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頭を下げないと死ぬ町

作者: らがん

 シャラン……。


 鈴の音。

 カナエは眉をひそめ、歩みを止めた。

 こんな夜更けに、鈴の音?


 風が吹き抜ける静かな住宅街。数時間前までは明かりがともっていた家々も、今はすっかり寝静まっている。カナエの住むアパートの窓にも、どこもかしこもカーテンがぴたりと閉じられ、わずかな隙間すら見当たらない。

 街の夜は、異様なほどに暗かった。

 まるで死んだかのように、住民たちの息すら止まっているように思える。


 シャラン……。


 また、鈴の音。


 今度は少し近い。


 カナエは何気なく背後を振り返った。

 だが、誰もいない。深夜の通りには彼女だけ。遠くの街灯がぼんやりと照らす中、わずかに木の葉が揺れるだけだ。

 コンビニで買ったお菓子やジュースの入っているレジ袋が風に煽られてガサガサと音を立てる。


「……気のせい?」


 そう思い直し、再び歩き出そうとした、その瞬間——。


「下にぃ~……下にぃ~……」


 歌うような声が聞こえてきて、背筋が凍った。

 静まり返った街の中に、奇妙な声が響く。どこか遠くから、けれど確実にこちらへ近づいてくる。


「下にぃ~……下にぃ~……」


 まるで古い時代劇のような響きの声。それが現代の夜の街にそぐわないことに、カナエは気付いた。


 隣人の老婆の言葉が、頭の奥で蘇る。


 ――夜に鈴の音が聞こえたら、頭を下げて、じっと耐えるんだよ。“あの方たち”を見ちゃ駄目よ。


 ふざけた迷信だと思っていた。けれど今、この異様な状況の中で、その言葉が急に現実味を帯びてくる。


 カナエは心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、じわりと視線を落とした。足元を見つめ、息を殺す。


 そして、聞こえてきた。


 無数の足音。


 鈴の音とともに、何十、何百という足が、夜の舗道を叩く音。だが、その音には奇妙な違和感があった。


 ……揃いすぎている。


 ザッ……ザッ……ザッ……。

 まるで、全員の足がまったく同じリズムを刻んでいるかのように、寸分の狂いもなく、ぴたりぴたりと響いている。


 ふと、通りの端にわずかに動く影を見た。


 外に出ていた数少ない街の住人たちが、音に気づいた途端、一斉に地面にひれ伏していた。

 誰もが額を地面に押し付け、身を震わせている。


 その異様な光景に、カナエは息を呑んだ。


 何が起きているのか、彼らが何を恐れているのかは分からない。

 だが、その恐怖は伝染する。


 本能が告げた。

 彼らと同じようにしなければ、死ぬ。

 全身が粟立つのを感じながら、カナエは反射的に膝を折り、地面に手をついた。


 何かが近づいてくる。


 彼女の背後で、鈴の音が響いた——。


 すぐそばに、何かがいる。

 カナエは必死に顔を伏せ、呼吸を押し殺す。空気がひどく重くなった。肌をなぞるような冷たい気配が、すぐ頭上を通り過ぎる。


 誰かの影が、月明かりを遮った。


 息が詰まりそうだった。額にじわりと汗が滲む。


(しも)にぃ……下にぃ……」


 それはすぐそばで囁かれた。耳の奥に張り付くような声。

 ノドを通して出ているとは思えない、不協和音じみた声だった。

 壊れた笛に、ヘビのようにのたうつ舌をくっつけているかのよう。人と同じ声帯ではない。


 時間が、異様に長く感じる。

 ぎゅっと目を閉じて、神仏に祈った。


 助けてください。助けてください。助けてください。


 カナエはひたすら耐えた。

 肌身の感触はほとんど現実味を欠いていた。ひたいに感じる地面の冷たさだけが、唯一の現実の感触だった。

 

 足音と鈴の音が遠ざかる。

 気配が離れていく。

 全身に立っていた鳥肌が消えて、筋肉の緊張がほぐれてきた。そして、やっと自分が冷や汗でぐっしょりと濡れていることに気づいた。


 どれほどの時間が経ったのか。

 完全に音が消えるまで、カナエは顔を上げることができなかった。



 翌朝、カナエが目を覚ました時、体はまだ昨夜の恐怖の余韻を引きずっていた。


 どうやって帰ってきたんだっけ。

 ずきっ、と肩が痛んで、ようやく思い出した。

 ……そうだ。あの場から慌てて駆けだして、何度か転んで、電柱にぶつかり、発狂しながら布団の中に潜り込んだった。

 

 疲労感が残る体を引きずるようにして、スマートフォンを手に取る。画面には、通知がいくつも並んでいた。


『〇〇町で今朝未明、身元不明の遺体が発見されました』


 ニュースの見出しを目にした瞬間、嫌な予感が背筋を駆け上がる。


 指を震わせながら記事を開く。そこには、数行の簡潔な文章が記されていた。


『本日未明、〇〇町の路上で首のない遺体が発見された。警察によると、遺体の衣服や所持品には身元を特定できるものがなく、顔も発見されていないという。現場には争った形跡はなく、死因の特定を急いでいる』


 カナエの指先が凍りつく。


 昨夜の、あの足音。

 あの鈴の音。

 そして、大勢のなにかがすぐそばを歩いていった感覚。


 思い出しただけで、喉の奥がひゅっと縮まる。


 まさか——


 ふと、カナエの耳に外からざわめきが届いた。窓を開けると、近所の人々が小声で何かを話し合っている。


「また出たんだって……」

「今年に入ってもう三人目よ……」

「首は……やっぱり、ない?」

「えぇ。あの“大名行列”の仕業よ、きっと……」


 カナエは慌てて窓を閉めた。

 全身から血の気が引いていくのがわかった。


 “また”……?


 昨夜の“それ”は、初めて起こったことではなかった。



 ここに引っ越してきたのは、つい先日のことだ。

 やっと決まった就職先に近く、格安のアパートがあるこの町は、カナエにとって

願ってもない好物件だった。


 その引っ越してきた日に、老婆が家をたずねてきた。

 ここにはひとりで住んでいるらしい。

 やや不気味な雰囲気をまとっていて、あいさつを言おうする口が数秒固まった。


「お嬢さん」


 老婆は単刀直入に言った。


「夜に鈴の音が聞こえたら、頭を下げて、じっと耐えるんだよ。“あの方たち”を見ちゃ駄目よ」

「え? なんですか、それ」

「神様さ」


 それ以上の答えはなかった。

 いや、彼女はそれ以上の答えを持っていなかった、というのが正しいのだろう。



 昼頃になり、カナエは震える指で、老婆の住まう玄関の戸を叩いた。

 すぐに返事があり、かすれた声が迎え入れた。


「入っておいで」


 部屋に入ると、老女は畳に座り込み、お茶を淹れていた。カナエの顔をじっと見つめると、静かに言った。


「あんたも、遭ったんだね」


 カナエは唇を噛みしめる。


「……は、はい……助言してもらったとおり、土下座をして、姿を見ないようにしました。あれはなんなんですか?」

「わかりゃしないよ。数年前に急にあらわれてから、ずっと街を闊歩しているんだ。いきなり出てきては、不敬を働いた者を殺す」

「不敬……?」

「あぁ」


 老女は頷いた。


「敬い、恐れなければならない。頭を下げて、目を閉じ、息を殺す。そうすれば、見逃してもらえる。おかしな話だけどね、あれがあらわれた瞬間からこの町に住んでいる人間は全員確信したんだ。“見てはいけない”ってね。まるで刷り込まれるように。私は思うんだよ。あれは“神様”なんじゃないか、ってね」


 カナエの背筋に冷たいものが走る。


「……神様、ですか?」

「そうさ」


 老女は遠くを見るような目をして続けた。


「二年前……あれに孫を取られたんだ」


 カナエの喉が詰まる。


「孫はね、まだ幼かった。何度も言い聞かせたんだけどね、あの夜、窓の外を覗いたてしまったみたいなんだよ」


 老女の声は静かだったが、ひどく重かった。


「悲鳴が聞こえて慌てて駆けつけると、娘が狂ったように泣いていた。子供部屋の中には、頭のない小さな体だけが残っていたんだ」

「け、警察は……?」

「家族の誰かがやったと疑われたけど、結局証拠なんてでなかったもんだから、不審死ってことで片付いたさ。頭を持っていかれた他の人たちだって同じ。警察にできることなんかない。娘たちは引っ越してしまったよ」

「いっしょにここから離れようとはしなかったんですね」

「昔からここに住んでてね。新しいところに住んで、娘たちに迷惑をかけてまで生きていたいとも思わないんだ……」


 おばあさんは「それに」と付け加えた。


「私が念入りに忠告をしたことが逆効果だったんじゃないか、ってずっと考えているんだよ。もしも、もう一度あの日をやり直せたら……」


 軽かろうが重かろうが、忠告を聞かない子はいる。

 そんなことで悩むべきではない、そう言いたかった。だが、それは所詮は苦しみを経験したことのない人間の言葉でしかない。

 カナエは彼女の悲しみを深く追求せず、話題を変えた。


「……お祓いはできないんですか?」

「お祓いかい……いままで、三人だ」

「……え?」

「えらい霊媒師の人たちが三人来て、三人とも次の日に頭が無くなっていたよ」


 重い腰を持ち上げた老婆は片足を引きずるように歩くと、松葉杖を手にした。体が悪いのだろうか。

 杖のステッキ部分は唐草模様になっている。


「あれはね、祓うものじゃないんだよ。きっと、ここが神様の通り道になっちまっただけなんだ」


 信じがたいが、あんな異様なものを近くで見てしまった以上は信じるしかない。

 日本の神様というのはいろいろいて、人に害をなす悪い神もいる。あれはそういう類のものなのだろう。


「もう夜に出歩くのはやめなさい」


 老女は真剣な表情で言った。


「そんなの無理ですよ。仕事があるんです」


 カナエは、この街に引っ越してきた理由の一つに、仕事の条件があった。


 都心での生活は厳しく、退職後に新しい仕事を探していたカナエにとって、今の職場は理想的だった。夜勤専属の仕事ではあったが、給料は高く、待遇も悪くない。残業も少なく、必要な時には休みも取りやすい。


 唯一の問題は、帰宅時間だった。


 シフトが終わるのは深夜二時。

 近所の人たちから話を聞く限り、巷で“大名行列”と呼ばれる集団がよく出没する時間帯である。

 

「仕事なんかより命のほうが大事だよ……」


 カナエは言葉に詰まった。


 もちろん、恐怖がないわけではない。だが、生活のためには仕事を続けるしかない。

 そもそも、姿を見なければいいのだ。簡単なことだ。


「気をつけるので、大丈夫です」


 そう言ってカナエは話を打ち切った。

 対処法が分かっているのだから、それに従えばいいだけのことだ。


 深夜一時。

 その日も、大名行列はやってきた。

 住宅街の真ん中を列をなして、一糸乱れぬ動きで闊歩している。

 周囲の家々の窓はカーテンが閉じられ、明かりも消えていた。誰もが息を殺して、静かに命乞いをしている。


「下に~……下に~……」

「……………………」


 カナエは頭を下げながら、じっと耐えていた。

 だが、きょうに限って下げる頭がやや高かった。別段、よからぬことを考えていたわけではない。命が惜しいのだから当然だ。


「……………………」


 垂れさがった前髪の間から、足が見える。

 一律に動く機械じみた歩み。ムカデを思わせる。それ全体がひとつの生き物であるかのようだった。


 これが大名行列か。


 確認できるのは足元だけだが、そこにあったのはカナエの予想を裏切るものだった。


 “靴”だ。


 スニーカー、サンダル、革靴、ローファー、ヒール……現代的な靴たちがズンズンと行進していく。

 大きさも多様だった。

 子供、大人、老人……。


 どういうこと?


 さらに顔を上げようとして、慌てて地面に視線を戻した。

 危うく好奇心で死ぬところだった。


 見ていることがバレたら死ぬのか、見た時点で死ぬのか、それとも足までなら大丈夫なのか。

 そんな限界点を見極めるような綱渡りは考えるな。

 見ずに、伏せていれば終わるのだから。


 神様にしては様子のおかしい行列をやり過ごして、家に帰る。

 これをあと何度続ければいいのだろう。

 いくら怪異とはいえ、見慣れてしまえば日常だ。あと数回出会ったら、踏切が開くのを待つような気分へと変わるだろう。


 次の日、見たことをおばあさんに話すと、


「…………」


 しばらく固まった後、考え込むように下を向いて、また固まった。


「そういうこと……」


 その引っかかる言葉をこぼした後、ずっとおばあさんは心ここにあらずといった様子だった。

 まさかとは思うが、こちらの真似をして大名行列の足を見てやろうなどと考えてはいないか。


 自分はひとりで抱えるには重すぎる内容だから、誰かに話してラクになりたかっただけだ。などとカナエは心で言い訳をしたが、その詭弁っぷりではさすがに自分を騙せなかった。


「おばあさん、見てはダメですよ。絶対に。私はたまたま運が良かっただけなんですからね」


 念のため、忠告はしておく。

 もしも自分のせいでおばあさんが死んだら寝覚めが悪い。

 カナエは後ろ髪を引かれるような思いで家を出た。話さなければよかったな、と思いながら……。


 数日後、また大名行列はやってきた。


「下にぃ~……下にぃ~……」


 カナエは前回のように盗み見るようなことはせず、地面に頭をこすりつけていた。

 もうすでに恐怖はほとんどなかった。

 肌を刺すようなピリピリとした嫌な感じはあったが、それでも危機感は薄れていた。



 次の日、おばあさんが首のない状態で発見されたらしい。


 なぜ見てしまったんだ。

 本人が一番、あれの危険性が分かっていたはずなのに、どうしてだ。


 後悔と罪悪感がじっとりと湧いてきて、眠る気が起きなかった。

 頭まで布団をかぶったはいいが、まぶたの裏におばあさんの顔と大名行列の足が交互に映し出される。


 悪夢は見なかったが、寝起きに動悸が激しくなっていた。謎の焦燥感を覚えながら、支度をして出勤する。

 仕事中はネガティブなことを考える暇がないので助かった。



 さらに五日後の深夜。


 後悔も薄れてきたころに、またあの声がやってきた。

 相も変わらず多種多様な足を引き連れて、町を闊歩するために。


「下にぃ~……下にぃ~……」


 シャラン……と不気味な鈴の音が鳴って、遠くから足音が近づいてくる。

 靴がコンクリートでできた地面を蹴って踏む、聞きなれたメロディー。メトロノームのように規則的な行進。


 カツン、カツン、カツン――。


 その中にひとつ、聞きなれない硬い音があった。


「…………」


 規則的な足音のあいだに挟まれる、異音。

 だからこそ、余計に意識が引き寄せられる。それがなんの音なのか、知りたくなる。その衝動は本能的なもので、かゆみがあれば掻きたくなるような感じとよく似ていた。

 どうしても非日常の中に生まれた非日常の正体が知りたくなった。


「…………」


 以前のように、少し頭を上げて、目を動かす。視界には足しか映らない。そのはずだった。


 そこには、杖があった。


 唐草模様の施された杖に、よたよたと歩く老いた足。

 そのそばには小さな足も一緒だった。

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