西村陽一という業界人
真幌市狂言町にあるキャバクラ『クラブ・クイーン』は、普段は黄色い声が飛び交う派手で騒がしい店である。狂言町でも、人気ナンバーワンと言っていいだろう。
しかし、そんな店も今日は静まり返っていた。営業そのものはしているし、客も多数入っている。ただし、客層が普通ではないのだ。
なにせ、本日は銀星会が店一軒をまるごと貸し切った上での決起会が行われるのだ。それも、裏社会の大物である西村陽一を招いた上で開かれている。
全員が押し黙った状態で座っている中、ひとりの男が立ち上がった。まだ二十代半ばだろうが、他の者たちも似たような年頃である。
男は立ち上がるなり、とんでもないセリフを吐く。
「あー、お前ら。最近、ウチのシマをチョロチョロしてるバカがいるのは知ってるな!?」
暴走族の集会のようなノリだ。しかし、他の者たちは黙っている。
一方、男はさらにアジる。
「いいかお前ら、俺たちで、そのバカをとっ捕まえるんだ。今回は、その決起集会だ。好きなだけ飲んでくれ。だが、その前にスペシャルゲストを呼んでおいた」
男は、そこで恭しく手を差し出す。すると、立ち上がり歩いてきたのは西村陽一だった。他のヤクザたちと違い、Tシャツにデニムパンツというラフな服装である。だが、Tシャツから覗く二の腕は意外と太く、瘤のような筋肉が付いている。
「お前ら、西村陽一さんは知ってるよな。知らねえバカは……この機会に知っとけ。ググって出てくる名前じゃねえからな。西村さんは身ひとつで、この世界でのし上がってきた本物の成功者だ。この件には、西村さんのお力も借りることになっている。そこでだ、一緒に仕事をするにあたり、この世界で生きてこられたノウハウを聞かせてもらおうじゃねえか。こんな機会、滅多にないからな」
そう言うと、男はマイクを手渡す。
西村はマイクを手にすると、居並ぶヤクザ相手に臆する様子もなく語り出した。
「この話をするのは、皆さんが初めてかもしれませんね……まず十六歳の時、僕は引きこもりのニートでした。誰も読まない小説を、せっせと投稿サイトに送信していたんですよ。最高にカッコ悪い人間ですよね?」
そこで西村は、ひとりの若者を指差す。何かがツボにハマったのだろうか。笑いをこらえ、しかめっ面になっていた。
「そこの人、いいんですよ笑っても。確かに、笑われても当然な恥の多い人生を送ってきました」
言いながら、西村は自嘲の笑みを浮かべる。だが、それは一瞬であった。
「でね、僕は書いた作品を『小説家になれる!』ってサイトにせっせと投稿していたんですよ。ただ、その経験が今の人生に活きている……と思える部分はありますね」
「すみません、どんなところがですか?」
ひとりの若者が、恐る恐る尋ねた。西村は、にこやかな表情で頷く。
「まず、作者というのは基本的に、己の書き上げた作品に対し無意識下でツッコミを入れているんですよ。例えば、殺人事件を書いたら……こんなに簡単に人は死ぬのか? みたいにね。当時、僕は徹底的に調べました。どうすれば人は死ぬか。どう逃げれば捕まらないか。現実じゃできないことですが、リアリティある作品を書くため、実際の事件も調べましたよ」
「そうなんですか……」
「作家なんて人種は、基本的に臆病です。実際、人を殴ったこともないくせにノワール系を書いてる小説家や漫画家なんか、いくらでもいます。というより、そういうタイプが九割九分九厘ですね。ただ僕の場合、そうやって調べてきたことが、裏の世界で役立ちました。頭の中だけの知識でも、あるのとないのとでは大違いですからね」
そこで西村は言葉を止めた。聞いているヤクザたちを見回す。
半数ほどが、何だこいつ……という視線を西村に向けていた。おそらく、西村のことを知らない者たちであろう。
だが、西村はそんな視線をあえて受け流し話を再開する。
「もうひとつ、役に立ったと思えることがあります。それは構成力ですね。どこに罠があるか、誰が裏切るか、どんな展開が起こり得るか。物語と同じで、現実にも破綻のない筋書きが必要なんですよ。僕は、これまで幾つもの計画を立て、それを実行してきました。全てを成功させましたが……計画の段階で、作家志望だった時に培った構成力は、かなり役に立っていたと思います」
「なるほど……」
ひとりの真面目そうな若者が、メモを取り始めた。ヤクザらしからぬ態度だ。西村はクスリと笑った。が、そこでまた質問が入る。
「すみません。そんな西村さんが、どうやってこっちの世界に来たんですか?」
こちらは、いかにもヤクザという雰囲気の若者だ。おそらく、ヤンキーから少年院そして少年刑務所……という、お決まりのルートを辿ってきたタイプだろう。
「まあ、これは本当に神のお導きとしか言いようがないんですよね。ある日、小説のサイトを見ていたら、とある作品が賞を取って書籍化されることが決まった……ということが書かれていたんです。ところが、その作品がまたひどいんですよ。あっちこっちのネット小説から、売れそうな要素のみをツギハギして作られたような……今で言うと、AIにそのまま書かせたような内容なんですよ。オリジナリティなんて欠片もない。とんでもない駄作でした」
言いながら、西村は大袈裟な仕草でかぶりを振る。それを見て、数人がクスリと笑った。
「今なら笑って流せますが、当時の僕は流せなかったんですよ。何でこんな駄作がぁ! と発狂し壁をブン殴ったんです。そしたら父親に、うるせえぞ! と怒鳴られました。僕は頭を冷やすため、とりあえず外に出たんです。そしたら、運悪くヤンキーと肩がぶつかっちゃいましてね。そのまま公衆トイレに連れ込まれました」
「そいつら強かったんですか?」
先ほどの、いかにもヤクザな若者が聞いてきた。西村は、笑いながらかぶりを振る。
「いえいえ。ここにいる皆さんなら、睨んだだけで退散させられる雑魚ですよ。しかし、当時の僕はそんな雑魚に絡まれ、ボコボコにやられました。その時、たまたま助けてくれたのが……そうですね、名前はAさんとでもしますか」
実のところ、そのAの名は藤田鉄雄といい、銀星会とも因縁浅からぬ間柄である。だが、そこを明らかにする気はなかった。
「Aさんは、そこにいたヤンキーを全員ぶちのめして助けてくれたんですよ。その時、初めて思いました。リアルの暴力って、こんなに凄いんだ……ってね。それから、僕とAさんとの付き合いが始まりました」
しみじみと語っていた西村だったが、ここで表情を一変させる。
「さて、突然ですが……我々のような業界では、神の描いたシナリオを、ある程度は読めなければ生き延びられないですね」
そこで、周囲の者たちの表情が変わる。ん? とでも言わんばかりだ。
しかし、西村は構わず話を続ける。
「ひとつ例をあげましょう。先ほどのAさんと僕は組んで、ある場所の現金を強奪するという事件を踏みました。計画そのものは成功しましたが、Aさんは全てを僕に押し付けた上で殺すつもりでした。それがわかったのほ、現金を強奪した後です」
実のところ、そのヤマとは……銀星会が経営する裏カジノの売上金強奪であった。そう、ここに居並ぶ面々が所属している組織である。
言うまでもなく、裏の事件に時効などない。西村の起こした事件は、未だに語種になっている話なのだ。もし、この事実が判明すれば……西村は、この場で殺されても文句は言えない。
もっとも、当の銀星会の若者たちは、当時の事情など全く知らない。ましてや、西村が銀星会を襲撃した話を、この場で語っているなどとは夢にも思っていない。ただ、黙って彼の話に耳を傾けている。
「まあ、僕がネット小説しか読んだことのないような、リアルとフィクションの区別のつかないアホガキだったら、確実に死んでいました。また、威勢だの気合だの言ってる元暴走族みたいなバカ少年だったとしても、やはり死んでいました」
その瞬間、僅かに表情を変えた者がいた。それも半数近くだ。おそらく、西村いうところの「元暴走族みたいなバカ少年」なのだろう。室内の空気も変わっていった。
しかし、西村はそれらを無視し話を続けていく。
「僕がどうして生き延びられたか……それはですね、あらゆる可能性をネット小説の投稿サイトにて書いていったんです。いや、小説として書いたわけではありませんよ。あくまで、小説作成というメニューで書いていっただけです。なにせ、あの時は本当に怖かったですから……逃げたらAさんに殺される。逃げなくて計画が成功しても、やはりAさんに殺される。計画が失敗すれば、敵に殺される……あれえ、本来なら、どう足掻いても詰みですね」
そこで、聞いていた若者たちから笑い声か漏れた。西村も、笑顔で話を続けた。
「こんな、どう足掻いても詰みだよ状態の場合は基本的に助かりません。ただね、それでも様々な手を打ち、対抗策を練るしかないんてすよ。でなければ、死ぬだけですからね。実際、僕はAさんの裏切りも想定していました。だから、どうにか対処し生き延びることができたんです。はっきり言えば運の部分も大きいですよ。ただ、どう足掻いても詰みだよ状態を乗り越えた奴は、確実に強くなりますよ。実際に僕がそうだったからです」
そこで、西村は昔を懐かしむような表情を浮かべる。
「全てが終わった後、退屈でイライラして繁華街を歩いてたんです。そしたら、ヤンキーが肩をぶつけて来ました。よくある、どこ見て歩いとんじゃコラ! という奴。その時、僕は嬉しかったですね。ようやく、求めていた者たちが来てくれたんですよ。まあ、有りがちな展開ですよね」
そこで西村は言葉を止め、ソフトドリンクの入ったグラスを口に運ぶ。
「すみません。そいつらは、どうなったんですか?」
ひとりの若者が、恐る恐る尋ねた。と、西村はその若者を指差す。
「君、いいタイミングです。僕が、ちょうど喉が乾いて言葉が途切れそうになった瞬間に、そっと質問をする。それに、ひとりが一方的に喋っている空間というのは……空気も悪くなりますからね。こうやって、質問なり合いの手なりが入ると、空気は変わります」
そう言って、西村は微笑んだ。が、次の瞬間にその表情は一変する。
「僕は、そいつら全員を叩きのめしました。本当なら、そのまま殺したかったんですが、さすがに押さえましたよ……とまあ、僕のしょうもない武勇伝はさておき、そこから僕の運はグッと昇り調子になりました。ただね、僕はその後も調子に乗らず慎重に動きました。これなら確実にいける、と判断した仕事のみをやりましたからね。そうなると、つらい時もあるんですよ……候補がいくつかあっても、よくよく調べてみればヤバいのしかない時がね。そうなると、おとなしくしているしかありません」
「仕事がない時は、どうしてたんですか?」
若者が尋ねると、西村はしかめっ面をして見せる。
「その時は、何もしません。流れが変わるのを待つか、あるいは別の仕事を探します。したがって、その間は全くの無収入なわけですよ。となると……普段、どんな生活をしているかが重要になってきますね。僕の場合、様々な本を読み体を鍛えつつ、ひたすら様子を窺ってました」
「焦らなかったんですか?」
また別の若者が聞いてきた。この若者自体、どこか焦っているような雰囲気だ。ちょうど、不調の波に呑まれているのかもしれない。西村は笑みを浮かべつつ答える。
「正直に言って、焦ります。ただ、焦ったときに無理して動くと、大抵は墓穴を掘ります。だから焦っても、動かないでください。そんな時に一発逆転とばかりに、大きな仕事に手を出す……これこそが、典型的な神のトラップですよ。ですから、まずは動かないで様子を見る。その選択ができるかどうか、これは大きいですよ」
そこで、西村は締めの言葉へと入った。
「皆さんも、そろそろ綺麗なお嬢さんたちとお話したいことでしょう。なので、いきなりですが閉めの言葉に入ります。これだけは覚えておいてください。まず、神の書いたシナリオのパターンを読み、何が来ようが対処できるよう、じっくり考え備えておくこと。そして、仕事がない……つまりは、稼げない時が必ず来ます。その時をどうシノぐか、これも今のうちに考えておいてください。不調の時は、どんな人間にもやって来ます。その時こそ、人間の真価が問われます」
そこで、西村は満面の笑みを浮かべた。
「さて、堅苦しい話はここで終わり。皆さん、大いに楽しんでください」