霊社会全体の奉仕者
序章
憑き霊
地縛霊
徘徊霊
悪霊
個人の生命や財産を脅かすものは現実世界のものだけではない。
古くより、霊害から人々の安全を守ってきた霊能者の存在は、現代社会において、政治・経済に並ぶ重要な立ち位置として国家を支えることとなった。
神祇省、特別の機関「零護庁」。神宮を悪霊より守護する公安職員、守護神官が在席する組織であり、各地方に点在する神宮内に設置された零護署を拠点として、霊的な公安職務に専念している。
国の政令指定都市とされ、人口五十万人を誇る松縄市。その海岸沿いに臨む国家保有の神社「海母大神宮」は国内でも屈指の大規模神社であり、地元の人々だけでなく、地域外、国外からも多くの観光客が毎日のごとく押し寄せていた。
「おはようございます」
爽やかな挨拶とともに、一人の青年が海母大神宮零護署内にある事務所に入ってきた。
「おはよう、三正」
「よう、今日もご機嫌だな」
職場の同僚や、先輩、上司たちは、三正の活気につられて愛想のよい挨拶を返した。
「どうですか? 今日は、何かありましたか?」
三正の質問に、上司の一人が口角を上げて、
「いや、今のところはまだ何も起こっちゃいない。有難いことだ」
と一息ついて言葉を返した。
「それは良かった」
三正は胸を撫で下ろした。
「安心するのは早いぞ。仕事はまだ始まったばかりだ。気を抜くな」
事務所の奥で、どっしりと構えた坊主頭に釣り目の偉丈夫の男性守護神官が忠告をする。
「五島さん。申し訳ないです」
「いい。それよりもさっさと着替えてこい」
五島は、その厳つい風体からはとても似合わない柔和な笑顔で、柔らかい声音を発した。
三正は軽く会釈をしながら、事務所を横切って、更衣室へと足を運んだ。
三正照好。神祇省零護庁、海母大神宮零護署に所属し、武闘を主体とした霊術で神宮を守る武闘守護神官である。真ん中で分けた黒髪とやや端整な顔立ちの普通の青年であるが、精悍な姿は周囲を驚愕させるほどである。
「お待たせしました」
三正は着替えを済ませて、自席へ着く。
守護神官の服装は、色調の明るい灰色の制服と制帽、黒の半長靴である。事務所内で勤務している他の守護神官たちも一様に統一された服装で業務に従事していた。
「そう言えば、よく零護署に来てた男の人、最近見なくなったな」
上司の一人が口を開く。
「男の人? 誰でしたっけ?」
三正は首を傾ける。
「ほら、覚えていないか?『悪霊がこの神宮に来ている』とか言ってた男の人。年は丁度三正くらいだったよな」
上司の話を聞いて、三正は首を縦に数回振る。
「ああ! あの人ですか。そう言えば最近見ないですね。何かあったんでしょうか?」
三正も思い出し、少し気になった。
「大丈夫だろ。悪霊っていってもどの程度の霊なのか、何処に潜んでいるかも全く見当がつかねえし、それに守護神官が動く案件じゃない」
悪霊の対応は、地元の自治体に所属する霊能師、警察霊視課に所属する霊視警察が担当することが一般的である。
「でも、ぱったり見なくなったから。ひょっとして何かあったんじゃ……」
心配する三正を他の守護神官たちは、「考えすぎだ」と一笑に伏した。
しかし、その中で五島だけが険しい顔を張りつけて、腕を組んだ状態のまま腰掛けていた。
「三正、そろそろ時間だ。行くか」
「はい」
日も沈み、辺り一面が真っ暗となり、街の街灯だけが道しるべとなる時間帯。霊の動きが活発になっていくころだ。この時間から、守護神官は二人以上の一組となって巡回に当たる。
「五島さん。お待たせいたしました」
「ああ、ご苦労」
参道の脇で待機する五島と三正の下へ、茶色の長髪を頭の後ろで団子状に束ねている年若い女性が上質な桃色の神官装束に身を包み、歩み寄って来た。
「ちょっと遅かったな。佐岡さん。何かあった?」
三正は砕けた口調で佐岡に話しかけた。
「ごめんね。萩原さんから明日の鎮魂祭の手順確認を頼まれてて」
「そうか。そう言えば明日だったな」
三正は、顔を上に向けて眉を上げた。
「神前儀式は大切な行事だ。手抜かりのないよう、俺たちも巡回が終わったら今一度、警備の内容を確かめなくてはな」
五島が力の籠った声色で言いながら、車の方へ歩み寄り二人に促す。
「さあ、巡回に行こう。佐岡さんは後ろに乗ってくれ」
「はい」
佐岡は、巡回用の車両後部のドアを開けると、腰を屈めながら乗り込んだ。
「大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です」
着物の裾を持ち上げながら、やや乗りにくそうにする佐岡を見て、五島は気にかけるように視線を送る。
「前々から思ってたんだけど、その着物、絶対動きにくいよな」
佐岡の衣装を上から下まで見た三正は、苦い口調で言った。
「大丈夫よ。最初は結構戸惑ったけど、今はもう慣れっこだから。それに、言うほど動きにくいわけでもないし」
佐岡は両手両足を車内で動かしながら、自由であることを見せつけていた。
「まあ、祭儀の守護神官は着物が俺たちで言う正式な服装だからな。しょうがないさ」
佐岡は、神祇省零護庁、海母大神宮霊護署に所属している祭儀を主体とした霊術で神宮と周辺地域の治安を維持する祭儀守護神官である。
「そうですよね……正式なものなら、しょうがないか……」
「――ちょっと、三正君、いつまで見てるのよ。ほら、前向いて」
運転をしながら、ちらちら後ろを見る三正に気付いた佐岡は若干顔を火照らしながら、着物の裾で自身の顔を隠した。
「悪い悪い。いや、入庁当初はどうしてスーツとかじゃなくて着物なんだろう? って思ってたけど、今こうしてみると案外悪くないな、と思ってさ」
視線を漸く前に戻した三正は、ルームミラー越しに佐岡の眼を見つめる。
「どういう意味?」
「――すごく似合ってるって意味だよ。本省もこういうところは結構いい仕事するなあ、って思うよ」
三正の言葉に、佐岡は火照った顔を更に赤くして、
「ふざけないで! ほら、ちゃんと前見て運転しなきゃ」
冷やかす三正を諫めたが、三正はその様子を見て楽しんでいた。
「そうだぞ、三正。佐岡さんの言うとおりだ。お前は、仕事も良くやってくれているが、未だにそういうところが問題点だな。改善が見られない場合は――」
「まさか……」
「俺が着物を着て横に乗ってやろう」
五島の説教に、三正は顔を引きつらせて車外へと視線を向ける。
車内に何とも言えない沈黙が漂った。
「……しかし、この話はこれで何度目になることやら」五島は車内の天上を仰ぐ。
三正は口角を上げながら、
「そんなになりますっけ?」
「ああ、そうだ。覚えていないのか?」
「忘れてました」
三正は素知らぬ顔をして言った。
守護神官の巡回区域は、神宮内と神宮に鎮座する神霊が鎮守する地域が該当する。
特段何事も無ければ、定められたルートを廻り終えて業務終了である。
「今日も静かな夜ね」
「……ああ、そうだな」
真夏の夜。車が田園地帯に差しかかると、カエルの鳴き声がどこからともなく聞こえてきた。
「霊魔なんて、そうそう現れるもんじゃないからな」
三正は、外の風景を眺めながら呆けたように言った。
「油断は禁物だぞ。いつも同じように何もなく終わると思っていたら、大きな間違いだ」
五島は、気を緩める三正に厳しく言いつけた。
「俺たちは、悪霊なんかより遥かに凶悪な霊魔を相手にしなければいけない。それを絶対に忘れたら駄目だ。ついつい気が緩みがちになるが、そういう時こそ気を引き締めろ」
「――はい」「分かりました」
二人は表情を固くして返事をした。
車内に少々張り詰めた空気が漂う。
「はっはっは。そこまで堅くならなくても良い。まあ、くれぐれもだらけ切る真似だけは絶対するなよ」
五島は突然豪快に笑った。
「⁉」
「どうしたんですか? 急に」
三正は半ば怪訝そうに五島を見つめた。
「いや、少し空気を重くしちまったと思ってな。せっかく仕事をするんだ。ある程度は楽しくないと駄目だろ?」
「え? あー、まあ……」
三正は戸惑いながらも返事を返した。
巡回を終えて、霊護署に戻った三正は五島と佐岡を署の入り口付近で下ろした。
「三正、すまんが今日の当直任せたぞ」
「はいお疲れ様です」
「お疲れ様」
三正は退勤する五島と佐岡を見送った後、当直のため、事務所で待機して業務時間を過ごした。
** *
「大変だ! 急いでテレビを付けろ」
「どうしたんです?」
三正は、いつの間にか眠っていたようで、声を張って入室して来た上司によって目を覚ました。
「何をそんなに慌てているんですか?」
三正は瞼を開閉しながら話しかける。
「いいから早くしろ」
事務所の共有デスクの上に置かれていたテレビのリモコンを手に取って、上司は早々とテレビを起動させた。
――被害者は、松縄市北宮原区に住む三十代の男性で、遺体は列車にひかれたことによって、損傷が酷く原形を留めておりません。
三正は眠気が一気に吹きとんだ。
「何だよこれ……」
凄惨な事件だ。自殺志願者だったのだろうか? そんなことを考えていたとき、
――また、被害男性は列車にひかれる直前、突然線路内に入り直立した状態で笑顔のまま電車に跳ねられたそうです。目撃者によると、目全体が黒く、肌の色は死人のようだったという証言も寄せられています。警察は、只の泥酔や混濁状態による事故ではない、霊的な犯罪の可能性も視野に入れて捜査を――
三正は顔を引きつらせて、テレビの画面を凝視していた。
「これってまさか……」
「ああ」
上司は首を縦に振る。
そこへ、五島が深刻な表情で事務所の扉を開けて姿を現した。
「三正、俺たちの管轄内で怪死事件が起こった」
五島は口を開いて説明をしようとしたが、テレビに映し出された内容を見て、口を閉じた。
「これの事ですか?」
「ああ、現段階ではまだ定かではないが、霊格の高い害霊が関わっている可能性がある。警察とテレビ局の情報には、今後注視しておけ」
「はい」
三正は重い声で返事をしながら気を引きしめた。
「霊魔が関与している可能性は?」
三正は一呼吸おいて五島に問いかけた。
「――現時点ではまだ分からん。だが、可能性がないとは言い切れんからな。準備だけはしておけ」
「分かりました」
霊的犯罪において、人が命を落とす凶悪な事件には、障害霊のなかでも危険な存在である悪霊が関与している場合が多い。
しかし、悪霊の中でも更に危険な存在が〈霊魔〉である。霊魔は悪霊の上位種に位置付けられており、生命を脅かす非常に危険な存在だ。
「所轄の警察機関と連絡を取っておきましょうか?」
「ああ、頼んだ」
霊視警察が初動捜査を進めていく中で、霊魔が関与している可能性が浮上した際は、守護神官の管轄案件として、事件の調査を行うこととなっている。
「俺は、本省の祭礼局に連絡をしておく。捜査に協力するとなったら――」
五島の話し声が、突如大きな物音に掻き消された。
事務所の扉が勢い良く開けられた音だった。
勤務していた守護神官たちは、物音のした方へと反射的に目を向ける。
そこには、三正と同じ灰色の制服と制帽姿の左腕に「憲警」と書かれた腕章を身に付けた数人の男性の姿があった。
「失礼する。我々は憲警局の守護である」
男性の一人が身の上を明かして、自らの守護神官証明証を提示しながら、三正のいる方へと歩み寄って来た。
「五島圭司という職員はいるか?」
憲警局の男性は周囲を一瞥している。
「はい、私です」
五島は名乗り出ると、憲警局の男性職員の前まで歩み寄った。
「私に何か御用でしょうか?」
「今回起きた、松縄市内の怪死事件の事は聞き及んでいるか?」
「はい、今朝方、メディアの放送で知りました。霊魔が関与している可能性を踏まえて、関係機関と連絡調整を行うところです」
五島は、卒のない受け答えで対応する。
「そうか。悪いがその必要はない」
「? と申しますと」
五島が訝りながら、憲警局の男性に問う。
「海母大神宮零護署、五島圭司。お前に松縄市怪死事件の容疑がかかっている同行願おう」
「⁉」
署内が騒然とした。
「容疑⁈ 五島さんが!」
三正は、取り乱して思わず声をあげた。
「――一体どういうことです?」
眉間に皺を刻んだ五島は憲警局の男性に苦々しい視線を向けた。
「五島圭司、お前が、被害者の男性に霊術を施して、精神不安定状態に陥れた後、列車の線路内へ入るよう、暗示をかけたのだろう?」
予想だにしない憲警局守護神官の言葉に五島は愕然とした。
「私は、そのようなことはしていない。何故、そのようなことになるのですか⁈」
五島は当然のことながら、やにわにかけられた容疑を否認した。
「事件が起きた日の午後十時ごろ、何処にいた?」
憲警局の男性が厳しい顔で五島を凝視する。
「その日は、勤務が終わった後、直ぐに自宅に帰りました」
「それを証明するものは?」と冷ややかな語調で質問をしてくる憲警守護神官を前にして、五島は身の潔白を証明する術がなく口を噤んでしまった。
「五島さん……」
三正は五島の身を案じることしか出来なかった。
周囲の守護神官たちも、「五島さんが?」「まさか! 五島さんがそんなことをするわけがない」と五島の容疑を誰一人として信じなかった。
だが、その様子を嘲笑うかのように、憲警局の男性たちは顔を合わせると、五島の腕を両脇から強引に掴んだ。
「とにかく、お前には今回の怪死事件の容疑がかかっているんだ! 本省まで同行してもらう!」
強引に憲警局の男性たちに連れて行かれる五島。
「ちょっと待ってください!」
三正はいてもたってもいられず、五島を連行する憲警局職員の前に立ち、行く手を遮る。
「何だ? お前は。そこを退きなさい」
憲警局の男性の一人が三正に向けて、威圧感のある視線を放った。
「三正、止せ。何やってるんだ!」
「そうだ。馬鹿な真似は止めろ。お前まで連行されるぞ」
周囲の上司たちが三正の身体に手をかけて、必死に切言をした。
「急に現れて、怪死事件の容疑がかかっているから来いだなんて、幾ら、警察権があるからって横暴すぎる」
三正は憲警守護神官らの目を真っ向から見すえて抗議した。
それを聞いた憲警局の男性は、沈思した後、衣服の中から端末を取り出して起動すると、映し出された映像を署内の守護神官たちに見えるよう掲げた。
映像を見た守護神官たちは絶句する。
三正も例外ではなかった。
「これで満足かな?」
憲警局男性は得意げに言い捨てた。
端末に映し出された写真には、事件の起こった時間帯、現場周辺を歩く五島の姿が映し出されていた。
「そんな、これだけの証拠で五島さんが犯人だと決めつけるのは尚早でしょう」
三正は反論する。しかし、
「いい加減にするんだ。証拠はこれだけではない。被害者の遺体から採取された霊術に使用された神氣と五島圭司の神氣が一致しているんだ」
「⁈ …………」
三正は、言葉を失った。
「失礼する」
五島は憲警局守護神官たちに両腕をがっちりと掴まれて、連行されてしまった。
三正は、もはや追うことすら出来ずに、五島の背を無言で見送るだけだった。
署内に沈黙が響き渡る。
(事件現場の神氣と一致しただって⁈ 五島さんが、本当に?)
懐疑的な感情に包まれた三正はその場でくずおれてしまった。
第一章
「三正君!」
「? ! 佐岡さん」
海母大神宮境内、松縄市に隣接する海の上に浮かぶ渡り廊下を歩いていた三正の背に佐岡の声がかかる。
「どうしたんだ?」
「聞いたわ。五島さん、連れて行かれたの?」
不意に投げられた質問に対して三正はおもむろに頷いた。
「そう、残念だわ」
「萩原さん」
佐岡の背後から、茶色の長髪を靡かせながら壮年の女性が姿を現した。
萩原青香。祭儀の守護神官であり、佐岡の上司に当たる人である。
「あの五島さんが、まさかこんなことをするなんて」
萩原は思いあぐねて低い声音で呟いた。
「待ってください。五島さんはそんなことはしていない。決めつけるのはまだ早いでしょう?」
三正は萩原の発言を聞き捨てられず、感情をあらわにした。
「三正君、落ち着いて」
三正と萩原の間に佐岡が割って入り宥めた。
三正は視線を他所へ外すと、一呼吸ついて数歩下がり、萩原との間合を空けた。
「今回の怪死事件、五島さんが被害男性を霊術で線路へ誘導して死に追いやった」
事件の概要を復唱する萩原に、三正は無言で耳を傾ける。
「被害男性の遺体からは、五島さんの神氣が検出されていて、事件発生直後、現場周辺のカメラに五島さんが映っていた。と」
三正はゆっくり頷く。
萩原は訝りながら、左手をそっと顎下に添えて考えこむと、
「佐岡さん」
何かを佐岡に指示した。
「はい」
指示を受けて、佐岡が衣装の中から端末を取り出す。
「これを見て」
佐岡が端末に映し出したのは、事件当日に怪死事件が起こった踏切周辺の映像だった。
「何だ? これ」
三正は目に力を入れて、データを凝視する。
そこには確かに五島の姿が映っている。だが、その様子は異様だった。何度も周辺を行き来したかと思えば急に立ち止まり、ある一点をしきりに見ていた。まるでいつもの五島ではない別人のように見えた。
「憲警局が証拠資料として押収した映像も別の監視カメラにはなると思うけど、これを根拠に五島さんを連行したんでしょうね」
萩原は不満そうに視線をやや下に落とした。
同時に、三正の内にあったある疑念が確信へと近づいた。
「さっきの五島さんは明らかに正気じゃない感じだった。これって……」
三正の心の内を見透かしたかのように、萩原は首を縦に振りながら言葉を紡いだ。
「この事件は、五島さんが起こしたものじゃないってこと」
三正の表情が安堵によって、僅かに和らいだ。
「それじゃあ、やっぱり他に――」
「ええ、だけど、それが誰なのかはまだ分からない。裏に霊魔がいるのか、それとも人による仕業なのか」
「とにかく、私たちが今からしなければならないのは怪死事件の捜査ね」
萩原の表情が険しくなっていく。
「事件の捜査本部はいつ開かれるのでしょう?」
問いかける三正。
その後ろから、
「ああ、いたいた。萩原様、佐岡様」
声がした方を振り返ると、青年男性が一人、こちらに歩み寄って来ていた。
「田代さん」
佐岡が、男性の名前を呼んだ。
「捜しましたよ。こちらにいらしたんですね」
田代という男性は息を少し切らし、声を詰まらせながら口を開いた。
「一体どうしたの?」
萩原が田代に向けて訊ねる。
「緊急会議です。今すぐ神宮零護署内の会議室に守護神官はお集まりください。署長命令です」
田代の放った「署長命令」という言葉に三正たちは気を引きしめる。
「例の怪死事件の事ですか?」
三正はいの一番に田代に問いかけた。
「ええ、詳細は明かされていませんが、恐らくそうだと思います」
「分かりました。直ぐに行きます。佐岡さん」
「はい」
萩原と佐岡は、足早にその場を後にしようとする。
「貴方も、急いだら」
「はい」
三正も急ぎ、緊急会議が行われる会議室へと足を進めた。
** *
海母大神宮零護署内、五階にある大会議室。
三正が駆け足で足を運ぶと、室内には既に到着していた数人の守護神官が、各自指定された席に腰を下ろして、開会のときを待っていた。
「来たか。三正」
「藤川さん、お疲れ様です」
会議室には長机が横に六脚、長机一つに対して椅子が三脚、前から後ろまで八列の構成で席が設置されていた。
会議室の左側三列が祭儀守護神官、右三列が武闘守護神官の指定された席である。
三正は右側三列のさらに右端、後方の席に腰を下ろした。
やがて守護神官が全て会議室に入り、会議の定刻が訪れた。
「起立!」
前列の幹部守護神官が号令をかけた。
署長、副署長、副署長代理、そして祭儀、武闘、両守護神官の次長級が入室し、最前列に用意された席に着く。
「これより、松縄市怪死事件に係る緊急会議を始める」
一同は着席した。
次長級祭儀守護神官がマイクを手に取り、口を開いた。
「今回の怪死事件は被害男性が霊術の類を施されて、本人の意思に関係なく強制的に自殺へと追い込まれた霊的犯罪であると判断されました」
室内の照明の明度が低くなり、会議室前方のモニター画面に事件に関する資料や写真等が映し出された。
「現場の被害者の遺体からは、五島圭司の神氣が検出されており、本事件の犯人であることは確実です」
モニターには神氣鑑定の結果、事件現場の神氣と五島の神氣が完全に一致した旨が記された結果通知書が映し出された。
「そんな……」
「まさか本当に五島さんだったのか……」
「そんなわけないだろう! 五島さんは誰かに嵌められたんだ」
「でも、神氣鑑定が全てだろう……」
五島が怪死事件の首謀者であることに、より確実性が増したことで会議室内が騒然とし始める。
「静かに」
副署長が、室内を鎮静した。
「憲警局の取り調べにおいても、五島自らが事件の首謀者である供述をしたと報告が入っている。証拠として提出された神氣や映像に、不正は何一つとしてない」
「⁉」
室内に再び喧騒が起こる。
「それは嘘だ‼」
会議室内に響き渡るほどの声を張り上げて、三正が反射的に席を立ちあがった。
「三正守護神官、座りなさい」
「五島さんが、自白をした? あり得ない。憲警局の人たちがでっち上げたんじゃ――」
「三正! 座れ」
三正の周囲に座っていた守護神官たちが、三正の腕や肩を掴みながら宥めるような声色で席へ付かせる。
「憲警局や上層部を敵に回すような発言は止めろ」
三正を宥めた守護神官の一人が、小声で囁いた。
席を蹴りそうになる感情を抑えつつ、三正は周りの忠告を聞き入れて席に腰かけた。
「三正君……」
心配気な表情を湛えて、佐岡が自席から三正に視線を送る。
「佐岡さん」
よそ見をする佐岡に、萩原が前を向くよう促した。
「我々がこれから行うことは、憲警局への捜査協力、怪死事件に関する問い合わせの適切な処理、そして海母大神宮の境内及び周辺、氏神領域の警備の強化を徹底する、以上である」
会議終了後、三正は萩原と佐岡から呼ばれ、零護署内にある祭儀守護神官が当直時に使用する待機室へと足を運んだ。
障子の前まで来ると、膝を付いて一声かける。
「失礼します」
「入りなさい」
三正は障子を両手で静かに開けると中へ入った。室内には萩原と佐岡が畳の上に敷いた座布団に正座していた。
「どうぞ」
萩原に促されて、三正は用意されていた座布団へ腰を下ろす。
「率直に聞くけど、今回の決定事項についてあなたはどう思う?」
「五島さんを犯人と決めつけてことを進めようとしている。この事件には五島さんを陥れようとした真犯人がいるのに。それをないがしろにしたものだと思います」
三正が握る拳には精一杯の力がこめられていた。
「……」
萩原は、その様子を無言で見つめていた。
傍に座る佐岡も、遣る瀬ない顔つきで胸に手を当てながら三正を気にかけているようだった。
「ええ。私たちも全く同じ考えだわ」
「!」
萩原の言葉に、三正はうなだれていた頭を上げる。
「五島さんは、海母大神宮だけじゃない。零護庁全体を見渡しても悪霊を打ち伏せる霊術に関しては上位に位置する実力を持っている。それはあなたも知ってるでしょう?」
「はい」
三正は、まっすぐな視線を萩原に向けて返事をする。
「その五島さんを犯人に陥れるほどのことが出来る奴らを見つけ出して、捕まえるってなったら並大抵じゃないわね」
「重々承知しています。しかし、ここで引き下がるわけにはいけません」
三正は、語調により一層熱をこめて言葉を放った。
「簡単にはいかないわ。まず、事件の捜査は憲警局が行うこととなっている。今の私たちに捜査する権限はない」
「それじゃあ……」
「でも方法はある」
萩原は口角を上げて言葉を放つ。
「――神官統制は知っているわよね」
「!」
二人は目を大きく開いて顔を縦に振った。
〈神官統制〉現代社会で発生する霊的犯罪において、凶悪な霊魔が関わるものであり、事件の早期解決を図らなければ個人の生命や財産に多大な悪影響が及ぼされると判断されたときに、任意の守護神官を指揮官として、各地域、各国家の守護神官を統制するものである。
「確かに、神官統制が発令されたら憲警局うんぬんなんて関係ないですね」
佐岡は得心する。
神官統制の権限は大きく、事件解決に必要な人員、物資、時間、場所、資料等を各機関に要請して収集することが可能である。
守護神官は当然のことながら、神祇省に所属する職員は入庁して研修時期に必ず教わる。そして、世間一般においても、神官統制が発令された際には必ずと言っていいほど報道がなされるため、知名度は非常に高い。
「それは勿論です。しかし、神官統制を要請したとして、署長はじめ上官たちはそれを通すでしょうか……」
三正は暗い顔を下に向けた。
「そうです。仮に署長まで、要請が受け入れられたとしても、本省が受理するかどうか……」
同じく、佐岡の瞳も疑念の色に染まっている。
署長は、あくまで海母大神宮と周辺地域の警備強化に活動を留める方針だ。神官統制が受理されることは非現実的であった。
「心配する必要はないわ。手はちゃんと打ってるから」
不意を突かれたように呆ける二人に萩原はいとも簡単に言い放った。
** *
――続いてのニュースです。先日発生した松縄市の怪死事件――
会議の翌日、怪死事件による報道があらゆるメディアを介して全国民に発せられる。
――神祇省零護庁、憲警局に身柄を拘束された容疑者である五島圭司守護神官ですが、憑依犯罪である可能性が浮上してきました。
「⁉」
報道に目を凝らしていた人々が目を丸くしてメディアに釘付けになる。
社会人は通勤、業務を止めて、学生は通学、勤勉の手を止めて、主婦は家事育児の手を止めて、次の言葉に耳を傾けていた。
「これは⁈」
テレビを見ていた三正はいてもたってもいられず、零護署内を走りまわって萩原を探すが見当たらない。
しばらくして、三正の端末が振動音を発する。萩原からの着信だ。
「三正君、ニュースは見てる?」
「萩原さん、これは一体⁉」
面食らう三正。
電話越しにもかかわらず、萩原はまるでそれを察するかのように、
「落ち着いて。今から神宮の参道入口付近まで来てくれない?」
落ち合う場所を指定して電話を切った。
疑問を投げかける暇もなく、三正は息を切らしながら走り、指定された場所まで足を運んだ。
「こっちよ」
手を振る萩原。その隣には佐岡と見知らぬ男性が立っていた。
男性は壮年で、黒縁のスクエア眼鏡を掛けており、艶のある銀色のスーツに身を包んでいた。
「この人は?」
「彼は記者よ。私が協力を依頼した相手よ」
萩原は手を男性のほうへと向ける。
「初めまして、霊的犯罪のジャーナリストをしております。上枝です」
品のある挨拶で自己紹介をする上枝は、三正と佐岡に会釈をした。
二人も会釈で返す。
「五島さんが憑依犯罪にかけられていた可能性の浮上、そのネタを報道局に提供して記事にしてくれたのは彼よ」
萩原は得意げな目つきでこちらを見た。
「五島さんが、憑依⁈ それは本当なんですか?」
三正は半信半疑で問いかけた。
「事実です。現に五島さんの神氣からは霊魔による邪気が検出されております」
「じゃあ、どうして憲警局はそれを言わずに五島さんを強引に連行して、しかも犯人と決めつけるような真似を?」
三正は感情を表に出しながら訝った。
憲警局ほどの組織の力があれば、五島が犯人であるかどうかの判断は容易にできたはずだ。なのに、こういう事態となっている。
それが意味する理由は一つだけ――
「まさか……」
三正は最も望まない推測を頭の中でする。
佐岡の表情にも血の気がない。恐らく考えていることは同じだ。
「そのまさかだよ」
上枝は、冷徹に言い放った。
「隠蔽ね」
萩原の言った一言に、三正は切歯扼腕となると力一杯こぶしを握りしめて近くにあった柱に叩きつけた。金属製の丈夫であろう柱が、三正の強烈な一撃によって振動し左右に揺れ動いた。
「落ち着いて下さい」
「それは、無理な相談です」
遮ろうとする上枝を振り払い、三正はある場所へ行こうとする。
「三正君。どこへ行くの?」
「決まってるだろう」
佐岡に歯を向いた顔で言い放つと、そのまま立ち去ろうとした。
「待ちなさい。三正さん」
萩原が三正の背中に向けて呼びかける。
三正は一瞬、動きを緩めたものの、自らの昂る感情を制御出来ずに再び動き出す。
「憲警局へ乗り込む気じゃないでしょうね」
萩原の強い語気に三正は立ち止まり、背を向けたまま口を開く。
「そうです。五島さんを釈放するように掛け合ってきます」
「無駄よ。止めなさい」
感情を抑えきれない三正に対して、萩原は冷静に言葉を返す。
「萩原さんは、悔しくないんですか⁈ 憲警局の勝手な都合で、何も関係ない五島さんが犯罪者扱いされてるんですよ」
三正はますます語気を荒げて萩原に詰め寄った。。
「三正君、止めて。お願いだから落ち着いて!」
佐岡が割って入り、懸命に取り鎮めようとする。
そのとき、萩原が「分かっているわよ!」
と苛立った大きな声を周囲に響き渡らせた。
「……」
ほかの三人はついとした萩原の声に驚いた顔を見せていた。
「私も腸が煮えくり返ってるわ。天下の守護神官警察組織である憲警局が何たる失態。ぶちのめしても全然足りないわね」
「……萩原、さん? ……」
「おおぉ……」
萩原の不躾な口調に、佐岡と上枝は思わず慄いた。
三正も萩原の圧を感じ取り、すぐさま頭を下げて謝罪をする。
「申し訳ありません。取り乱しました」
「気にしないで。とにかく、今あなたが憲警局に行っても何の進展にもならない。それどころか事態を悪くするだけ。いい? 警察組織ってのはね、どこもそうだけど、一度立件して犯人だと断定した以上、その決定をみすみすと覆すことはしないのよ。テレビを見ててもそう思わない?」
萩原の鋭い指摘に、三正は黙って頷いた。
「そのとおり。犯人の烙印を押した以上は、何としてでも犯人であると断定しなければならない。存在しない証拠を作り出してでもね」
上枝は眼鏡のブリッジを人差し指と中指で押し上げた。
「どうして、そこまでして……」
佐岡は顔に陰をおとして呟いた。
「メンツよ。それ以外に何もないわ」
「馬鹿げている……っ」
萩原の言葉に、三正は再び怒気を放つ。
「だから、私たちで覆すのよ」
「どうやって?」
三正は萩原に眼光鋭い視線を放つ。
「憲警局が五島さんを釈放せざるを得ない状況を作りだすの」
「その初手は、もう打ちました」
上枝が、五島が憑依犯罪である概要が記された報道が映った端末を三人に見せながら言う。
「あとは、私たちで真犯人を追うわよ」
萩原は、歩を進め出す。
「あなたたちは、署に帰っていなさい」
「萩原さんは、どちらへ?」
佐岡の問いかけに、
「神祇省よ」
それだけ言って、後にした。
「では、私はこれで。またお会いしましょう」
上枝もその場を去っていった。
残る二人も、萩原の指示に従い、零護署へ帰庁した。
** *
海母大神宮、零護署。
――神官統制発令通知書。
泰礼二十八年七月十八日に発生した「松縄市怪死事件」について、事件の容疑者であると思われる守護神官、五島圭司の調書を行った結果、憑依犯罪の可能性が浮上した。
更に、憑依犯罪の痕跡である神氣から霊魔に該当する邪気が検出されたことを受け、また、霊魔は非常に強大かつ、危険性の高い個体であることが予想される。
以上を以て、本日付けで、広域守護神官による神官統制を発令する。
「まさか……こんなことが」
「神官統制。あの怪死事件がそんな大事になっていると」
署長、副署長は、署長室に設けられた応接部分の椅子に腰かけて、頭を抱えていた。
「どうなっているのだ?」
「分かりません。とにかく、五島のほかに真犯人の可能性が、しかもそれが霊魔の関与しているものである以上、この発令は退けられません」
午後八時ごろ。零護署内の会議室に、海母大神宮の守護神官たちが再び招集された。
席の配置は前回の緊急会議時と変わらない。
署長たちと守護神官たちが向き合う形で、会議が行われた。
「この度、神祇省の外局、神官統制審議会による厳正な審査の結果、本怪死事件の迅速な解決を目的として神官統制の発令が出された。神官統制による効力範囲は海母大神宮氏神管区、及び、近隣領域である」
三正は口角を上げて耳を傾ける。ふと、隣の奥に座る萩原と視線が合った。
萩原は得意げな表情を湛えながら、周囲に気付かれないように目じりを下げた。
「これより神官統制の指揮官を編成する」
署長が神官統制を統率する者の氏名を順に読み上げる。
その中には、萩原の名もあった。
「以上、指揮官たちの命に従い、他署、他機関との連携を図りながら事件を速やかに解決せよ」
「はい‼」
会場の守護神官たちは、一斉に起立すると声を揃えた。
** *
松縄市外を出てすぐ貝村市という地域がある。松縄市と比べると交通網や商業、流通はあまり盛んではないが、それでも他の市町よりは遥かに栄えている。
三正と佐岡は五島の住所がある貝村市四ツ谷町に向かうため、松縄市内から走る列車に乗って四ツ谷駅で降りた。
「次は、……。佐岡さんどっちだったっけ?」
四ツ谷駅周辺には幹線道路と街路樹、遠くには斜面地形に住宅街が幾つも連なっている風情が見えた。
三正は周囲を見渡す。
(のどかな場所だな)
心の中で呟きながら、駅出入り口の階段をゆっくり降りていった。
「三正君。こっちよ」
卒のない動きで、次の行き先に向け足を運ぶ佐岡の後ろを三正は慣れない足取りでついて行く。
四ツ谷駅から徒歩十分ほどで、五島の自宅前まで到着した。
「ここだな」
「ええ」
眼前に見える表札には、「五島」と黒の大理石に銀の彫刻文字で刻まれていた。
二階建ての広々とした大きな住宅だ。家の前には車が横に三台ほど並ぶ屋根付きの駐車場が設けられており、更にその横には駐輪場だろう、子供用の自転車が二台置かれていた。
「良い家だな……」
明るく開放的な住宅に感けた三正は無意識に言葉を漏らしていた。
佐岡が人差し指でゆっくりとインターホンを押す。
インターホンが鳴るが反応がない。車が留まっているため、留守にしていることはないと思うが、もしかしたら徒歩で出かけているのだろうか。
「いないのかな?」
佐岡が再びインターホンを押したが、やはり反応はなかった。
「そうみたいね。でも車があるってことは、そう遠くへは行ってないはずよね? どうする?」
「また改めよう。次に行くところもあるし」
二人は諦めて、五島の自宅前から立ち去る。
三正が端末を取り出して、零護署にいる萩原に連絡を取った。
――もしもし、萩原です。
「三正です。五島さんのご自宅に到着しましたが、反応がありませんでした……」
――そう、まあ仮にいたとしても気軽に外に顔を出すなんて、中々出来ないでしょうね。分かったわ。
萩原は大きく息を吐いて言葉を繋げる。
――これから、貝村八幡神社の零護署まで言って頂戴。そこに守護神官と、四谷警察署の霊視課の方がいるわ。
「分かりました」「はい」
二人は貝村市の中心部に位置する貝村八幡神社を目指して歩を進めた。
** *
「お名前は?」
貝村八幡神社。鳥居を潜ってすぐ左手にある警衛詰所の守護神官に、三正と佐岡は携帯する守護神官証明証を提示した。
「確かに確認しました。ご苦労様です。どうぞ」
詰所の守護神官は、恭しく挨拶をしながら敬礼をして二人を招いた。本殿まで繋がる切り石が敷かれた参道を歩いていくと、左手に「貝村八幡神社零護署」が姿を現した。
貝村八幡神社は、海母大神宮と同じく国が管理する社格「二宮」に該当する神社である。
零護署の入口の右端に立つ守護神官が敬礼をして二人を出迎える。
佐岡は会釈で、三正は同じく敬礼で返した。
受付の窓口まで足を進めた佐岡は、
「お名前は?」
受付の女性職員から訊ねられると、
「海母大神宮零護署の守護神官、佐岡です。こっちは同じく守護神官、三正です」
佐岡が卒なく受け答えをした。
「確認します。お待ちください」
女性職員は担当職員に電話を繋ぐと、三正たちが来庁したことを報告する。
話を終えて電話をおくと、
「担当が下りてきますので、しばらくお待ちください」
そう言われてから一分弱経った。
奥の階段から、会釈をしながら制服を纏った守護神官が二人に歩み寄る。
「お待ちしておりました。私は貝村八幡神社の守護神官、桐岡と申します」
桐岡と名乗る守護神官は、階段に手を向けて二人を案内する。
「他の方々は?」と三正が質問をすると桐岡は、
「ええ、揃っています。直ぐに打ち合わせを始めましょう」
二階の会議室に三正たちを通した。
そこには守護神官と霊視警察、更に警察機動隊と思われる職員までいた。
各々席に付いて、前方に用意されたスクリーンに映し出された映像に視線を向ける。
「貝村八幡神社の守護神官、並びに四谷警察署の方々、お揃いでしょうか?」
「萩原さん」
三正と他の職員たちが、スクリーンに映し出された萩原の姿に視線を向けた。
「今回の怪死事件に関する情報の共有をお願いします」
霊視警察の一人が挙手をして、捜査で得た情報を述べる。
「四谷警察署の新藤です。五島守護神官に関する身辺情報を報告します。五島守護神官は、約半年前から霊障による体調不良を患い、度々通院していたことが分かりました」
「通院⁈」
三正は面食らった顔をして新藤の方を見る。
「五島さんが?」
佐岡も首を傾けていた。
五島の様子はつい最近まで特に変わりはなかった。熱血な人格だった故に、苦難があっても表情に出すような真似はしなかったが、それに五島ほどの守護神官が霊障に蝕まれていたなど考えもしなかった。
「更に、五島守護神官は霊障改善のため、電車を利用して通院していました。なお、この電車には地方にまつわる逸話が存在します」
「逸話?」
三正が耳を傾ける。
「この列車が停車する駅の中に存在しない駅があると言われております。名は『名廻駅』」
「なま、わり?」
名廻駅は五十年前に既に廃駅となっており、現実にはおろか、地図上にすら存在しない。
「名廻駅の跡地では非常に高濃度の邪気が検出されているうえ、度々霊現象も発生していることから邪霊場として認定されております」
〈邪霊場〉とは、悪霊や負の気が蓄積することによって生み出される、俗にいう心霊スポットの事を指す。邪霊場になりやすい土地は、事故や戦争などにより人が無念の死を遂げた場所や、墓地、ゴミ捨て場など負の念が溜まりやすい場所が挙げられる。若者が肝試しなどの面白半分で訪れる事例が後を絶たないため、神祇省においても邪霊場に安易に近寄らないよう注意喚起を呼びかけている。
「その駅と五島さんと、一体何の関係があるのでしょうか?」
佐岡が新藤に疑問を投げる。
新藤は報告用の手帳から佐岡の方へ目線を移した。
「はい。この名廻駅は廃駅となった時点で路線上から完全に撤廃されております。つまり、直接この駅があった場所に足を運んだとしても、もう名廻駅そのものを見ることは普通不可能です」
「――だが、ある方法を使えば行けてしまう……」
新藤の後に繋げるように、傍らで聞いていた三正が言葉を紡いだ。
「幽次間、ですよね」
三正は新藤に視線を合わしながら確認する。
「そのとおりです。名廻駅は現世に存在しない。邪霊場である名廻駅跡地の内部に存在する異界、幽次間です」
幽次間とは、簡単に言えば霊が身を潜める現世から隔離された幽界のことである。
「五島守護神官は、霊障を伴った状態で名廻駅が潜む路線の列車を日常的に使用し続けた。そして幽界の霊と波長が合い、知らずのうちに憑依されて精神を蝕まれ、今回の事件に及んでしまった。と考えています」
新藤は、手帳を衣服の中にしまった。
「以上が四谷警察署の得た情報と推測です」
「ちょっと待って下さい」
三正が席を立つ。
「三正君、だから会議中にいきなり立ち上がっちゃダメじゃない!」
佐岡が小声で囁くが、周囲にはもろ聞こえているようだ。
「いいわ、佐岡さん」
萩原が三正の発言を許可する。
「五島さんが憑依犯罪に及んだ過程は理解しました。しかし、一つ気になる点があります。五島さんが患っていた霊障は、何処からもたらされたのでしょう? それに、邪霊場の名廻駅は現在使用されている路線から離れていますよね」
「ええ」と首を縦に振る新藤に三正は更に続ける。
「邪霊場は危険ですが、無闇に近づいたり、近づいた人の体内に邪気が溜まっていない限り、幽界と波長が合うなんてことは……」
三正の質問に対して、新藤は口を開く。
「申し訳ありませんが、詳細な経緯に関しては現時点では何とも……」
会議室に、沈黙が響く。
「では、これより、五島圭司が通っていた病院への聞き込み、自宅内の調査、邪霊場である名廻駅の調査、異常をとおして五島圭司が発症した霊障の原因解明を行いましょう」
「はい」
方針が新たに定まったことにより、本会議は閉会した。
** *
翌日、三正と佐岡は、他の機関と役割分担を決めた後、捜査に乗り出した。
「助かりました。どうも、ありがとうございます」
車の後部座席から、下車した三正が礼を述べる。
「いえ、それでは、お二人ともお気を付けて、お願いいたします」
四谷署警官、新藤が運転する乗用車に乗せてもらい、二人は貝村駅の入口の前で降りた。
「そちらも、どうかお気を付けて」
次に佐岡が車から降りると、同じく礼を言って新藤と別れた。
二人は、下り線の列車に乗って、前回降りた四ツ谷駅を通り越すと、更に五つ先の駅に到着して、列車を降りた。
「地図だと、この辺りだったかな……」
端末を取り出して地図検索をかけながら慎重に進む三正。
「そうね。間違いないわ」
佐岡は自身有り気に答えた。
「確か、名前は――『小埜寺病院』だったよな」
二人の役割は、五島が通院していた病院への聞き込みと、五島宅の調査であった。
目的地の病院がある場所へ足を進める三正だが、彼女の返事がない。
「?」気になって後ろを振り向いてみると、佐岡の歩調が三正に追いついていない。
「三正君、待って……」
「……ああ、ごめんよ」
三正は気まずそうに歩調を落として佐岡に合わせる。
小埜寺病院についた二人は、受付にいた二人の女性に五島の通院記録について担当医師から聴取を行いたい旨を話した。
「承知いたしました。少々お待ちください」
近くの待合スペースに設けられたため、空いている席に適当に腰をかけた。
「佐岡さん、これ」
三正は院内にあった自動販売機から五百ミリリットル内容の水を買って来ると、佐岡に手渡した。
「ああ、ありがとう。いいのよ、気を使わなくて」
佐岡は気まずそうに水をそっと取った。
「いやいや、俺が悪かった。ゴメンよ、ここのところ現場で活動する時は、ずっと五島さんと一緒に行動していたから」
「ううん、悪いのは私よ。守護神官がこの程度で息切れなんてしてたら駄目だよね」
佐岡は、申し訳なさそうに顔を伏せた。
「体力つけなくちゃね……」
苦笑いを浮かべながら佐岡は言う。
「本当に気にしないでくれ。体力仕事や荒仕事は武闘守護神官の専門だからさ」
三正は白い歯を見せて、返事をする。
「こんなことしてたら、また萩原さんに怒られちゃう……」
「気にするな。どうってことないさ。告げ口なんかしないから」
三正は懸命に宥めた。
佐岡は「ありがとう」と笑みで返した。
「お待たせいたしました」
先ほどの受付の女性が、後方に白衣を着た還暦の男性医師を連れて戻って来た。
「守護神官の方ですね。ようこそ、お越しくださいました。私は五島圭司さんの診察を担当しておりました霊障科の米津原と申します」
「三正です。お時間取らせます」
「佐岡です」
軽く挨拶を済ませたあと、個室である応接室へと通され、室内にある応接椅子に腰かけた。
「仰るとおり、五島さんは半年ほど前から倦怠感と頭痛、吐き気等の症状を訴えて、当院に通われていました」
「診断のカルテを拝見しても宜しいですか?」
三正が訊ねると、
「ええ、勿論。こちらになります」
米津原は、テーブルの上にカルテ資料を広げて見せた。
「失礼します」
佐岡が、資料を一枚ずつ端末で撮影してデータに収めていく。
三正は、資料に目を通していくなかで、診断結果の欄に「自宅に溜まった邪気の憑依による霊障害」という項目に視線を留める。
「自宅に霊が、溜まっていた?」
「ええ、五島さんの身体を霊視レントゲンにかけてみたところ、無数の障害霊に憑依されていることが判明しました」
三正は口に手を当て、沈思した。
(五島さんは、自身が霊に憑依されていることに気付かなかったのか? そんなことがあり得るか?)
「その後、通院を経て、五島さんの容体は如何でしたか?」
佐岡が質問すると、
「それが、回復しては、また悪化しての繰り返しでした。全体的にみると全く快方に向かっていなかったと言えるでしょう……」
米津原は表情に陰を落とす。
「これは、五島さんの家を見てみるしかなさそうだな」
「そうね」
佐岡の同意を確認した三正は、米津原に礼を言って病院を後にした。
小埜寺病院を後にした二人は、再び五島の自宅がある住宅街を目指す。
(えーっと、確か五島さんの家ってこっちだったっけ? ……)
三正は、四谷町には何度か足を運んだことがあるものの、近隣の住宅街にはまともに入ったことがない。そもそも住宅街など、仕事で特定の人の自宅へ訪問するか、知人でもいなければ行くことなどないだろう。
「三正君、こっちよ」
戸惑う三正とは対照的に佐岡の足取りは迷いがない。
「あぁ、こっちか」
はにかみながら佐岡の少し後ろを歩く。
「佐岡さんは、土地勘があるな」
「そんなことないよ」
「あるさ。初めて行った五島さんの家に、少しも迷わずに向かえてるんだから」
佐岡は両手を胸の辺りまで上げると、小刻みに左右に振る。
「違う違う! ホントよ。だってこの辺りよく来るんだもの」
「へぇー、オフで?」
気になって思わず訪ねた。
「うん、友達がこの辺に住んでるの。だから週末とか休日の日には、その娘の家まで遊びに行くの」
「そうだったのかぁ、いやー道理で」
自分の土地勘が低いわけではなかったことが知れた三正は、ほっと胸を撫で下ろした。
五島の家の前まで到着した二人は、五島宅の一階、二階の窓を一瞥する。
「どう?」
「ぱっと見、いなさそうだな。まあ、いたとしても出るかどうか……」
前回と同じ、車はある。一階のリビングらしき部屋が少し伺えた。気のせいかも知れないが、灯りが灯っているような感じがする。
「ごめんください。五島さん居られますか?」
佐岡がインターホンを鳴らす。
……。前回と同じ、反応がない。
「海母大神宮零護署の守護神官佐岡です」
三正もインターホンの前に出ると、
「同じく守護神官、三正です。ご主人にはお世話になっております。もし、居られましたら、少しだけでも結構ですので、お話出来ませんか?」
インターホン越しに、誰かが歩いてくる音が微かに聞こえてくる。
――主人のお知り合いですか?
壮年の女性の声がインターホンから漏れた。
「はい、五島圭司さんの部下です」
――少々お待ちください。
少し待っていると、玄関の扉が開き、五島の妻が出て来た。
「……どうぞ、少しだけなら」
三正と佐岡は招かれて家の中へ入ると、リビングの食卓テーブルに通された。
「この度は、心中お察し致します」
恭しく佐岡が言葉を述べる。
五島の妻はリビング中央に置かれた椅子に手を向けて、座るように促した。
「それで、何でしょう。今更、私から話せることなんて何も……」
「いえ、今日お伺いしたのは、五島さんの最近の様子を聞きたくて。あと、自宅の中も少しだけ見せてもらえませんか?」
五島の妻は、苦い表情を湛えたまま、暫く考えこむと、
「……分かりました。お話の方から済ませても宜しいですか?」
しぶしぶと承諾してくれた。
「ええ、感謝します」
三正は、制服の胸ポケットから手帳を取り出した。
「ご主人は、この半年前から通院されていたとのことですが、通院していた病院に聞き込みを行ったところ、霊障が原因であるとのことでした。それは、ご存知でしたか?」
「ええ。聞かされた時は私もびっくりしました。けど、思ってみれば別に取り乱すようなことじゃありません。仕事柄、いつ霊に憑かれてもおかしくはありませんから」
「……」
三正は、無言で頷いた。
「そうですか。でも、僕から言わせると――それはおかしな話なんですよ」
「⁈」
五島の妻は、絶句して、三正を凝視する。
「どういうことですか?」
「私をはじめ、海母大神宮零護署内の職員は皆、ご主人にお世話になっています。霊と相対して戦い、祓う技術に関しては非常に優れた方だと思っています」
三正は、言葉を続ける。
「だからこそ腑に落ちないんです。それほどの方が憑依されて霊障に悩まされるなんて」
五島の妻は、訝しんで、
「それは、確か、霊魔が関与しているんですよね? 悪霊よりもはるかに危険な存在なんでしょう?」
「ええ、ですが、ご主人は悪霊は勿論、霊魔との戦闘経験もあります。霊魔と言えど、そう簡単に付け入る隙なんてない筈なんです」
三正は、二つ目の質問に入る。
「奥様、もう一つお聞きします。
――ご自宅で過ごしていて、霊現象等の異変はありませんでしたか?」
三正は、佐岡に視線を合わせながら言う。
「いえ、特には……」
五島の妻は、迷うことなくそう答えた。確かに、三正が周囲に意識を張り巡らしても、邪気のようなものは感じられない。
だが――
「三正君」
佐岡が、曇った表情で囁いた。
「何か分かったかい?」
佐岡が小さく首を縦に振る。
「奥様、今から少しだけご自宅内を拝見させてください」
「……あ、はい」
五島の妻は返事をして、席を立つ。
「それじゃあ、佐岡さん、お願いします」
三正は厳粛な語気で言った。
佐岡は席を立ち、衣装の中から一本の扇子を取り出すと、床と平行に掲げて静かに広げた。
「これより、儀を執り行う。我が下へ降り給え」
佐岡が言いながら、広げた扇子を前に突き出して、舞を思わせる所作を織り交ぜ、ゆっくりと円を描くように動かした。
佐岡が掲げる扇子の上に、球状の小さな神氣が雫のようにゆっくりと上方から降って来た。
「⁉」
五島の妻は眼前の光景に息を呑んで釘付けとなる。
扇子の表面に着地した神氣が飛散すると、その中から神氣でかたどられた一輪の蓮華が咲いた。
「これは私の守護霊です。今からご自宅内を霊視させていただきます」
守護霊術は、守護神官であれば誰もが習得している霊術である。
「見知法だね」
三正の言葉に佐岡は「うん」と返す。
〈見知法〉は守護神官が悪霊を祓い、浄化する時に用いる〈神前儀式〉の一つ。隠れている悪霊や邪気を見つけ出すことが出来る術である。一般社会では、霊視カメラや魔除けに、この技術が搭載されている。
佐岡は守護霊を扇子の上に掲げた状態で、足を進め出した。
一階のリビング、キッチン、風呂場、和室、トイレ。
二階の父母の寝室、子どもの寝室、空き部屋。
最後に屋外の庭。
一通り、霊視を終えた佐岡は、どことなく険しい。
「佐岡さん……?」
三正が案じるように佐岡の顔を覗き込む。
「平気よ。ありがとう」
佐岡は目を細めた。
「自宅の神棚をもう一度見せてもらってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
霊を寄せ付けないように、各家庭には一世帯に一つ神棚を設けて、護符を祀ることが義務付けられている。大抵は、リビング若しくは和室に設けられていることが一般的だ。
三正たちは和室に入ると、神棚にある護符の下へと足を進める。
「失礼します」
佐岡が護符にそっと手を伸ばす。
「? ――⁈ え⁉」
護符を手に取った佐岡の顔から、突如として血の気が一気に失せていくのを感じ取った。
「佐岡さん! どうした?」
佐岡は唇を震わせながら、そっと口を開く。
「……この、護符。効力が切れてる」
三正は一瞬目をむいた。が、直ぐに平静を取り戻して、
「何を言っているんだ⁉ そんなこと――」
三正は、「あるわけない」と言い切ろうとしたが、佐岡が手から落とした護符を拾い、手に取った折、言葉を失う。
(⁉ …………まさか本当に⁈)
三正は思わず硬直した。
各世帯に配布される護符は、神祇省の祭礼局が発行している。地方であれば、神祇省の出先機関である地方管区の神事祭礼局がその役割を担っている。
護符の効力は長いもので五年、短いものだと三年だ。効力が切れる前に更新をするのが一般的である。
佐岡の発したとおり、護符からは神氣による守りの力が一切感じられない。
――それどころか、
「この護符、邪気がいっぱい溜まってる……。それに、今見ただけだから確実とは言えないけど、霊をおびき寄せる術が施されてると思う……」
三正は、完全に絶句した。
「佐岡さん? 何を言っているんだ?」
自分の利き間違いだと思った三正は硬い声で訊ねた。
「この護符は、このまま放置していると大変なことになるわ! 早く除去しないと」
「どういうことですか⁈」
話を聞いていた五島の妻が酷く取り乱す。
「護符はちゃんと更新しています。今回だって問題なく更新しました。それに、正常なものでなければ私や子どもたちにだって異変があるはず……」
「落ち着いて下さい。更新が正常に行われたのは本当ですか?」
三正が宥めながら訊く。
「はい、今回だって更新の案内が来ていましたから、鎮守区の神社へ古くなった護符を返納して、新しいものを貰って来たんですよ」
「その神社の名前は‼」
間断なく三正が声を張る。
第二章
貝村八幡神社。
三正は、霊護署に帰庁せず、その隣にある社務所へと足早に歩を進めていった。
「三正君、待って!」
佐岡が駆け足で三正の後を追う。
「どうされましたか?」
社務所の受付女性が、三正のただならぬ雰囲気に首を傾けながら素早く立ち上がる。
三正は身分証明証を提示する。
「神祇省の⁈ どういったご用件で――」
「この護符を五島さんに発行した職員と話がしたい」
三正は五島宅から持ってきた護符を提示した。
「お待ちください」
女性職員は担当職員を内線で呼び出す。
しばらくすると、
「何の御用でしょう?」
和服に身を包んだ中年男性が姿を現した。
応接室まで案内されて、席に着くと、
「私は、貝村八幡神社社務所で護符の取りまとめを行っております。沢井です」
「お聞きします。この護符を発行したのは貴方ですか?」
不意に詰問する三正。
「えっ⁈ ああ、はい。発行したのは私ですが……」
「この護符がどういうものか知っていて、貴方は五島さんに渡したのか?」
荒っぽい語気で三正は沢井に畳みかけた。
「えっ⁈ というのは?」
沢井は、目の焦点をあちこちに動かしながら、狼狽えている。
「……もしかして、貴方は何も知らないと?」
沢井は落ち着かない様子で、三正に視線を合わせることなく数回頷いた。
「よく聞いて下さい。五島さんに発行されたこの護符は、我々が調べたところ、加護の効力が切れていたんです」
三正とは対照的に、佐岡は沢井に寄り添うように語りかける。
沢井は、泳がせていた焦点を佐岡に向けた。
「えっ⁈」
沢井の表情は驚愕に満ちている。どうやら、本当に何も知らずに護符を発行していたようだ。
「それだけじゃないんです。この護符には邪気が溜まっていたうえ、霊をおびき寄せる術が施されているんです」
佐岡は語気を重くして告げる。
それを聞いた途端、沢井は急に顔を伏せて激しく咳き込むと、嘔吐をするような苦しい声を出しながら、その場に膝を着いた。
罪悪感が一気に込み上げて来たのだろう。
「……大丈夫ですか、しっかりしてください」
佐岡は膝を折って沢井の肩を持った。
三正も無言で歩み寄り、反対側の肩を持って佐岡が介抱するのを手伝う。
「三正君、ありがとう」
沢井を椅子に座らせて落ち着かせると、三正は先ほどまでの荒々しい態度を改める。
「先ほどは失礼しました。貴方にお聞きします」
すると、佐岡が突如、頬を膨らませる。
「三正君、だめ」
「?」
沢井はまだ震えが治まらず、身を丸めていた。
「まだ、気持ちの整理が出来ていないわ。捜査も大事だけど、この人のことも考えてあげて」
「ああ、悪かったよ。もう少し待とう……」
参った三正は、佐岡と沢井から少し離れた場所に腰を据えて、様子を見守った。
「信じて下さい。私は本当に何も知らなかった……」
「ええ、分かっています。私たちは貴方を信じます」
感情を安定させた沢井の事情聴取を再開した。
「貴方はこの護符を誰の指示で発行したのですか?」
「はい、主幹の命令によって護符の発行を行いました」
それを聞いた二人は、沢井に自身の上長である主幹を呼ぶように指示した。
およそ五分経ったころ、沢井が扉を開けて部屋に戻って来た。その後ろからは、神主を模した衣装に身を包んだ主幹の初老男性職員が恐る恐る入室して来た。
「貝村八幡神社社務所、主幹の林田です」
林田は、三正と佐岡を見るや否や、視線を下に落としておどおどししながら名乗った。
「お聞きします。五島さんに対して、このような護符を発行するように命じたのは貴方で間違いありませんか?」
「えぇ⁈ あぁ…… そうでしょうか?」
佐岡の質問に対して、林田の返事ははっきりとしない。
「つい先ほど沢井氏にお聞きしたところ、貴方の命令で不適切な護符の発行に至ったと発言がありました」
林田は目を丸くしたまま、何も言わない。
「それは事実ですか?」
佐岡の問いかけに林田は首を傾けて、
「はあ……違うと思います」と曖昧な、回答にすらならない言葉を述べる。
「隠さずに正直に言ってくれませんかね」
そのやり取りに二の句が継げない三正は、荒い口調に戻り林田を詰問し始めた。
「曖昧な返事では困りますね。はっきり答えてもらわないと」
佐岡は、今度は三正の態度を諫めることはなかった。当然だろう。この、林田は沢井と決定的に違う点がある。護符の発行を命令したということは勿論だが、何より、罪悪感というものが微塵も感じられなかった。
そののらりくらりとしたような態度が、三正の感情を逆撫でするには十分過ぎた。
「貴方はこの護符の危険性を理解していながら、今回のような対応を取った。これは著しく不適切な行為だと思わないか?」
三正の圧に、林田は反射的に身体をのけ反らせて仰視する。
「違います……」
「……はい?」
三正は耳を傾ける。
「それは違います。我々はちゃんと効力切れの護符は適切に処理して、正規に発行された護符を地域に配布したんだ。私たちはやるべきことをやった。それだけです」
「ですが、そのやるべきことをやった結果が、この有様だ!」
声を張る林田に同調して、三正も大きな声で言葉を返した。
「とっとにかく。これ以上聞かれても答えることはありません」
林田の顔は分別を失って苦々しい色に包まれていた。
これ以上、事情聴取を進めても有力な情報は得られない。林田より上の職員に話を伺おうにも多忙を理由に面談を拒否された。
三正と佐岡は仕方なく社務所を後にして、一度零護署に戻ることにした。
** *
零護署の二階会議室。
佐岡と三正は集まった他の機関の職員たちと情報交換を行った。
「以上が、私たちが得た情報です」
三正がことの一部始終を職員たちに報告すると、
「それは本当ですか?」
守護神官の桐岡が目をむいて三正を凝視した。
「貝村八幡神社の社務所でそのような行為が行われていたなんて……」
「しかし、その主幹が知らないとなると、やはりカギを握るのはそこの所長ぐらいでしょうね」
四谷署の新藤が眉根を寄せながら、机上に肘をついて手の上に顎を乗せた。
「けど、私たちが普通に依頼しても相手にされません。貝村八幡神社零護署から社務所長の方に面談に応じるよう、依頼をかけてもらうことは出来ませんか?」
佐岡の言葉に桐岡は首を横に振った。
「残念ながら、それは……」
まあ、これが普通である。同じ貝村八幡神社境内にあるとは言っても、足並みを揃えているわけではない。
「普通に頼んでも応じるわけがないわ。面談を依頼するに足る証拠を提示するしか方法はない」
会議室のモニター越しに映る萩原が職員たちに呼びかける。
「その主幹が言ったように、本当に護符が正規に処理されて発行されたかどうかを調査する必要があるわね」
低い声色で萩原は提案する。
「本省の祭礼局に協力を依頼するように私から連絡を取ってみるわ」
〈祭礼局〉は、全国の祭祀や護符の管理等業務を担っている部署である。
「本当ですか。ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
三正と佐岡は萩原に深く頭を下げた。
「ああ、我々の方からも一つ」
新藤が手を挙げて情報を開示する。
「名廻駅の近辺を調べたところ、過去に発生した霊的違法物の摘発事件において、売人どもが物品の受け渡しをするための拠点の一つだったことが判明しました。売買集団一斉摘発後は、犯罪数も激減し、落ち着いていましたが、ここ最近になって再び売人たちが名廻駅近辺をうろついて売買取引を行っているという情報が寄せられています」
「まさか、あんなところでまだブツのやり取りを行っている連中がいるのか?」
「まあ、邪霊場は人が寄りつかないから犯罪をするには持ってこいだからな……」
他の職員たちの私語が飛び交うなか、
「すみません。もしかして、今回五島さんの家から見つかった効力切れの護符もその事件と関係が――」
三正の問いかけに、新藤は口の端を吊り上げた。
「確証はありませんが、無関係だと言い切れる根拠はありません。宜しければ参考までに」
** *
三日後、三正と佐岡の姿は神祇省本省にあった。
「相変わらず広いな……」
三正は、本省を入ってすぐ眼前に広がる広大なロビーを見て、放心する。
細部まで手入れされた松の木々が一定の間隔を保って植えられている。上に視線を向ければ、天井はなく、遥か上の階層まで吹き抜けとなっていた。吹き抜けた空間には交差するように多くの渡り廊下やエスカレーターが架けられている。
「えーっと……」
「こっちよ」
進んで行く佐岡の後を三正は追いかけていく。
「海母大神宮零護署の守護神官佐岡と三正です」
佐岡と三正は受付職員に身分証を見せた。
「お待ちください」
管轄部署と連絡を取ったあと、受付の女性職員がロビーの遠く向こうにあるエレベーターを手で指すと、
「祭礼局の神事課は本館の十八階にありますのでエレベーターをお使いください」
三正と佐岡はエレベーターの前まで来ると、上矢印のボタンを押下する。エレベーターの階層表示灯がだんだんと一階に近づいてくる。
扉が開いたエレベータに乗った三正たちは、神事課がある十八階のボタンを押す。
十八階に辿り着きエレベーターを出ると、目の前に再び受付の窓口があったため、
「神事課に繋いでください」
と佐岡が依頼した。
受付職員の一人が立ち上がり、神事課の事務所へ三正たちを誘導する。
――神事課
事務所入り口には木製の大きな札にそう書かれていた。
「すみません。海母大神宮の守護神官です。先日ご依頼した護符の処理内容と発行元の照会をお願いできますでしょうか?」
佐岡は受付対応する神事課の職員に言う。
「貝村市四谷町在住の五島圭司宅に発行されたものでお間違いありませんか?」
「はい、お願いします」
「用意して参りますので、あちらの応接室でお待ちください。担当職員が後ほどお伺いします」
二人は、応接室で待った。
「お待たせしました」
応接室の扉をノックする音が聞こえ、男性職員が二名入室して来た。
「神事課、係長の川田と申します」
「同じく、上席霊事の岡本です」
川田と名乗る職員は襟部分に和柄が刺繍された背広に神祇省の紋章バッジを身に付けていた。
岡本は、佐岡と同じ守護神官であるため、和服衣装に身を包んでいた。
四名は、席に付くと本題に入る。
「依頼されていた五島圭司さんの護符の件についてですが、先ずは、効力切れの護符がどう処理されたかの説明からさせて頂きます」
「はい」
「こちらで調べたところ、返納された護符は祭礼局に変換され、正常に処理されています」
川田が、護符の処理統計を提示した。
三正と佐岡は統計資料を見て、得心の表情を見せる。
「それで、新たに発行された護符の方は?」
三正の強い語気に神事課の二人は急に顔を曇らせて、互いに目を合わせて逡巡していた。
「? どうかしたんですか?」
「……あ、いや、その。落ち着いて聞いていただきたいのですが――」
岡本が唇を震わせて言葉を放つ。
「五島さん宅に新たに発行された護符を調査した結果、こちらの検査を通過していないものである可能性が非常に高いと思われます」
三正と佐岡は目を丸くして絶句した。
「それは? どういう?」
「つまり、簡単に言いますと祭礼局の発行していない護符が何らかの原因で発行され五島氏のもとへ渡ったと見ていいでしょう」
三正は反射的に立ち上がる。
「そんなことが⁈」
「三正君、落ち着いて! 座って」
取り乱す三正を佐岡が賢明に制止した。
「済まない。いや、どうしても抑えきれなかった。――ダメだな、全く」
三正は自責の念に駆られて、自身の至らなさに顔を片手で覆った。
「いえ、お気になさらず、このような事があれば当然かと」
岡本が穏やかな口調で三正に言った。
「だが先ほどの話だと、やはり五島さんのもとに不当な護符を発行したのは、護符を発行した零護署の職員ということになりますよね」
三正の言葉に川田と岡本は頷く。
「ええ、恐らく」
「確証はありませんが、そうとしか考えられません」
(ということは、やはり、あの人たちが……?)
三正の脳裏を二人の職員の顔が横切る。
沢井と林田。特に――
「林田か」
三正は眉根を寄せて、歯軋りをする。
「取り敢えず、これは重要な証拠資料になるわ。持って帰りましょう」
佐岡は提供してくれた資料に手を添えてかき集めると、角を綺麗にそろえて整理した。その様子を見ていた岡本が席を外して封筒を手に戻ってくると、佐岡に手渡す。
「どうぞ、この中に入れて下さい」
「どうもありがとうございます」
三正は力強く立ち上がって息巻く。
「次こそは尻尾を掴んでやるぞ」
本省の祭礼局を後にした三正と佐岡は貝村八幡神社零護署に帰庁した。
「あの護符が正規の課程で発行されていないことは分かった。あとは、あの護符を林田たちがどうやって仕入れたか、だ」
三正は、祭礼局から提供してもらった統計資料の写しを力強く握りしめる。
「三正君、まだ、あの人たちが犯人と決めつけるのは尚早よ」
佐岡が、怒気を身体から放つ三正に忠告をする。
「護符が不当に仕入れられたことが分かっても、彼らがそのことについて本当に何も知らない可能性だって十分にあるんだから」
三正は首を横に振る。
「いや、それはないな」
「どうしてそんなことが言えるのよ」
「佐岡さんも見ただろう?」
三正の頭の中には、あの時の林田の必死な様が焼き付いて離れない。
「三正君の顔が怖かったから委縮しちゃったのよ」
「そうじゃないな」
三正は仕事柄、市井に潜む悪霊や霊魔をいち早く見つけ出し除霊する能力を養ってきた。そのため、他者の悪意を見抜く慧眼は、五島ほどではないにせよ、洗練されている。
「林田の、あの反応は何も知らない奴がするそれじゃない。明らかに何か事情を知っているふうだった」
三正は確信するかのように言い放ったが、佐岡はそれを冷めた視線で見ていた。
「……本当に?」
「ああ、本当さ」
「根拠は?」
佐岡の問いに三正が口を開こうとする――
「勘、ですかね」
三正ではない誰かが答えた。
声のした方へ三正たちが顔を向ける。
「どうも、守護神官のお二方。ご無沙汰しております」
軽妙な挨拶で一礼しながら、四谷署の霊視警察、新藤が歩み寄って来た。
「新藤巡査部長。お疲れ様です」
佐岡が深く礼をして挨拶をするが、新藤が苦笑いをしながらそれを制する。
「ああ、ちょっと待ち、止めて下さいよ、そんな堅苦しいことはしないで下さい」
「ごめんなさい」
佐岡がまた生真面目に謝る。
「だから、止めて下さい」
新藤はますます苦笑いが止まらない。
「新藤さん、お疲れ様です」
三正が言葉をかける。
「どうも。で? どうです? 私の回答は」
三正は首を縦に振って、
「ご名答です」と肯定。
「ふふふ、やっぱりね」
新藤は口角を上げる。
佐岡はそれを聞いて、唖然とする。
「ただの勘でそんなに自信満々だったの⁈ そん――」
新藤は次の発言を阻止するように、佐岡の口元目がけて人差し指を伸ばす。
「勘ってやつは重要でね。特に長年仕事をすればするほど、この能力が知らずのうちに洗練されていくもんなんでさ」
新藤は頭を指で軽く叩いた。
「けど、勘だけじゃ証拠にはならないわ」
「それは勿論」
新藤が少し強めの語気で言う。
「だから、勘を確証へと変える証拠がいる。ところで新藤さん」
と言う三正に、新藤は軽快な態度を消す。
「先日の護符の件ですが、祭礼局の検査を受けていないものであると判明しました」
「ほう」
「発行元はやはり、貝村八幡神社の社務所で間違いありません。ただ、職員は皆、口を割ろうとしない」
「でしょうね」
新藤は、天を仰ぐ。
「俺は、あの護符が法外な経路を経て、貝村八幡神社の社務所を通じ、五島さんのもとへ発行された証拠が欲しい」
三正は言葉を続ける。
「新藤さん。ここ最近で名廻駅の周辺に訪れた人たちの情報を四谷署で保管していたりしますかね」
「⁈」
佐岡ははっとして、新藤に視線を移す。
新藤は頭を掻いて目を細めた。
「ええ、ありますよ。あそこは未だに曰く付きなうえ、最近特にきな臭いですからね」
「僕らにその情報を提供してもらえませんか?」
「――いいですよ」
あっさり承諾した新藤に三正は面食らったが、
「そんな驚くことないでしょう。神官統制が発令されてるんだ。事件の早期解決のため、です」
「感謝します」
三正と佐岡は、新藤に連れられて、四谷警察署の霊視課へ足を運ぶこととなった。
「こちらです」
新藤の運転する車に乗って到着した四谷警察署は、まあまあ年季の入った庁舎だった。壁はところどころ黒ずんでおり、はしの方には、小さなひびが入っていた。入り口をくぐると、黄ばんだ床が一面に張り巡らされている。
「もう、だいぶ経つんですか?」
佐岡が辺りを見渡す。
「ええ、ここのところ、修繕ばかりですよ。営繕部署は悲鳴を上げていることでしょう。と、まあ、それはいいとして。ささ、こちらへ」
庁舎内の年季が入った廊下を進み、エレベーターと階段が見えるところまで来ると、
「どちらにします?」
新藤が聞いてきたため、
「階段で大丈夫です」
「そうですか」
即答する三正を新藤が微笑する。
佐岡が冷めた視線を三正に向けていた。
「私にも聞いてよ」
「……じゃあ、俺は階段で」
「では、三正さんは先に四階の霊視課事務所前まで行ってて下さい。私は佐岡さんと行きますよ」
三正は「え?」と数回瞬きをする。
「レディを一人にするわけにはいかないので、悪しからず」
三正は無言で階段を上がっていった。
「着きましたよ」
新藤がエレベーターの扉を手で押さえ、佐岡を軽くエスコートした。
「どうも」
霊視課事務所前まで行くと、窓口カウンターに手をついて既に三正が待っていた。
「!」
「これはお早い。ほぼ同時にスタートしたのに」
佐岡と新藤は驚いた顔を浮かべている。
霊視課の事務所内に通された三正と佐岡は、応接スペースの席に付くよう新藤に促された。
「少し待っていてください」
そう言って、自席に向かった新藤は、暫くしてから、パソコンと書類が大量に保管されたファイルを手に持って戻ってきた。
「ご覧いただけますか」
新藤は、書類を開いて見せた。
「これは⁈」
「数年前に四谷署が検挙した霊的違法物売買集団に関する資料です」
書類に目をとおしていた三正は眉根を寄せて、視線をある文言に止める。
――名廻駅
「奴らが、ブツの売買取引に使っていた場所です」
「取引……」
「ええ、何せ現世で取引するよりも、幽次間という現実世界から隔離された場所で行うほうが、奴らからしたら居場所を突き止められる危険性は限りなく低いですからね」
新藤は口の端を上げながら話す。
「で? 今回五島さんの自宅に流れた護符の発行元はその集団が絡んでいると?」
「そうです。五島さんの護符を鑑識にかけてみた結果、護符から採取された邪気が名廻駅のものと一致しましてね」
「本当ですか⁈」
三正は目を点にする。
「――ということは、今回の護符も違法物売買集団から流されたもの、と見ていいですね」
佐岡は、思い顔つきで俯いていた。
「でも、霊的違法物売買集団は、既に検挙されているんですよね?」
「ええ、只、我々が捕まえたのはほんの一部に過ぎません。何せ霊的違法物売買集団は国際的な組織ですからね。売人が世界のあちこちに散らばってるんで、どこの警察組織も手を焼いていますよ」
新藤の顔つきは非常に曇っていた。
「で、もう一つ、あなたがたにお見せしたいものがあります。こちらを」
新藤はパソコン画面に目を凝らしてデータを探し出すと、画面を二人に向けた。
パソコン画面には、霊視カメラで撮影した映像が映し出されていた。撮影場所は名廻駅があった場所。時間帯は深夜の二時をまわっていた。
「あっ! 見て!」
佐岡が画面を指す。
「誰か来る……」
三正は息を呑みながら、映像に視線を固定し瞬き一つしない。
映像には、暗くてよく見えないが数人の男性だろうか。手に金属製の大きなアタッシュケースを携える者が一人、ほかの三人がそれを守るようにして取り囲みながら、小走りで駆けていく姿があった。
男たちは皆、辺りをしきりに気にしている。
「また、映像には確認されていませんが、奴らは車両を使ってこの場所へ来たものと思われます。現場を調べた結果、大型の乗用車と思われるタイヤ痕が見つかっておりますので」
三正は、なおも画面に映る男たちに視線を向けながら新藤に訊ねる。
「この男たちの行方は?」
「違法な霊物を持って世界を駆けまわる集団です。さすがに、そう簡単に尻尾を掴ませるようなことはありませんでした。――が」
「?」
新藤が含みを持たせる。
三正と佐岡は、次の言葉を静かに待つ。
「非常に面白い映像、いや、音声が取れました」
「音声?」
「ええ、私は名廻駅に張り込んで、奴らの車両にGPS小型カメラを密かに取り付けて、奴らの行動を記録することに成功しました」
「GPS? 一体どうやって?」
佐岡が奇異な面もちで新藤に言う。
「奴らの走行ルートをあらかじめ把握して、追尾しながら、バレないように取り付けました」
「バレないようにって……」
「はっはっは。そこは、あまり深く聞かないで下さい」
新藤は困却したように両手を振った。どうやら、かなり無茶をしたことだけは確かなようだった。
三正たちに質問の機を与えまい、と言わんばかりに新藤は、パソコンにGPSから記憶した音声を流して聞かせた。
――これで、宜しいんですか?
――ああ、構わない。それを譲ってほしい。
男たちが、犯行で利用している車内で会話をしている声が聞こえる。映像は真っ暗で何も見えない。
――しかし、これは我々が扱っている品の中でも一際危険なものですよ。本当によろしいんで?
売人の男だろう。鼻で笑いながら顧客と話しているさまが窺える。
――いいや、それで良い。そこら辺の陳腐な霊物では、あいつを蝕むことは出来んからな……
三正の眉がぴくりと上がる。
「あいつ?」
――ああぁ、分かります。「五島圭司」でしたね。彼は確かに霊的違法物売人にとっても厄介な存在です。ここで、潰れてくれるなら願ったりだ。全力で協力いたしますよ。
弾んだ声色で言う売人は、顧客に何かを渡しているようだった。ただ、がさごそと紙のようなものが擦れ合う音が聞こえてくる。
――これを、奴のもとへ発行すればいいんだな?
――はい、それには非常に霊格の高い悪霊が込められております。潜伏能力も極めて高いうえ、指定した対象以外には危害を加えません。簡単に霊視警察や神祇省の連中に引っかかるようなことはありません。まさしく、このうえない一級品だ。お約束します。
――分かった。
車両のドアが開く音がした。顧客が帰ろうとしているようだ。
――しかし、あなたも大丈夫ですか? 立場上、一番こんなことをしてはならない身分でしょう?
嘲笑するような口調で売人の男が顧客に語りかける。
――心配ない。私は奴を排除出来ればそれでいい。
――分かりました。お願いしますよ。――貝村八幡神社の所長さん
「⁈」「えっ⁈」
二人は面食らい、硬直する。
「……とまあ、こういう事です」
新藤が苦い表情を湛える。
「売人と話していた顧客は貝村八幡神社の社務所長です。この音声は重要な証拠ですが、正直これだけでは追い詰める材料として心許なかった。だが、お二人が手にした護符の統計データの資料、それと合わせて社務所の所長に提示すれば、もう逃げることは出来ないでしょう」
「三正君」
力のこもった声で佐岡が持ちかけた
「ああ、行こう。次こそは言い逃れはさせないさ」
** *
「ちょっと困ります。あなたたち、零護署のかたや警察のかたとはいえ――」
「通して下さい!」
貝村八幡神社社務所の庁舎内に重い足音が響き渡る。
三正と佐岡、新藤、そして、守護神官と霊視警察数名が、社務所所長の個室へと着々と距離を詰めていく。
ばたん、と所長室の扉が乱雑に開けられた。
「何だ?」
社務所長は、慌てて起立する。
「貝村八幡神社社務所所長、橋川洋二さん。あなたに五島圭司に対する不当な護符の発行行為を命じた容疑がかけられています。署のほうまでご同行願えますか?」
橋川は、三正の顔を見るや否や、歯軋りをしながら眉根を寄せる。
「お話することはありませんよ。林田から聞いたでしょう? あれは、我々は――」
「知っていたはずです。あなたが仕組んだことだから」
橋川は口を噤む。
「同行願います。話は取り調べ室でお聞きします」
「――ふっはっははは……」
突如、橋川は不敵に口の端を吊り上げる。
「? 気でも触れたか?」
「零護庁の守護神官様、でしたかな? 良いですな、あなたがたは。同じ役人だというのに、報酬は技術職員よりも遥かに高い」
「? 一体何を言っている?」
三正は訝りながらも、橋川の動きに意識を集中させて、一部の隙も窺わせない。
「こんな給与では、明日を生きる楽しみさえ見出せないというもの」
橋川は声を張ると、不意に走り出し所長室の奥へ迫った。
三正は身構えながら、帯刀していた霊葬剣に手をかけて素早く抜刀した。
「橋川所長、抵抗はするな」
佐岡は後退して、様子を窺っている。
祭儀守護神官は武術には疎い傾向がある。特に生身の人間や、物理的な攻撃を主体とする闘いでは劣勢になりやすい。
橋川は所長室の棚に飾られていた刀に手をかけると、おもむろに刀の感触を確かめるかのように抜刀した。
三正は鼻で笑う。
社務所の職員は、守護神官と違って、霊術による戦闘訓練など一切受けていない。
当然、橋川の剣の構えは隙だらけ。剣先がゆらゆらと左右にぶれて定まらない。
「所長、武器を置いて同行して下さい。あなたではこの人たちには勝てない」
新藤も携帯していた実銃を構えている。
「私は、剣道四段の腕を持っている! 甘く見られては困るなぁ!」
橋川は大音声で叫びながら、足を踏み出して三正との距離を詰める。構えは中段のまま、ぶれた剣先がさらにあちらこちらへ向きを変える。
三正は吐息を吐き出すと、剣の峰で橋川の脇腹に強烈な胴打ちを見舞った。
「‼︎ っ! ! のあぁっ!」
橋川は握っていた刀を落とし、丸腰となったことなど意にも介さず、床を転げて荒々しい息づかいをした。
新藤と佐岡はそのさまを気の毒気に凝視していた。
「三正君……」
「大丈夫かい。佐岡さん」
涼やかな顔で言うが、
「ちょっと容赦なさすぎ……」
「え?」
「……確かに、これは中々エグい」
新藤は橋川の損傷箇所に手を当てて、非常に苦い顔を浮かべている。
「肋骨にひびが入っているでしょうね」
新藤が言ったそばで倒れている所長の顔が見えた。青ざめて目が充血している。おまけに口から少量の泡らしきものを嘔吐している。
「……」
三正は瞬きを繰り返したあと、思わず視線を逸らした。
「くそ、くそぉぉぉっ……」
消え入りそうな声を身体からひり出す橋川。
「救急車呼ぶわね」
佐岡が端末を取り出して、ダイヤルを押下する。
「駄目だ、……――私では駄目だ。頼む」
――まぁったく、私をぉこんな連中ごときに呼び出すとはぁ、なんたることだぁ
明らかに橋川ではない。今ここにいる誰でもない者の声が響いた。
「新藤さん!」
異変を察知した三正は新藤のもとへ素早く駆け寄ると、剣を掲げて、迫り来る得体の知れない霊物を両断した。
「これは⁈」
新藤は状況を把握出来ず、三正が切り伏せた霊物を凝視する。
灰色の霧のような塊が、床をうごめいている。それはしばらく床の上を這ったあと、散乱して消滅した。
橋川は、苦痛と焦燥がない交ぜとなった顔つきで、
「駄目だ……仕留め損なった、こいつら、やはり一筋縄ではいかん!」
――そのようだな。
再び、正体不明の声が響く。
「おおぉ……あぁ……」
うめく橋川の身体から、先ほど襲撃してきた灰色の霊物が姿を現した。霊物はどんどん膨張して人間大ほどになると、球体状に形をなした。
「私の宿主ともあろうものが、何たるぅ醜態ぃ」
球体状に集約していた霊物が崩れ去り、橋川に憑依していた霊が全容を露わにして三正たちに視線を向ける。
その様相は、人間のそれではなかった。一見、頭巾を深く被った僧侶のような風体をしているが、本来顔が見えるであろう場所から大きな単眼がこちらを覗いていた。人の形から逸脱した悪霊が何を意味しているか、この場にいる全員が理解していた。
「……霊魔よ。気を付けて」
佐岡は扇子を手に携えながら、重い声色で注意を促す。
三正は、霊魔に意識を集中して、剣を目線まで掲げると、重心を低くして霞の構えをとった。
「新藤さん、下がって頂けますか?」
「っ⁉ はい」
新藤は眼前に佇む人外の存在を前に、拳銃を構えながらゆっくりとしさった。
「お前に聞きたいことがある。今回の五島さんの冤罪事件、あれを画策したのはお前か?」
三正の質問に霊魔は声を顰めて笑う。
「どうした? 俺たちが怖くて言葉も出ないか?」
三正が挑発すると、
「そうだと言ったらぁ、どうするぅ? 憐れんでくれるかぁ?」
「薙ぎ祓う。それだけだ」
次に、三正は霊魔との距離を極限まで殺すと、強烈な袈裟切りを打ち込んだ。
だが、霊魔はそれを、手に持っていた球体状の眼球で軽々と防御する。
「自己紹介もなしにぃいきなり切り込んでくるとはぁ、礼儀を知らぬ不敬者がぁ」
「霊魔どもの名前なんか知ったところで意味ねえからな。面倒だから即行で終わらせるぞ」
三正は先の一太刀を防がれたことで、手を抜いて勝てる相手でないと判断すると、霞の構えの状態で身体を流れる神氣を捻り出した。
身体から溢れ出る神氣が、構える剣に集約していく。
神氣で満たされた霊葬剣の刀身は、眩い煌めきを放っている。光輝に惹かれるようにして、さらに膨大な神氣が舞い降り、より一層煌々と輝きを増していく。
「何というぅ、神氣だぁ」
顔などないが、単眼を歪ます霊魔のそれは、苦虫を噛み潰したと表現していいだろう。身体を震わせて怒気を放ちながら、こちらを凝視している。
「ならばぁ、こちらも手加減はぁなしだぁ」
「⁉︎」
三正は霊魔の次の手を察知すると、風を切るようにして霊魔目がけて突進した。
「ぬうぅ?」
両手を広げて次の手を繰り出そうとしていた霊魔だが、三正のあまりの駿足に気をとられる。
しかし、三正はこれに太刀を与えようとせず、そのまま、突進の勢いで体当たりをかました。
「ぬおおおぉ!」
霊魔の後方には、外部を一望できる窓枠があった。三正の体当たりを受けた霊魔は勢いよく吹き飛ばされ、社務所の外へ放り出される。
「佐岡さん、守護霊術による戦闘を開始する。萩原さんに次間の敷設申請をするように伝えてくれ!」
「分かった!」
佐岡は、端末を手に取って海母大神宮の零護署で待機している萩原に連絡をとった。
――はい、こちら神官統制本部。
海母大神宮に待機する守護神官の声がした。
「祭儀守護神官、佐岡です。たった今、武闘守護神官、三正が、潜伏していた霊魔と交戦状態に入りました。場所は貝村八幡神社境内、戦闘による多大な被害が予想されるため、現実空間との隔離を図る次間の敷設を要請するよう、萩原守護神官にお伝えください」
――了解しました。しばらくお待ちください。
霊魔を弾き飛ばした三正は、所長室の窓から飛び降りた。通常なら高所からの着地により、骨折は必至だが、神氣による霊術と受け身を巧みに扱って、衝撃を和らげた。
「階段から降りてくれば良いものをぉ。愚かな奴だなぁ」
身体に走る衝撃を完全に消すことが出来ず、若干顔を歪める三正に霊魔はほくそ笑んでいた。
「その間に逃げられたら溜まったもんじゃないからな」
「まあぁ、良いぃ」
霊魔は再び両手を広げると、解読不能な詠唱を唱えた。
「⁈ 何――‼︎」
突如、地面が迫り上がる。亀裂を刻みながら捲れ上がった地面の破片が周囲に散らばる。
霊魔は、束の間に三正よりも高い場所へと位置を変えて、大きな単眼により俯瞰していた。
「何だよ……そりゃぁ」
眼前には、山のような巨躯を誇る無数の目をギラつかせる霊魔獣が三正に視線を放っていた。身体は焦茶、筋肉で膨れ上がった両腕が地面を掴んでいる。頭部には大きな口があり、他には何もない。
「どうだぁ」
三正は攻めあぐねていた。
「ひやっひゃっひゃぁ、もはや諦める他あるまい。そうだ折角だ、私のぉ名を聞いておけぇ」
霊魔の言葉と同時に、霊魔獣の口部が開いた。中から巨大な単眼が現れて、三正に殺気のこもった視線を放つ。
「私はぁ、百視入道ぅ。貴様の神氣ぃ、骨の髄まで喰ろうてやろぉ」
「……佐岡さん、早く」
三正の表情は非常に険しい。
** *
――佐岡さん、聞こえるかしら。
聞き覚えのある声がした。
「萩原さん! 佐岡です。三正く――」
――大丈夫よ、全て聞いているわ。本省に今、申請を送ったところよ。じきに許可が降りるわ。急いで準備をお願い。
「はい!」
佐岡は、新藤に目を向けて、
「新藤さん、少し手を貸して下さい」
「何でしょう」
「零護署に待機している祭儀守護神官に動員をかけて下さい。先ほど萩原さんが本省に幽次元間の敷設許可申請を送りました。幽次間敷設に備えて、本神宮に待機している祭儀守護神官に人員の要請をお願いします」
「分かりました」
新藤は携帯していた無線機を手に取って、零護署に人員要請をかける。
「こちら、神官統制員、四ツ谷警察署の新藤です。三正氏と霊魔が交戦中、ほどなくして幽次間領域の敷設許可が神祇省より下ります。祭儀守護神官は準備をお願いいたします」
――貝村零護署、了解。しばらく持ち堪えて下さい。
** *
貝村神社社務所前の参道。
三正と百視入道、そして霊魔獣が睨みあう。
「……くそ」
近くに御神体を奉る本殿があり、損壊を避けるため、派手な戦闘を繰り広げるわけにはいかない。
〈御神体〉は、神社に祀られている神氣の集合体。神氣を生み出す存在であり、古くから神霊として語り継がれている。
「何をぉ、動揺しているぅ?」
「関係ないな」
三正は平静を取り繕う。
「分かるぞぉ、御神体が心配なんだろうぅ?」
「……」
「案ずるなぁ、本殿、いや、この神社を崩壊させるような真似はぁ、せん」
百視入道は、単眼を細めて言う。
「待ってやるぞぉ」
目をにやつかせながら、不気味な声色を放った。
「何のことだ?」
三正は惚けるが、
「幽次間を敷こうとしているんだろうぅ? そりゃあそうだ。貝村八幡神社が壊れてしまっては御神体が台無しになってしまう」
御神体の神氣が滞らないようにするには、受け皿となる本殿と神氣を循環させるための広い境内が必要となる。境内の敷地は御神体の神氣量が多いほど、濃度が高いほど、広大なものを必要とする。
千軍万馬の霊魔であれば、それを把握しているため、神社の損壊は他人事ではないことを十分理解している。
「……好きにしろ」
三正は構えを僅かに解いて剣先を下げた。
** *
「境内全域を、ですか⁈」
応援要請を受けた祭儀守護神官六人は、無線越しに萩原が放った言葉を復唱する。
――ええ、お願いします。
「交戦場所と周辺だけではいけないのでしょうか?」
――現場から入った情報によると、霊魔が巨大な魔獣を召喚したそうです。境内の神氣の流れも乱されていることから、かなり霊格の高い霊魔であることが予想されます。範囲の狭い幽次間では、破られる可能性がある。
「……分かりました」
六人の祭儀守護神官は幽次間を敷設するための神具を携えて、神社全域を取り囲むように定位置に向かい始めた。
** *
三正と百視入道が睨み合って十五分ほど経過した。
「遅いなぁ、次間を敷くのにぃこうも時間がかかるのかぁ?」
百視入道は訝る。
(佐岡さん、まだか……)
「――ふぅぅぅ、まぁ、私は一向に構わんぞぉ。貴様の死が長引くだけの話だぁ、だがぁ、余りにも長引くようならぁ、話は別だぁ」
百視入道は、呆れた様子で頭を掻いている。
「……それにぃ、私はもう少し待つつもりでもぉ、こやつがぁ、そろそろ限界だぁ」
自身が腰を据える霊魔獣を俯瞰しながら言った。
「そうかぁそうかぁ。もう待てんか、もう――」
百視入道の声が轟音と暴風によって途切れた。
霊魔獣の岩の如く拳が振り下ろされ、周囲の大地を抉り取った。
「ほぉぅ」
百視入道は、にやけた眼つきを保ったまま、視線を右へ移す。そこには、魔獣の強烈な一撃を躱して受け身を取る三正の姿が映っていた。
「いきなり、殴りかかってきやがって。なら、こっちももう容赦しねえぞ」
剣を高く構えて、意識を集中させた。纏う神氣がより一層輝きを増していく。周囲はまるで、日中のような明るさとなった。
ただならない空気に、知性が乏しいであろう霊魔獣も流石に警戒したのか、次の一撃を放つ気配がない。
そのとき、
――こちら、祭儀守護官佐岡です。三正君、聞こえる?
無線の端末から佐岡の声が聞こえた。
「三正だ」
待ち侘びたように返した。
――幽次間領域敷設の準備が整いました。今から、この神社一帯に次間を敷いていくわ。私もすぐそっちに行くから。待ってて。
「神社一帯⁈ ああ、だから、少し時間がかかっていたのか」
しばらくして、夜空が暗い青色に姿を変えていく。
周囲の街灯は赤紫の炎が揺らめく光となり、人の気配や動物、虫の鳴き声一つ聞こえなくなった。眼前に広がる光景は明らかにこの世のものではなかった。
幽次間に入った。
三正は確信すると、
「これより、武を執り行う。我が下へ降り給え」
詠唱を放った。同時に天から一筋の光が、掲げる剣目がけて舞い降りた。
剣に集約された神氣が膨張して飛散すると、中から三正の守護霊が姿を現した。
「それがぁ、貴様の守り霊かぁ」
百視入道は、苦々しい目で凝視している。
「ああ、そうだ。しっかりそのでかい眼に焼きつけとけ」
三正の背後には、光を身に纏った巨躯の犬の姿をした守護霊が、燦然とする瞳から攻撃的な視線を放っている。
「悪いな。この野郎、お前の霊魔獣を噛みちぎりたくて、うずうずしてるらしいわ」
「んん?」
次の折、霊魔獣の隻腕がえぐり取られたかの如く、消え失せる。
「何だと⁉」
目を丸くする百視入道をよそに、三正の守護霊が噛み千切った腕をくわえたまま駆け、一気に距離を詰めてくる。
「ぬうぅ‼」
慌てて、やけくそ気味に霊魔獣へ命令を下す百視入道だったが、正確性に欠ける攻撃など、武闘守護神官の三正には、難なく躱せる一撃だった。
ひらりと身体を捌いて霊魔獣の攻撃を往なすと、守護霊を使役して霊魔獣の首元に牙を突き立て、追い打ちをかける。
更に三正自身は守護霊の攻撃により、体勢を崩した霊魔獣から放り出された百視入道を視界に捉え、距離を瞬く間に殺し、大きな単眼の中心目がけて刺突を繰り出した。
声をあげることなく、苦痛の視線を放ちながら百視入道は地に伏した。
同時に、身体の勘所を失った霊魔獣は、うめき声を上げながら霊体を崩して霊気の藻屑となった。
「後はお前だけだ」
三正は縦切りを振り下ろす。勝負は決した。
「馬鹿めぇ」
かに見えた。
切り伏せたはずの百視入道は姿を晦ました。
「これは……」
あちこちに百視入道の姿が見える。分身のように見えるが、邪気の濃縮されていない姿を見て、確信する。
(幻術だ)
いつの間にやら仕掛けられていた。行使条件は恐らく目を合わせたことによるものだろう。
三正は、百視入道の動きを捉えては切り伏せるが、手ごたえがまるでない。
「くそ、キリがない……」
冷静に対処していたつもりだったが、術中に嵌っている、という焦燥が視野を狭め、理性を失わせる。
「どおぉしたぁ? 早く見つけんとぉ殺ってしまうぞぉ」
三正は省約儀式、見知法を行使して百視入道の居場所を炙り出そうとするが、叶わない。武闘守護神官は神氣を纏った武術による近接戦闘、〈剛法〈ごうほう〉〉を主な戦闘手段としている。その他の神前儀式霊術は基礎程度のものしか扱えない。
三正の見知法は、祭儀守護神官のそれと比較すると精度はだいぶ劣る。
「ぐがっ!」
探ろうにも全て空振りに終わり、百視入道の度重なる奇襲が着々と三正を追い立てる。
「そろそろぉ降参して、首を差し出した方がぁいいのではないかぁ」
「ふざけるなよ。お前は絶対に俺の手で打ち倒す。そして五島さんの無実を完全に証明する」
「愚かなことだぁ」
百視入道のほくそ笑む声だけが幽次間内に響き渡る。
三正は構えを解いて、その場に腰を下ろし胡座をかくと目を瞑り呼吸を整える。
傍から見れば、諦めたようにも映るだろう。
突如、三正は抜刀及び逆袈裟に太刀を切り上げた。
「⁉︎ むうぅ⁈」
手ごたえあり。
三正の一撃を受けた百視入道が姿を現しながら、怪訝な目つきで凝視する。
「そこにいたか」
「何故場所がばれたぁ、まぐれかぁ……」
百視入道は再び姿を眩まして三正に奇襲をかけるため、音も邪気もたてずに忍び寄る。
勝負あった、と言わんばかりに単眼から光線を放つが、避けられた後、速攻、横薙ぎを喰らった。先の一撃よりも深く入っている。
「どうなっているぅ?」
感知できないはずの自信に順応出来て、更に反撃も正確さを増している三正に焦燥を募らせ、単眼を充血させて怒りを露わにする。
「相手が俺だったのが運の尽きだ」
自身の守護霊を指しながら、得意気に言葉を放つ三正。
そのさまが、なおのこと百視入道をいらつかせた。
〈守護霊の加護〉
守護神官がうちに宿す各々の守護霊が持つ特殊能力。その内容は当然、守護神官ごとで多種多様である。
三正照好の守護霊が持つ加護は「霊臭感知」。霊から発せられる霊臭を通常人間が感知できる千倍の感度で探り当てるもの。
これにより、姿、霊気を完全に晦ました百視入道の居場所を正確に炙り出すことが出来た。
「さあ、来い。ずいぶん手こずったが、お前の攻撃手段も大体把握出来た」
強気になる三正。
途端に静かになる百視入道。
僅かな悪寒を感じ取り、構える剣を握る両手から片手を外し、身に纏っていた外套に手をかける。
(こいつ……そろそろ来やがるな)
一層気を引き締めた。
霊魔たちが持つ能力のなかに厄介なものがある。
〈憑依〉。言葉のとおり、霊に憑かれること。霊障の蔓延る一般社会では、聞き慣れた単語であるが、霊魔のそれはそんな生易しいものではない。
「貴様の神氣を根こそぎ喰ってぇやるぅぞぉ」
怒気のある声だけが響く。
霊魔に憑依されると、神氣を根こそぎ吸い尽くされてしまう。それは生命にとって「死」
以外の何でもない。
三正は身に纏っていた外套を掲げた。
守護神官の外套には霊を祓う祓法の術が施されている。儀式術に乏しい武闘守護神官にとって重宝する代物だ。
外套を盾代わりにして守護霊を使役し、周囲に意識を集中させる。
守護霊が激しい咆哮を放つ。
三正はその咆哮が放たれた場所へ強烈な刺突を打ち込んだ。
「ぬうううおおおおおお‼」
姿こそ見えないが、繰り出した穂先が百視入道の心の臓を完全に捉えている。
霊魔の鎮圧方法は心の臓か脳、若しくはその両方を神氣の宿る神具で破壊すること。
百視入道の身体は青白い炎を上げながら徐々に崩れ去っていく。
一本か? 三正は確信と疑念がない交ぜとなった表情を湛えながら、警戒する。
「馬鹿めが――」
三正を覗く単眼が今までになく、にやりと歪む。
「⁉」
咄嗟に異変を察知した三正は、即座に突き刺した剣を引き戻して間合いを取ろうと踵を前に向けたまま後退する。
しかし、
「貴様はぁ、既にぃ我が術中成りぃ」
三正を包む幽次間空間が暗く黒ずんでいく。周囲の風景は闇の中に溶けこんで見えなくなった。前後左右の感覚も分からないほどだ。
「これは……」
三正は眉を顰めて把握も出来ない周囲を一瞥する。
(この野郎、陰間へ引きずり込もうとしてやがる!)
顔面蒼白となった。
幽次間の空間には、陽間と陰間の二つの領域が存在する。
陽間は、生者が足を踏み入れることが出来る領域。
陰間は、死者しか踏み入ることの許されない霊界への領域。
つまるところ、百視入道の最後の奥の手は道連れである。
「ひゃっひゃっひゃぁ。霊界の藻屑となって消え失せえぃ!」
三正は捨て鉢に守護霊を使役して脱出の糸口を掴もうとするが無駄だった。
「くそ……」
「霊、祓、照」
守護神官の詠唱が三正の耳を突く。
次の瞬間、百視入道の術は消滅し、周囲の黒ずんだ景色が払拭され明瞭となっていった。
「何ぃぃ!」
百視入道は目をひん剥いて周囲をしきりに見渡し、術を解いた張本人を視界に捉えると、怒髪衝天の眼差しをおくった。
「佐岡さん!」
「三正君、御免ね。到着が遅れて」
歩を進めこちらに来る佐岡は、使役する守護霊を浩大に咲き誇らせている。
蓮華の様相をした無数の守護霊が神氣による眩い光を煌々と放ち、霊魔の禍々しい術により生じた闇を照らし消し去っていった。
「助かった。ありがとう」
佐岡は首を横に振る。
「誰だぁ、そ奴はぁ? 貴様の相方かぁ?」
「そうだと言ったら」
三正の言葉に対し、
「諸共、消し去ってやろぉ」
百視入道はまたしても、先の術を行使しようと単眼を大きく開いて周囲を闇に染めていく。
佐岡が扇子をはばたかせ、守護霊を使役する。
「むおおぉ!」
させまいと、百視入道が佐岡に向かって距離を詰めた。纏う衣装の中から、枯れ木のような腕を出すと、手に握る巨大な鉈を振り下ろす。
佐岡は思わず目を瞑りながら、手をかざす。
だが、百視入道の鉈は佐岡に当たることなく、地を割いた。
「怪我はないか?」
携える剣を振るい、百視入道の一撃をはらった三正が問いかける。
「あっ、ありがとう」
安堵した面持ちで佐岡が呟く。
「お互い様だ」
三正は口角を上げて応えた。
「色ごっこなどせんでえええぇぇ!」
百視入道は、ますます激昂する。衣装の中から枯れ木の如く腕が更に数本生えて出ると、それぞれの手に鉈、鎌、鍬、と年季の入った凶器を握って、二人を睨みつけた。
次に瞬きをする間、疾風のような速度で三正と佐岡の脳天目がけて凶器を振り下ろす。
「はあああ‼」
三正は、身体の底から大音声をひり出して、決河の如く迫りくる凶器の波を打ち伏せた。
「はあ、はあ、はっ、」
力を振り絞った三正は、全身から汗を流し、激しく息切れを繰り返す。
束の間、百視入道が単眼を赤紫色に発光させて、三正と視線を合わせると、身体を赤黒い霧状に変形させはじめた。
(ここでくるか!)
憑依の術に備えて、三正は慌てて外套をかざして視線を遮ろうとした。
それよりも早く、百視入道が三正の懐まで迫る。「貴様の身体は貰った」と言わんばかりの不敵な感情に単眼が歪んでいた。
しかし突如、跳ね返されるように百視入道は身体をのけ反らせて、地表に転げ落ちた。
「むうぅ⁈」
三正と百視入道との間合いを隔てるように神氣の壁がガラスのように張り巡らされていた。透明な祓法の防壁が神氣の光を反射させて煌々と輝いている。
「私が抑えるわ。行って!」
佐岡の施した祓法により、憑依術は遮られた。
神前儀式に長けた祭儀守護神官が障害になると判断した百視入道は、怒髪天をついた咆哮を上げながら、再び、幾本もの腕に得物を掲げると三正を横目に佐岡へと迫る。
「佐岡さん!」
三正が、駆けて追いつこうとするが、宙を浮遊する霊魔の動きは圧倒的に早い。
「破あぁっ‼」
三正は剣を両手に握り締めて、神氣を込めると力の限り振り下ろした。
凄まじい剣圧が周囲の地表を削り取る。その動きに応じた守護霊が犬歯を剥き、超速で百視入道に追いつく。
「がああぁ!」
三正の守護霊が牙を突き立てて百視入道を頭上へ放り投げた。
百視入道は崩れていく自身の身体を意にも介さず、佐岡を睨みつけて次の手を講じようとする。
そこへ、容赦なく守護霊の牙が百視入道に再び突き立てられた。何度も顎を上下させて噛み砕く音が周囲に響き渡る。
「ぐおおぉぉ……」
百視入道のうめき声が闇夜に響いた。
守護霊は、三正の前にくると、おもむろに開いた口内から青白い握り拳大の炎を地面に吐き落とす。
燃やす対象がないにもかかわらず、炎はなおも揺らめいている。
「……終わった」
霊魔の鎮圧を確認した三正は端末を手に取り、
「こちら、守護神官、三正。霊魔の鎮圧を完了しました」
――統制本部了解。
本部から返答がくる。
「佐岡さん。頼んだ」
「ええ」
佐岡は頷くと、霊魔の炎に向かって歩を進めて「浄霊」に取りかかる。
霊魔は、神具によって打倒して終わりではない。霊体を打ち消した後に残る魂の残りかすである〈骸火〉と呼ばれる炎を消さない限り、いずれまた復活してしまう。
骸火を消し去る方法は、守護神官による神前儀式の一つ、霊の浄霊を行う「浄法」を行使すること。省約儀式によって、簡略化することが出来ない儀式であり、正規の手順をたどって緻密な霊術を施す必要があるため、武闘守護神官では対処することができない。
「消浄清華」
佐岡は、骸火を取り囲むように守護霊を咲かせると、浄法の詠唱を唱える。
(これで終わりか、結局こいつは五島さんを犯人にして何をするつもりだったんだ?)
百視入道の残りかすは、次第に勢いを鎮め、やがて消え失せようとする――
「教えてやろうかぁ?」
心のうちを見透かすように百視入道の嘲笑するような声が耳を突いた。
「何⁈」
三正が消え行く骸火に目を向ける。
「五島を陥れる算段をしたのはぁ……私ではなあぁい」
三正と佐岡は目をむく。
「我々のぉ、真の目的はぁ――」
炎が完全に消える寸前。
――海母大神宮だ
百視入道の声はそれ以降、途切れた。
それを確認した三正は、顔を曇らせながらも端末の時刻表示を見ながら、統制本部へ報告を入れる。
「泰礼二十八年八月四日午後十一時五十七分、松縄市怪死事件に関与していたと思われる霊魔の鎮圧及び浄霊を完了」