日南河さんは散歩が出来ない
「ココだよ。ちょっと待ってて〜」
しばし歩いただろうか、まりりん邸と思しき建物の前に到着。ケーキを持ちながらなので、些か手の感覚が危うい。しかし落とそうもんなら、その場で即刻首はねである。
「あ、犬」
「でか」
庭には茶色の毛をした大型犬がいた。嬉しそうにグルグルとその場を回っている。どうやら来客にはフレンドリーな様だ。
「お待たせ〜」
玄関からまりりんがひょっこり顔を出す。俺は指をさして犬について聞いた。
「私が小さい頃に拾った犬なんだけど、なんか大っきくて私は散歩出来ないんだよね〜」
犬に引きずられるまりりんの姿がすぐに浮かんで笑ってしまった。
「今笑った?」
「ワラッテナイデス、ハイ」
「笑ったよね? 私が引っ張られるの想像したよね?」
「シテナイデス、ハイ」
「……まあ、いいや。中どうぞ〜」
「お、おじゃまします」
「します」
天ヶ崎嬢と二人、まりりんの家へと突入。
玄関にはドライフラワー、年寄の物と思われる帽子、靴べら、見えている靴は三足。まりりんのと誰かのと、サンダル。入って側面に二階へ続く階段。そしてトイレが見える。反対には扉が──
「龍樹くんあんまりジロジロ見られると恥ずかしいな」
「あ、すみません……」
まりりんに迷惑をかけるなんて俺最低。
「どうぞ〜」
そのままダイニングへ。まりりんの部屋ではなく、ダイニングへ。まりりんの部屋の方が良かった訳ではないが、まりりんの部屋だと嬉しかったのは確かだ。
「ケーキ食べるからココでいいかな?」
「あ、こんにひは」
「どうもです」
リビングに居たおばあちゃんにしっかりと挨拶。まりりんの祖母はにこやかに俺達に挨拶を返してくれた。
「おやおや、これはこれは珍しい。まーりんが友達を連れてくるなんて」
「同じ学校の龍樹くんと天ヶ崎さん」
まーりん?
どうやらまりりんは家では『まーりん』と呼ばれているらしい。これはこれで可愛いのでいつか自分もそう呼びたい。
「まりえさん、大きなお皿あるかな?全部乗りそうなやつ」
「あ、うん。おばあちゃん大っきいお皿ある?」
「一番下のところにないかい? シール集めて交換したんじゃよ。あんまり使わないから忘れてしもたの」
「あった」
まりりんが用意してくれたお皿に、買ってきたケーキ達を円の形に並べてゆく。まりりんの為にハシゴした特性のホールケーキが完成した。
「わぁ♪」
まりりんの喜ぶ声で、俺の苦労は報われた。全世界がこうならば、きっと戦争の無い世界は実現可能なのだと思いたい。
「おばあちゃん誕生日にケーキ貰った」
「そうけそうけ。それはすまなんだねぇ。ありがとない」
「いえいえ、誕生日をお祝いするのは当然の事です」
「龍樹くんありがとう!」
まりりんからの『ありがとう』で、俺のよくわからないゲージが破裂した。
が、よくわからないので破裂しても支障はない。
「どれから食べるか迷うね、ね」
結局まりりんの優しさで俺達もケーキを頂戴する事に。
天ヶ崎嬢は『待ってました』と言わんばかりに数あるケーキの中から品定めをしていた。一番高いやつはまりりんのたから、巻いてある透明なビニールだけくれてやる。好きなだけ舐めるがいい。
「うーん……」
トングをカチカチ鳴らし、どれから食べるか迷うまりりんの姿が、ケーキ屋で見た店員さんと被った。
「まずはこれにしよ」
「……」
まりりんが取ったのは小さなモンブラン。
が、そのモンブランはこの中では一番安いやつだ。控えめなまりりんのお気持ちが現れていて健気である。
「天ヶ崎さんはどれにする?」
「私はコレ」
即答でシンプルなショートケーキを指さした天ヶ崎嬢だが、そのイチゴショートは一番高いやつだ。こやつ、出来る奴だな。
「それはまりえさ──」
「シェアしない? そしたら沢山種類食べられるじゃん?」
「そうだね! いいねそれ」
天ヶ崎嬢から半分個の提案が出た。こいつ、マジで出来る奴だな。ぐぬぬ。
「天ヶ崎さん、コレ使って」
「ありがと」
小さな包丁(よく見たら柄が大きいので、使い古して小さくなった普通の包丁の様だ)を手渡され、天ヶ崎嬢がぶっきらに半分個……の様な七三分けとなってしまった。
「ほい」
「えっ? いいの?」
「まりえさんの誕生日なんだから」
「ありがと」
大きい方を渡され上機嫌なまりりん。
なんというか、天ヶ崎嬢はかなり気遣いに長けている気がした。俺よりも。ちょっとだけ悔しい。
「龍樹くんは?」
「ではこれを」
違うイチゴショートをチョイス。この店は家から一番近いので、また買いに行くようになっても大丈夫という保険だ。
「あ、それも美味しそう。一口頂戴?」
「どうぞどうぞ」
と、皿を差し出したが、天ヶ崎嬢は俺にフォークを向けてきた。そして何を土地狂ったのか口を開けて待ち構えるように肘をついてきたのだ。まりりんの前でまさか『あーん』をしろと? まりりんの目の前で? 御前で? 『あーん』を?
仕方なく一口分を取り、雑に天ヶ崎嬢の口の中へフォークごと。
「うん。美味しい。龍樹、コレ『casa di panna montata』のケーキだよね?」
「あ、うん」
「知ってるの?」
「食べた事ある味。あそこココから結構遠いんじゃない?」
言うなし。
「そうなの!? 龍樹くんありがとう」
「いえいえ」
「まりえさんも、あーん」
「あーん……」
天ヶ崎嬢の『あーん』に躊躇いなく口を開けるまりりん。なんというか、姉妹みたいで可愛らしい。
「まりえさんも龍樹に」
「は〜い」
「──!?」
天ヶ崎嬢からまさかのアシストが来た!
まりりんから『あーん』を頂戴出来るなんて、もう死んでもいいや!
「はい龍樹くん、あーん」
「あー……」
左手まで添えられて極上の『あーん』を頂戴してしまった。もうこのモンブランは二度と飲み込めない。
「どう?」
「おいひいれふ」
俺は親指をビッ! っと立てて笑った。
「あー、食べた食べた」
帰り道、天ヶ崎嬢が伸びをして欠伸をした。
「じゃ、今週の土曜日は私とね?」
「ふあ?」
「誕生日。祝うのは当然なんでしょ?」
「なんふぇおれはそふなほほ」
「いいかげんに飲み込みなよ。まさかずっと口に入れてたの?」
「──ちがわい! ゴックン出来なかっただけだわい!」
ついにモンブランを飲み込んでしまった。まりりんの『あーん』とはお別れである。
「楽しみにしてる」
「……期待はしないように」
アシストして貰った手前、無下に断るのもなんだし、仕方なく天ヶ崎嬢の誕生を祝う羽目に……。
「じゃ、また」
「お、おう」
「龍樹、好きだよ」
「……」
天ヶ崎嬢からの投げキッスをどうしたものか、俺はその日夢にまで出てきてうなされた。