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運命のつがいに選ばれたので、お互いを知るところから始めます。

作者: 南田 此仁

2021年頃の作品です。

「娘、名は?」


それは見上げるほどの長身。

短く切り揃えられたまばゆい白銀の髪に、炎を閉じ込めたかのような紅い瞳。

年の頃は二十代後半だろうか。服越しにもわかるほど鍛え上げられた体躯に黒の正装を纏い、深紅のマントをなびかせている。


何も言われずとも目の前に立てば自然と跪きたくなるような、そんな有無を言わせぬオーラが青年にはあった。


「ル、ルニーネ=イグスノーと申します、閣下……」


あまりの迫力に震える手でなんとかドレスの裾を摘まみ、この日のために練習してきた淑女の礼をとる。


今日は王室主催のデビュタントボール。

今年デビュタントを迎える、18になったばかりの令嬢令息が一堂に会する日。

お父様にエスコートされ、緊張に固くなりながらも恋愛小説のようなロマンチックな出会いに胸をときめかせてホール入りした――まさにその瞬間である。

この青年が、長い脚でつかつかと歩み寄ってきたのだ。


この方は誰!? お父様、助けて!


チラリと隣を窺えば、王族へ向ける最敬礼をとって深く腰を折るお父様がいた。

でも、さすがに国王と王太子の姿は知っている。二人とも綺麗なブロンドに碧眼だったはずだ。


「イグスノー、貴殿の娘か」


「はっ」


「婚約者は?」


「まだおりません。失礼ながら……娘が何か……?」


「これは俺の(つがい)だ」


「っ!」


ザワッ


お父様が息を飲む。

周囲でこちらの様子を窺っていた大人達も、その言葉に一様に驚きを示した。


つがい、って……?


何やらただならぬ反応にそわそわと周囲を気にしていると、スッと目の前に大きな手の平が差し出された。


「ルニーネ、俺の(つがい)。俺の名はヴァルティアド=ラグナ。是非一曲、お相手願えるだろうか?」


助けを求めるようにお父様を見れば、逆らうなとばかりにコクコクと頷いている。

入場する時は『ルゥは可愛いから変な男が寄り付かないか心配だ。もし困ったらすぐにお父様の元に来るんだよ!』なんて言っていたくせに、お父様の裏切り者ーっ!


「ええ……、よ、喜んで……」


おずおずと重ねた手をとられ、ちゅ、と口付けが落ちた。



お父様やダンスの講師以外と踊る、初めてのダンス。

ステップを間違えてしまうのではとか、足を踏んでしまったらどうしようとか、そもそも身長差がありすぎて踊りにくいのではとか、そんな心配はすべて杞憂に終わった。


何故なら私は今、がっしりと腰を支えるヴァルティアドの腕の力だけで、ちょっぴり宙に浮いているから。

おかげで、それこそ滑るように華麗な踊りぶりだ。


床に足がついていたなら、すでに何度かヴァルティアドの足を踏んでいただろう。

……そう考えると、これは彼の自衛手段なのだろうか?


「パーティーで踊るのは初めてか?」


華麗なステップを披露しながら、至近距離で耳触りのいい低温が響く。


「はい……。(つたな)くて申し訳ありません、閣下」


「堅苦しい呼び方は好きではない」


急に話が変わった。


「……ラグナ様?」


「……」


見上げれば無言で左右に首が振られる。


「ヴァルティアド様……?」


「……」


またも首が振られる。

家名でもない、ファーストネームでもない。これ以上なんと呼べと言うのだろう。

ヴァルティアドからは、返事を待つような無言の圧が放たれている。


「………………ヴァ……、ヴァル、ト……様?」


怒られやしないかとビクビクしながら思い付きを口にすれば、嬉しそうに笑みを象った瞳が私を見下ろした。


「ああ、それはいいな」


「!」


お父様以外の男性とこんなに密着したのも初めてなら、奥に熱を(くすぶ)らせた瞳で優しく見つめられるのも初めてで、先ほどから心臓がうるさい。

これは絶対、ヴ……ヴァルトにも、伝わっている。




「ルゥ」


甘い声に、耳の奥でドクンと鼓動が鳴る。


「――と、そう呼ばれていたな? 父親には」


「はい……」


会場に入った瞬間の会話まで聞かれていたなんて! 幼子のような愛称の恥ずかしさに顔が火照る。


「俺も、ルゥと呼んでも?」


「えっ!?」


「ダメか? ……それとも、この名を呼ばせると心に決めた男が?」


細められた瞳に剣呑な色が混じり、慌ててふるふると首を振った。


「い、いえ、決してそのような方は……っ! ヴァ……ヴァルト様さえよろしければ、ぜひ『ルゥ』と……」


ああ、私はなぜ会ったばかりのよく知りもしない男性に愛称呼びを許しているのだろう。長いものに巻かれやすいところは、まったくお父様そっくりだ! これではお父様だけを責められないではないか。


曲が終わり、向かい合って礼をとる。

ゆっくりと顔を起こすと、また手を引かれてすっぽりと腕の中に閉じ込められた。


そのまま次の曲が始まり、再びちょっぴり宙に浮きながらくるくるとホールを舞う。

しっかり支えられている安心感もあるし、二曲目ともなればこの妙な浮遊感を楽しむゆとりも出てきた。


「ルゥ、ルゥ。俺のことはどう思う? 俺を見て何か感じないか?」


「えっ! と……、とても素敵な方だと……」


こちらを見つめる切れ長の瞳、きりりと男らしい眉、すっと通った鼻梁は高く、引き結ばれた薄い唇は機嫌よさそうに緩く笑みをとる。


「他には?」


「ええと……堂々とされていて、頼もしい感じがします」


「他は?」


「ダンスがとてもお上手で……それから……」


「それから?」


「こうしてくっついていると、ド……ドキドキ、します……」


何を言わされているんだろう!

何を言わされているんだろう!?


「ふっ、そうか。俺もドキドキしているぞ」


おそらく求められている答えは返せていないのに。

どう見ても落ち着いて余裕たっぷりのヴァルトは、楽しそうに笑みを深めた。




二曲目も終わり、ダンスの輪から抜ける。

ホールを見渡しお父様の姿を探せば、他の令嬢の付き添いだろう父親同士で歓談中のようだ。


「動いて喉が渇いたろう」


通りがかりの給仕のトレーからグラスを二つ取り、ヴァルトが片方を差し出してくれる。


「ありがとうございます」


透明感のある金色の綺麗な飲み物。

初めてのパーティーに緊張して喉はカラカラだったので、受け取ったグラスをありがたく一息に煽った。


変わった風味で少し喉の奥が熱くなるけれど、シュワシュワと面白い口当たりだ。

――そうだ、ずっと気になっていたことを聞いておかなくては。


「ヴァルト様、最初におっしゃっていた『つがい』とはなんですか?」


「ん? そうだな……己が半身、魂の片割れ、存在意義そのもの、といったところか」


「……?」


よくわからない。

でもなんだか、とても重要そうな感じはする。


「とっても大切……?」


「ああ。己の命よりも」


「……その、『つがい』が……私?」


「ああ」


えーと、それなら私は、ヴァルトに大切にされるということ?

それは恋人や結婚相手とは何か違うのだろうか?

だって生涯たった一人の相手なんて、えーと、えーと……ああダメだ。なんだか視界がグルグルしてきた。


「っと。……ルゥ? どうした?」


ヴァルトの逞しい腕が、ふらついた私の身体を危なげなく抱きとめる。


「なんだか……ヴァルトさまが三人にみえます……」


「あー、酒は初めてか?」


「おさけ……?」


「……すまない。城に俺用の部屋があるから休んでいくといい」


のぼせてしまったように頭がフワフワとして、正しく言葉を処理できない。

なんとか『休む』という単語だけ拾ってコクコクと頷くと、私は力強い腕の中、まどろみに飲まれるように意識を手放した。




懐かしい夢を見た。

子供の頃大好きだった、おとぎ話の絵本。


その昔、太陽神が世界を創った。

大地を、野山を、火を、水を、生き物を。

けれど光の届かない夜が来ると、世界には宵闇の魔物が蔓延(はびこ)った。

光ない世界で、太陽神の子ども達は次々と魔物に蹂躙されていく。


そこに現れたのが、闇翔る月明の翼竜だった。

銀の光を纏った翼竜は圧倒的な力で宵闇の魔物を一掃すると、再び魔物達が暴れだすことのないよう、その身を夜の中に置いた。

闇を照らす月となって。


優しく繊細なタッチで描かれた挿絵が好きで、中でも月明の翼竜が大きな両翼を広げ、きらきらと光を散らしながら夜空を舞うシーンがお気に入りだった。


夢の中で私は、目の前に降り立った月明の翼竜の巨体に抱きつき、冷たそうな見た目に反して意外にも温かなその身体にぺたりと頬を寄せていた。




「んん……」


「目が覚めたか?」


「や……、もうちょっと……」


優しく頭を撫でられる感触が心地いい。

頬に触れるすべすべとして温かなそれを抱きしめ、むにむにと顔を押し付ける。


ちゅっ


頭頂部に口付けが落ちる。

温もりに包まれながら、幸せな心地で再び眠りに落ちようとして———ふと気が付いた。


あら? パーティーは?


自分は王城でデビュタントボールに参加していたはずだ。

段々と思考が目覚めてくる。


この……温かなものは何?


重たいまぶたを押し上げれば、目の前は一面小麦色。


「……?」


枕でも布団でもない、これは何? 壁?

ぺたぺたと壁に触れていると、頭上から楽しげな低音が降ってくる。


「なかなか積極的だな」


声に釣られて上を見上げれば――驚くほど近くに精悍な顔があった。


「———っきゃあぁぁぁ!!?」


「俺の婚約者殿は朝から元気だな」


すがるように布団を引っつかんでベッドの端まで後ずさる。


「それ以上下がっては落ちてしまうぞ? ほら、危ないからもっとこっちへ来い」


「ヴァ、ヴァルト様!?」


「ああ。おはよう、ルゥ」


「あっ、おはようございます……」


待って待って待って。

一旦状況を整理しよう。


目の前にいるのは、パーティーで一緒にダンスをしたヴァルト。

今は上半身裸で鍛え上げられた肉体を惜しみなく晒している。すごい……眼福……と、それはさておき。


私達がいるのは、大きなベッドの上。

ぐるりと見渡しても見覚えのない豪華な室内。

視線を下げれば……私は薄い肌着一枚だった。


「きゃあぁぁぁ!!」


慌てて布団を巻きつける。

こ、これは、この状況は……。


「ま、まさか、いっいい一夜の過ちを……!」


「あったとて決して『過ち』ではないが、誓って手は出していないぞ。意識のない相手に無体など働くものか」


「でっ、でも、服が!」


「ドレスを脱がせたのは侍女達だ。そのまま寝かせては苦しかろうと思ってな。ルゥは昨夜、酒を飲んですぐに眠ってしまったんだ」


「あぁ……、よかった……」


知らぬ間に大人の階段を駆け登っていたわけではないとわかり、ほっと息を吐く。

――ん? 結局肌着姿を見られているのだから、何も安心できないのでは?


「起きたなら朝食にするか」


きゅぅぅ〜


お腹の虫が真っ先に返事をした。

だって先ほどから室内には、焼きたてのパンやベーコンの香りが充満しているのだ。


「……」


堪らない羞恥に目が潤む。顔が熱い。

そういえばパーティーの前、最高の状態でドレスを着たいからと張り切って食事を抜いたきり、何も食べていない。


「そんなに愛らしい顔をするな。これでも随分と自制しているんだ」


ベッドの上で距離を詰めたヴァルトは、そのまま巻き付けた布団ごとひょいと私を抱き上げた。


おくるみに巻かれた赤子よろしく運ばれていき、椅子にかけたヴァルトの膝に横抱きに乗せられる。


「……あ! お父様は!?」


急に私がいなくなって、大層心配しているのではないだろうか。


「心配するな。昨日のうちに話をつけてある」


「そうですか、よかった……。ありがとうございます」


「なに、気にするな。ほら」


ちぎったパンを口元へ差し出され反射的に口を開けば、バターの香るやわらかなパンが放り込まれた。


「……美味しい」


「そうか。もっと食べるといい」


再び口元へパンが差し出される。


「あのっ、私、自分で食べます!」


少し驚いたように手を止めたヴァルトは、ゆっくり上から下まで私を眺めると、フッと鼻で笑った。


そうだった。

私は今みの虫状態でグルグルと布団に巻かれ、手も足も出ないんだった。

これでは自分で食事などできるはずもない。


「あ、服っ! 服は……?」


「ちゃんとシワにならないよう掛けてある。後で着替えに侍女を呼ぼう。それより今は、ほら。腹が減っているんだろう?」


目線で示され背後の壁を見れば、昨日のドレスが吊るされている。


ひとまず着替えがあることに安心した私は、美味しそうな香りに負け、今度こそ差し出されたパンを頬張った。



「結婚……!?」


「ああ。やはり式はしたいだろう?」


侍女を呼んでもらいドレスへと着替えながら、衝立て越しにヴァルトと話す。


「ええ、ウェディングドレスには憧れます……って、そうではなくて! け、結婚するのですか? 誰が? 誰と??」


「俺とルゥの結婚に決まっているだろう」


「そそそそんなっ、まだ付き合ってもいないのに!!?」


「夜会でダンスを二曲続けて踊るのは、恋人か婚約者だけだ」


「……へ?」


「踊ったろう? 二曲」


「え、ええ……」


そういえばそんな事もあったような。


着替えの手伝いを終えた侍女は失礼いたしますと言い置いて速やかに退室していく。

私は衝立ての裏から出て、ソファに座るヴァルトに手招きされるがまま隣に腰を下ろした。


「あれで対外的な交際宣言は済んだ。ルゥを俺の部屋で休ませるにあたり、イグスノーに暫定的な婚約の許可も取り付けてある」


「お父様に……?」


「ああ、我らが番を何よりも尊ぶのは周知の事実だからな。昨夜も、俺になら任せても問題はないと判断したのだろう。……単に引き剥がすことを諦めただけかもしれないが」


最後の方は小声でよく聞き取れなかった。


「あとはルゥの気持ちだけだ。……ルゥは俺が嫌いか?」


瞳を覗き込んで問われ、咄嗟に首を振る。

ヴァルトはちょっと……いや、かなり……いや、信じられないくらい強引ではあるけれど、不思議と嫌な感じはしない。

ちょっぴり浮きながら踊るのも楽しかったし、今朝だって私に触れる手はどこまでも優しくて、こんな状況だというのに身の危険よりも居心地のよさを感じてしまっている。

けれど……。


「私、ヴァルト様のことをまだ何も知りません。……会ったばかりの私を、なぜこんなに気にかけてくださるのかも」


「む? なるほど……」


ヴァルトは顎に手をかけ思案するように目を伏せると、やがてパッと顔を上げた。


「よし、デートをしよう!」


「デート……?」


「ああ。本能的直感の薄れた人間(・・)達は、デートを重ねて互いを見極めるのだろう?」


「? はぁ、まあ……」


「では決まりだ」



そのままで構わないとか城の湯殿を使えばいいとか言う諸々の申し出を断った私は、決して離れようとしないヴァルトと連れ立って自宅へ戻り、急いで湯浴みをして身支度を整えた。

その間、ヴァルトもお父様と二人きりで何やら話し込んでいる様子だった。


コンコンコンコン


応接室の扉を軽くノックする。


「お待たせしました」


「ルゥ!」


ヴァルトが立ち上がって出迎えてくれる。

数年ぶりに再会した恋人のようにきつく抱きしめられ、腰を抱かれて隣に立った。


「それではデートに行ってくる」


「ラグナ様、娘をくれぐれもよろしくお願いいたします」


「ああ、案ずるな」


ヴァルトは深く頭を下げるお父様に軽く手を振ると、私を連れて屋敷を出た。


「どこに行くんですか?」


「さて、どこに行くかな。何しろデートというもの自体初めてだからな」


向かい合って馬車の座席に座ると、ヴァルトは楽しそうに笑う。

こんなに見目もよく自信に満ちたヴァルトが、この歳になるまでデートもしたことがないとは驚きだ。


「そうだな……。折角だ、ルゥの好きな場所へ行ってみたい」


「えっ! 私そんな、面白い場所なんて知りませんよ? よく行くのも雑貨屋さんとか手芸店とか、ヴァルト様が行っても楽しめないようなお店ばっかりで……」


「ルゥの好きなものを見てみたいんだ。俺に合わせる必要はない」


そう言われてしまえばそれ以上断るのもためらわれ、結局私はよく行く可愛らしい雑貨屋へとヴァルトを案内するのだった。



実際街へ出てみれば春先という時期も相まって、街のあちらこちらで春めいた色合いの新商品が売られている。


「あ! あそこのお店も見ていいですか?」


自分にとっても初めてのデートだということも忘れ、つい買い物に夢中になってしまう。


片時も離れずしっかりと私の腰を抱いたヴァルトは、しかし私の行動を制限することはなく、女性しか入らないような可愛らしい店にばかりつれ回されたというのに終始楽しそうな様子で買い物に付き合ってくれた。



ヴァルトがおすすめだと言う店でディナーを終えて、ションボリとしてしまったヴァルトと共に店を出る。


なんでも今朝のように私を膝に乗せて食事したかったらしく、ランチでそれが叶わなかったのは人目があったからだと、ディナーはわざわざ個室の店を選んだらしい。

「初デートでそんなことできません」と言うと軽い押し問答になった末に「ちゃんと婚約してからなら……」との言質を取られてしまった。


「ヴァルト様、ごちそうさまでした。……すっかり暗くなっちゃいましたね」


そろそろ帰る頃合いだろうか。

群青を深めていく空を見上げる。


「そうだな……」


ヴァルトが肩を落としたまま相槌を打つ。

そんなに落ち込まれると、私がわがままを言って困らせたかのような罪悪感が……。


「そうだわ! ヴァルト様、最後にもう一ヶ所だけ寄ってもいいですか?」


「ああ、勿論」



ヴァルトを連れてきたのは、高台にある見晴らしのいい噴水広場。

昼間であれば子ども達の多く遊び回るそこも、夜には人気もなく真っ暗で、静かに噴水の水の落ちる音だけをさせている。


「ほら、ここです!」


広場の端にある腰元までの高さの鉄柵に身を乗り出す。

明るい時間には街が一望できてそれも綺麗なのだけれど、自分は夜の景色の方が好きだ。


空の闇と街の影とが溶け合って、空と地の境界が曖昧になる。

真っ暗な街には点々と店や民家の明かりが見え、高く月を掲げる夜空には無数の星々が瞬く。


「綺麗ですよね……。まるで月明の翼竜様が舞う夜みたい……」


うっとりと空を眺めて呟く。

ちょっとした悩みや悲しみもこの景色がすべて包み込んでくれる気がして、落ち込んだ時などはよくここを訪れていた。


「月明の……?」


「はい。私、月明の翼竜様のお話が大好きで」


この国の人間であれば誰でも知っているようなおとぎ話だ。

子どもっぽい趣味だと思われてしまうだろうか。


「なんだ、ならば話は早いな」


「?」


「イグスノーと約束したんだ。すべてを受け入れられることが条件だと。そうでなくとも隠すつもりはなかったが……よく見ていてくれ」


そう言って私から離れたヴァルトは、あろうことか衣服をぽいぽいと脱ぎ捨てながら広場の中央へと進んでいく。


「えっ! ヴァルト様……っ!?」


こんな場所で何を……!?

そんなっ、それ以上は!

でも見ていてくれって頼まれたし……!


両手で顔を覆い、指の隙間からまじまじとヴァルトを見つめる。


上着を脱ぎ捨てシンプルなシャツまでも脱ぐと、筋肉を隆起させた背中があらわになった。

下衣に手がかかり、月明かりの下きゅっと引き締まった臀部が見えかけた、瞬間。


ズゥンという地響きを伴って、自分の周囲に大きな影が落ちた。



「……?」


視界が暗い。

顔を覆っていた手をそっと下ろし、前を――上を見上げる。


「…………」


人間、驚きすぎると悲鳴さえ出ないものなのか、と。そんなことを考えながら頭が現実逃避を試みる。


…………月明の翼竜。


目の前――いや、見上げるほど大きなそれは、いつか絵本で見た白銀の巨躯。

一点の曇りもない清らな白銀の鱗は、夜の闇に淡く発光してさえ見える。

私の目線の高さが、胸の位置くらいだろうか。四本の脚を地につけ、どっしりとした身体を広場に据わらせている。


呆然としている間にも、高い位置にあった首が私の真横へと下りてきた。

幸い口は閉じられているので、すぐさま捕食されるわけではなさそうだ。


顔を寄せ、思いのほかつぶらな紅玉の瞳を数度瞬き、竜は私を映す。

その温かな瞳の紅に、見覚えのある気がして……。


「ヴァルト、様……?」


平素であればそんな突飛な考えは浮かばなかっただろう。目の前の竜が、知己の人物かもしれないなどと。

動転していたのだ。

驚きの悲鳴も上げられず身体を硬直させたまま、頭の中だけが目まぐるしく回転し続けるほどには。


そしてその突拍子もない問いかけに、竜は確かにグンと頷いた。


「クィロロロロロロロ……」


喉奥を震わせ、天に向かって甲高く声を発する。

両翼を広げバサリと宙に舞い上がると、私が見ていること確認するかのようにしばしその場で羽ばたいたあと、向きを変えて急上昇をはじめた。


宵闇の空に高く、高く昇っていく。


その身体は白銀に輝いて、宵闇の中どんなに離れても見失うことはない。


そして遥か上空へと到達すると、くるりと一回転し、今度は右翼を中心に旋回しながら、螺旋を描くようにゆっくりと下降してきた。


宵闇の空を、円を描いて舞う白銀の姿はまるで……。


「月みたい……」



しかし竜は月にはならず段々と高度を下げて、最後には再びズゥンと大地を揺らし私の目の前に降り立った。


「ヴァルト様……?」


その輝きに誘われるように手を伸ばして、一歩踏み出す。

広げられた両翼が、抱きしめるようにそっと私を包んで閉じ込めた。


恐る恐る腕を広げ、巨躯にぺたりと抱きつく。触れた瞬間はひんやりと、けれど触れていると次第に温もりが伝わってくる。


温かい……。

冷ややかな体表の奥にこもった熱は、静かな月夜が息づいたかのような、ふしぎな心地よさがある。

つるつるとした鱗に頬を寄せ、目を閉じてゆっくりと力強い鼓動に耳を澄ませていると、ヒュンッと一瞬にして抱きしめていた身体が萎んだ。


「ルゥ、見ていてくれたか?」


「……はい」


突然の変化にバランスを失いかけた身体を、しっかりと抱きとめてくれる力強い腕。

頬に触れる厚い胸板、頭上から降る穏やかな低音。


「俺は竜人、――月明の翼竜と呼ばれた竜の末裔だ。……ルゥ、俺をどう思う?」


「ふふっ。びっくりしました、とっても。でも……すごく綺麗でした」


思考に感情が追いついてくると、あまりの驚きになんだか笑いがこぼれた。

驚いたけれど恐怖を感じなかったのは、憧れの翼竜に似ていたという以上に、安心できるヴァルトの気配があったからだろう。


「ルゥ……愛している。愛らしい仕草も、心のままに変わる表情も、このやわらかな髪の一本まで。——側にいるためなら何だってしてみせる」


ヴァルトは私を抱きしめたまま、髪を一房すくい上げて口付けを落とす。


「結婚してくれ、俺と」


「…………ええ、喜んで」


宵闇の中、月の光だけが二人を優しく照らした。



抱き合ったヴァルトの一糸纏わぬ姿に気付いた私が悲鳴を上げるのは、もう少し後のお話————。





 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳



「番は魂の半分だから、振られたら心が死んで廃人になるか狂人になるかわからない!?」


「可能性の話だ」


「あの大きさの竜が狂暴化したら一大事じゃないですか!」


「ルゥは俺を受け入れてくれたのだから、もう何も問題ない」


「そんっ———!」


そんな大事な話をなぜ黙っていたのか!!


二人きりの馬車の中、続く反論は深い口付けに飲み込まれた。

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― 新着の感想 ―
短編が投稿されてる〜♪ヽ(=´▽`=)ノ 番ものですね!大好物です‼ ああでもいい所で終わってしまった〜(T_T) 後半で南田節(←勝手に呼んでいます*^^*)がチラチラ これからがおもしろいのに〜…
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