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正岡の来訪

 それは、昼間の出来事だった──




 突然、バラックのドアを叩く音がした。朝倉はビクリと反応し、すぐに立ち上がる。ハクチーもまた、警戒心に満ちた表情で低く唸った。

 ややあって、再びドアを叩く音。次いで、声が聞こえてきた。


「いるのはわかってるんだ。ちょいと開けてくれねえか」


 聞き覚えのある声だ。誰だっただろう、と一瞬考える。

 だが、すぐに答えは出た。数日前にここに来た正岡という刑事だ。

 刑事ともなると、さすがに無視はできない。朝倉は歩いていき、ドアを開けた。同時に、演技の体勢へと入る。頭の中で、既に役柄のプランはできあがっていた。


「よう、ちょっといいか?」


 ドアを開けると同時に、正岡のいかつい顔が飛び込んできた。この男、ヤクザと比べても遜色ない迫力である。

 だが、朝倉は平然とやり過ごした。今の自分は、警察に不当な取り調べを受ける無実の一般市民だ。身も心も、既に役柄になりきっている。この程度の演技なら、準備すら必要ない。


「ええっと、なんでしょうか?」


「ちょっと話したいことがあってな……ここじゃ何だし、入れてもらっていいか?」


「嫌です。外で話しましょう」


 言った途端、正岡がジロリと睨んできた。だが、朝倉はその視線を無視しハクチーの方を向く。


「ハクチー、お前はここでテレビ観てろ。俺は、正岡さんと外で話をしてくる。すぐ帰ってくる」


「うんわかった」


 そう言うと、ハクチーは座り込んでテレビを観る。一方、朝倉は外に出てドアを閉めた。

 にこやかな表情で、正岡を正面から見つめる。


「で、話ってなんですか?」


「仕事は何をしてるんだ?」


 不意に放たれた問いだったが、朝倉は平静な表情で聞き返す。


「はい?」


「山野さんに聞いたんだが、お前は家賃は滞りなく払っているようだな。電気代や水道代も払ってる。偉いなあ」


「そんなの、当たり前のことじゃないですか」


「その当たり前ができない人種が、この夢の島地区に流れ込んでくる。ここじゃ、家賃が払えなくなり夜逃げなんざ日常茶飯事だよ」


「はあ、そうですか」


「とにかくだ、お前さんの収入源は何だ? おじさんに教えてくれや」


「嫌ですね。言いたくありません。どうしても知りたかったら、礼状を持ってきてくださいよ」


「ほう、礼状か。クソ生意気なガキだな」


 言いながら、正岡は一歩前に進み出る。鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで近づいてきた。だが、朝倉はすぐに目を逸らす。


「何です? 暴行する気ですか? 警察から不当な暴力を受けたと訴えてやりますよ」


「訴えるだあ? お前さんにゃ無理だろ」


 そう言うと、正岡はふっと離れた。辺りをぐるりと見回し、再び口を開く。


「ここに来たのは、お前さんをパクるためじゃない。最近、とんでもない事件が起きてなあ……この辺の住民に、注意を喚起するために来たんだ」


「事件? どんな事件です?」


「昨日、小川義人っていう男が襲われた。路地裏でな、首をへし折られていたんだよ。挙句、財布やら時計やらスマホやら、その他もろもろが奪われてきた」


「ほう、それは怖いですね」


 間違いなく、朝倉とハクチーの犯行である。だが、朝倉は完璧な演技でやり過ごした。大袈裟にならず、かといって冷静すぎもしない……完璧な演技だ。


「ああ、本当に怖い話だよ。そいつはな、銀星会の正式な構成員だ」


「銀星会? ああ、あの有名な暴力団ですか」


「そうだよ。しかも、小川は身長百九十センチで体重百十キロの大男だ。銀星会じゃあ、まだ若手の部類だがな……それでも、ぶっちぎりの武闘派として知られていた。噂じゃあ、お気に入りのキャバ嬢と一緒に地下格闘技の試合を観に行ったが、いいとこ見せようってんで試合に飛び入り参加して、相手をボコボコにしちまったらしい」


「うわあ、怖い人ですね」


 ここでも驚いてはみせる。だが、あくまで自然だ。舞台の演技と、刑事を騙す演技は違う。しかし、朝倉はその両方を使い分けられる。


「ああ、本当に怖い奴なんだよ。ところがだ、犯人はそいつを素手で殺しちまった」


「えっ!? 素手で殺したんですか!?」


「そうだよ。百九十センチで百十キロ、しかも銀星会の正式な構成員……そんな奴を、犯人は素手で殺した。とんでもねえ奴だよ」


「何なんでしょうね……犯人は、ひょっとしたらオランウータンなんじゃないですか? モルグ街の殺人事件って、そんなオチでしたよね」


 そんなことを言って笑う朝倉だったが、正岡はニコリともしない。


「確かに、とんでもない奴だよ。だが、そんなことのできる奴は限られてくる。俺には、ひとりしか考えられない」 


「へえ、どんな奴ですか?」


 聞いてきた朝倉を、正岡はじっと睨みつけた。

 少しの間を置き、フゥと息を吐く。目を逸らし、語り出した。


「前にここに来た時、言ったことを覚えているか?」


「いえ、申し訳ないですが覚えていません」


「以前、狂言町の辺りで二十代から五十代の男が、立て続けに金を奪われ殺されたって話だ。犯人は、全員を素手で殺してる。今回、小川を殺ったのは……同じ犯人じゃないかと思っている」


「はあ、そうでしたか」


「しかしな、今回はどうも妙なんだよ。これまでは現金しか奪ってなかったのに、今回は腕時計やらスマホやら、金目のものを全部奪ってやがるんだよ。どこかのバカが、とんでもねえ腕力を持つアホを上手く手懐けてやらせたんじゃねえか……俺は、そう思っている」


「それはまた……何ともひどい奴がいますねえ」


「ああ、本当にひどい奴だよ。自分の手を汚さず、馬鹿力はあるが頭の悪い相棒に殺しをやらせてんだからな」


「いやあ、本当に悪い奴ですね。さっさと逮捕しちゃってくださいよ」


 涼しい顔でそんなことを言う朝倉を、正岡は凄まじい形相で見つめる。一瞬、殴られるかと朝倉は思った。

 だが、殴りかかっては来なかった。正岡はうつむき、静かな口調で語り出す。


「ただな、この事件だが……俺はただの強盗じゃないと思っている。おそらく、銀星会に恨みを持つバカの犯行だ」


「あの、いいんですか? 俺みたいな一般人に、そんな捜査情報を漏らしちゃって……俺、ネットで拡散しちゃいますよ」


 言いながらヘラヘラ笑う朝倉に、正岡は冷たい目で


「いいや、お前さんはそんなことはしない。したら、面倒なことになるとわかりきってるからな」


 そこで、正岡はタバコを一本抜き取り口にくわえた。火をつけ美味そうに吸い、フゥと煙を吐き出す。

 一方、朝倉は無言のまま相手の出方を窺っていた。いざとなったら、この刑事も消さなくてはならない。

 ややあって、正岡は再び語り出す。


「最近、立て続けに銀星会関連の店が襲われている。そして昨日は、構成員の小川が殺された。俺はな、この一連の事件は全て同一人物だと思っている」


「何とも恐ろしい話ですね。では、さっさと犯人を逮捕してくださいよ」


「ああ、必ず逮捕してやるよ」


 正岡が答えた時だった。


「朝倉どした?」


 不意にかけられた声に、朝倉はビクリとなって振り返った。

 いつの間に来ていたのか、ハクチーがすぐ後ろに来ていた。朝倉の顔を、不安そうに見上げている。どうやら演技に集中していたため、ドアが開く音も聞こえていなかったらしい。

 その時、正岡がニヤリと笑った。


「お前さんは、ここまで完璧だった。俺は、こいつは本当に何も知らねえんじゃねえかとすら思ったよ。ところが今、このお嬢ちゃんに呼びかけられた時、本当の感情の揺らぎが見えた。大した役者だな」


「何のことを言っているのやら……」


「ああ、そうだ。お嬢ちゃん、これいるか? さっき知り合いからもらったんだけどな、そいつは好きじゃねえんだ」


 言いながら、正岡が上着のポケットから取り出したものは……缶コーヒーだった。

 ハクチーは首を傾げる。


「これ何? 食べるやつ? 飲むやつ?」


「おいおい、缶コーヒーも知らねえのか? 俺は缶コーヒーは好きだが、そいつはミルクと砂糖が多すぎてな。好みじゃないんだよ。嫌いじゃなけりゃ、飲んでくれ」


 言いながら、正岡は缶コーヒーを手渡した。ハクチーは受け取ると、神妙な顔で頭を下げる。


「ありがとう」


「じゃ、また来るぜ」


 そう言うと、正岡は背中を向け立ち去ろうとする。だが、いきなりハクチーが動いた。パッと正岡の前に移動する。


「いえいえどういたしましてって言うんだよ」


「はあ?」


 困惑する正岡。朝倉の方はというと、必死で笑いを堪えていた。


「いえいえどういたしましてって言うんだよ」


 ハクチーは、なおも繰り返す。その迫力に、なぜか正岡もたじたじになっていた。


「わ、わかったよ。いえいえ、どういたしまして」












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