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正岡という名の刑事

 ある日、朝霞たちの住む『夢の島地区』に、奇妙な男が入ってきた。

 身長は百六十センチ強だが、肩幅は広くがっちりした体型だ。髪は短く刈り込まれており、顔はいかつい。左眉の上には、刃物で切られたような長い傷痕がある。年齢は、確実に五十を超えているだろう。

 地味なスーツ姿で、丘を面倒そうに上がってきた。と、そこにいたのほ朝倉である。例によってゴム製の仮面をつけ、丘の上から下の町並みを見下ろしていたのだ。

 正岡は、ペコリと頭を下げる。と同時に、警察手帳を見せた。


「やあ、どうも。刑事の正岡敦(マサオカ アツシ)です。ちょっとお聞きしたいことがあるんですがね」


「はあ、どんなことです?」


「ちょっと前に、この近くの公園でガキが四人、病院送りにされたんですよ。そいつらの話では、犯人はホームレスみたいな格好の少年だった、と言っているそうです」


 言いながら、ちらりと視線を逸らす。

 そこにいるのはハクチーだった。しゃがみ込んだ姿勢で、草むらをボーッと眺めている。この少女は、自然が好きらしい。

 朝倉は、内心ではドキリとしていた。間違いなく、ハクチーが公園で病院送りにしたチンピラたちだ。

 あの時、ハクチーは言っていたのだ……今から全員殺す、と。朝倉が止めなかったら、本当に全員殺していただろう。

 

 しかし、朝倉は平静な表情で答える。


「へえ、ホームレスみたいな格好の少年ですか。だったら無関係ですね。あそこにいるのは少女です。少年ではありません。見ればわかるでしょう?」


「なるほど、そうくるか。だがな、何日も風呂に入ってなくて汚い格好の人間は、男女の区別すらつかなくなるんだよ。ガキどもは少年だって言ってたが、ひょっとしたら少女だったのかも知れねえなあ。あんな感じの」


 正岡の口調が変わっている。完全に、取り調べ中の刑事のものだ。

 対する朝倉の表情も変わってきた。


「そんないい加減な判断で、警察が動いていいんですか?」 


「いい加減かどうかはさておき……ちょっと話を聞いてくれや。三年くらい前の話なんだが、とんでもなくバカな事件が起きた。狂言町の辺りで二十代から五十代の男が、立て続けに金を奪われ殺された。つまり、連続強盗殺人事件だよ。知っての通り、強盗殺人は一件でも死刑の可能性がある。裏社会で飯を食っている人間にとっちゃあ常識だよ。だから、強盗殺人だけはやるな……ってのが、裏の世界じゃ常識なんだよ」


 そこで、正岡はハクチーを指差した。


「目撃者の話だと、犯人はあんな感じの背格好だったらしい。なあ、あの子は何者なんだ? お前さんとどんな関係だ? おじさんに教えてくれねえかな」


「ほう、そんな事件があったのてすか。ところで、ひとつ聞きたいことがあります。あいつはね、俺たちには想像もつかないような生活をしていたんですよ。まず、あいつは漢字もアルファベットも読めません。計算にいたっては、二桁の足し算がかろうじてできる程度です」


 そこで、朝倉もハクチーを見つめる。その目には、複雑な表情が浮かんでいた。


「あいつに聞いてみたんですが、両親という言葉自体を知らないようです。気がつくと、路地裏でゴミ箱をあさり生きてたんですよ。あいつの名前はハクチーですが、知り合いからそんなあだ名をつけられ、名乗るようになったんだと言ってました。どういう意味かわかりますか? あくまで俺の想像ですがね、白痴じゃないかと思うんですよ」


 そこで朝倉は、正岡を睨みつける。


「あいつの周りには、クズしかいなかったんです。あいつの届け出すらせず、姿を消した両親。弱者をバカにして嘲笑うか、弱者を食い物にしていく裏の住人……ねえ、教えてくださいよ。あなたがもし、ハクチーと同じ境遇で生まれていたら、刑事になれましたか? そもそも、今の年齢まで生きていられましたか?」


 低い声で凄んだ。いつもの朝倉なら、警察相手の時は、勘弁してくださいよ……などと言って、ペコペコ頭を下げ逃げていただろう。だが、今日はそんな気分になれなかった。むしろ、この刑事を本気で殴りたい気分だった。

 しかし、正岡も動じない。


「そうかい。そりゃ気の毒だ。しかしな、人間は罪を犯したら、罰を受けなきゃならねえ。あいつの可哀想な生い立ちは、裁判官にでも聞かせてくれや」


「だったら、刑法三九条はどうです? あいつには、適用されるんじゃないですか?」


「そいつもな、裁判官が決めることだ。俺はただ、怪しいと思った奴を捕まえるだけだ」


「なるほど。良いお巡りさんと悪いお巡りさんがいますが、あなたは厄介なお巡りさん……というわけですね」


「そうだよ。俺は面倒で厄介なお巡りさんだ。覚悟しとくんだな」


 そう言うと、正岡は胸ポケットからタバコを取り出した。紙タバコである。一本抜いてくわえ、火をつける。

 朝倉は露骨に嫌そうな顔をするが、正岡は無視して語り出した。


「ついでにな、ひとつ面白い話をしてやる。昔、飛行機に乗って墜落事故に遭い破片が頭に浮き刺さったが、奇跡的に助かった少年がいた。だが不幸なことに、その少年には脳障害が起こった。計算も上手くできず、何か新しいことを覚えようとすると頭の中に川が流れる……とか言ってた。ところが、その後の少年は、恐ろしい腕力の持ち主へと変わってしまったんだよ。性格も凶暴になり、同級生の首を一瞬でへし折ったらしい。小学生には、有り得ない腕力だよ」


 朝倉は、思わず顔をしかめていた。

 この少年だが、まさにハクチーと同じだ。計算がが上手くできないが、恐ろしい腕力の持ち主。ひょっとしたら、ハクチーを理解する助けになるかも知れない。

 一方、正岡は語り続ける。


「変化のメカニズムは、バカな俺にはわからんが……ひょっとしたら、頭に刺さった破片が先祖帰りのような効果をもたらしたか、あるいは脳障害のマイナス点を埋めるように脳が何らかの働きをしたのかも知れない。いずれにせよ奇跡だ」


 不意に、正岡はこちらに向き直る。


「そして、狂言町付近で起きた連続強盗殺人事件の犯人も、そのタイプじゃねえかと思うんだ。なにせ、金は奪うが高級時計も装飾品もスマホも奪っていない。金で何かを買えることは知っているが、他のものには一切手を付けていない。要するに、腹が減ったから金で食い物でも買うつもりで、たまたま近くにいた男を襲ったんじゃねえかと」


 そこで、正岡は額の汗を拭いた。少しの間を置き、話を続ける。


「あと、その犯人はとんでもないことやるんだよ。壁にへばりついてて、下に人が通ると、その人の上に真っ直ぐ落ちていく。犯人は、いくら小柄とはいえ、確実に四十キロを超えてるだろう。そんなものが降ってきたら、まあ首が折れるだろうな。獲物を狩る肉食動物の発想だよ」


 そこで、ようやく朝倉は口を挟む。


「本気であいつが怪しいと思うなら、まずは逮捕状を持ってきてください。話はそれからです」


「けっ、生意気言うんじゃねえよガキが。また来るぜ」


 ・・・


 その頃、西村陽一は地下の一室で、裏カジノに設置された防犯カメラの映像をチェックしていた。

 彼の傍らには、ふたりの若者が控えている。いずれも十代後半だが、一応は銀星会の正式な構成員である。




 不意に、映像が止まる。と同時に、西村の声が聞こえてきた。


「あれえ、おっかしいな……このおじさん、確か前に銀星会のぼったくりバーを襲撃した時にもいたような気がするぞ」


 その目は、ひとりの中年男を捉えていた。朝倉の演じたキャラのひとり「三宮英治」である。室内の映像は全て削除されていたが、外の道路を映す映像は全て残されている。

 西村は、道路の映像から三宮を発見したのだ。


「西村さん、どういうことですか?」


 銀星会のヤクザが尋ねると、西村はパソコンの画面を指差した。


「このふたり、同一人物だよね?」


 そこには、裏カジノ前を歩く三宮と、ぼったくりバーを出ていく三宮が映し出されていた。


「そうですね」


「僕の推理が間違っていなければ、とんでもなくクレイジーなオヤジだよ。天下の銀星会に、ひとりで喧嘩売ってるわけだから」


「だとしたら、俺がブッ殺してやりますよ」


 息巻く若きヤクザに、西村は冷たい視線を向ける。


「君ね、ひとつ忠告しとく。できもしないことを、簡単に口にしない方がいいよ。僕はね、大口を叩いたことはない。おかげで今、こうしていられる」









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