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神官統制  作者: 渡邊 龍夜
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霊社会全体の奉仕者

第三章


百視入道の鎮圧及び浄霊完了から一夜明けた午前十一時ごろ。

 ――それじゃあ、今は三正さんが霊魔を憑依させていた社務所の所長に事情聴取をしているということね。

「はい、四谷署の霊視警察、新藤さんの立ち合いのもと、今現在も聴取中です」

 佐岡は、会議室の席に腰をかけ、モニター越しに海母大神宮の零護署にいる萩原と連絡交換を行っていた。

 ――取りあえず、五島さんに不当な護符を発行していた犯人が判明し、それを裏で画策していた霊魔も鎮圧。だけど、次の問題は、海母大神宮ここを狙っている霊魔の存在が明らかになったことね……

「はい、その霊魔がこの事件の元凶であると見ていいでしょう」

 ――分かったわ。他の機関にも情報共有はしておくわね。引き続き調査をお願い。


** *


 ときを同じく、貝村八幡神社零護署、聴取室。

 身柄を確保された貝村八幡神社の橋川社務所長に対する事情聴取が行われていた。

「お前に一つ聞きたいことがある」

「?」

 三正に視線を移して怪訝な顔を湛える橋川に、

「今回の事件、海母大神宮が真の目的であることは、憑依させていた霊魔から聞いていたか?」

 橋川は、視線を下に向けると、

「……ああ、聞いていたよ」

「何が、目的だ?」

「知らないな」

 三正は、立ち上がって、机の天板を拳で叩きつける。

「しらを切っても無駄だぞ」

 橋川は、吐息を大きく吐いて目を瞑る。

「止めましょう」

 新藤が背後から三正を制止した。

「これ以上は無駄だ。恐らくこいつは、これ以上のことを本当に知らないようだ」

 聴取は、一旦打ち切られた。


 三正は、零護署の外へ出ると、昂る気持ちを落ち着かせるため、境内を適当に歩くことにした。本殿の方へ向かって歩いていると、

「あ」

 三正の視線の先に、

「三正君」

 本殿の方へ踵を向けた佐岡がいた。

「佐岡さんか……何してるんだ?」

「ちょっと、貝村ここの神様にお参りしとこうと思って」

「そうか……」

 丁度いい、と三正も一緒に行くことにした。

 本殿で、参拝を行った。

 佐岡は卒なく所作をこなすが、三正はぎこちない。

「違うわよ、そこは、手を二回叩くの」

「ああ」

 手解きを受けながら何とか参拝を終えて本殿をあとにする。

「佐岡さんは、確か実家が神社の神主だったっけ」

「そうよ」

「道理で、詳しいわけだ」

 三正は苦笑いを浮かべる。

「俺は普通の一般家庭出身だから、こういうの全然でな」

「そうなの? でも、ある程度の霊感がないと試験にとおらないんじゃない?」

 佐岡は首を傾けた。

 守護神官は国家公務員であるため、試験が存在するが、実技試験の項目に霊感検査と呼ばれるものがある。霊感が全くない一般人では合格基準に達することはやや厳しい。

「ああ、一応親戚の親戚が寺を運営してて、そこで何度か世話になったことがある」

 三正は鬱屈気に言葉を紡ぐ。

「俺の実家は霊事れいごとに何の縁もなかったんだ。こう見えて普通の野球少年だったんだ。大会では何回も優勝して、将来は野球選手を目指してた。けど、俺が中学の時に――」


 三正の両親は、三正が中学のときに悪霊による霊障にあい、死亡。原因は自治体による公的除霊設備の管理不足。それにより、悪霊が侵入し悲運な怪死を遂げてしまった。

 その後、三正は両親の親戚に引き取られ、高校、大学と平穏な日常を送るが、またしても悪霊による霊障被害に対面する。幸い親戚に死者は出なかったが、三正自身が悪霊に憑依されてしまい、生死の狭間を彷徨った。


「そうだったの……」

 佐岡は眉を下げて俯いた。

「病院の霊障科に行っても駄目だったんで、最後に行きついたのが、親戚の親戚がやってる寺ってわけだ」

 三正は、神妙な空気にさせまいと明るく振舞う。

「それで、何とか除霊と浄霊をして日常に戻ることができたけど、このまま、霊の被害に怯える日常を過ごすのは嫌だし、何よりこれ以上自分の家族が傷つくのは嫌だと思って。それで霊を祓ってもらった親戚の寺で簡単な霊能力を学んで霊感を養ったんだ」

「凄いね。それで今までの夢を捨てて、霊能者の道を選んだんだ……」

 佐岡は後ろめたさのある嫣然を見せた。

「私と正反対だよ」

「どうしてさ、佐岡さんは霊能者である両親の姿を見て守護神官になろうと決めたんだろ? 全然立派じゃないか」

 佐岡は首を横に振る。

「それは違うよ」

 視線を下に落として、

「私は、実家が嫌になって逃げだしただけだから……」

「どういうことさ?」

 三正は怪訝な顔つきで佐岡の顔を覗き込む。

「私が守護神官を目指したきっかけもね……三正君と同じ、霊障――いや違うね。私は霊災害にあったから」

 佐岡の顔に暗い陰が落ちる。

「霊災害⁈ ってことは――」

 三正が、面食らって言葉を繋ごうとする。

「うん、私の神社はね。霊魔の被害にあったの」

 佐岡は、物憂げに過去を語った。


 佐岡の家系は、神社を管理する神主の家系。平穏な日常を過ごしていたが、霊魔による被害が近隣地域で発生し、神氣の集合体である御神体を祀っている佐岡家の管理する神社が標的にされた。佐岡家は神主ではあるが、守護神官ではなく一般神官。ゆえに守護霊の降霊を許可されていないため、霊魔と戦う必須条件を満たさぬ状態で、対策を迫られた。


「それで、どうしたんだ?」

「直ぐに百十番して霊視警察に来てもらったわ。ものものしかったのを今でも覚えてるわ。武装した警察官が何人も境内を駆け回っていたのを今でも覚えてる」

 佐岡は胸をぎゅっと掴んで目を細めた。

「あのときのお父さんとお母さんの姿が頭から離れない」


 霊魔が鎮圧・浄霊されたあと、佐岡の父と母は警察、そして守護神官と話していた。

「どうにかならないのですか? 守護霊による霊術が公的機関しか使用を許可されないとは」

「そうです。また、このようなことが起こったらと思うと」

 佐岡の父母が言い寄るが、

「申し訳ありません。それは霊的環境衛生法及び、霊事行政法により禁止されております。認めることはできません」

 警察から出た言葉はその一言だけだった。

「なぜ⁉ 公的機関以外の使用が認められないなら、私たちのような一般の神官はどうやってあのような強大な力をもつ悪霊を相手にすればいいの⁉」

 佐岡の母が感情過多になって訴える。

「守護霊術は、霊魔を鎮圧出来るほどの強力な力をもつものです。人体に扱えば身体機能に障害を起こすことさえ可能な危険な代物です。法律で整備される以前は、守護霊術の不当な使用による傷害事件、殺害事件もたびたび起こっておりました。そのようなことが二度と起きないように先人たちが施した成果です。簡単に変えることは難しいでしょう……」

 かたわらにいた守護神官が遺憾を示す。


「そうか……だから、守護霊術を扱える守護神官になったってわけか」

「うん」

「…………佐岡さんのほうが俺なんかよりもよっぽど立派じゃないか」

 佐岡は何度も首を横に振った。

「否定するなよ」

「そうじゃない、私は自分の家が、神主が非力な存在であることが分かって、そこから逃げ出したい一心で、だから今ここにいるの」

 三正は佐岡の肩にそっと手を置く。

「いいじゃないか。つらい経験をした人は、つらい思いをしてる人の気持ちが痛いほど分かる。人を助ける、守る仕事に一番大切なことだよ」

 佐岡は目を閉じて静かに頷いた。

「……そうね。ありがとう」

 二人は寄り添うように距離を縮めてもと来た道を歩いていく。



「ああ、いた。お二人さん」

「新藤さん、お疲れ様です」

 本殿での参拝後、零護署に帰庁した二人を新藤が見つけて駆け寄って来た。

「どうかされましたか?」

 佐岡が、訊く。

「ええ、神官統制本部の萩原様がお二人をお呼びですよ」

「萩原さんが?」

 佐岡が目を大きく開く。

「分かりました。直ぐに向かいます。場所はどちらに?」

 新藤は、会議室がある階を示した。以前会議をした場所だ。

 二人は、足早に歩を進めていった。


 ――しばらくぶりね。二人とも。ああ、言い忘れてたけど、この前は本当にご苦労さま。

 会議室のモニターに映し出された萩原は、画面越しに二人に頭を下げた。

「いえ、とんでもない。それよりも、どうしたのですか? 萩原さんが僕たちを呼ぶということは、そちらに何か進展が?」

 三正は身を乗り出して萩原と視線を合わせる。

 ――ええ、以前あなたたちが話してくれた、名廻駅を売買取引場所としている霊的違法物売買集団の件だけど――

 萩原の言葉に、三正は眉根を寄せながら、

「何か分かりましたか?」

 ――ええ、こっちでもその事件について独自に調べてみたの。そしたら興味深い情報が出てきたわ。

「それは?」

 ――社務所の所長と違法護符の発行取引をしていた売買集団の主犯格が明らかになったの。名は笹山洋介ささやまようすけ。彼は、この一か月前から松縄市内、特に海母大神宮の周辺を頻繁に徘徊しているという目撃証言が多数あったわ。だから、松縄市警察に依頼して、この数週間、笹山の張り込みをしてもらったのよ。で、二人に見てもらいたいものがあるの。田代さん。

――はい、ただいま。

 萩原の方向から、お付きの田代が現われて、両手にパソコンを抱えて二人の前に来た。

――お二人ともお久しぶりです。お元気でしたか?

「ええ、元気です。田代さんは?」

 佐岡が、笑みを湛えて問いかける。

 ――ははは、私はこのとおり。

 両手を振るって、元気なさまを見せつけているつもりのようだが、目には隈ができている。画面越しからでも分かるほどだ……

「ああー。これは田代さん。なかなかのようで……」

 ――あー、ははは……

 田代は苦笑いを浮かべる。

「萩原さんにこき使われているようですね」

「三正君!」

 佐岡が耳元で静かに叫ぶ。

 画面に映る萩原は、笑みを浮かべているが、背後には怒気のようなものが僅かに見える気がする。

 ――田代さん、お願い。

 萩原の感情の込もっていない、低い静かな声音が響いた。

 二人は俯いて萩原から視線を外す。

「さあ、二人とも。見てくれるかしら」

 恐る恐る視線を上に戻すと、パソコンには幾つもの写真が張り出されていた。暗くてよく見えないものや、はっきりと写真の人物の顔がわかるものもある。

「これが、笹山ですか?」

 三正が怪訝に問う。

 ――ええ、笹山の外見特徴と一致しているから間違いないと思うわ。

 萩原は、写真一枚一枚を順に見ながら、確信して言った。

 ――で、今回あなたたちにしてほしいことは、笹山の身柄をおさえてほしいの。のちに霊感検査にかけることが目的よ。

「霊感検査、ですか。ということは」

 佐岡の表情を見て、萩原は首を縦に振る。

 ――張り込みをしていた所轄の霊視警察の情報で、害霊が憑依している疑いが見られたそうよ。

 三正は手を顎に当てて俯く。

 ――警察が任意同行をかけた途端、逃亡を図った。その後の消息は不明。

「霊視警察が見失うということは、幽次間に身を隠した可能性があるということですね」

 ――そういうことになるわね。

 警察組織の霊能者も、神前儀式の霊術を扱えるが、その精度は守護神官と比べると到底及ばない。

 ――私たちがどうにかしないと、笹山やつは絶対に尻尾を見せないわ。

「分かりました。直ぐに捜索に移ります」

 三正は気合いを入れて次の仕事にとりかかろうとする。

 ――あの、何かあったら言ってください。私も協力しますので。

 三正が振り向くと、パソコンを閉じながら田代が軽く頭を下げていた。

「田代さん?」

 佐岡が不思議そうに見つめる。

 ――私は、悪霊に罪はないと思います。悪霊だって悪霊になりたくてなったわけじゃない。だけど、このままじゃ悪霊にとっても生きてる人たちにとっても良いことなんてない。だから――

 田代は一息おいて俯いたあと、再び顔を上げる。

――だから、僕たちのような霊能者が何とかしてあげないと駄目なんです。こんな私でもできることがあれば、ぜひ……頼って下さい。

「ありがとうございます」

 三正は、照れくさそうに言う田代に口角を上げて礼を述べた。


** *


 翌日、松縄市内に戻った二人は海母大神宮零護署の入口をくぐった。

 あのあと、萩原から連絡がきた。内容は、笹山のことについてまた有力な情報が入ったため、情報共有をしたいということだ。

モニターによる遠隔会議ではないという点が気になるものの、三正たちは海母大神宮へと身を運んだ。

「萩原さん、ご無沙汰しております」

 三正と佐岡が出迎えた萩原に礼をする。

「直接話すのはしばらくぶりね。それにしても急に松縄市こっちに来てもらって申しわけないわね」

「いえ、事件を一刻も早く解決することが僕たちの役目ですから」

 元気そうな三正たちを見た萩原は、さっそく本題へと入る。

「この前も話したとおり、笹山はこの神宮の周辺を物色するように徘徊していた。さらに、ここから南へ少し行った場所に住宅街があるけれど、そこでもたびたび笹山の姿を見た人が何人かいるわ」

 萩原は、背を向けて「こっちよ」と会議室がある方角に顔を向けて廊下を歩き出す。

「それで、笹山が姿を晦ましたのはどの辺りでしょうか?」

 萩原のあとに続きながら、三正が彼女の背に問いかける。

「それは、また会議室で話すわ」

 階段を上がり、暫く歩を進めると会議室の前まで来た。

「三正さんと佐岡さんよ」

 二人の到着を萩原から知らされた松縄市警察の霊視警察、飯田が挨拶をした。

「どうも、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 互いに簡単に挨拶を交わした。

「続けるわね」

 会議室の机に広げられた松縄市内の地図に視線を向けて、

「今回、笹山に対する張り込みを飯田さんにしてもらって、任意同行をかけた場所がここ」

 萩原は次に神宮の南にある住宅街を指さしながら、

「そして、逃亡を図った笹山を追いかけたが見失った。それがここ、ですよね?」

 と飯田に視線を向けた。

 指された場所を確認した飯田は「ええ」と首を縦に振る。

 その場所は松縄市と隣の市町を横断する大きな幹線道路が走っている場所だった。

「けっこう目立った場所で幽次間に逃げ込んだのですね……」

 三正は首をひねった。

「そうね。だけど、笹山がこの付近で姿を晦ましたのは深夜よ」

「なるほど、深夜なら人目はほとんどない。監視カメラのほうは?」

「ばっちり映ってたわよ」

 萩原が、パソコンモニターに映し出した監視カメラ映像を得意気に見せた。飯田の追跡をうけていたのだろう、息を切らして肩を上下させる笹山が辺りをしきりに気にしながら、幽次間への入口を開いて闇夜に姿を消す様子が映し出されていた。

 三正は、その場所を見て面食らう。

「幹線道路のど真ん中⁈ 幾ら深夜とはいえあまりにも大胆すぎるな……」

「それだけじゃないわよ。見て――」

 萩原のしなやかな指先が松縄市内から、すーっと横に動き貝村市四谷町の上で止まった。

 彼女の指が止まった場所を見て三正は再び目を丸くする。

「ここは――名廻駅跡じゃないですか……」

「ええ、そうよ。間違いないですよね? 飯田さん」

「はい、四谷署の方にも連絡を取って得た情報ですので確かです」

 飯田の声色は淀みがない。

「ちょっと、待ってください……萩原さん。じゃあ、名廻駅の幽次間は海母大神宮ここまで伸びてきているということですか?」

 佐岡が震える声音で問いかけると、

「そうよ、霊道と言ったところかしら」

霊道れいどう〉はその名のとおり、霊の通り道だ。幽次間の一種であり、辿ると霊の溜まり場に繋がっている。霊道は守護神官でなくとも熟練の霊能者であれば、容易に位置を把握することができる。

「それにしても、こんな人気ひとけの多い幹線道路に霊道が通っていたなんて、意外だな」

 硬い声で言う三正は地図上の幽次間が記された場所を凝視する。

「この霊道は、自治体のかたは把握しているのでしょうか?」

 佐岡は表情を曇らせる。

「していなかったわ」

「そうですか……」

 萩原の言葉に、佐岡は訝ることなく納得した。

「完全に市井の公共物に溶け込んでいるから、普通に探ろうとしても見つからないのよ。それに、もし何とか見つけられたとしても、道路使用許可も出していない状況で道路のど真ん中を占領して神前儀式霊術の行使なんて、その辺の公共機関が行えるわけないわ」

 萩原は腕を組んで鼻から大きく息を出した。

「それは、そのとおりです……」と三正が声を顰めて同調する。

「私たちのやることは、笹山の居場所を突き止めて、身柄を抑える! そして元締めの霊魔の居場所も吐き出させる! 以上」

 声を張る萩原、普段見せない気合いの入りように周囲はうろたえる。

「萩原さん? 何か妙に気合入ってない……」

 佐岡は、三正の耳元で呟いた。

「ああ、そうだな」

(でも、当然と言えば当然だな)

 神官統制が発令された以上、何としてもこの事件は解決しなくてはいけない。それはただの面子の話ではない。神祇省の信用にも関わる重大なことだ。


** *


 海母大神宮の正門から出て南へ下り、笹山の目撃情報があった住宅街も抜け、ずっと進んで行くと、松縄市内を横切って隣接する他市町へと繋がる大きな幹線道路まで来た。

「地図で見ると、この辺りね」

「ちょうど幹線道路と重なってるから間違いないだろう」

 深夜、日付も変わり午前一時頃。

 三正と佐岡は、飯田が運転する警察車両の後部座席から、松縄市内を走る片側四車線の大きな幹線道路の左端の車線に停車して周辺の様子を伺っていた。

「どうだ? 佐岡さん、霊道はあるか?」

「うん……ここから霊感を探ってるけど、たぶん……その辺りかな」

 佐岡は幹線道路の中央のほうへ視線を向けて訝りながら応えた。

「飯田さん。道路使用許可証のほうは?」

 三正が飯田に視線を移して伺う。

「はい。先ほど松縄市南署署長が書類を確認したとのこと――少し失礼」

 飯田は、振動音を響かせる自身の端末に手を伸ばして、着信に応じる。

「はい、南署霊視課の飯田です。はい、どうも、ありがとうございます。お伝えします」

 通話を終えて端末をしまいながら、

「三正さん、佐岡さん。たった今道路使用許可が下りたとのことです」

 道路使用許可申請書を出したのは今日の正午ごろ。通常であれば一週間程度はかかる決裁も神官統制の発令下では関係ないようだ。

「分かりました。では、本部に連絡します」

 三正は、端末を取り出して萩原の連絡先を選択する。

 ――萩原よ。道路使用許可証は下りた?

「ええ、無事に。あとは道路の規制が完了次第、すぐに対処できます」

 ――了解したわ。交通規制をかける車両の手配を憲警局に依頼するから。

「憲警局……ですか」

 苦い顔をする三正。

 憲警局は神祇省内の秩序統制を図る内部警察である。守護神官や霊魔が関与する事件の捜査、そして、神祇省が関与する職務による交通規制もまた役割の一つである。

 ――まあ、しょうがないわ。彼らの役目だし、こればっかりはね。

 三正は渋々と「了解です」と伝えて電話を切った。


 ほどなくして、神祇省の巡回車両が二台と警察車両が二台現場に到着した。

 各車内から、警察官が二名。憲警局所属の守護神官二名が下車しながら車両上部に搭載された回転灯を点灯させる。

「そろそろ始めますか?」

 交通規制が整ってきたところで、飯田が二人に訊ねる。

 三正は佐岡と視線を合わせて、互いに頷く。

 佐岡は、神具の扇子を取り出すと、詠唱を唱えだした。

 深夜の暗い夜空から周囲を照らすように、守護霊が徐に降霊した。

「見知法を行使します」

 蓮華の様相をした佐岡の守護霊が無数の花々を周囲に咲き誇らせる。その華々しい輝きに、交通規制作業を行なっていた守護神官、警察官、規制に従い通りすぎる車両のドライバーは一瞥せずにはいられなかった。

暫くすると、守護霊の花々が幾つか光の粒子となって消えはじめた。

 何ごとかと三正が見守っていると、守護霊が消えた場所だけが綺麗な一本道のように象られている。

「これが霊道か……」

 足を前に踏み出す。

「もうちょっと待って!」

 佐岡が呼びかける。

 守護霊の光がさらに強くなると、隠れていた霊道が姿を現した。周囲の景色と比較すると明らかに霊道が敷かれている部分だけが青暗く濁っている。道を通った様々な霊から発せられる霊気が満ちているのを肌身で感じた。

 佐岡がやや眉根を寄せながら、神氣の満ちる扇子を扇いで何かを探っている。

「佐岡さん、どうした?」

 三正が案じて声をかけた。

「霊道の入口を開いたわ」

 そう言った彼女が視線を送るさきに、青暗く光る霊道がほんのわずか、本当に目を凝らさなければ分からないほどに、人が入れるほどの半円を描きながら揺らいでいた。

「……あれが、入口か?」

「うん」

 目を細める三正。

「ご免ね。ちょっと分かり辛いと思うけど……」

「いや、とんでもない」

 謝る佐岡を止める。


 霊道をくぐった。

 周囲の景色は薄暗くなり、聞こえていた車の走行音は完全に遮断された。道路を照らしていた街灯も闇に飲まれて見えなくなった。青暗く光る霊道が暗闇の遥か先まで続いている。

「整備されていないな……」

 三正が呟くと、

「そうだね……。はぐれないでね」と佐岡が忠告をした。

三正と飯田がすぐ後ろに続く。

「笹山は、この場所から霊道を渡って幽次間に入り、名廻駅まで逃げたのでしょう」

「この推測が正しければ、道なりに進んで行けばいつかは名廻駅に辿り着く。そうだよな? 佐岡さん」

 佐岡は前を向いたまま、「うん」と応えた。

「そう言えば、何気に気になっていたんですが……」

 佐岡は飯田に耳を傾ける。

「霊道は道以外のところに足を踏み入れるとどうなるんでしょう?」

「ああ、駄目ですよ!」

 佐岡が慌てて制止する。

 それを見た三正が、飯田の目の前に手をかざして霊道の外へ踏み入らないようにした。

「失礼、大変なことになるということですね……」

 尋常ではない佐岡の慌てっぷりに、顛末を察した飯田は謝罪の言葉を呟いた。


** *


数年前。入庁して間もないころに萩原と浄霊のため、霊道の内部を通ったことがある。

「いいですか? 佐岡さん。祭儀を司る守護神官というものは、その卓越した神氣を以て様々な神前儀式の術を扱い、戦闘を主とする武闘の守護神官を支えることで――」

 彼女の話の内容は、ここだけの秘密だがほとんど覚えていない。守護神官としての矜持を語ってくれていたことと、その話がとても長かったことだけは明確に記憶に残っている。

「あの、萩原さん、一ついいですか?」

「何ですか?」

「霊道の外に行っちゃうとどうなるんでしょうか?」

 興味本位で霊道の外に目をやる佐岡を萩原は慌てて制止する。

「駄目です! 行けませんよ」

 萩原の大音声が響く。

 佐岡は肩を竦めて目を見開いた。

 萩原が平静を取り戻して、そっと口を開く――


** *


「――霊道、邪霊場の幽界ないぶで領域外に出ちゃうと迷子になって彷徨うことになるんだって……」

「そうですか……まあ、命を落とすことはないということですね」

 飯田はやや安堵したように言うが、

「いや、それが結構大事なんですよ」

 三正は深刻な表情を湛えて低い声音で語る。

「昔から存在する『神隠し』。あれもこの幽次間に迷い込んだ人が出口を見失ったものなんですよ。そうならないように各自治体が霊道を整備する際は道を見失わないよう命火いのちびと呼ばれる蝋燭のような火を灯すようにしているんです…………」

 飯田は「なるほど……」と苦い表情をする。

「ここは、見てのとおり整備が行きとどいていない」

 三正は光りの灯っていない幽次間の霊道の遥か遠くを見る。

「あっ! 見て」

 佐岡が指差す先に、

「あれは⁈ ――」

 三正が目を凝らすと、線路のようなものが見える。束の間、道しか見えなかった周囲の景色は木々が静かに揺れ動く山林となっている。山林の真ん中に一本の線路が敷かれていて、その先を辿ると、一つの駅があった。年季が入って看板もボロボロだが、文字だけは何とか読める。

 ――名□駅。

 看板の老朽化により、一部欠損して全ての文字を読むことは不可能だが、確信するには十分だった。

「三正さん」

 飯田が確信したように険しい表情をする。

「ええ、笹山はこの近くに潜伏している可能性がある」

 三正が帯刀していた神具の刀剣に手を添えて、鍔に親指をかけた。

 飯田も腰に差していたホルスターから対霊機能を備えた拳銃を引き抜いて、目線の高さで構えると、周囲に目を光らせた。

 途端、駅を囲む山林から物音が聞こえた。

「危ない!」

 三正は声をあげて、飯田に伏せるよう手振りしながら佐岡の身体を引き寄せて体勢を低くした。

 同時に頭上を鉛玉が通過する感覚が走る。

「何だ⁈」

 三正が、山林の方角へと目を凝らす。

「あっちです!」

 飯田は山林に身を隠す人影をいち早く察知して、拳銃を取り出し発砲する。

 その先に、一人の黒いジャケットを着て顔をマスクで覆った男が拳銃を構えながら近づいてくるさまが見えた。

 三正は佐岡を山林の茂みに誘導すると、

「ここでじっとしているんだ」

 と立ち上がり、敵のいるほうへと足を進める。

「笹山かぁ! 大人しくしろ」

 飯田が、鬼気迫る顔つきで銃口を笹山に向ける。

「黙れ、お前たちはここに来た時点で勝ち目はない!」

 豪語する人物。恐らく笹山だろう。

 三正ははっとして周囲を見渡す。山林の奥で無数の人影がうごめいていたからだ。

「飯田さん、駄目だ」

 三正は身を乗り出そうとする飯田を制止して身を低くすると、相手の出方を探る。

「顔が一瞬見えましたが、笹山で間違いありません。ここで捕まえなくてはまた逃げられる」

「笹山のほかにも何人かいます。違法物売買集団の構成員でしょう。奴らが数で勝っている以上は、感情に身を任せるのは得策じゃない」

「……分かりました」

 弁えた飯田は構成員たちが潜む山林の奥に目を凝らす。

 次の折、鉛玉が数発飛んできた。

 地表が抉られて砂煙が上がる。

「っ!」

「飯田さん⁉」

「大丈夫です。掠っただけだ」

 大腿部に銃弾による損傷を負った飯田は、苦笑して傷口を手で押さえながら発砲し応戦した。

 三正は霊物対応機能を備えた銃、霊貫銃れいかんじゅうを取り出すと、笹山ほか構成員の男たちに向かって発砲する。

「があっ!」「ぐっ!」

 手ごたえがあった。悶えるような声が聞こえてきた。

「飯田さん、ここにいて下さい」

 三正は、銃弾が飛び交う場に身を乗り出し前進をはじめる。

 構成員たちは格好の的だと三正に銃の照準を合わせた。

 三正は霊感を研ぎ澄ませて、構成員たちの居場所を正確に突き止めると、銃の引き金を次々と引いていく。

 それに応じるかのように苦悶の声音が響いてきた。

 三正は銃を腰に付けたホルスターにおさめると、次に刀剣を抜刀し、霞の構えをとった。

「これより武を執り行う。我が下へ降り給え」

 番犬の様相をした守護霊が咆哮を上げながら、神氣に包まれて姿を現した。

 構成員たちは慄いている。

「守護霊だと⁉」「神祇省⁈」

 笹山の表情が蒼白となる。

「守護神官……」

 呟くように言う。

「はあぁ!」

 腹からひり出した声とともに、剣を右斜め上に向けて逆袈裟切りを放つ。剣を振ったことによる強い衝撃により、周囲に砂ぼこりが舞った。

 三正の守護霊は咆哮をあげて、構成員たちとの距離を瞬く間に詰めると、牙をむいて彼らの身体を食いちぎっていった。

「ぐおおっ!」「があぁ!」「ぎやあぁ‼」

 絶叫にも近い声をあげながら地面に倒れていく構成員たちの身体には欠損の跡は一つとしてない。

 守護霊は、霊なるものを殲滅するためのもの。現世のものには物理的な損傷を与えることはない。しかし、霊的な現象により、間接的に精神的苦痛、身体異常を生じさせることは可能である。

 守護霊の牙に射抜かれた構成員たちは、一様に白目をむき、顔を引きつった状態で喪神していた。中には鼻から流血している者もいる。

 構成員たちをあらかた始末した三正は、ほかに誰もいないことを確認して、飯田に動いても安全であることを合図する。

「いや、凄い……それが、守護霊というものですか……?」

 飯田は面食らったように守護霊を凝視する。

「そんな大したものじゃあないですよ」

 はにかみながら、三正は言った。

「!」

 突如、飯田の背後から人影が迫る。笹山だ。

 手には拳銃を構えている。

 三正は「危ない」と発そうとしたが、それよりも早く飯田が笹山に背を向けたまま、拳銃を構える腕を両手で捕らえ、捻り、関節技をかけて膝を着かせた。

「笹山洋介、霊的違法物取締法違反及び、公務執行妨害の現行犯で逮捕する」

 飯田の取り出した手錠が笹山の腕を封じた。

「くそが……」

 笹山は憎々し気に飯田を仰視する。

「三正さん私も、秩序と安全を守る役人です。自分の身はしっかり自分で守りますよ」

 口角を上げながら拳を振り上げると、恨みの色を浮かべる笹山の顔面に振り下ろした。

 骨と骨がぶつかり擦れあう鈍い音が耳を突いた。

三正は憐れむようにその様子を見ていた。


「おい! お前ら。動くな、こっちを見ろ」

 背後から声がした。

 振り向いてみると、

「佐岡さん!」

「くそ、もう一人いたようだ」

 山林の奥でずっと身を潜めていたのだろう、構成員の生き残りが佐岡を羽交い絞めにして、頭部に銃口を突きつけた状態で歩み寄って来る。

 三正たちは、苦虫を嚙み潰した顔で各々得物を構成員に構えるが、

「変な動きを見せたら、すぐに銃をぶっ放すからなぁ!」

 声を荒げて、構成員が警告する。

「それはどうだろうな? 俺の守護霊は早いぞ。お前の握ってる玩具よりもな」

 三正が挑発して感情を揺さぶろうとするが、

「そんなことはないさ。さあ、早く武器をこっちに投げるんだ。それと、その化けばけもんもさっさと引っ込めろ! おら! 早くしろぶっ放すぞ」

 佐岡の頭部を銃口でどついた。

「分かった」

「三正君……」

 佐岡が眉を下げる。

「大丈夫だ」

 三正は刀剣を構成員の方へ放り投げて、同時に守護霊も姿を消した。

 飯田も三正に続いて拳銃を放り投げる。

「それでいいんだ」

 満悦気に構成員は目を細めた。

警戒心が一気に緩んだ。佐岡に向ける銃口もわずかに照準がぶれている。

「佐岡さん――――――――やっちゃえ」

「え?」「はい?」

 構成員と飯田が奇異な顔つきになる。


 構成員は突如、宙を舞って吹っ飛んだ。


「? 何、だ? ?」

 不意を突く出来事に頭の理解が追いつかない構成員は地に打ち付けられる衝撃が全身に伝わる感覚すら忘れて首を傾ける。

 構成員が見上げる先には俯瞰する佐岡が映っていた。

「女性の私なら何とかできると思いましたか? つくづく甘いです」

 佐岡は合気道による柔術によって、構成員の腕を掴んで投げ飛ばしていた。

人身封緘じんしんふうかん

 佐岡の詠唱とともに、構成員は瞬く間に身動きができなくなった。

 何が起こったのかと事態が把握できない構成員は、筋肉の膨れ上がった腕に必死に力を込めて身体の金縛りを解こうとするが、びくともしない。

「無駄ですよ。あなたの身体に拘束術をかけましたので、無理に解こうとすれば、精神に異常をきたします。よしてください」

 佐岡の冷徹な視線が構成員を刺す。

「…………」

 観念したのか、構成員は抵抗をやめて大人しくなった。

縛法ばくほうか」

「うん、上手くかけられたわ」

 佐岡は満足気に握り締めた拳を胸の辺りで掲げて三正に見せた。

「いや、しかし佐岡さん、護身の心得があるとは……。どこかで習われたのですか?」

「はい、神事行政大学校時代に習いました」

 驚嘆する飯田に佐岡はさらっと言う。

「何と⁈ 本当ですか? 物理的な戦闘術は、てっきり武闘守護神官だけが学ぶものだと」

「皆さんよく言います。けど、武闘守護神官を現場で支える以上、祭儀守護神官にも最低限の力が求められます。足を引っ張るわけにはいきませんから」

 佐岡は真剣味を帯びた表情を湛える。

「おっ、お見事です」

 飯田は頭を深く下げた。


 その後、違法物売買集団の身柄を確保するため、多数の警察と守護神官が現場に駆け付け、構成員全員を連行し、事態は収束した。


 違法物売買集団の構成員たちは、貝村八幡神社零護署に連行されたあと、神官統制本部のある海母大神宮零護署に護送されることとなった。

 三正たちもあとを追い、一足先に海母大神宮に到着して笹山の事情聴取に備える。

「三正さん、佐岡さん」

 零護署入り口近くに設置されている休憩スペースで、腰を下ろしていた三正と佐岡に萩原が声をかけた。

「萩原さん」「お疲れ様です」

 二人は起立して姿勢を正すと、頭を下げた。

「笹山の身柄確保、お疲れさま。感謝するわ」

「ええ、佐岡さんが人質にされたときは、正直ひやっとしましたが、杞憂でした。いや、流石これも上司の教育の成果と言うべきですね」

「あら、分かってるじゃない。見る目あるわね」

 萩原は得意げに言った。

 佐岡は気まずい表情を浮かべて、三正にだけ見えるように顔を向けた。

「そもそも、本省うえだってもう少し考えないといけないわ。初等科時にちょっと武術をかじらせて終わりなんて」

 萩原は立腹だ。

「まあ、祭儀の人たちのメインはどうしても神前儀式のほうになりますからね……。直接戦闘は武闘ぼくらに任せとけばいいだろう、って感じなんでしょう」

三正は苦笑しながら溜息をつく。

「それがダメなのよ。今回みたいなことがあるから、祭儀の人たちにも私はきちんと武術の心得をもっと学ばせるべきだと思うわ」

 腕を組む萩原に二人は静かに頷く。


「失礼します」と飯田が走って来た。

「そろそろでしょうか?」

「ええ、現在松縄市役所前を通過、中央通りも抜けたとのことですので、まもなく到着します」

「ありがとうございます」

 萩原は三正に視線を移すと、

「もう到着よ。準備お願い」

「はい」

 三正は事情聴取の準備にかかる。


** *


 海母大神宮零護署に到着した笹山は、ほかの構成員とは別の経路で守護神官と警察による誘導のもと、事情聴取室に入室した。

 室内では霊視警察の飯田が聴取を行い、隣の監督室から室内のカメラ映像を三正と佐岡、萩原がモニター越しに窺っていた。

「あの霊道はいつから使用している?」

「もうずっと前からだ」

 抽象的な答えを返す笹山。

「詳しく言え」

「八年ぐらい前じゃあないか?」

「海母大神宮を物色していたのはなぜだ?」

「金目のものがあるかもしれないと思ってな……」

 少し顔色を変えながら頭を掻いて答える。

 飯田の警察業務で洗練された慧眼はそれを見逃さなかった。

「本当のことを言え。それも、本当なのかもしれないが、もっと大事なことがあるだろう」

「何だそれは?」

 笹山はしらを切る。

「つい最近、貝村八幡神社の社務所長が逮捕されたのは知っているよな? あいつと、あいつに憑依していた霊魔と共謀して五島守護神官に不当な護符を渡した」

 笹山の視線は斜め上に向いている。

「これを実行するよう言った奴がいるんだろう? 今回のこの件もそいつの指示だ」

 飯田は続ける。

「お前らに指示を出した奴の居場所はどこだ?」

「――それは、知らないな」

「いいや、知っているだろう?」

 飯田の詰問に笹山は苦い顔で、

「本当に知らないな。俺たちに指示を出している霊魔はいる。知ってるのはそれだけだ」

「嘘を言っても――」

――飯田さん。そこまでで結構です。

 萩原がマイク放送で言う。

 ――そいつは、元締めに関する詳細までは知らないわ。自分の足がつくようなことはしないでしょう。名廻駅はまだ残っていることだし、じっくり調査しましょう。


** *


 笹山の聴取から三日後、貝村市の名廻駅跡地では、元締めの霊魔に繋がる手がかりを掴むため、神官統制本部の指令のもと、現場捜査が行われていた。

「通ります」

「お疲れさまです」

 規制線の前で見張り番をする警察官に身分証の提示をして現場内へ入ると、四谷署の新藤が三正たちを出迎えた。

「やあ、お二人とも。ご無沙汰しておりました」

 心なしか、いつもの軽妙な感じが薄いような気がした。

「こちらこそ」と三正は挨拶をして返した。

 規制線の内側では、動員された祭儀守護神官たちの霊術によって開かれた幽次間へと繋がる入口が施されていた。

「入るわよ」

 萩原を先頭にして、三正と佐岡、新藤が幽次間へと入る。

 足元に敷かれた霊道に沿って足を進めると、名廻駅前に出た。

 駅周辺では、すでに幽次間入りして、現場検証を行う霊視警察と守護神官が数人いた。

「守護神官の萩原です」

「これは、お疲れ様です」

 話しかけられた守護神官は萩原たちを見ると、即座に姿勢を正して挨拶をする。

「何か手がかりになるようなものは見つかりましたか?」

「いえ、まだ。現在、四谷署の霊視鑑識課とも辺りを調査しておりますが――」

「決定的なものは見つからないのね」

 萩原は歯軋りをさながら周囲を一瞥する。

「それどころか、何も見つかりません。笹山やつらがここで売買行為をしていた跡さえない……」

「どういうこと?」

 怪訝な顔つきで萩原が問い詰める。

「佐岡さん、申し上げにくいのですが、これが今の現状です。我々も手当たり次第、この幽次間なかを探していますが、今だに何一つ出てこないことを考えると、これ以上の成果は期待できないかと……」

 新藤の声色は重かった。

「新藤さん!」

 突如、現場で捜査をしていた鑑識警察が声を上げる。

「行きましょう」

 新藤の手招きで鑑識警察のもとへ足を進めると、

「どうした? 何かあったか?」

 鑑識警察が手袋越しに、長さ三十センチほどの火箸で地に埋まっていた光の粒子を挟むと、採取用の瓶に入れて、皆に見せた。

「神氣か……?」

 訝りながら、採取した神氣に目を凝らす新藤。

「はい」と鑑識警察が答える。

「……何で邪霊場こんなところにあるんだ」

 悪霊の邪気で充満しているであろう邪霊場には、相応しくない代物だ。

萩原が前に歩み出て、瓶に入れられた神氣に目を凝らす。

「萩原、さん?」

 不思議そうに視線を向ける佐岡に対して、

「静かに」

萩原は瓶を揺すりながら、まるでワインでも窘めるかのような所作を振るった。

「……この神氣。霊術を行使した痕跡が感じられるわ」。

 それを聞いた三正は、

「橋川でしょうか?」と推測を述べる。

「いや、それはないかと……」

新藤がそれを否定した。

「どうしてです?」

「橋川の霊技能講習修了証を確認しましたが、彼は神前儀式の霊術をほとんど扱えない。ぺいぺいもいいところです」

 嘲笑しながら言う新藤に三正は驚く。

「そんな男が社務所長を名乗っていたのか……?」

「まあ、縁故採用ってヤツはどこの世界にでもありますからねぇ」

 新藤は鼻で笑い捨てた。対照的に三正は不機嫌そうに眉をしかめる

 となれば、この神氣は誰のものなのか?

萩原が口を開く。

神氣これは、霊能鑑識にかけさせてもらいます。新藤さん、構いませんね?」

「⁈ ええ、はい」

萩原の唐突な依頼に、新藤は一瞬、驚いたような顔を見せたがすぐに応じた。

「どうも、ありがとうございます」

踵を返す萩原。

「お戻りですか?」

「ええ、有力な手がかりを手に入れることができました。感謝します」

萩原は足早に現場をあとにしようとする。

「ありがとうございます」「失礼します」

三正と佐岡は新藤に挨拶をして萩原を追いかけた。


 貝村八幡神社零護署へと戻る神祇省の公用車内。

「萩原さん、どうして急にこちらで神氣を調べるなんて言ったのですか?」

 佐岡が首を傾けて言う。

「ちょっとね、気になることがあるの……」

 萩原は目を細めて車の窓から外の風景をじっと見つめていた。


** *


 現場捜査が行われた翌日。

 貝村八幡神社零護署の祭儀守護神から採取した神氣の調査結果が出た旨の報告があったため、三正は萩原、佐岡とともに会議室へと赴いた。

 会議室内では、白い装束を纏った男性の祭儀守護神官二名が到着を待っていた。

 萩原は近くにあった席に適当に腰をかける。

「で? 結果はどうでした?」

「調査したところ、この神氣は霊能者による神前儀式術行使の痕跡と言って間違いないでしょう。それと――」

 含みを持たせて、祭儀守護神官が言葉を続ける。

「この神氣からは――海母大神うなもおおかみの御神霊が宿す神氣と同じ成分が検出されております」

 かたわらで聞いていた二人は驚愕する。

《海母大神》とは、海母大神宮に祀られている御祭神であり、本殿の奥に鎮座しているため、外部の者が近寄ることはできない。

「それって……?」

 三正が恐る恐る問いかける。

「あの幽次間で儀式術を行使した者は、海母大神宮の関係者である可能性が高いと言えるでしょう」

「⁈」

 萩原が険相な面がまえをしながら、

「そう、分かったわ」

 その場を去ろうとする。

「萩原さん! どちらへ?」

「海母大神宮に至急戻るわ。あなたたちも一緒に来て」

関係車両を停車するスペースに黒塗りのセダン車が停車していた。ボンネット部分には神祇省と海母大神宮の紋章が刻まれている。

「田代さん、私よ」

 萩原は端末で田代と連絡をとる。

 ――これは萩原さま、どうされましたか?

 何も知らない田代は明るい声で返す。

「今から至急そっちに戻るわ。海母大神宮のなかに事件に関与している者がいるかもしれないから……」

 ――えっ⁈ そんな⁈ それは本当で――

「いいから、戻るまで普通にしてて。いいわね」

 ――……っ、はい。

 取り乱しそうになった田代を宥めて電話を切った萩原は三正たちとともに海母大神宮へと身を移す。


** *


「もしもし、田代さん?」

 ――はい、田代です。どうされましたか?

 海母大神宮に帰還する公用車内、後部座席の座面シートを深く倒して目を細めながら外の景色を見遣る萩原の顔つきは険しい。

「今から、神官統制本部に海母大神宮の職員を対象とした霊能身体検査を実施するよう本省に依頼して、と伝えてちょうだい」

 突飛な指示に田代は電話越しに狼狽えていた。

 ――そ、それはあまりにもいきなり過ぎるのでは?

「名廻駅の幽次間から海母大神の神氣が検出されたのよ。理由はそれで十分だわ。それに、神官統制の権限を超えた行為には該当しないでしょう?」

 ――それは確かにそうですが……零護署や社務所の幹部級は黙っていないかと。

 弱腰の田代に萩原は声を荒立てる。

「神官統制による指令は絶対よ。内通者がいる可能性を掴んだ以上、何もしないわけにはいかないわ、急いで!」

 ――ああっ! はい!

 つられるように返事をしながら田代の声は遠くなった。

 萩原は端末の着信を切って車内の天井を仰いだ。

(恐らくこの神氣の持ち主を突き詰めれば、真犯人に一気に近づくはず……何としてでも炙り出してやらないと)

 公用車は首都高速に入ると静かに速度を上げていった。



「萩原、聞いたぞ。どういうことだ? 本当にやる気か?」

 神官統制本部は騒然としていた。

 神官統制の指揮官たちは苦々しい顔つきで霊能検査の実施に後ろ向きな姿勢を示している。

「海母大神宮のなかに霊魔と繋がっている者がいるかもしれないのです。何も出てこなければ海母大神宮の中に事件に関与する者はいなかった、それで済みます。犯人に少しでもつながる可能性があるならそれを突き詰めるのは当然でしょう?」

 苦虫を嚙み潰した指揮官たちの顔つきが晴れることはない。だが、海母大神宮内に内通者がいる可能性を無視できないことはほかの指揮官たちも同じであるため、

「……内容は? 何をするんだ……」

 渋々と萩原に質問を投げつけてきた。

「簡単です。祭祀守護神官による見知法により、職員全員の身体を検査して、名廻駅で検出された神氣と一致する者がいないか? そして、霊魔や悪霊を体内に憑依させている者がいないかを確認します」

 萩原の言葉に指揮官たちは何とか得心する。


 午後七時ごろ、海母大神宮本殿前の広場に零護署及び社務所の全職員が集められた。

 職員たちの先頭には、神官統制の指揮官たちが横一列に並んでいる。

「一体何だ?」「霊能身体検査をするんだってよ」「何でまた急に⁈」

 周囲からは、不意な検査に対する不満の声が多数飛び交っていたが、

「皆さん、先の違法物売買集団の根城である名廻駅を捜査した結果、検出された神氣から海母大神宮の神霊と同じ成分が検出されました。ついては、海母大神宮内に霊魔と繋がっている者が潜伏している可能性を捨てきれません、どうか、ご協力をお願いします……」

 萩原は、皆に頭を精一杯下げて懇願した。

 周囲は、無言で萩原の言葉に耳を傾ける。

「あの、一つよろしいですか?」

「はい」

 神官衣装に身を包んだ還暦の男性職員が手を挙げる。

「検査は、あなたがた神官統制指揮官たちも対象ということでよろしいですよね?」

「無論です」

 萩原は即答した。


** *


 周囲からの冷ややかな視線があったものの、何とか霊能身体検査を開始することができた。本省から動員された祭儀守護神官二名が一組となり、計四組に分かれて実施する。

「次、三正照好。前へ」

 検査は、祭儀守護神官が地面に記した陣のなかに入り、見知法をかけられることで、対象者の神氣の調査、身体内の害霊の有無を調べるものだ。

「以上。ご苦労さまです。次」

 検査は一人五分程度で終わり、流れ作業のように捌かれていく。

「三正君、終わった?」

「ああ、問題なかったよ」

 既に検査を終えた佐岡が三正に歩み寄る。

「佐岡さん! 三正さん!」

 二人を呼ぶ声のほうに目をやると、田代が眉を開いた顔を湛えてこっちに来る。

「田代さん! 何ともありませんでしたか?」

「ええ、田代さんも大丈夫でしたか?」

「大丈夫でなければ今ここにいませんよ」

 田代の冗談めかした言葉によって場が少し和んだ。

その後、全職員の検査を終わった。結果は全員異常はなし。

「無事に全て検査は終了しました。ありがとうございます」

萩原の締めの言葉に、職員一同は善哉な面もちで応じた。

海母大神宮の関係者に事件に関わっている者はいないことが証明され、本殿の場は暫くの間、歓喜の色に包まれた。


第四章


 検査終了後の翌日。

 三正は萩原、佐岡、田代と一緒に境内を歩いていた。

「お願い」

「はい」

 萩原の合図とともに、佐岡と田代が神前儀式霊術、整法を行使する。

 周囲の神氣が輝きを強め、緩やかな流れとともに境内を巡っていった。

「ここは、こんなところでいいわ。次に行くわよ」

 歩を進めていく三人の後ろを三正は無言でついていく。

「萩原さん、こんなところでよろしいのでは? 何も境内を全て整えなくても……」

 重労働に田代が思わず不満を口にしてしまった。

「いいえ、神宮内に内通者がいないことが証明されたとはいえ、元締めの霊魔はまだ見つかっていないのだから、警戒を弱めては駄目よ」

 その折、萩原の端末が鳴る。

「誰かしら?」

 佐岡は怪訝な様子で呟いた。

「はい萩原です。――はい。――――ええ。――はい」

 会話を終えて端末を切ると、

「霊環衛生局から昨日の霊能検査のことで話があるって……三正さん、悪いけど行ってきてくれない」

「僕でよろしいんですか?」

「私の代理で、って言えば通るわ。今、取り込み中で離せないから」

 境内の神氣を整理し終えるにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 三正は公用車を留めてある専用駐車場へと足を進め出す。

「私も行こうか?」

 佐岡が口角を上げながら言う。

「え? いや、いいよ。一人でいくさ」

「一人で大丈夫? 寂しくない?」

「当たり前だろ? 子どもじゃあないんだ」

 顔を覗き込んでくる佐岡に三正はややはにかむ。

「私は別にいいですけど」

 田代も佐岡が三正について行くことを良しとする。

「いや、大丈夫だ。佐岡さんは二人と一緒にいてくれ。話聞いたらすぐ戻るよ」

「本当に大丈夫なの? いいのよ無理しなくて。佐岡さんが抜けたら正直ちょっとキツイけど、三正さんがそのつもりならここは我慢するわ」

 その様子を見ていた萩原までもがにやけて三正を茶化しはじめる。

「ホントーに大丈夫ですから! いや、本当に」

 三正は何とか三人を振り切ると、公用車に乗り込んで本省へと向かった。


 神祇省に辿り着いた三正は地下駐車場に車を停めて、本省内の受付で霊環衛生局の職員へ繋ぐよう依頼した。

 開けた大ロビーの大きな植木の周りにある木製ベンチに腰かけてしばらく待っていると、霊環衛生局の職員が二名姿を現す。

 以前、実施した霊能検査にも来ていた祭儀守護神官の人たちだ。しかし、その顔つきは遠目からでも分かるほどに険しかった。

「海母大神宮のかたですか?」

「はい、萩原さんの代理で来ました。三正です」

 簡単に挨拶を済ませると、

「萩原さんか、神官統制の指揮官のかたはおられますか?」

 眉を顰めながら祭儀守護神官のもう片方の男性が問いかける。

「いえ、来ていませんが……代理ではいけませんか?」

「できれば、神官統制の指揮官級のかたが宜しかったのですが……」

 祭儀守護神官は、ややよわった顔つきだった。

「少しお待ちください」

 祭儀守護神官たちはしばらく顔を合わせ、小声で協議したあと、

「こちらへどうぞ」

 本省二十階にある霊環衛生局事務所のすぐ西手にある鑑識室に通された。

「あの、これは?」

 誘導され、腰かけた三正の眼前に名廻駅で採取された神氣と、ある職員に関する情報を記載した資料が並べられた。

「実はあのあと、我々のほうで極秘にもう一度細部まで神氣の検査を行いました」

 三正は不服の色を見せて訝った。

「検査? なぜです? あのとき実施して何も出なかったんでしょう?」

「それが、検査終了後に引き上げて採取した各職員の神氣を破棄しようとしたところ、妙な違和感を覚えまして、それでもう一度この神氣だけを再検査したんです」

 祭守護神官は神氣の入った容器と職員資料を両手で三正のほうへと近づけた。

「その結果、この神氣には、もう一つ別の神氣が検出されました。恐らく、カモフラージュして足がつくのを避けるために、別の人の神氣を織り交ぜたのでしょう。通常では見逃すほどの精度だ」

「これは……萩原さんからの指示で?」

 三正は資料を開く寸前、祭儀守護神官に問いかけた。

「いいえ、我々のほうで独自で行いました」

「公表はしていないのですか?」

 祭儀守護神官は首を縦に振る。

「それで、検出されたもう一つの神氣は名廻駅のものと一致したんですか?」

「ええ、完全一致です」

 神氣の入った瓶を横によけて資料を開くと三正の前に提示する。

 そこに印刷されていた顔写真を見て、三正は思わず息を呑んだ。

「これが、神氣の持ち主ですか?」

「はい」

 海母大神宮零護署所属、祭儀守護神官 田代 英明

「何かの間違いでしょう? だって彼は私たちと一緒に検査を受けてた。何も異常はなかったんだ」

 三正は感情的になる。祭儀守護神官の検査の目を潜ることは並大抵ではない。

「そうです。何せ、自分の神氣に別人の神氣を織り交ぜて分からないようにしていたんですから、普通の霊感では見逃すのが当然です」

 眉間に深い皺を刻んで祭儀守護神官は資料を凝視する。

「……このことは、まだ僕らしか知らないんですよね?」声を顰めて三正は問う。

 祭儀守護神官は徐に頷いた。


** *


「すみません、三正照好です。五島圭司への面会をお願いします」

 憲警局本庁舎の地下にある留置所の入り口に設置された受付の憲警守護神官へ三正が依頼する。

「……ご用件は?」

 苦々しい顔つきで三正に視線を放ちながら、申請用紙を取り出す。

「……事件の進捗をお話しできたらと思って」

 三正は神官たちの態度に気を留めることなく申請用紙を記入していく。

「しばらくお待ちください」


 面会室に通されて、三正が腰をかけて待っていると、憲警守護神官に誘導されて五島が姿を現した。

「五島さん」

「三正……暫くぶりだな」

 五島はお辞儀をする三正に柔和な笑みを見せながら椅子に腰かけた。

「……留置所ここまで普通に入ってこれたのか?」

「はい、職員は気に入らないと言いたげな目つきでしたけど」

「そうか、よく通してくれたものだな」

「まあ、神官統制が発令されていますしね」

 アクリル板越しに五島をまじまじと見つめる三正はつい訊ねる。

「それにしても、あまり変わっていませんね」

 五島は留置所で長期間収容されていたにもかかわらず、偉丈夫ぶりを全く衰えさせていない。

「意外か? トレーニングは欠かしていないんだよ」

「そうでしたか! 一体どんなメニューを?」

「腕立てに、スクワット、腹筋、背筋、それと――」

 いくつもの筋力トレーニングメニューが矢継ぎ早に三正の耳を突いてきた。

「! ‼ 凄いですね……凄まじい精神力だ」

「今の俺にできることは鍛錬した自分自身を衰えさせないようにすることだけだ」

 五島は視線を下に向けて大きく無骨な拳を握り締めていた。

「それはそうと、今日はどうした?」

 五島は視線を三正に戻して本題を問う。

「ええ、名廻駅の跡地は知っていますよね?」

「ああ、勿論だ」

「そこに存在する幽次間の内部を捜査したところ、儀式術を行使した神氣が検出されたんです」

 三正は、一呼吸おいて、

「その神氣が田代さんの神氣と一致しました」

 五島は俯いて難しげな表情を浮かべると低い声音で唸った。

「そうか、やはりそうだったか」

「もしかして知っていたんですか?」

 五島は顔を上げて、

「確証はなかった。ずいぶん前から海母大神宮にわずかな邪気を感じるようになっていたんだ。ほかの守護神官たちは気付いていなかったが、日を追うごとにな……」

 三正は身を前に乗り出して、耳を五島の方へ向ける。

「そして、独自に捜査をしていくうちに田代が怪しいと踏んだんだ。その矢先、この仕打ちだ」

「――五島さん、あなたの家に配布された護符についてはご存じですか?」

 五島は奇異な面もちで三正と見交わす。

「いや、知らない。何だそれは?」

 案の定、五島には事件のことは何も知らされていない。

「五島さんの家にある護符を調査したんです。そしたら護符の効力は既に切れていました。おまけに霊をおびき寄せる邪悪な術が施されていたことが判明したんです」

 五島は、驚愕する。

「五島さん、以前から霊障は感じていたんですよね? 悪霊に憑依されていることを感じたことはなかったんですか?」

 三正はいまだに信じられなかった。海千山千の五島が成す術もなく、悪霊に憑依されて怪死事件の当事者にされてしまったことを。

「ああ、なかった。霊障はいつも感じていたが、仕事の疲れと名廻駅の近くを通る電車を利用していたからそこの邪気に当てられたものだとばかり思っていた。事実、悪霊に取りつかれた際に起こる重篤な症状は何もなかったしな」

 項垂れる五島。

「――田代やつが怪しいと思ったのは奴が日頃放っていた言葉だ」

「言葉?」

「ああ。――ところで、あいつはいつも悪霊を憐れむようなことばかり口にしていなかったか?」

「ええ、でもそれだけならほかの人でも――」

 三正が否定しようとしたが、

「田代の悪霊に対するそれは普通じゃなかった。俺が調べた話によると、自分の命を奪いに来た悪霊を浄霊しようとする霊能者に暴行を加えて激怒したそうだ」

 五島は腹に据えかねて田代の本性を暴露した。

「それは、本当ですか?」

「ああ、だから田代が海母大神宮に悪霊をおびき寄せてるんじゃないか、って考えるようになったんだ。萩原や佐岡さんの大事な助手だ。疑うのは気が引けたよ。だが、調べれば調べるほど――」

「時間だ。戻れ」

 面会室の片隅で記録を取っていた職員の男性が声をかけ、五島に歩み寄ると身体を拘束する縄を乱雑に掴んで引っ張った。

「ちょっと待ってください。まだ時間はあるでしょ」

「もう終わりの時間がくる。面会をさせただけでもありがたいだろう」

 男性職員はにべもない態度で、五島を誘導しながら、奥の扉に手をかける。

「三正!」

 五島は足を踏ん張って抵抗する。

「おい!」

 男性職員は苦々しく縄を引く。

「貝村市役所の多田野という職員を当たるんだ。その人から俺は色々聞いた。――それと、このことは萩原たちには黙って動け」

「分かりました。ありがとうございます」

 五島が面会室から去っていく姿を見送ったあと、三正は踵を返してすぐに次の目的地へと身を運んだ。


** *


貝村市四谷町。

「すみません、少しだけ。――はい、どうしても寄りたいところがあるんです」

 帰庁が遅れることを佐岡に話して三正は端末を切ると、五島が教えてくれた貝村市四谷支所に勤務する「多田野」という人物を尋ねる。

「ここか」

 三正が着いた場所には、ずいぶんと年季の入った木製の建造物がそびえていた。古くはあるものの歴史を感じさせる風情がある。

「すみません、零護庁の三正です。こちらに多田野さんというかたはおりますか?」

「しばらくお待ちください」

 女性職員は、多田野が所属する神事行政課に電話を繋いで本人が出勤、在席していることを確認すると手を庁舎おくに見える階段に向ける。

「どうぞ、お進みください。三階、階段を上がって廊下を右に行くと神事行政課がありますのでそちらへ」

 三正はお辞儀をして受付をあとにすると、階段を昇って神事行政課の窓口まで辿り着いた。

「はい、どうされましたか?」

 窓口付近にいた若い女性職員が三正に訊ねる。女性職員は白いブラウスシャツに黒のスカートにジャケットを身に付けていた。

 どうやら、一般行政職のようだ。

「多田野さんをお願いします」

「私に何か?」

 突如、神職衣装を身に纏った初老、スキンヘッドの男性が窓口カウンター下から海坊主のようにぬうっと出てきた。

 三正は思わず声にならない悲鳴を上げたが、そそうのないよう平静をよそおった

「っ! 失礼、零護庁の三正です。五島さんにお話を聞いて海母大神宮に在席している田代さんのことについて伺いたくて訪問しました。お時間よろしいですか?」

 多田野は三正を上から下まで見ると、「あちらへどうぞ」と応接スペースを指差した。

「どうも」

 三正は応接スペースへと歩を進めると腰かけて多田野を待つ。

「……」

 神事行政課内の事務所は静かだ。多田野以外の職員はほとんどが背広やジャケットを身に付けている。霊能技師はどうやら多くはないようである。優秀な人材や新人はほとんど本庁に取られているのだろう。

「お待たせしました」

 多田野が来た。

「どうも、今日は急にお伺いして申しわけありません」

「いやいや、いいですよ。仕事のほうもようやっと一段落したところですし」

 ふう、と一息つきながら多田野が手に持っていた缶コーヒーを一口飲む。

「ああ、そうなんですね。仕事の手を止めてしまって本当に申しわけありません」

「気になさらないで下さい。――まあ、それにしても国の調査ものというヤツは妙なものが多いですね」

 苦笑いをしながら多田野が言う。

「今回終わらした国からの調査ものなんか。市内で浄霊した霊の数を調べるものなんですけどね。その内訳の仕方が男女別と動物の種類別に数えろ、ってんですよ。面白いでしょ。単純に人間と動物で分けとけばいいじゃないですか。ねえ」

 多田野は冗談交じりに言っているのだろうが、三正は視線を逸らして苦笑する。

「ああ、失礼。貴方も国の役人でしたね。……しかも神祇省の」

 多田野の調査ものは、まさに三正が所属する神祇省の鎮守局と呼ばれる霊護庁の上部組織から送られたものだった。

「いや、とんでもない。でも分かりますよ。無駄に細かいことしてきますもんね。本省あいつら

「いいんですか? 国のかたがそんなこと言っちゃって」

「ええ、正直、僕も本省には色々と振り回されたことがあって。丁度良い機会だ。今ここで存分に愚痴っときますよ」

 二人はくつくつと笑った。初対面での硬い雰囲気が消え、場が和んだ。

「それで? 田代のどんなことが聞きたいんですか?」

 多田野は急に険しい顔つきになる。

「ああ、何と言いましょうか……彼は、一体どういう人間だったんでしょうか?」

 多田野は、缶コーヒーの中身を全て飲み干すと、机の上に音を立てて置いた。

田代やつの本性はそれはそれはおぞましいですよ」

「? 本性……?」

「ええ、五島さんから聞いてません?」

「いえ、そこまでは面会時間の都合で聞けなくて」

 ふうっと多田野は一息ついて、口を開く。

「『霊魂売買れいこんばいばい』って知ってます? ほら、人身売買ならぬ、死んだ人の魂を売りさばくヤツ」

 三正の面持ちは一気に険しくなっていく。

霊魂売買れいこんばいばい〉。簡単に言えば、人身売買の魂版である。死者の魂を不当に採取して、裏商人や酔狂な上級国民などに売り飛ばして高額な金品を得る犯罪行為である。死者の尊厳を踏みにじる悪質極まりないものだ。

「田代さんが、それをやっているのですか?」

「まあ、正確には悪霊を市場で売買しているんですよ」

「悪霊?」

 三正の眉間に皺が寄る。

「『悪霊に罪はない』――彼の口癖です」

「ああ……」

 三正は口を噤む。

「悪霊だって望んで悪霊になったわけじゃない。だから、我々のような霊能力を持つ者が何とかしてあげないといけない。ってよく言ってましたよ。聞くぶんにはいたって変哲のない立派な言葉だ」

 多田野は顔を引きつらせて言う。

「三正さん、あいつはね。普通じゃないんですよ。霊魂、特に悪霊には異常なまでの執着を持っている」

 三正を見る目は険しい。

「名廻駅で女性が疾走する怪事件があったのはご存じですか?」

 三正は軽く頷いた。新藤と雑談をしていたときにちらっと聞いた程度だが。

「ええ、小耳にはさんだぐらいですけど」

「あれはね、奴が仕組んだんですよ」

 三正は顔から見る見る血の気が引いていくのを感じた。

「失踪した女性はここの職員でした。自治体で起こる霊障を祓う優秀な人でしたよ。けどね、田代にはそれが鬱陶しかったようで」

 三正は、その理由を見透かしたように言葉を紡いだ。

「せっかくの金のなる木を消されたから……ですか?」

 多田野は「ご名答」と囁いた。

「異常だ……」

 三正は、俯いて肩を小さく震わせた。

「ええ、そうです」

 多田野が同調した。


** *


「遅いわね」

 海母大神宮の零護署では、陽がすっかり沈んでもいっこうに帰って来ない三正を心配しながらご機嫌斜めになる萩原とそれを懸命に宥める佐岡が言い合っていた。

「まあまあ、もう少し待ってみましょう。ああ、きっと渋滞で帰れないんですよ!」

 その場しのぎの言い訳を考えてみたが、いまいち効果はない。

「だいたい、捜査でちょっと気になることがあるから遅くなりますって言ってたらしいけど、詳しい理由は何なわけ?」

「ごめんなさい……そこまでは、聞いてないです」

「駄目じゃない!」

 目線を逸らす佐岡に対して萩原は厳しい語調で咎める。

「――何か、凄く急いでいる感じだったから、勢いに流されちゃって……」

「もういいわ。彼にも彼なりの考えがあるんでしょうから」

 萩原は、留飲を下げながら整法行使のために打ち込んでいた杭を抜いていく。

「さ、さっさと片づけて私たちも早く戻るわよ。田代さん、あなたも早く手伝って」

「はい、ただいま」

 田代はおどおどしながら萩原が抜いた杭をそーっと両手で持って台車に乗せる。

 そのとき、萩原の端末が着信音を立てる。

「もしもし」

 電話の相手は三正だ。

 ――萩原さん、三正です。すみません、ずいぶん遅くなって。

 電話越しに謝る三正は激しく息を切らしながら、声を詰まらせる。

「一体こんな時間までどこに行っていたの? いくら、今回の捜査で気になることがあるからってほぼ一日かけて。帰ってきたら報告を忘れないように。いいわね」

 ――分かってます。それよりも、今、田代さんはそこにいますか?

「え? いるけど、何?」

 ――申しわけありませんが、田代さんを外すか田代さんがいない場所まで移動してもらえませんか?

 三正の言葉に萩原は怪訝な顔つきになる。

「どういうこと? どうして田し――、彼を避けるの?」

 喉まで出かかった田代の名を何とか抑えて問いかける。

 ――今日のことを全てお話いたします。

 ――――

「何ですって!」

 田代と佐岡から離れた場所に移動した萩原は無意識のうちに声を張る。

 遠目から二人が、萩原を心配気な顔で見つめている。

 ――今、お話したことは全て真実です。田代さん、いや、田代は霊魂売買を裏で行う異常者なんです。今回の五島さんが嵌められた事件も、笹山が海母大神宮まで霊道を通って来れたのも、全て田代が関係していると見ていいと思います。

「分かったわ……田代さんから一度話を聞かないといけないわね。三正さん、もしそうなったら事情聴取は任せてもいいわね?」

――勿論です。

強い口調で三正の声が響く。

「あとどれぐらいでこっちに着く?」

 ――すみません、首都高速が渋滞してるんで、一時間弱はかかるかと……

「分かった。じゃあ切るわね」

「萩原さん、どなたから?」

 田代が問いかける。

「三正さんよ」

「彼は何と? もう戻られるのですか?」

「ええ、あともう少しですって」

 珍しく佐岡よりも先に田代が身を乗り出して三正の現状を訊いてくる。

「先ほど避けると仰ってましたが、どうかされましたか? まさか、また霊魔が?」

「まあ、そんなところね」

「大変じゃないですか⁈ すぐに統制本部に連絡しないと」

 傍らで聞いていた佐岡が動揺する。

「ええ、すぐに行くわ」

 踵を返して歩を進める萩原は言葉を続ける。

「佐岡さんも一緒に来て、田代さんは資材を片付けて待機所に戻っててちょうだい」

 後ろを一瞥した萩原の目には、

 佐岡と、

 いびつに隆隆と膨れ上がり、巨大な犬歯をむき出しにする田代。


「‼」


 萩原は顔面蒼白となって、

「佐岡さん!」

 叫んだ矢先、屈強な田代の隻腕が二人に振り下ろされた。

 一帯に砂塵が吹き荒れて視界が遮られた。

「萩原さん⁈ え⁉︎」

 突如、身体を地面に押し倒され、さらに覆い被さる萩原に佐岡は激しく動揺しながら辺りを見回す。

 周囲を取り囲み、佐岡たちを守るようにして煌々と輝く神氣が曲線を描いている。

「我がもとへ降り給へ」

 砂塵で覆われていた神氣が徐々に鮮明になっていくと、鮮やかな翠緑の光を放つ馬酔木の形状をした霊が姿を現した。

萩原が使役する守護霊である。

「っ、大丈夫? 怪我はない?」

「私は大丈夫です。それよりも萩原さんが」

 萩原の衣装の裾は破け、顔の左上に擦り傷があった。しかし、それを意に介することなく、視界がいまだに不明瞭な砂煙の奥を鋭い視線で凝視している。

「田代さんは! 田代さんが――」

 叫ぶ佐岡の口に手をあてながら、自身の人差し指を口の前に持っていき騒がないよう手振りで伝える。

「静かに、田代さんの心配は必要ないわ」

「なぜですか⁈」

 混乱する佐岡を横目に、萩原は守護霊を使役して、儀式術、剛法ごうほうを行使した。馬酔木の守護霊が茎に連なる無数の蕾の先を田代がいた方向へと向く。

かいとうじんれつ

 萩原の詠唱とともに、守護霊の蕾の先が開いて、神氣の凝縮された光の塊が田代へと放たれる。砂煙がさらに舞い上がり、夜空の月明かりさえも覆い隠した。

「萩原さん⁈ 何を!」

 田代に向けて容赦のない技を浴びせる萩原に、佐岡は面食らって大音声をあげた。

「いいから、じっとしてて。すぐに分かるから」と音も立てずにすっと立ち上がる。

 声を張る萩原の顔は険しい。

「萩原さん。何をするんです⁈ 酷いじゃないですか」

 田代の声が砂煙の奥から響いてきた。

「田代……さん?」

 佐岡もようやく異変を察知し、怪訝な顔を張りつけて声がするほうへ視線を向けた。

「ま〜〜ったく〜。外しちゃったじゃな〜い。アンタが神氣を変に揺らすからよ」

「そんなことはありませんよ。自分の不手際を他人のせいにするのは、感心しませんね」

「えっ……⁈」

 田代と、明らかに田代のものではない高音で野太い声音に、佐岡は硬直する。

「やっと、正体を出したってわけね……」

 眼光鋭い視線を田代たちの声が聞こえてくるほうに向けたまま、萩原は衣装の中から、守護霊の媒介である一尺ほどの薄い生地で作られた黄緑色の布を両手に大きく広げて、相手の出方をうかがう。

「あらぁ~? ちょっとやだ、超やる気じゃないあの子、怖いわね~」

 おかまの声が聞こえてくる。その声音は不自然に周囲一帯に響いている。

「あなた、霊魔?」

「あら、バレちゃった? まあ、しょうがないわね。ここまでやっておいて、もはや隠す必要なんてないわね」

 途端、周囲一帯の視界を遮っていた砂煙が、激しい風圧によって一気に消し飛んだ。

 ジャンジャジャーーン!

「さあ、おブスども! しっかりとご覧なさい!」

 萩原の眼前に立つ巨躯の霊魔は頭部の両脇から闘牛のような角を生やしている。口からは上と下の巨大な犬歯が二本ずつ生えている。先ほど、田代が見せたあの狂気の顔だ。身体には甲冑らしきものを付け、怪物のような三本指の裸足がしっかりと地を掴み亀裂を刻んでいた。

「…………⁈」

 当然、萩原は反応に困る。

 佐岡も、目の前の光景にどう対処していいか分からず、口を半開きにしていた。

「あら⁈」

 馬酔木の守護霊が目にも止まらぬ速さで霊魔を縛りつける。

「悪いけど、おふざけにつき合うつもりは微塵もないの」

 守護霊の蕾が再び開いて、霊魔に照準を定めると、凝縮された神氣が巨大な光の集合体を作り出す。

「塵、烈、殲!」

 詠唱とともに、神氣の集合体が放たれようとした折、

「わちょーー‼︎」

 霊魔を束縛していた守護霊が力づくで引き剥がされた。

「‼︎」

 萩原は顔を引きつらせる。

 剥がされた守護霊は、霊魔の豪腕によって無惨に引きちぎられ、噛みちぎられたあと、光の残骸となって地表に崩れ落ちた。それによって、霊魔に神氣の集合体を放とうとしていた守護霊の花弁は頭を逆さにして地に堕ちようとしていた。

 萩原はすぐに後退し、距離を大きくとった。

「あら〜美味しい。美味しいぃ〜わ〜」

 守護霊の花弁を掴み、中に集まっていた神氣を美味そうにむさぼり咀嚼する霊魔は口角を耳元まで上げて薄い笑みを浮かべる。

「……あなたが今回の騒動を起こした元締めね」

 萩原の問いに、霊魔は姿勢を正し、手のひらを胸に当てて声を張る。

「そうよ! 私がかの麗しき精霊、牛天角ぎゅうてんかくよ! その目にしっかり焼きつけなさーーい!」

 牛天角の頭部に据えられた冠が霊気の光によって輝く。冠には、「逝、供、輪、世」という四つの文字が刻まれていた。

 萩原は、媒介の布を片手に持ち横に大きく振った。布が萩原の周囲を包むように円状になって舞う。

「そう、牛天角。素敵な名前ね」

 萩原は心にもないことを口にする。

 牛天角の口元は、さらににんまりと不気味に上がる。


** *


「くそ! まだか⁈ こんなに混んでいるなんて聞いていないぞ!」

 首都高速、渋滞に合った三正は公用車のフロントガラス越しに移る車列を、遥か先まで見遣った。車列は地平線の向こうまで続いている。車両は、じわじわと前に進んでは止まりを繰り返していた。そのとき、公用車に搭載していた無線から入電が響く。

 ――こちら、霊護庁管制。現在、松縄市内、海母大神宮の境内にて萩原守護神官、佐岡守護神官が覚知した霊魔と交戦状態に入った。霊魔は霊格が非常に高く苦戦を強いられている模様、付近の守護神官は急行していただきたい。

「何⁈ ――……まさか、田代、自分が嗅ぎ回られていることに気付いたのか?」

 三正は入電内容に舌打ちをしながら視線を前に向けて、ハンドルのクラクションを叩き鳴らした。だが、当然そのようなことをしても渋滞が解消されるわけではない。

「すぐそこだってのに……」

 遥か向こうに高速の出口が見えていた。高速の外側に目を向けると、海沿いに海母大神宮の全容が映し出されている。神宮の境内からは、うっすらと白い煙のようなものが舞い上がっているように見える。

(……早くしてくれ! このままじゃ……)

三正は激しい焦燥に駆られた。乗車している公用車には緊急走行時に必要な赤色灯が搭載されていないため、車両を掻き分けて進むこともできない。

――四キロ先交通事故のため、車線規制。

高速道路上方に設置されている電光掲示板に渋滞原因が表示された。苦々しい表情で三正はそれを一瞥して車列に視線を戻した。


** *


「はぁ、はっ」

 苦しく息を切らす萩原は、牛天角と睨み合う。

 周囲には、応援に駆けつけた武闘守護神官たちが地に突っ伏したまま動かない。

「縛、完――」

 萩原は、牛天角の動きを封じようと守護霊を介して縛法を行使しようとする。守護霊の茎が伸びて、蛇のようにうねりながら牛天角を捕えようとする。

 牛天角は、軽やかな踊りの如く動きで守護霊をするすると避けると、瞬く間に萩原の眼前まで距離を殺した。

「‼︎」

「こんなへなちょこな守護霊に捕まるほど柔じゃぁないわよぉ〜」

 頭部の鋭利な角が伸びて萩原を貫こうとする。しかし、萩原は咄嗟に剛法による神氣の集合体を作り出して応じようとする。

「うぐぁ!」

「萩原さん!」

 神氣の集合体は、いとも簡単に砕かれて光の藻屑となり地に落ちる。牛天角の角は守護霊の霊体を貫き、萩原の身体に突き立った。

 顔を歪めて眉間に皺を寄せる萩原は、膝から崩れ落ちる。その光景を目にした佐岡の叫び声が朦朧とする意識の中、響いてくる。

(儀式術が全く効かない……)

 萩原は苦虫を噛み潰して牛天角に鋭い視線を送る。

 その視線を感じ取った牛天角は、

「あら、何? その目……もしかして――ときめいちゃった?」驚愕の顔を見せる。

「馬鹿なこと言わないで。気色の悪い」

 萩原の言葉に牛天角の笑みは消え、眉根を寄せる。

 と、そこへ、霊魔覚知の入電を受けて駆けつけた増援の武闘守護神官五名が姿を見せる。

「こちら、第二方面巡回隊、現場に到着しました。これより交戦状態に入ります」

 武闘守護神官たちは、携えていた各々の武器を掲げる。剣、槍、薙刀、それぞれの使い手が牛天角との間合いを詰めて深く踏み込むと強力な一撃を叩き込む。

「……悪い冗談」萩原はより一層顔を曇らせる。

 全く効いていない。牛天角の満面の笑みがそれを証明していた。

「嬉しいぃ〜〜。ありがとおぉ〜皆ぁ〜」

 守護神官たちは血相を変え、牛天角との間合いを急ぎ空けると、すかさず守護霊を降霊させて自身の武器に纏った。

「囲め!」

 一人の守護神官のかけ声とともに、残り四人が左右に展開。牛天角を取り囲むと、間合いが空いた状態で、各自武器を振り抜いた。その動きに応じた守護霊たちが咆哮を上げながら、牛天角の身体に食らいつき先ほどの比ではない一撃を与える。

「ぬほぉぉー」

 流石にこたえたのか、牛天角は、苦い顔つきで自身に迫る守護霊たちを煩わしげに凝視する。

「いける、この調子なら……」

 様子を伺っていた佐岡も守護神官たちの優勢ぶりに表情を少し緩ませて口ずさむ。

「中々やってくれるじゃぁなあぁい」

 束の間、にんまりと口元を歪めた牛天角は、

「⁈」「何!」「馬鹿な、まずい、引け――」

守護神官たちが顔を引きつらせる。目の前で自身の守護霊がいとも容易く捩じ切られて、粉砕され、地に叩きつけられた挙句に踏み抜かれていったのだ。

「何て冗談…………」

 高い身体能力を持つ武闘派の守護神官たちが、眼前で牛天角の動きに反応できずに次々と打ち破られていった。

 萩原は、ぎりり、と歯軋りをして、その惨劇を傍観しているしかなかった。

「こんなやろうどもを消しかけてくるなんて、あなたも悪い女ね〜。でもまぁ、いいわ。これで私がはったりだけの男じゃないってことが証明できたでしょ〜?」

 牛天角は腰を左右に振りながら、歩み寄って来る。

「あら?」

 突如、牛天角は動きを止めて怪訝な面持ちで、足元の周りに咲き誇る神氣で象られた蓮華の花々を見渡した。

「佐岡さん⁉︎」

 萩原の視線の先には、守護霊を降霊させて、儀式術を行使しようと牛天角に狙いを定める佐岡の姿があった。

「あら、ちょー、まっ、あっなった待ちなさい。これ何よ。もしかして……」

 牛天角は咲き誇る守護霊の宿主に目を向けて、目を大きく開く。瞳の中には佐岡の姿が映し出されていた。

「縛、蓮、錠、縛」

 佐岡の詠唱に従い、蓮華の守護霊が牛天角の脚を伝って麗しく眩い光彩を放ちながら咲き誇っていく。咲いた蓮華が花弁を大きく開いて神氣の集合体を放つと、花の家紋を模した形状となって、筒状に牛天角を包み込んだ。

「あららら、ら? 動けないわよ、ちょっと。さっきの破廉恥女よりも強力ね」

 牛天角は忌々しげな顔で佐岡に鋭い視線を向ける。

「あたける霊魔を封じ給へ」

 縛法の神氣が一閃を放つと、牛天角は眉一つ動かさなくなった。

 矢継ぎ早に佐岡は口を開いて叫んだ。

「萩原さん、これより本格的に封印作業に入ります。構整局こうせいきょくに依頼して神具の要請を――」

言いかけた折、爆音が周囲に木霊する。

「‼」

 佐岡と萩原は顔をひきつらせて、爆音が生じたほうへ目を向けると、完全に動きを封じられていたはずの牛天角がにこやかに筋肉を纏った両方の剛腕を高々と掲げながら、おもむろに大地を揺らし迫っていた。

「ふっふーん」

「っ……」

 不快な光景に顔を歪める佐岡に、

「分かるわよ。私にはちゃーんと分かってるわ。あなたも私のことが愛おしいってことね」

 数回頷いて佐岡ににじり寄る牛天角。それに対して、佐岡は反射的に身を引いて数歩後退した。

「田代さ~~ん♪」

 併せて佐岡の足元に儀式術の陣が、滲み出る邪気により、薄紫色の不気味な光を放って姿を現した。

「佐岡さん! そこから離れて!」

 血相を変えて萩原が叫ぶが、

「もう遅いわよぉ~~」

 言葉どおり、邪気が蛇のような動きで佐岡の身体を這い上がり、瞬く間に締めつけて動きを封じた。

「ふうぅ、やれやれ。ずいぶんと時間がかかったじゃありませんか」

 不機嫌そうに言う田代に対して牛天角は、声を荒げて、

「何を言ってんのよ~~。祭儀守護神官二人に、武闘の連中まで相手にしたのよ~~。よくやったほうじゃないのよ~~」と不満を述べるものの、田代は尻目に佐岡を拘束する蛇状の邪気の端を手で掴むと、自身のほうへ引き寄せる。

「……」

「おっとっと、これは失礼。大丈夫ですか? 佐岡さん」

 よろめく佐岡を心にもなく気遣って、いつもの柔和な笑みを浮かべる田代。

「なぜ、ですか?」

「ん?」と田代は佐岡の口元に耳を傾ける。

「なぜこのようなことを? 田代さん、霊魔に弱みでも握られているの?」

「離しなさい! 田代」

 萩原は鋭い眼光で田代を射抜くと、境内の高濃度な神氣によって力を取り戻した馬酔木の守護霊が茎から連なる無数の蕾を田代に向ける。

「萩原さん! 待って! 田代さんは、その霊魔に操られているだけかもしれない。五島さんだって悪霊によって憑依されていたじゃないですか! だから……」

「……佐岡さん……」呟くように言う萩原。

 その唇と守護霊を操る手は微かに震えている。佐岡の言うことも否定しきれない、と一瞬思ったことにより、心身に僅かな隙が生まれた。

「捕まえたわよおおぉぉぉ‼」

「うっ⁉」

 牛天角の剛腕に握られて苦悶の表情を浮かべる萩原。

 その光景に硬直する佐岡。

「私ばかりに気を取られてはいけませんね、萩原さん」

 完全に動きを封じられた萩原は、何とか守護霊を使役しようと視線を守護霊に向けようとするが、

「駄目よおおおぉぉぉぉ!」思考を見抜かれて、力をより一層強くした牛天角の両手の中で悶える。

「萩原さん!」消え入りそうな声で佐岡は言う。

 萩原の身体から力が抜けたことを確認すると、田代は言葉を紡ぎ出した。

「私がなぜこのようなことをしたのか、まあ、あらかた知っているとは思いますが、差異がないように私自身の口からも話しておきましょう」

 喜悦な顔を湛えて牛天角と萩原に背を向けると、佐岡を先頭に後ろから促して本殿へと歩み出す。

「あなたたち世間は皆一様に、悪霊を見つけると封印するか浄霊するか。私はいつも疑問で一杯だったんです。どうして、もっと有効活用しないのか? と」

 佐岡は、萩原を気にかけて後方に首を向けながら田代と歩調を合わせる。

「悪霊の力は強大です。勿論、霊能力に長けていない者が気安く扱うのは私も望みません。だが、扱いを心得た者であれば問題ないはずだ。軍隊や警察が扱っている銃火器だってそうですよ。素人や悪人が扱えば秩序を乱す凶器となりますが、正しく扱えば世界の秩序を安定させる大事な力となる」

 上機嫌に弁舌を振るう田代に佐岡は問いかける。

「でも、あなたは現にこうして罪のない五島さんを陥れて、関係ない人を死に追いやって、萩原さんやほかの守護神官たちを傷つけて、社会を乱していますよね? それはどうなんですか?」

 核心をついた佐岡の言葉に田代は眉一つ動かすことなくにこりと微笑むと答えを返す。

「それは、私の正義の行いを邪魔しようとしたからです。五島さんは勘のいいひとでしたから、おまけに正義感も無駄に強いですからね。障害になると判断したので怪死事件の犯人となってもらって、舞台から強制的におりてもらおうと決めたまで」

 本殿に祀られた海母大神宮の神霊が宿る御神体の前まで来ると、階段を上がり、本殿の扉に手をかけてそっと開いた。

「傷害事件程度ではすぐに刑務所から出てきてしまいますから、残念ですが尊い犠牲を払って殺人事件という簡単に出てこられない案件とさせてもらいました」

 御神体の前に着くと、田代は佐岡に「止まって下さい」と言い、動きを止める。

「さあ、佐岡さん。この御神体にかけられている鍵を解いて下さい」

 海母大神宮の神霊が宿る御神体は、木造の大きな模型船の形状をしている。神霊はむき出しで神社に祀られることはない。神氣を狙う悪霊や霊魔から守るため、御神体という器に入れて本殿内で管理されているのだ。

「断ったら?」と佐岡。

「断れない」と首を後方に向けて、萩原と牛天角がいる場所を見つめる田代。

 小さく歯軋りをした佐岡は、掌を上に向けて蓮華の守護霊を一輪咲かせると、御神体に施された霊術の鍵を解こうとした。


** *


「そこまでだ」

 田代の背後から凄まじい覇気を纏った神氣が刃の如く向けられる。

「⁈」

 眉根を寄せながら苦々しい顔つきで後方を振り向く田代の顔面に強烈な拳が打ち込まれた。

「があっ! ――ぐぉっ!」

 苦悶の表情で顔を手で押さえながら横転していく田代を、佐岡は面食らった表情を張りつけたまま、目で追った。

「三正君!」

「佐岡さん、済まない遅くなった」

 霊葬剣を携えて、転がる田代に構えながら言った。

「それよりも、萩原さんが……」

 首を左右に振りながら、悲嘆な顔をして佐岡は萩原の方を指差す。

「何よ、あなたたち〜! どこから湧いて出たわけぇ〜?」

不機嫌そうに訝る牛天角の声が本殿まで響いてきた。

「俺がここへ来る途中、応援の守護神官たちと鉢合わせたんだ。心配いらないさ」

 牛天角の周囲を二人の武闘守護神官たちが守護霊を降霊させ。神具の武器を構える。そのうちの一人が守護霊の神氣を纏った剛法による強大な一撃を放った。

「痛った〜〜いぃ〜! 痛いわぁ〜〜!」

 わざとげに泣き叫ぶ牛天角の耳障りな声が耳を突く。

「はっ。守護神官を舐めてかかったのが運の尽きだ」三正は得意気に牛天角が守護神官たちに袋叩きに会うさまを満悦気に見たあと、うめき声を上げながらゆらりと立ち上がる田代に近付いて胸ぐらを掴み上げる。

「田代、大人しく佐岡さんを解放しろ」

 しかし、田代は口角を上げる。

「おや、随分と余裕じゃないですか」

「それはこっちの台詞だ」

「駄目、三正君。油断しないで、あの霊魔はとても強いの。さっきも武闘守護神官の人たちが向かっていったけど――」

 その折、鈍い打撃音が聞こえてきた。

 三正が振り返ると、牛天角の豪腕に吹き飛ばされた応援の守護神官が参道脇の灯籠に打ち付けられているさまが窺えた。

「それはこっちの台詞、ですか。残念ですが、それはこっちの台詞ですよ。三正照好さん」

 三正は大きく舌打ちをすると、踵を返して萩原と守護神官の助けに入ろうとする。

「よろしいのですか? 佐岡さんを放置して」三正の思考を掻き乱す発言を投げつける。

「私はいいから、萩原さんをお願い!」

 叫ぶ佐岡に三正は視線を合わせると、無言で頷いて萩原に目を向けた。


「愚かですねえ。三正照好さん。……」半笑いを浮かべながらも三正の姿をみて怪訝そうに、「それにしても、一体どうやってここへ? 交通渋滞に掴まって車の波の中でおぼれているものとばかり思っていたのに」

「――車は乗り捨ててきた」

 きっぱりと言い切った三正に田代と佐岡は驚愕する。

「公用車を置きっぱなしにしてきたと⁈」

 呆気にとられる田代を意にも介さず、

「ああ、そうだ。処分ならあとでいくらでも受けてやらぁ! お前らに好き勝手させるくらいならそっちのほうが全然安いさ」

 それだけ言うと三正は地表を蹴って牛天角目がけ突っ走る。

 田代は焦眉で口角を上げながら三正の背に向かって、

「あなたはやはり愚かだ。いや、愚にもつかないという言葉が相応しいか」

「そんなことないわよ!」と田代の誹謗に佐岡が言い返す。

 田代は目を丸くした。佐岡の全身を縛りつけていたはずの邪気が、上半身の部分だけ解かれていたからだ。

「驚きましたね……気付きませんでしたよ」

「私も守護神官よ。甘く見ないで」と言い切るが、下半身はなおも不自由なままだ。

 田代は嘲笑して、「ならばもう一度拘束するまで」

 再び、蛇状の邪気を生み出す霊術の陣が床に刻まれ不気味に光る。

 次に、発砲音が木霊した。同時に田代の右手が血煙を上げる。

「なっ! 何ぃ⁈」

 田代は顔を歪めてしきりに周囲を見渡した。

「ふう、危ない危ない。しかし、我ながら良い一発だ」

「大丈夫ですか? 佐岡さん」

「あっ! 新藤さんに、飯田さん」

 佐岡を救ったのは新藤と飯田だった。

「どうしてここに?」佐岡は首を傾げる。

「どーもこーも……急いで海母大神宮ここへ来るように言われたんですよ。あなたの彼にね」

 新藤は鼻で微笑しながら三正に聞こえないよう、囁くように言った。三正は、萩原のほうへ走っていったため、相当な地獄耳でもない限り、聞こえることなどないのだが。

「しかし驚きだ。佐岡さん、話には聞いていましたが――」新藤は目を見開いて、田代にかけられた縛法を自力で一部解いている佐岡に目をやると、「あなたは、全く可憐ではないようだ」

「はい――?」

 思わず佐岡は首をひねって不躾な声を出した。

「新藤刑事、それは少し失礼では?」飯田が田代に銃口を構えた状態で新藤に身体を寄せて、小声で囁く。

「まあ、事実ですし。とはいえ、頼もしい伴侶となることは間違いないでしょう」

 佐岡は危険な目に合っていることすら失念して、

「それ褒めてます? それとも貶してます?」

「勿論、前者です」と新藤は即答。

「……のん気な連中だ」

 田代が機を伺い、性懲りもなく佐岡に儀式術を施そうとする。だが、素早くそれを察知した飯田の銃口が神氣の込もった鉛玉を放つ。

「ぐっ!」鉛玉は田代の左肩に命中。儀式術を中断して切歯扼腕となると、佐岡のほうへ駆け寄り出し、物理的な拘束を試みようと衣装の中に忍ばせていた脇差を取り出した。

「おっと大人しくしていただけますか?」と新藤がすかさず拳銃を抜いて田代へ構える。

「……っ……」

 憤懣遣るかたない田代は、歯軋りをしながら踵を返すと、風のように本殿裏の出口へと駆けだして外部へと逃走していった。

「逃がさん!」飯田があとに続く。

「大丈夫ですか?」

 新藤は残り佐岡を案ずるが、

「大丈夫です。飯田さんと一緒に田代さんを取り押さえて下さい」

「しかし、まだ田代にかけられた術が解けていないのでは?」と言いかけた折、

 ガラスが割れるような音と同時、佐岡の下半身を拘束していた残りの邪気が全て砕け落ちた。

 その様子を目にした新藤は大層膝を打って立ち呆けていた。

「いやはや、凄いですね……私の気遣いは無用だったようだ」と自身の力不足を遺憾する。

「いいえ、それは違います。お二人が来てくれなかったら術を解く時間など確保出来ずに田代さんの思いどおりとなっていました。感謝しています」

 頭を下げる佐岡は、もう一言付け加えた。

「……それと、三正君とは恋仲じゃありません。伴侶でも……ありません」

 佐岡の声は僅かに淀んでいた。

「ほう」と新藤。

「――今は」目元を左右に揺らしながら佐岡は言う。

「ほう」と白い歯を見せる新藤。

「では、三正さんたちは頼みます。あっちは、本当に私では足手まといだ」走り出す新藤。

「はい、そちらも十分お気を付けて」

 目を合わせることなく、萩原たちがいる方角を見据えながら、佐岡は静かに言い放ち歩を進め出した。


 その先では、三正が萩原を介抱した状態で牛天角と鋭い眼光を見交わしていた。

「三正さん、ありがとう……大丈夫よ」

 身体に力を込めて立ち上がった萩原は衣装についた砂埃を払う。

「無理しないで下さい」

「ていうか、あなたやるわねぇ~。私と直接やり合ってまだ立ってられるなんて」

 牛天角は三嘆の眼差しを送ってくる。その瞳には嘘偽りは感じられなかった。

「それは、どうも」

 三正は、かたわらに目をやる。応援に来た守護神官たちは牛天角の熾烈な攻めに黒星を付けられて地表に突っ伏していた。守護神官の一人は何とか身を起こしてほかの仲間たちを介抱しようとするが、牛天角がそれを許すはずなどなかった。

「ちょっと、あなたたち! じっとしてなさいよ!」と剛腕を降らす。

 守護神官に降る剛腕を三正が素早く距離を殺して、手に握る霊葬剣で軌道をずらした。

「下がるんだ!」三正が声を張る。

 守護神官は急いで下がろうと距離を広げるが、それよりも早く牛天角の剛腕が迫った。

 迫り来る牛天角の剛腕が突如、見えない障壁に阻まれる。

「これは何~?」

 訝る牛天角。

 萩原が行使した縛法が張り巡らされている。さらに、馬酔木の守護霊が牛天角の剛腕をからめとり、動きを封じた。

「早く行って!」

「申しわけない」と守護神官は心やましい感じで戦線を離脱していった。

「ふん!」

 萩原のかけた拘束を牛天角は解こうとする。

 ぎりぎりと不穏な音が響く。

「!」

 牛天角の周囲に蓮華の守護霊が辺り一面に咲き誇った。

「これは?」

「完、鎖、封、牢」

 佐岡の詠唱が三正の耳に響く。

「佐岡さん」

 新藤と飯田が佐岡を無事に解放してくれたと分かり、笑みをこぼす。

「あら? ちょっとこれ本当に動けないわよ?」

 蓮華の守護霊から放たれる眩い神氣が、格子状に形を成していく。

 萩原も、より一層守護霊に神氣を込めて援護する。

「三正君」「三正さん」二人が三正を見て、

「今」声を重ねて言った。

「分かった」

 三正は守護霊を降霊させた。番犬の守護霊が牙をむいて咆哮ともに様相を現す。

「牛天角とか言ったっけ?」

 三正は剣を構える。

 牛天角の眼は血走っている。

「これで終いだ」

 三正は霊葬剣にありったけの神氣を込めて剛法を行使する。霊葬剣は神氣に包まれて燦然とする。歩を前に進めた三正は大幅で一気に駆け出すと、牛天角との間合いを消して、至近距離から強烈な兜割りを打ち込む。それに応じて番犬の守護霊が大口を開き、三正の振り下ろす太刀の動きに合わせて鋭利な牙を牛天角に突き立てた。

 牛天角の身体が真っ二つとなって、左右それぞれに倒れていく。

「な~にしてくれちゃってんの~?」

 左右に分かれた身体の眼から不気味な笑みが混じった視線を放つ牛天角。

 三正たちは引きつった表情を湛えて身構えた。

(こいつは、心臓だったか!)

 即座に判断した三正は、剣を水平に構えると、横薙ぎを牛天角の左半身心臓部に打ち込む。

「⁉」

「駄目よ~」

 瞬時に再生した牛天角が三正の剣を受け止めて離さない。

 三正は苦虫を嚙み潰して剣を握る両手に精一杯力を込めて、引き抜こうとする。

「逃がさないわよぉ~」と言う牛天角の表情に飄々としたものは感じられなかった。

 振り上げられたもう片方の剛腕が三正に迫ろうとする。

再連さいれん、完、鎖、封、牢」

 佐岡が迅速に詠唱を唱えた。先ほど牛天角を封じた神氣の檻が再び構築されていく。

「わちょーー‼」

 境内にガラスが割れるような鈍い轟音が鳴る。それとともに、佐岡の行使した縛法がいとも容易く粉砕されて砕け散った。

「駄目……、まるで効いていない」

 萩原は険しい表情を浮かべて、半歩下がる。

 地面を蹴り抜いて凄まじい速度で距離を殺し、眼前まで迫る牛天角。驚く間もなく、佐岡は剛腕の餌食になりかけていた矢先、三正の腕に引かれてことなきを得る。

「⁉……」

「大丈夫か⁈ 佐岡さん」

「大丈夫……ありがとう」

 低い声音でそっと囁くと、三正の手を借りずに身体を起こして立ち上がる。

 佐岡を捕まえ損ねて、虚空と砂煙を少々掴むに終わった牛天角は、眉根を寄せて不機嫌な笑みを浮かべている。そして、三正によって佐岡捕獲を阻止されたことを認識すると、剛腕とこめかみに太い青筋を立てて、牙をむき、歯軋りをしながら拳を無言で握り締めた。

「何か言いたそうだな。言ってみろよ」

 牛天角の感情を見透かしたように三正が挑発する。

 歯軋りを続ける牛天角は三正――ではなく佐岡を指差して、口をへの字に曲げる。

「ええーー、やーー、ちょーーっ、待っちっなさぁい。あなた、誰なのよその男」

「?」

 佐岡は、「私?」と言いたげな様子で、首を傾げる。

「あなたよ、あなたに言っているのよ。何なのよその男、もしかして浮気~~。許せなーわよ」

 佐岡は、戦いの場に相応しくないきょとんとした表情を一瞬浮かべる。

「言いがかりよ! さっきの件といい、三正君はそんなんじゃないから‼」

 佐岡の表情は赤面していて必死な様子だった。

「佐岡さん、落ち着け! 感情的になっちゃダメだ」

 三正は、言葉の意味が少々気になったものの、深堀することなく、佐岡の昂りを抑えようとする。

「そんな嘘言っちゃいけませええん!」牛天角は剛腕を再び放つ。

 二人は身構えて応戦しようとするが、

「⁈」

 牛天角と二人の間に神氣の防壁が施され、牛天角の剛腕が遮られる。

「あららら? ちょっとこれ、見たことあるわよぉ」

 牛天角の瞳が防壁を築いた者へと向けられる。

 視線の先には萩原が、神具を牛天角のほうへ向けて鋭い視線を放ち、背後に馬酔木の守護霊を纏って静かに威嚇しているさまが窺えた。

「あららあぁ⁈……」牛天角は萩原を凝視する。

 萩原の使役とともに、牛天角と三正、佐岡の周囲に馬酔木の守護霊が宙を舞いながら蕾を開花させる。

「二人とも、そのまま下がって」佐岡が声を張る。

 声に従い、二人は反射的に後方へ足を運ぶ。

 萩原の守護霊は牛天角を包囲し、逃げ場を塞ぐようにして旋回すると、開花しながら四方八方より照準を合わせる。

 次に、萩原の振り下ろされた腕に応じて、守護霊から一斉に神氣の集合体が標的に向けて打ち込まれていった。

 一帯に衝撃による砂塵が舞い上がる。

「ちょっとあなた! これさっきもやったじゃない。何してるの⁈ 学習しなさーい!」

 しかし、肝心の標的は唖然としながら、苦い笑みを浮かべて迫り来る神氣を全て防ぎきっていた。その振る舞いには苦悶の様子はほとんど見られない。だが、多少は効いているのか、神氣の集合体を防ぐため、防御体勢を取ったまま身動きをしない。どうやら少しは足止めになっているようである。

「佐岡さん、三正さん。神霊の鍵を解いて!」

 萩原の放った指示に二人は逡巡する。

「萩原さん……いいんですか?」本殿と萩原を繰り返し見る佐岡。

牛天角こいつの霊格はとても高い。霊力も桁違いよ。このまま戦っても私たちの霊術は何一つ通用しないわ」

 苦悶の顔つきで萩原は訴える。

「急ごう、佐岡さん」

 三正の呼びかけに佐岡は首を縦に振ると、歩調を合わせて本殿のほうへと走り出した。


 本殿に祀られている御神体の前に到着すると、佐岡は御神体の封である注連縄に整法を施して、開錠作業に入った。

「……佐岡さん、時間かかりそう?」低い声音で三正が問いかける。

 萩原が牛天角が来ないよう足止めしてくれているが、破られるのは時間の問題だ。しきりに萩原と佐岡に視線を交互に向けながら、霊葬剣に手をかける。

「大丈夫、今解いたわ」

 佐岡の言葉とともに、御神体を縛っていた注連縄がひとりでに解けて静かに床へ落ちると、封を解かれた神霊が御神体とともに、眩い神氣を光輝燦然と放ってその姿を現した。

 三正はその光景に目を奪われる。海母大神宮の零護署に所属して五年になるが、神霊をまともに見たことは今まで一度もなかった。

「これが、神霊か……」

 神氣で象られたその姿は、守護神官が使役する守護霊そのものであると言える。神氣による海原の高波が宙を舞い、鯉の様相をした神霊が勢いよく飛び跳ねた。

 守護霊との決定的な違いはその大きさにあった。神霊の全容は守護神官が使役する守護霊などとは比較にもならない。

「三正君! 本殿から出るわよ! 急いで!」と駆け出す佐岡。

 反応してあとに続く三正。本殿の外へ出て後方へ視線を向けると、本殿の中を埋め尽くしていた神霊が外へと溢れ出る。神氣の海原が勢いよく流れ出ると境内中を飲み込んだ。

「今度は何⁈」

 苦い顔で牛天角が叫ぶ。

 神氣の波は三正たちの身体をすり抜けて一帯を包み込む。

 神氣の水面から巨大な鯉の神霊が勢いよく飛沫を上げながら宙高く舞った。

「解放してくれたのね、ありがとう」と萩原は囁いた。


** *


 併せて、境内の中を逃走する田代は駆ける速度を無意識のうちに緩めて辺りを見渡す。

「これは……」

「何だ? このおびただしい量の神氣は?」

 新藤は、怪訝な表情を湛えて周囲に浸される神氣に視線を向けながらも、田代に向けた銃口だけはしっかりと固定して構えていた。

「恐らく、海母大神宮に祀られている神霊が解放されたのでしょう」

 飯田が膝を着いて浸された神氣を掌で掬った。

「神霊? そんな力を借りなければならないほど事態はひっ迫していると?」

 新藤の問いに飯田は首を縦に振る。

「我々も早く田代こいつを確保して、萩原さんたちに合流したほうがいいでしょう」と飯田が言うが。

「――いえ、あの人たちは大丈夫ですよ。三正さんや佐岡さんもいますし」

 新藤は口角を上げる。

 その言葉に飯田は思わず懐疑的になり、曇った顔をする。

「飯田さん、疑ってるでしょう? あの人たちは強いですよ。何せ、貝村八幡神社の所長に憑依していた霊魔を鎮圧したんですから」

「知ってます。しかし、もしもの場合があってからでは遅い。田代やつを確保したらすぐに向かいましょう」

「それは、言われなくても」

 新藤は微笑しながら答えた。


** *


「待ちなさい、あなた。これって」

 牛天角が察する。しかし遅かった。

三正は番犬の守護霊を使役して剣に纏うと、瞬く間に距離を詰めて、その剛腕を身体から切り離した。

「⁈」

 剛腕が宙を旋回しながら地に落ちる。

「説明する気はない」容赦なく三正は剣を振るう。

 牛天角は喜色と怒りがない交ぜとなった顔を湛えて、宙を泳ぐ巨大な神霊を仰視すると、ずらりと並んだ鋭利な歯を見せて不気味に口角を上げた。

「なるほど。海母大神宮ここの神霊を解放したってわけね。でも、それであなたたちが優位になるとでも?」

 三正は、奢ることなく剣を構えて牛天角に鋭い視線を放つ。その言葉は決して追いつめられたゆえの虚勢などではないことを理解していた。

 切り落とされた牛天角の剛腕の断面から邪気が溢れ出ると、植物のように腕が生えて、瞬時に原状回復を成した。

「ふっふーん。残念だったわねぇ〜」と牛天角は笑みを浮かべる。

「別に残念だなんて思ってねえよ」

 訝る間もなく、三正と牛天角の間合いに境界線を引くようにして蓮華の守護霊が無数に先並ぶ。

 三正の後方からゆっくりと歩み寄り、姿を見せる佐岡に、

「あっ! 浮気女!」

 牛天角の表情は大層険しい。

きょうれいばくへき

 意にも介さず佐岡は冷静に詠唱すると、蓮華の守護霊が一斉に神氣を放ち光の障壁を成して、牛天角と三正たちの境界線を明確に記した。

「ちょっとこれ何よ! ああーー! 分かった、分かったわ! あなたたち私の前でいかがわしいことしようっていうのね。私が手を出せないことをいいことに!」

「違うわよ‼」佐岡が耳を打つような声で否定する。

 次の瞬間、牛天角は障壁の前まで走り寄ると、剛腕を何発も炸裂しはじめた。

「そんなこと絶対にさせないわよぉーー!」

 絶え間ない拳の嵐が障壁を叩きつける。衝撃により、蜘蛛の巣状の亀裂が生じた。そのそばから佐岡は、淀みない詠唱と振る舞いで障壁を補修していく。

「三正君! 神霊様の神氣を宿して」

 三正は無言で頷くと、手に握る剣を地に浸された神氣の海につける。高濃度かつ燦然とした黄金色の神氣が剣を伝って三正の身体に充満していった。身体中が浄化され、汚れや憑きもの、疲労が流されて絶頂な優越感が全身を巡り意識が飛びそうになる。

「三正さん! 三正さん‼︎」

 三正が我に帰ると、萩原の守護霊が三正の身体から溢れる神氣ごと包み込むように抱き上げていた。

「大丈夫? 神霊の神氣は濃度が高いから、神氣の繊細な扱いに長けていない人は意識が飛びやすいの」

 馬酔木の守護霊は三正からゆっくり離れる。

「ちゃんと立てる?」

「はい、大丈夫です」

 三正は自身の足で地にゆっくり立つと、霊葬剣を一振りする。

周囲に爆風と衝撃が放たれた。

 思わず面食らったが、すぐに平静を取り戻した三正は、佐岡の障壁を破ろうと殴打を繰り返す牛天角を見据える。

「もう終わりよぉ〜〜」高濃度の邪鬼がこもった剛腕がぶつけられ、砕けちる障壁の破片とともに佐岡は吹き飛ばされた。

「うっ!」

 宙を舞い、着地した佐岡は思わず目を伏せるが、地面の硬い感覚は一切なかった。

「怪我はないか? 佐岡さん」

「三正……君⁈」

「うん、大丈夫……」

 佐岡を抱きとめた三正は、ゆっくり地におろして佐岡が立ち上がる動作を補助した。

「無理するなよ」

「大丈夫だから」と佐岡は目を伏せながら、はにかんだ様子で三正の手からゆっくり離れた。

 そこへ萩原が歩み寄ってきて、三正の身を案じる。

「それはあなたにも言えることよ、三正さん。無理はしないで」

 苦笑しながら三正は、

「はい、ありがとうございます」と答えた。

「ちょっとちょっとあなたたち、さっきから何をそこで楽しそうに話してるわけぇ~? このみめ麗しい私をのけ者にして――」

「悪いが」三正が牛天角の愚痴を遮る。

「お前とこれ以上喋る気はない。一気に片付けさせてもらう」

 剣を霞の構えに掲げながら、牛天角目がけて地面を蹴って駆けだした。

「理解力がないわねぇ~。あなた、神霊の力を纏った状態でも私を倒すことができなかったのよぉ」

 牛点画はほくそ笑みながら、駆け寄ってくる三正に大きく手を広げると、歓迎するかのようににんまりと口元を歪める。

「⁈」

 突如、牛天角の表情から笑みがいっぺん残らず消え失せた。

 三正が剣を逆袈裟に切り上げた。番犬の守護霊と波母命はものみことの神氣の力が合わさり、より強力な斬撃が牛天角の身体を切り伏せる。

 牛天角は先のように原状回復に転じようとする、しかし、切り落とされた剛腕の断面から即座に腕が生えてこない。

「…………⁈ これは? どういうことぉ?」

 苦虫を嚙み潰したような表情で歯ぎしりをしながら、三正を凝視する。

「俺がやったんじゃない」

三正は、何も知らない。斬撃は特段ひねりを加えていない単純なものだった。渾身の力を込めて放った技ではあったが、牛天角が腕を再生できないことに関しては予想外だった。

「分かったわ…………」

 牛天角は、傍らにいた萩原に目を向ける。

「やっと、効能が効いてきたみたいね」

 にやりと笑う萩原に牛天角は切歯扼腕とする。

「あなた、あの神氣の弾丸に細工をしたのねえええぇぇ!」

 怨嗟の込もった視線を浴びせる牛天角。

「そうよ。いまさら知ったところでもう手遅れだけど」

 牛天角は萩原に手を伸ばそうとするが、意識が朦朧としているのか、萩原から微妙に外れたところに視線を向けた状態で空を掴む。

「三正さん、決めてちょうだい」

「御意」と三正は再び剣を構える。

「わあああああああちょおおおおおおおおおおお‼」

 牛天角の執念は凄まじかった。感覚を麻痺させる術を施されていながら、咆哮をあげて地表を踏み抜くと突進を仕掛けた。両腕と両足の四本足による鋭い猛進で迫るそのさまは、まさしく猛牛である。

「はああああああああ‼」

 三正も全身に力を込めて地面を蹴り抜き牛天角に迫る。


 莫大な神氣と邪気がぶつかり、境内全域に飛散した。


 四肢がばらばらとなった牛天角が、波母命と三正の守護霊とともに宙を舞って地表に沈んだ。

 三正はおもむろに歩を進めて、牛天角を俯瞰すると、

「お前の負けだ。参ったか?」

「…………」

 軋る歯を見せながら、牛天角は三正を凝視して敗北を拒否するかのような態度を示している。

「参ったなんて言う訳ないわ……。私が神霊を掌握していたら、私が勝っていたんですもの」 

 牛天角の空威張りに三正は吐息を吐くと、

「それを田代にやらせようとしたが、失敗に終わった。俺らの勝ちだ。諦めろ」

きっぱり言い捨てる。

 牛天角の身体は青白く燃え上がる骸火に包まれて崩れていく。

「ちょおぉっと待っててねえぇ~。すぐに復活してあげるから」

 その言葉を耳にした佐岡はすぐさま走り寄り、自らの守護霊を骸火の周囲に咲かせて浄法を行使する。

消浄清華しょうじょうせいか

 佐岡の表情が曇っていくさまが鮮明に確認できた。

「どうした?」

「浄霊……出来ない」小さな声音で囁くように言い零す。

「何⁈」

 霊格が強すぎるのだろう。以前の百視入道のようにはいかないようだ。

「どうすれば!」焦れる三正は意味も無く周囲を見渡す。

「どうもこうもないわよぉ。さあ、また楽しみましょ~~」

 嘲笑するような牛天角の声が闇夜に響き渡った。

 その折、骸火に護符が貼付される。同時に牛天角の声音が苦くなる。

「ちょーー、待ちなさい! 何よこれ! ちょっと」

 喚く牛天角の骸火。それに目線を向けて佐岡が守護霊を使役しながら口を開く。

「浄霊できないなら、身柄を拘束するまで。ちょうど良いわ。あなたには聞きたいことが沢山あるから」

 佐岡は、にべもなく手に取る扇子を軽くあおいだ。守護霊が護符に神氣を放つと、眩い光とともに牛天角を封印した。

「あらあああ~~~~!」

 情けない悲痛な叫び声とともに、牛天角の声は遠くなり、消え去った。


三正は疲労が蓄積する身体を引きずって、端末の時刻表示を確認するが、萩原がその様子を案じて、「大丈夫よ。私がするわ」と端末を手に取って統制本部へ報告を入れる。

「泰礼二十八年十月三日午後十時三十分、松縄市怪死事件に関与していたと思われる霊魔の鎮圧及び封印を完了。なお、封印は一時的なものである。祭儀守護神官を数名動員して正式な霊術によって確実な処置をお願いしたい」


こうして、牛天角は完全に無力化されて事件は収束した。


「聞いたか? 田代」

 新藤が得意気に端末を田代の耳のほうへ向ける。

「それがどうしましたかあ! 下らんことは言わんでくださいいいい!」礼儀正しい口調で言う田代だが、声は荒々しく、恨みがましい顔つきで大層余裕がない。

「どうもこうも聞いたとおりだ。大人しくしろ」

「私は、霊能力者だ。きさまら警察さつかん風情が――」と言って腕を高く掲げた瞬間、飯田の銃口から放たれた弾丸が田代の掌に風穴をあけた。

「がああああ!」

 苦悶の表情で倒れこみ体を捩る田代に覆いかぶさった新藤は、田代の顔面を抑えつけて羽交い締めにした。その隙に飯田が田代の両腕に手錠をかける。

「田代英明。霊的違法物取締法違反、公務執行妨害の現行犯で逮捕する」

「おおおおおぉぉぉぉ」

 田代は怨嗟と憤怒にまみれたうなり声をあげた。

「今回の怪死事件も容疑が固まり次第、再逮捕してやるからな。楽しみにしていろよ」

 新藤は、冷かし気味に言い捨てた。

 二人はうなる田代を引きずり上げて、警察車両まで引っ張っていくと、車内に押し込んでそのまま御用とした。


** *


 海母大神宮境内。牛天角が鎮圧及び封印された報告がなされておよそ十分後。境内では神祇省から動員された多数の守護神官、特に祭儀守護神官が多数を占め、牛天角の邪気によって乱された境内の神氣を整えていた。●

 本殿内とその周辺においても、祭儀守護神官たちが三、四人一班で行動し、あたりに舞う神霊の神氣を収集していた。

「御神体の調整及び破損箇所の第一次修復が完了しました」守護神官の一人が言う。

「分かった。では仮の御神体を設置してくれ」

 指揮係の守護神官が手で促すと、本殿外で待機していた仮の御神体運搬係が慎重に階段を登り、本殿内の鎮座用台座に設置した。

 仮の御神体は、木造で小さな神輿のような形状をしている。

「何だか随分と小っちゃくなっちゃった……」悲しげな顔で見る佐岡に、

「しょうがないさ。神霊様にはちょっとの間、我慢してもらわないと」

 三正は二次修復のため回収されていく御神体を目で追ったあと、近くに停車している救護係の部署、零護庁の医癒局いゆきょくの救急車両へと歩み寄る。車内では、萩原が担架に座った状態で、医癒局所属の祭儀守護神官から処置を受けていた。

「どれぐらいかかるものですかね?」

 唐突に述べる三正に、

「御神体? そうね、そこまで損傷は酷くないから一週間で戻ってくるでしょ」

 視線を下に落としながら瞼を閉じて萩原は一息ついた。

「それよりも、牛天角やつがもう少しで護送されるらしいから、三正さん、お願いね」

「人使い荒いですねー」と苦笑いを浮かべる。

「荒事は得意でしょ」とにべもなく言う萩原。

「ええ、まあ……」

 冗談めかして言う三正とは対照的に萩原の顔つきは険しかったため、静かに後ずさりしながらその場をあとにして、佐岡のところに戻った。ちょうど、現場で佐岡が施した封印を正規の手順による神前儀式で、さらに強力な封印を施し終えた三人の祭儀守護神官たちが、神氣の鎖と注連縄により雁字搦めとなった牛天角の骸火を手に持って慎重に運び出していた。その周囲には、非常事態に備えて四人の武闘守護神官が等間隔を空けて歩調を合わせていた。

「佐岡さん、悪いけど海母大神宮ここ任せたよ!」

「ええ!」佐岡は慄く。

「萩原さんからたった今、牛天角の骸火を無事に封印所ふういんしょまで送り届けるよう言われてるんだ」

 佐岡は、目を丸くして、

「それ、前から言われてたの?」

「ついさっき」と即答すると、佐岡は呆気に取られていた。

「萩原さん……」天をしばらく仰いだ佐岡は、「ごめんね、三正君。萩原さんの人使いが荒くて」と後ろめたそうに呟いた。

「気にするな、仕事だからな。それに牛天角やつは死んだわけじゃないんだ。気を緩めちゃあいけないよ」

 三正は、護送車が停車しているほうへ走り出す。

「またあとで」

 手を振って、佐岡と一旦分かれた。


 その後、護送車は無事に封印所へ到着した。封印所は神祇省が管轄する施設であり、霊魔等の強大な悪霊を封じ込めておく場所、いわゆる霊の刑務所的な存在である。

 三正は、最後の任務を終えて一息ついた。

 護送車が襲撃されないかと警戒心を抱いていたが、杞憂に終わったことは幸いだった。


 終章


 牛天角の骸火を封印所へ収監して三日後、「松縄市怪死事件。主犯格の男、霊的違法物売買集団を逮捕、根源霊魔の鎮圧及び封印完了」の見出しが世間を騒がせた。テレビ、新聞、ネット動画、記事、週刊誌、あらゆるメディア媒体によって、全国に拡散していった。

 称賛の声が多数を占めてはいたものの、一部、牛天角を浄霊ではなく、封印したという文言に過剰に反応した国民がネット等で批判コメントを発しているさまが見られたが、それは大した話題にはならなかった。

週刊冬祭しゅうかんとうさいの増田です。今回の事件は真犯人と根源霊魔が判明し無事に事件解決に繋がったわけですが――」

 神祇省本省の高層階に設けられた会見の場で、神祇省の幹部級職員と神官統制を指揮した守護神官数名が、集まった記者たちの質問に答えていた。

「神祇省零護庁、守護神官の秩序統制を行う憲警局が五島氏を不当に逮捕した挙句、誤認逮捕だった、と言う件に関してはどのように思われていますか?」

 恐れていた質問に会見の場にいた職員たちは一斉に目を背ける。

「コメントをお願いします」

 記者からの熾烈な追及にお手上げ状態だった。ほかの職員は、視線を憲警局の守護神官たちに向けて口を噤んだままだ。


「よっしゃ! ざまあ!」

公用車の中に搭載されていたテレビ映像から、その光景を見ていた萩原の口から不躾な声が零れ出た。

「⁈ 萩原……さん?」

 佐岡は大層驚愕して混乱する。

「本音がもろ出ましたね……」三正が震える手でハンドルを握り、恐る恐る口を開いた。

 萩原を後部座席、佐岡を助手席に乗せて、三正が運転する公用車は、五島が収監されていた憲警局の留置所へと向かっていた。

「あれだけ、偉そうにしていた憲警局の連中がすっかり大人しくなって。いい気分だわ」

「まあ……でもあんまり悪く言うのはやめましょうよ。一応、一緒の組織に属しているんですし……」佐岡は後部座席に座る萩原に、前に視線を向けたままおどおどして言う。

「そうですよ。確かに、あいつらは偉そうだったし五島さんを否応なしに連れて行ったから腹は立ちますけど、もう終わったことですし……」

 むすっとした萩原を尻目に三正は、アクセルを踏み込んだ。

「そうね……そうかもね」萩原は渋々と理解を示した。


 霊護庁、憲警局の留置所。

 三正たちの前に、憲警局の守護神官に誘導されて五島が姿を現した。

「五島さん、お疲れさまです」三正が頭を深く下げる。

「三正、世話をかけたな……」

 五島は三正の肩にそっと大きく無骨な手を添えた。

「お待ちしていましたよ」

 つんけんとした感じで萩原が言う。

 その横で佐岡が軽く会釈をした。

「萩原さん、それに佐岡さんも、本当にありがとう。感謝します」

 五島は頭を下げて謝意を述べたあとも、しばらく頭を上げようとはしなかった。五島の細長い目から雫が落ちる。

「とにかく良かったです。五島さんがいないと困りますからね。戻ったら、早速仕事してもらいますよ」

「ちょっと、萩原さん」佐岡が諫めようとするが、

「はっはっは。いいんだ佐岡さん。萩原さんはこういう人だ」

 五島はそれを気にも留めなかった。

「さあ、いつまでもこんなところにいないで、早く戻りましょう」と萩原は踵を返して足早に公用車へと戻っていく。

「さあ、戻りましょうか」

 五島に手を添えて支える三正。

「そうだな」

 五島の反対側を支える佐岡。

 すると、五島は不意に足取りを緩めて二人の手を取ると、そっと繋ぎ合わせた。

「え⁈ 五島さん⁈」

「何を⁈」

 二人は、互いに見交わしながら困惑する。

「これで良し。良く似合ってるじゃないか。俺は邪魔だから後ろから行くよ」

「ええ、でも……」

 まごまごする三正に対して、

「俺なら大丈夫だ。言っただろう? 檻の中でもトレーニングは欠かしていないってな」

 二人は赤面しながら静かに手を繋いで足を進めた。そのあとを五島がにこりと口角を上げて続く。

「何やってるの……?」

 その異様な光景を萩原は遠目から微笑していた。


 了




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