域指定暴力団である銀星会だが、最近ではその威名にも陰りが出てきた。そんな状況を見た新興組織が、銀星会を弱体化させるために店舗や施設を襲撃し、さらに小川を殺害したのだと判断していた。
だが、西村の読みは違う。彼の頭脳は、全く違う結論を導き出していた。
これは、新興組織との勢力争いではない。
おそらくは、銀星会に対する個人的な復讐だ──